第48話 『世界最強』
「『風雷』風間千智か」
その正体がA級魔導士であると分かると馬義にも余裕が無くなる。いくら対人戦という得意分野だとはいえ、流石にA級魔導士を相手にするのは骨が折れる。
「お父さん!雀さんが!!」
「分かってる。お前たちはあの子の処置を……」
その瞬間、全員の時が止まった。結衣やエリナだけではない。千智も、馬義も、等しくその時間は訪れた。
「おいおいおい、マジかよ……」
馬義はただただその現実を眺めている。彼の目に映っていたのは、ふらふらと力無く、だが両の足で立ち上がる雀の姿だった。
注目すべきは雀が身につけていたペンダント、エンブレムが緑色に輝き雀の身体に魔力を与えている。
「マジックアーティファクト……!? それに……」
「『NBMT』……」
特にエリナがそれを見間違えるはずがない。そこに浮かび上がっているのは、間違いなくNBMTの紋章だった。
「なんて子だ」
気を失っていないのが不思議なくらいだとその胆力に驚愕した。
否、それは半分正解で半分不正解だ。雀は気を失っていると言っても過言ではない状態だった。雀の頭の中にあるのは、あと1回『ソニックブリッド』を使用して馬義を仕留める、ただそれだけであった。
「…………」
馬義を見据える雀の目に光はない。いや、もはや意思も意識もないのかもしれない。何が何でも結衣とエリナを守ると決めた、その執念が雀を動かしている。
「雀さん……!」
だが、奇跡の時間は長くは続かない。雀は小さくカクンとふらついたと思ったら、受け身も取らずに前に倒れそうになる。
「危ない!」
結衣や千智は声は出ても身体は動かなかった。脳が理解していても身体が追いついていないため、魔法でなんとかすることも出来ない。
直後、その場に一抹の風が吹いた。柔らかい風はクッションとなって倒れそうになる雀の身体を支える。
「よく頑張ったな。あとは休んでおけ」
到来とともに風が止む。同時に、雀の隣に現れたのは空色の髪をした龍平であった。
「ぅ…………」
一瞬、雀の目に光が戻ると唇が僅かに動いた。それは謝罪と、感謝と、安心感と。声は出ないが色々な思いがその仕草の中に含まれていた。雀は想いを伝えられたことに満足したのか、安らかな表情を浮かべながら今度こそ完全に意識を手放した。
一方、雀の安心とは裏腹に馬義には動揺が見られる。
古今東西、世界各国探しても澄んだ空色の髪をした魔導士はただ一人を除いて存在しない。
当然だ、その代名詞は模倣をするには重すぎる
「『世界最強』……スモールドラゴンだと?」
髪を染めたような作り物の色ではないのも、この男が模倣では無く本物であることを裏付ける。
「NBMTのS級魔導士が何故こんなところに」
馬義と千智、大人たちには理解できない。しかし結衣とエリナは違う。
たとえ髪の色は変わっていても、声と見た目は見間違い様が無い。
「龍平……まさかあなたが……」
「龍平君……」
聞きたいことは山ほどあるだろうが、雀の状態が心配であるため後回しだ。いくら応急処置で魔力が回復したからと言って、内臓の破裂や骨折まで治るわけではない。
「結衣、エリナ、悪い。すぐ終わらせるから少し我慢してくれ」
先程までの優しい風とは違い、今度はまるで台風が来ているんじゃないかと錯覚するほどの突風が龍平を中心に吹き荒れる。
「けっ、いくらてめぇが最強だからって、そんなお荷物抱えて戦えるわけねぇだろ!」
接近戦は手数が多い方が有利というのは世界の常識だ。また、龍平はただ片手が塞がっているのではない、抱えた雀を守りながら戦う必要があるのだ。
それが如何に難易度が高いか。この条件下ならやりようがあると馬義は龍平に仕掛けていく。
「いけっ!『蛇影』!」
馬義の影は複数に分裂し、龍平を360度包囲する。雀という弱点がいる以上、馬義からすればそこを狙うのはセオリーだ。
いつまで経っても防御をしない龍平を見て、馬義はニヤッと笑う。そもそもが初見殺し的な魔法ということもあって、馬義はこれは刺さったと確信した。
しかし、その影は龍平のいるところまで到達しなかった。
「なにっ!?」
防御の魔法を使われた痕跡はない。龍平を中心に吹き荒れる風がベールとなって馬義の攻撃を阻んだ。
「無駄だ。風のベールは一定の威力に満たない攻撃を完全に無効化する」
「そんなのありかよ!」
たしかに蛇影は馬義が使っている魔法の中でよ発生速度を重視しているため威力はそこまで高くはない。にしてもだ、防御の魔法を使わないで無効化というのは理不尽極まりない。なにせ、防御の魔法を使わないことによってその分だけ攻撃魔法を溜める猶予が生まれるのだ。
卑怯だと悪態をつく馬義に対し、龍平はお前は何を言ってるんだと呆れる。
「魔導士の世界だ。何でも有りに決まってるだろ? 恨むなら自分の弱さを恨め『ニューマティックボム』」
圧縮空気の爆弾が馬義の足元で爆ぜる。馬義は障壁をギリギリで間に合わせたが、S級魔導士が溜めて放った魔法を薄い障壁たった一枚で防ぎきれるわけがない。
戦闘開始から数秒、たったの一撃でノックアウト。その戦い方は結衣達にとってはあまりにも衝撃的なものであった。
