第6話 偶像崇拝
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「わっ、凄い。こうやって戻っていくんですね」
「ここの地下は一体どうなってるんだろうな……」
龍平達が授業の開始時刻まで競技場で待っていると、森林地帯と化していた床が丸々地下へと吸い込まれていく。そして、1分ほどもすれば何事も無かったかのように競技場は元通の風貌を取り戻していた。
「あれ、2人とも早いんだね」
「まぁな」
それからしばらくもしないうちに悠馬や他の生徒達も競技場にちらほらと現れ、午後の始業のチャイムの前にはクラスの全員が競技場に集合していた。そして、チャイムが鳴る頃になると担当教員の麻耶が戻ってきて午後の授業が開始される。
「はい、今日の授業は障害物競争です」
授業が始まるとまず麻耶から授業の内容が発表される。しかし、その内容というのは生徒達を当惑させるのに十分な内容のものであった。その理由を生徒の1人が、「あのー」と挙手して発言をする。
「障害物競争って、肝心の障害物はどこにあるんですか?」
 
「ふふふ、よくぞ聞いてくれました!」
その質問を待っていたと言わんばかりにスイッチを押す。すると今度は床が開くと森のステージではなくアスレチック的なものが地下からせり上がってきた。2度目の龍平は驚かないが、他の生徒達は面食らった様子でその光景を眺めていた。もっとも、龍平は1度目でも呆けたりはしなかったが……。
さて、肝心の障害物の方であるが、それもまた生徒達の度肝を抜いた。競争というだけあって色々なアスレチックが合わさってコースになっているわけだが、その一つ一つがどれもキツそうなのである。
「えー、それではコースの概要を説明します。まず最初に2メートル間隔に置かれた5つの足場を飛び移り、次に約5メートルの壁の間を登っていきます」
麻耶の説明を聞きながら生徒達はコースを目で追っていく。だが、生徒達の大半がその先を見て目を疑った。
「その次にあるのが一つ目の難所ね。突起約2センチ、指先だけの力で全体重を支えながら3メートル進んでジャンプ、1メートル先、50センチ下にある突起に飛び移る。とりあえずここまでやってみよっか」
その辺りで生徒達の大半の目は死んでいた。それは、そんなこと出来るわけがないという目であった。だが、逆にやる気になっている者も中にはいた。
「先生! 私やってもいいですか?」
「伊賀さん? じゃあ試しにやってみて貰おっかな」
「了解でーす」
雀は特に気負った様子もなく、のんびりとした様子でスタート地点へと向かう。それはある意味自信の表れとも見て取れた。クラスの全員が見守る中、雀は準備が出来たと挙手をすると、スタートの合図を送る。
「いきまーす!」
そして雀はその合図と同時に一気に駆け出した。驚くべきはその俊敏性。雀は2メートル間隔の足場を1度も止まることなくぴょんぴょんと飛び越えていく。仮にこの間隔が3メートルであっても彼女は同じように出来るだろう、そう思わせるくらいには余裕があった。
(なるほど、流石は伊賀家……身体強化の魔法はお手の物ってわけだな)
その動きを見て龍平は1人で納得する。お手の物、というのは雀の魔法が必要最低限に抑えられていたからだ。その雀はというと5つの足場を渡り終えると次は壁登りの障害物へと差し掛かる。本来なら両手両足を両脇にある壁に当て、上に跳ねながら登って行くのだが、雀の場合は違った。
「よっ、ほいっと!」
助走をつけ高く跳ぶと壁を蹴って三角跳びの要領で高度を稼ぐ。そして更に反対側の壁を蹴って軽々と頂上まで到達してみせた。その技術力の高さに龍平は舌をまく。
(壁を蹴る瞬間だけ固定の魔法をかけているな……。そしてすぐに身体強化魔法に切り替えることで重力に負けない力でしっかりと上に跳ぶことが出来るというわけか)
特筆すべきはその魔法の発生速度。少しでも魔法の切り替えが遅れれば同じように壁を登ることは出来ないだろう。しかし、この技術に気付いていたのは生徒の中では龍平だけであった。
龍平は誰も気付いていないということを悟ると自分も気付いていない振りをする。その後、最初の難関と言われた障害物も雀は難なく突破するのであった。
「みんなもあれくらいとは言わないけど、それなりに出来るようにならないと卒業出来ないよ?」
麻耶は戻ってきた雀に素晴らしいと絶賛するとこう発言する。それはつまり、雀の実力はこれに限っては卒業生を越えると言っていることに他ならなかった。
さて、先ほどまで見学をしていた龍平達だったが、実際にコースを体験してみると改めて雀の実力が理解出来た。
「伊賀さんって凄かったんだね……。魔法測定で同類だと思ってたんだけどなぁ……」
「身体強化の魔法は私の得意分野だからね〜。でも赤萩君も結構上手じゃん」
悠馬は雀ほどとはいかないが、2メートル間隔の足場に関してはほぼノンストップで駆け抜けるくらいの実力は持っていた。彼の場合、運動をしているということでもともとの身体能力が高いというのが良い方向に働いているのだろう。
