第51話 優しい魔王
新東京区までを空路で移動をしている道中、陸では新東京区から避難する車で溢れていた。
逆に、新東京区へと向かう車は疎らだ。今のこのタイミングで人の流れに逆らっているのは自衛隊やA級やB級といった戦闘員しかいない。
また、野次馬根性で観戦に来る者を弾くために、都心から新東京区へと向かう道には簡易的な関所が設けられていてそこでライセンスの有無を確認される。
龍平たちも通行の許可を得るために一旦地上へと降り立った。
「うおっ!なんだ!?」
「こらこら、ここは子供が来ちゃいかん……」
派遣された自衛隊員は空からやってきた龍平たちに驚くも、それがライセンスも持っていなそうな子供だと分かると龍平たちに止まるよう指示した。
しかし、龍平の姿をはっきり見て逆に隊員が硬直する。
「通らせてもらうぞ」
「し、失礼いたしました!」
龍平がライセンスを見せれば自衛隊員はすぐに頭を下げて敬礼する。
同行している結衣とエリナの二人のことを問われることも無かった。
海の周辺まで行くと途端に雨が降り始めた。
横風も強くまるで台風が上陸したような大荒れの天気に結衣は驚愕する。
「雨が凄いですねええぇぇぇ!!!」
話をしようにも雨風が強すぎて普通に会話するのでは声が通らない。結衣がここまでの大声を出しているのは何気に希少映像だ。
「風魔法を使えばそこまで声を張る必要ないぞ」
「先に言ってくださいよ……」
はしたないところを見せてしまったと結衣は恥ずかしそうに顔を赤らめる。この小さな失態に龍平とエリナはほっこりする。
他にもたくさんの魔導士が沿岸部で待機しているのだが、みなこれから死地に向かうような面持ちをしていてここまでリラックスしているのは龍平たちくらいなものであった。
「さて、俺たちは伊豆諸島まで行くぞ」
情報によると海上自衛隊や先行している魔導士の一部が既に交戦しているようだ。
ここで待機しているのは海を渡る手段がない者や自衛隊の魔導装甲船に乗り遅れた者だ。
彼らはここで最終防衛ラインを形成するか、後に来るであろう自衛隊の第二陣と参戦する形となる。
龍平たちはそんな彼らを尻目に荒れた東京湾へと旅立ったのであった。
クラーケンと数十人の人が相対しているのが見えてくる。その様は戦っているというよりは必死に防御していると言った様相であった。
「これは……」
「ひどい……」
到着してまず目についたのはクラーケンの魔法で流されてしまった住宅や車だ。
初期対応が速かったために住民は避難済みで人的被害が無かったことは不幸中の幸いだ。
いや、もちろん被害にあった者からすればたまったものではないが、暴風に巻き込まれ瓦礫などが飛んでいるこの状況を見れば命あっての物種だと思えるだろう。
少なくとも結衣やエリナからすればそれは絶句するような光景であった。
魔力切れの魔導士や瓦礫に当たり怪我をした魔導士が救護班に連れられ治療を受けている。
よくよく見てみれば、あちこちで倒れている魔導士の姿も確認できる。
「早く助けに……!」
「動くな。言ったはずだ」
助けないと、そう思って動こうとした結衣を龍平は強く制止する。好き勝手に動かないというのが龍平との約束であった。
「あの瓦礫にぶつかって結衣が気を失ったらどうする? 下手に動くと二次被害に繋がる」
「でも……!」
「確かにお前たちの力は強力だ。プライド、面子、自尊心。そんなものを無自覚に粉々に砕くほどにお前たちの才覚は二流止まりには眩し過ぎる」
龍平は彼女たちが一流たる資格を持っていることは認めている。膨大な魔力量に加えて緻密な魔力制御、そして精霊召喚、現時点で既に二流三流魔導士がその一つでもくれと涎を垂らして欲しがるような力を持っている。
「だが、強力なだけで万能ではない。個を救う力はあっても全てを救う力はない」
龍平は容赦なく現実を突きつける。魔導士は現実主義者でならなければならない。なぜならそれが生きることに直結するからだ。
夢想家ではいけないと厳しいことを口では言ったが、内心ではその夢想を大切にして欲しいとも思っていた。
その清廉で尊い考えは人間として正しい。
先述したが、魔導士として前線に立っていると命に対する価値観がだんだん希薄になっていくのだ。
自分では全部を守るのが無理だと悟ると、そのうちに全部を守るんだという虚勢すらはれなくなってしまう。
そして命を選別、取捨選択をするようになるのだ。
もちろんこれは仕方のないことではあるのだが、本来は悲しむべきことだ。しかし、仕方がないと割り切っているうちに今度はその取捨選択が当たり前になってくる。悲しいかな誰しもが初心を忘れてしまう。
当然だ。毎度毎度全部を助けるつもりで戦うとしたら、その人は何度挫折を、後悔を、絶望を経験すれば救われるというのだ。
次こそはと息巻いて次の戦場にいけるだろうか。
だからその青い理想を大事にして欲しいと思っていてもその道は推奨しない。
「危ない!」
倒れていた魔導士に波が襲いかかる。ここで波に攫われたら助かる見込みは限りなくゼロだろう。
しかし結衣は動きたくとも動けない。
動いたところで距離も遠く到底間に合わない。
波に攫われる、そう思った瞬間に倒れていた男を障壁が覆った。そして攻撃が弱まっている隙を見て他の魔導士が回収して撤退する。まさに紙一重の攻防であった。
