第50話 クラーケン到来
雀の手術は麻酔導入から数えてなんと18時間に及んだ。
「手術は無事終わりましたよ。意識はまだ回復してませんが、自発呼吸を認めてますので覚醒するのは時間の問題かと思います。ただ、覚醒後に錯乱する方もいますのでなるべく本人が安静でいられるようにしてあげてください」
「分かりました。長時間ありがとうございました」
「「ありがとうございました」」
開胸、骨折片の整復固定、肺に空いた穴を魔法にて修復と行なった処置自体はそこまで難易度は高くないが、なにせその数が多すぎる。
粉々に砕けていた骨は、粉砕された骨片を取り除き、集めたものを魔法で再合成。それを整復し、吸収性材料で固定と現代の医療は魔法と科学がハイブリッドしている。
手術後、雀はICUに入れられたために面会は最小限にすることにした。
病院の外に出ると空は一面に雨雲が広がっており、まだ昼間だとは思えないような鉛色を呈していた。
寒冷前線が通ったあとのような風の冷たさが今にも雨が降ってきそうな気配を感じさせる。
「結衣、エリナを連れて実家の方に帰ることは出来るか?」
「多分大丈夫ですけど……急にどうしたんですか?」
唐突な龍平の提案に結衣は怪訝な表情を浮かべる。こういう時の龍平は何か隠していると分かってきた。
結衣は疑いの目ではなく確信を持って龍平に吐けと言わんばかりのジト目を送る。何も言わないでただじとーっとした視線を送っていただけなのだが、龍平は観念して正直に訳を話した。
「ニュースを見てみろ」
そういうと結衣とエリナは二人でスマホでブラウザを立ち上げる。検索をせずとも検索エンジンにあるニュース欄の見出しだけで今の状況が分かった。
「伊豆諸島近海にクラーケン出現、新東京区を目指す!?」
「新東京区方面への公共機関の全面通行止め!?」
とどのつまり、帰りたくても帰れないということだ。
新東京区に通ずる道路も通行止めになっていて、これを通れるのは自衛隊やライセンスを持った魔導士と限定されている。
「龍平君は行くんですね」
「あぁ、こんなもんもらってるからな。S級魔導士の責務みたいなもんだ」
龍平の手にはS級魔導士を示す黒色のライセンスカード。現状、世界に数枚しか存在しないカードだ。
こんな製作費数十円の紙切れが、あらゆる場面で融通を利かせる絶対的な権力を持っている。
もちろんA級魔導士やB級魔導士にももある程度の融通を利かせる力があり、こういった非常事態に対しての責務というものは発現する。
しかし、彼らは逃げるという選択肢を選んでも許されると龍平は思っている。
それくらいS級魔導士という称号は特別な意味を持つものなんだと、そうでなければならないと、それがブランドであるべきなのだと語る。
A級魔導士ですらエスケープを許されているのだ。結衣とエリナ、学生の二人には当然も責務はない。
龍平は二人にタクシーで結衣の実家に避難するように言ったのだが、しかし二人はそれを拒んだ。
「わたくしも行きますわよ」
「私も。何か出来ることがあるなら行かせてください」
二人とも龍平のレベルからすれば自分が足手まといだと言うことは分かっている。
それでも同行を願い出たのは、今回のことでどんなことでも経験を積まなければ自分たちは何処にも行けず、何者にもなれないという焦燥があったからだ。
そして何より龍平の近くにいれば誰かを守るための力というのが分かる気がしたからだ。
友達を失いかけるなんて経験はもう二度としたくない。ここで逃げることを選び、魔導士の道を諦めればそんな思いは二度としなくて済むだろう。
しかし、彼女たちは前に進むことを選んだ。
龍平はまず二人がトラウマにならなかったことに安心する。メンタルの強さと言うべきだろうか、上を目指したいと豪語するエリナはともかくとして、結衣も存外負けてはいない。
龍平は連れて行くか否かで悩む。二人の思いに応えてあげたいという気持ちはある。
悩んだ結果、条件付きで二人を連れて行くことに決めた。後進を育成するのもS級魔導士の役目だからだ。
「分かった。ただ、今回は見学だ。何もしなくて良い。何があっても俺の近くにいろ」
流石に好きに動かれると守ることが出来ない。何があっても、という文言はまさに文字通りの意味だ。
「いいか、何があってもだ。たとえ周りで他の魔導士が助けを求めても、怪我をしてても、死にかけてても絶対に飛び出すな」
龍平にとって、二人を守ることが最優先事項だ。
つまりはそのために命の選別をするということだ。
その意味が分かったのだろう、二人は神妙な顔をして頷く。
それが龍平が一番動きやすいというのならば、従う以外無かった。
「覚悟は出来たみたいだな。なら行くぞ『精霊融合』」
行くと言ってもここからの移動手段が無いため自力で向かう必要がある。身体強化魔法を継続し走って行くのも手だが、龍平ならば飛んでいくのが最速だ。
それに二人くらいなら運ぶことも可能だ。
「ゆっくりしてられないから飛ぶぞ、二人とも俺に捕まれ」
龍平に他意はなく、ただ密着するくらい近くにいてくれないと一緒に飛べないと二人に言う。
しかし、二人して煮え切らない態度を示した。
「あの、私たち昨日からお風呂に入っていなくてですね? 対抗戦で汗とかかいてたりするんですよ」
「分かってはいますわよ? けどまだそこまで女を捨て切れませんわ」
二人とも今が緊急事態であることは重々承知しているが、年頃の乙女としてはこちらも同じくらいの問題であった。
世の中にはプロを目指すなら女を捨てろ、と簡単に切り捨てるようなことを言う者もいるだろうが龍平はそうではなかった。
何故ならそれは一種の極論であり思考停止だと思っているからだ。
人権も法律も何も考慮しない極論は非建設的であり、それは意見とは呼ばない。もっとも、発する側は反論も来ないため論破した気になりさぞ気持ちが良いだろうが。
故に、代替案や妥協案を出すことが必要であると龍平は考える。
「結衣は『飛行魔法』は使えるか?」
「どうでしょう……使ったことないですけど、使える気がしてます。ちょっと試してみます。お願い『八咫烏』」
風魔法に強い適正のある結衣ならばとは思ったが、試してみたところたどたどしくはあるが成功した。
あわよくばエリナを運んで、と思ったが流石に自分一人分の制御で精一杯といったところであった。
「結衣は良さそうだな。エリナは……」
「結衣さん……恨みますわよ」
結衣でこれなのだからエリナにはまだ飛行魔法は早かった。エリナは恨み言を連ねながら覚悟を決める。
「じゃあエリナ、背中に乗ってくれ」
「い゛っ……!?」
俗に言うおんぶな訳だが、予想以上の羞恥プレイにエリナの口から発音できない声が出る。しかしこれで妥協案であった。
「なら、腕の中かお姫様抱っこかどっちがいい?」
「おんぶでいいですわ……」
後述した二つは更に密着度が激しいと見ると、エリナはまだ背後で匂いが分からない方を選んだ。改めて覚悟を決めると、恐る恐る龍平の肩に手をかける。
「絶対に匂いを嗅ごうとしちゃダメですわよ!?」
変態か何かだと思われているのだろうか。龍平はそんなニッチな性癖の心配よりも形がわかるくらい強く押し当てられる胸については良いのかと気になったのだった。