「雀さん、あなたなかなかやりますのね……」
「おっ、エリナちん。もっと褒めてくれてもいいんだよ〜?」
「くぅ……! あなたに調子に乗られるのは癪ですわね……!」
雀が調子に乗るのも無理はない。何せ、クラスの誰と比べても圧倒的に速いのだ。それは一枚二枚の次元では無い明らかな実力差がある証拠でもある。そしてその差は一分一秒を争う現場では明暗を分けることになる。
例えば、災害現場の救助活動。彼女は常人が1人を助けている間に2人を助けるだろう。それが意味するのは誰でも分かる簡単なこと、魔導士としての価値が上だということだ。
「けど、どうしてこのような訓練をするのでしょうか? 龍平君分かりますか?」
別に龍平は教師でもないというのに、どうやら結衣の中の龍平の立ち位置はそういうポジションらしい。もっとも、龍平からしたらあてにされても困ってしまうのだが。
「そういうのは先生に聞けばいいだろ……。まぁあくまで予想だけど、魔導士は仕事柄危険な環境で活動することが多いからな……。特に、神話生物による天災なんてのはその代表と言っていいだろう」
「いやー、鹿島君がいると先生楽で助かるわ。鹿島君の言うとおり、魔導士の活動する所はどんな環境でどんな場所かなんて指定は無い。崩れかけた建物の中かも知れないし、あるいは切り立った崖かも知れない。だから、こんな特殊な訓練でも必要なことなの」
特に呼んだというわけでも無かったのだが、麻耶は急にやって来たかと思ったら龍平の答えを補足して説明をする。その説明で納得したのか、結衣はなるほどと話を聞きながら数回頷いていた。
「だから、前線で活躍出来る魔導士にこそ必要なスキルだったりするのよ。現に、水瀬学長はこういう授業でも凄かったから」
「水瀬学長がっ!?」
麻耶から智香の話が出た途端、その話を詳しく聞かせろと言わんばかりにエリナが食いついていく。いや、エリナだけではなく他の面々もその話は気になっていた。
「へぇ意外。水瀬学長ってこういう体育会系みたいなことも得意なんだ」
雀の印象は全員の意見を代弁したようなもので、全員そこまで智香に対して体育会系のようなイメージは持っていなかった。だが、そのイメージは間違っていると麻耶は言う。
「体育会系というより体育会系が泣いて逃げ出すレベル? 学長は3年生の時に100メートル走11秒台だったからね」
「えぇ……僕と同じくらいだ」
「悠馬、大丈夫だお前も十分速いぞ」
智香の記録を聞いて体育会系の悠馬がショックを受けている。記録を出したのが1年と3年という違いがあるとはいえ、男子と女子の差だ。悠馬の記録も速い方に分類されるが、智香の記録は同じ11秒台でもかなりだとか滅茶苦茶だとか、そういう言葉が前につく。
「弱点とか苦手なことってないんでしょうか……」
「あー、私の知る限りでは無いかな〜。勉強でもいつも上位だったし、美人で性格も良いし優しいしかっこいいし」
「なんか、絵に描いたような完璧超人って感じ……?」
いつの間にか気づいたら智香の話で盛り上がっていた。智香のことをよく知らない4人はというと各々智香がどういう人物なのかということを想像する。彼、彼女らの中では雀の言うような完璧超人が出来上がっているのだろう。
(智香さんも大変だな……)
一方、龍平はというと自分の知らないところで完璧な人間に仕立て上げられてしまう智香に同情するのであった。
その日の夜、龍平は特にすることも無くゆっくりネットサーフィンをしていると不意に一本の電話がかかってきた。発信者を見るとそこには智香と書いてあったため龍平は訝しむ。
「智香さん? 珍しいですね、どうかしたんですか?」
「特に用というわけでは無いのですが、入学祝いと引越し祝いがまだでしたので。今からそちらに向かっても構いませんか?」
「ええ、それは構いませんけど……」
龍平がその返事をした直後、家のインターホンが鳴らされる。あまりの速さにビクッとしたのは秘密だ。
「電話に出なかったらどうするつもりだったんですか?」
「その時は大人しく帰るだけですよ」
「忙しいのは分かりますけど、今度からはせめて1時間前には連絡してください。それか合鍵を渡しておきますか?」
本来なら1時間でも遅いくらいだが、智香の場合は仕事がいつ終わるのかが分からないだろうということでそれを踏まえての龍平の優しさだったりする。
「そういうことをあまり女性に言ってはいけませんよ? まぁ、龍平君がそんな軟派な男だとは思ってませんけど……」
「言いませんって。こっちでは智香さんは俺の保護者なわけですから、合鍵くらい持ってても良いのではと思っただけです」
「あぁ、そういう事ですか。とりあえずそれは辞めておきましょう。勝手に家にあがっている時に龍平君が彼女を連れて帰ってきて鉢合わせでもしたら大変ですから」