「命がいくつあっても足りませんわね……」
こんなギリギリの駆け引きが毎回のように成功するとは思えない。見ていてヒヤッとするとかではなく、気づくと祈ってしまっていた。
「こんなのに勝てるんですか……?」
ここに現S級魔導士である劉磊がいれば話は変わってくる。
彼は土魔法を利用した要塞戦のスペシャリストであり、リアル一夜城の築城など防御面において突出した能力を持っている。
ここで海岸沿いにバリケードを展開するなど強固な壁があれば余裕が出てくるが、しかしこれはS級魔導士という規格外の話だ。
残念なことにここにいるA級B級の力を合わせてもS級魔導士にはとどかない。
「なんで誰も攻撃しないんですの?」
エリナが思った疑問を素直に口に出す。見れば、水面に顔を出しているクラーケンには傷一つついてない。
「簡単だ、防御に精一杯だからだ」
安定した防御という安全マージンを確保してようやく攻撃のことを考えられる。仮に崩壊寸前のギリギリのジリ貧な状態で、『クイックショット』のような軽い魔法で反撃したとてクラーケンには焼け石に水だ。そんな都合良くカウンターパンチが決まらないというのは対人戦との違いである。
「でも、防御してるだけじゃクラーケンはずっとあのままですよね……?」
もちろん今のままでクラーケンの体力を奪うことは可能ではある。しかしそれは人間も同じことだ。
好転するとは言えない。
攻めるにせよ守るにせよ人数が足りないのだ。
第二陣、第三陣の到着までただただ防御するしかない。前線というのはこれほどまでに過酷なのかと結衣は自分の認識の甘さを恥じた。
「エリナはあの時シチリア島にいたんだったな」
「……ええ。あの時もこんな感じでしたわ」
クラーケンという神話生物は数十人という魔導士を相手に全く怯まない。
それどころか暴虐的な強さを以って圧倒するのだ。
だが、そんな誰もが勝てないと絶望するような怪物を相手に大立ち回りを演じる英雄はいる。
全員を守って見せた水瀬智香は間違いなく英雄であった。
「そうだな。あの時も俺は到着するのが遅かった」
龍平は二人に障壁を展開するように指示すると徐に歩きだし前に出る。周りの魔導士が「おい、あんた……」と声をかけるが、龍平の溢れ出る膨大な魔力を感じるとそれ以上何も発することは無かった。
そうして龍平は誰よりも前でクラーケンと相対する。
気がつけば、南風は北風へと向きを変えていた。
「キィィィィィ!!!」
突如、今まで余裕を見せていたはずのクラーケンが激昂し高周波の咆哮を繰り出した。
暴風の支配権を龍平に奪われたことでクラーケンも目の前に迫る脅威に気付いたのだ。
「行くぞ『シルフ』、久しぶりの全力だ」
龍平は自分と同化している相棒に呼びかける。その呼びかけに応じるように龍平から溢れる魔力が更に跳ね上がった。
全員を守る者が英雄ならば、単身で撃ち倒す者は何になるのだろうか。
龍平の魔力に当てられたのか、誰もが息を止めてその様子を見守っている。
「『龍吼・メテオストーム』」
それは風というよりは嵐の奔流。莫大なエネルギーを秘めたそれはクラーケンの魔法障壁を容易く破壊するとクラーケンの大きな体躯を消し飛ばした。
それでもなお勢い衰えずまさにその文体通り雲を突き抜けていく。
黒い高層雲や積乱雲に覆われた灰色の空に一筋の蒼が走った。
「これは、夢なのか……」
誰かが呟く。
周りを見てみると理解が追い付かず呆然と立ち尽くす者、ありえないと乾いた笑いを浮かべる者、「倒したよな?」と思いつつ周囲の反応から「倒してないのか?」と歓喜の声をあげて良いのか分からない者、さまざまであった。
ただ一つ共通の認識としてあるのは、この偉業を成した者がたった一人の男だと言うことだった。
世界最強やスモールドラゴンだと言う声が上がり始めるが、決して歓声は上がらない。
智香の時は艱難辛苦を共にした仲間という意識があったからか皆がクラーケンの撃退劇と英雄の誕生に大いに湧いた。
だが今回は違う。人類が共通認識で天災と思っている怪物が、高位の魔導士数十人で取り囲んで手も足も出なかったそれが、たった一人の、たった一発の魔法で跡形もなく消し飛んだ。
畏怖を抱かせるに十分過ぎる出来事であった。
龍平が踵を返せば魔導士たちは自ずと道を開ける。
その様子はとてもじゃないが英雄の凱旋とは言えない。誰も声も発さず、ただこうべを垂れて龍平が過ぎるのを待つ。
さながら漫画や小説のワンシーンだ。今ここで龍平に萎縮していないのは結衣とエリナの二人だけであった。
「まるで魔王ですわね……」
「ですね。でも、龍平君は魔王にしては優しすぎますよ」
「確かにそうですわね」
結衣とエリナは自分たちだけが龍平のことを知っていると少し上機嫌であった。龍平が戻ってきてからも二人のご機嫌な調子は変わらず、二人が何か通じ合っているということは龍平も感じ取れた。
「ん?どうかしたのか?」
「ふふっ、なんでもないですわよ」
「ねー」
それで何でもないことは無いだろうと思いつつも、これを暴くのは無粋だなと相槌ですませる。
「帰るか、日常へ」
雨は既に上がっている。雲間から差す陽の光はとても眩しく輝いていた。
第一幕 完結とさせていただきます。
続きでやりたいこととかちょろっとやるかもです。