「なんですかそれ……。そういえば今まで仕事してたんですよね? 晩ご飯食べましたか? まだなら何か作りますけど」
忙しいというのにこうして折角来てくれたのだ。とはいえ龍平も突飛なものは作れないため簡単なものでよければと注釈をつける。それを聞くと智香の表情が少し綻んだ。
「では、お願いします。こうやって帰った時に誰かがいるというのは良いものですね」
「確かに一人は静かですからね。智香さんは学長になってからは一人のことが多いんですか?」
「そんなにいつも一人というわけではないですよ。休日は麻耶と飲みに行ったりもしますし」
龍平の質問に答えながら智香は冷蔵庫を開けて何やらゴソゴソと入れ始める。龍平が気になってチラッと見てみるとその手には缶ビールが握られていた。しかし、そのことについて龍平は何も咎めない。実はこの光景は割と見慣れたものなのである。
「鷹野先生ですか。そういえば先生も、私は学長と飲みに行くこともあるんだって自慢してましたよ」
まさかこんな形で智香に知られてしまうだなんて麻耶は夢にも思わないだろう。それを知った智香はやれやれといった様子で頭を抱えて溜息をつく。
「もう、本当にあの子は調子が良いんですから……。それで、龍平君から見て麻耶はちゃんと先生を出来ていますか?」
「まだ授業をそこまで受けたわけではないのでそれはなんとも、けどフレンドリーな方なので生徒からは人気みたいですよ」
「そうですか、嫌われてないなら良かったです」
「そんなに心配なんですか?」
この時の智香の様子が本当に安堵していたように見えたので龍平も少し気になった。
「それはもう、あれでも私の大切な友人ですからね」
「それ、鷹野先生に言ったことは?」
「勿論言いませんよ、言ったらあの子は絶対調子に乗りますから」
智香にそう言われてから龍平はふと普段の麻耶の様子を思い出す。同時に、智香は麻耶のことをよく分かってるんだなと思い、なるほどと納得した。
「っと、出来ましたよ。けど飲むなら味がちょっと薄いかもしれないです」
「ありがとうございます。おや、カルボナーラですか。龍平君は本当に料理が上手ですね」
「混ぜるだけですから、料理だなんてそんな大層なものじゃないですよ。それより、どうぞ召し上がってください」
「それではお言葉に甘えて、いただきます」
智香が食べている間に龍平は自分用にと台所でもう少しだけ作業をする。と言ってもこちらも料理という料理ではなく切ったきゅうりに塩を振っただけの手抜きの一品だ。
「それも少し頂いてもいいですか?」
「それは構いませんけど、合わないと思いますよ?」
「大丈夫です、お酒とは合いますから」
それだけ言うと智香は意にも介さずヒョイとつまんで食べてしまう。酔っているということと、家の中だと言うこともあって無防備というか結構だらしがない。これが外では完璧を演じる智香の本当の姿だと誰が信じるだろうか。
「智香さんのこんな姿、他の人には見せられないですね」
「おや、それはどういう意味ですか?」
「そのままの意味ですよ。智香さんはみんなから完璧な人だってイメージを持たれているみたいですから。智香さんは頭が良くて性格も良くて運動も出来て、美人で優しくてかっこいいって鷹野先生も絶賛してましたよ?」
「なんですかそれは……。麻耶は私のだらしない所も散々知ってるでしょうに」
智香は麻耶が気を遣ったと理解すると強く責めることはせず、諦めたように溜息をついた。ただ、智香が誰にでもそういう姿を見せるなんてことは考えられない。少なくとも、智香が麻耶のことを信頼しているということは龍平にも理解出来た。
「本当に仲が良いんですね」
「まぁ付き合いだけなら龍平君よりも3年ほど長いですからね。9年も一緒にいれば嫌でもそうなりますよ」
そう言う智香の顔はどこも嫌そうでは無く、そりゃ仲も良くなるかと龍平は心の中でそう思ったのであった。
話をしていたせいもあってか、智香が帰り支度を済ませたのは22時を回った頃であった。
「本当に泊まっていかなくて大丈夫ですか?」
学区ということで治安が悪いということはないが、それでも酔った女性を1人で出歩かせるのは少々憚られる。
「そんなに酔ってないですから大丈夫ですよ。龍平君のおかげで日頃の疲れも癒されましたからね」
「それなら良かったです。またいつでも来てください」
「ふふっ、いつでも行きますよ」
龍平は玄関先で智香を見送ると、ふと冷蔵庫を開けて見る。そこには、また来るよと宣言しているような数本の缶ビールと、その他にコンビニで買って来たと思われる弁当が入っていた。なんだと思って見てみると、その上には書き置きが残されていた。
「コンビニでお弁当を購入しましたが、どうしても龍平君のご飯が食べたかったので来てしまいました。賞味期限は持つので明日の朝食にしてください…………か。ほんと、智香さんはずるいなぁ」
流石にそんなことを言われたら文句は言えないなと龍平は声を出さずに微笑する。そして、今度の時は何を作ろうかと思案するのであった。
 