「強い……!」
はたしてこれが戦いと呼べるのか。まさに蹂躙とも言えるその光景。その圧倒的な力こそ、スモールドラゴンが『世界最強』と呼ばれる所以なのだと皆が理解する。
「風間魔導課長、すみませんがそこで伸びてる奴の後処理をお願いします」
「あ、あぁ……心得た」
急に振られた千智は上位者を相手に対応すればいいのか、それとも娘のクラスメイトとして対応すれば良いのか迷った挙句どっちつかずな対応になってしまった。
お願いしますと丁重に頭を下げられて居心地が悪かったため、これは上位者と思うのが正しかったと後に千智は語る。
「俺は雀を病院へ連れて行く」
「龍平、わたくしも行きますわよ」
「もちろん私もです」
龍平に任せておけば大丈夫だとは分かっていても心配なものは心配だ。龍平もこれを拒絶する理由はない。
「急ぐぞ。着いてこい」
日本の救急は優秀だ。119の連絡をしてから平均で8.7分で救急車が到着する。しかし、今はそれよりも龍平が直接連れて行く方が速い。
龍平は移動をしつつER(救急部)へ連絡を入れる。ウォークインで来る患者だが内臓破裂や肋骨の骨折で緊急オペが必要であると事前に準備をさせたのだ。
そして普通ならば救急車を呼んでから病院収容までは40分ほどかかるのだが、龍平はその半分以下の15分でことを成し遂げたのだった。
医師の診察、輸血等の処置、緊急手術と事前の連絡のおかげもあってか段取り良く進んだ。
「肋骨骨折14本、肺気胸、脊椎損傷、低魔力症……重篤な状態ではありますが、アーティファクトのおかげもあってバイタルは安定しています」
「分かりました。ありがとうございます」
医師曰く、魔力譲渡のアーティファクトが無ければ間に合わない可能性もあったと言う。魔力回復による基礎回復力の向上、それに加えて本人の回復力も高いためもう命の危機はないだろうと診断された。
「良かった………良かったよお……」
「ええ。ほんとに……本当に良かった」
痛々しい状態を聞いて青褪めたが、峠を越えたということで安心したのか結衣とエリナは涙を流して抱き合う。
緊張から解放されたことで力が抜けたのか、二人は抱き合ったままへなへねと崩れ落ちた。
しかし、まだ命の危機は脱しただけであって予後については何も分かっていない。
「あとは後遺症が心配だが……魔力回復が早かったから何とかなるだろう」
魔力が戻れば組織活性と治癒力の向上が期待できる。医療現場に魔法が導入されて以降、骨折や神経損傷における社会復帰率は格段と改善したという近代史がある。
リハビリは必要だろうが、それでも後遺症なく元の状態に戻れる希望は大いにあった。
「龍平君が駆けつけてくれたおかげです……私にはまだ覚悟が足りませんでした……」
命のやり取りを自覚した瞬間に立ちすくんでしまった。雀が殺した男の顔は今でも鮮明に思い出せる。
それにショックを受けているようではダメだと結衣は自戒した。
「結衣の言う覚悟っていうのは、相手を殺す覚悟ってことか?」
「はい……」
「そうか、まぁ必要だわな」
龍平はそれをたしかに大事なことだと言う。プロとしてやっていくのなら、その機会が来てしまうことを常に考えておかなければならない。
しかし、それを避ける手段もあるという。
「けどな、どうしても殺したくないっていうんだったら強くなればいい。強くなれば相手を殺さないで無力化出来るようになる」
「途方もない話ですわね……」
つい先程見た暴虐的とも言える強さをエリナは思い出す。現に、自分たちが手も足も出ないような相手を龍平は一瞬で無力化してみせた。
その境地に達するまでに一体どれほどの努力をしてきたのか、どんな軌跡を辿って来たのか。
並々ならぬ人生を歩んで来たということだけは聞かずとも分かった。
なら自分の人生はどうだ。もちろん努力をしてこなかったわけではない。才能もないわけではない。
平和に過ごし、平和に努力した。きっとその差なのだろう。
けれど、それを聞いても良いのかどうか、エリナにはそれが憚られた。
「髪の色、戻りましたね」
気付けば龍平の髪の色が空色から黒色へと元に戻っている。結衣もそんなことが聞きたいわけではないが、彼女もまた何を話せば良いものかと困っていた。
「あぁ、これは使った後30分くらいしたら戻るんだ」
龍平は聞かれたことを丁寧に返すが、本当はそんなことが聞きたいんじゃないだろうというのはなんとなく察していた。
「ま、聞きたいことは山ほどあるだろうが……それは雀の手術が終わったらな。俺は雀の親御さんに連絡してくる」
「あ……すみません。全部任せてしまって……」
「いいよ。色々あって疲れただろ? 今は休んでおけ」
龍平がその場を去ると結衣とエリナが二人抱き合って残される。いつまでもその状態というのも変なのでソファに座って待つことにした。
二人で何をするでもなく、ただただ今日という一日を思い思いに反芻する。
「まさか龍平君があのスモールドラゴンさんだったなんて」
「ええ、信じられませんわよね……。いえ、思い返してみるとそういう予兆みたいなのはありましたわね……」
思えば、魔導士インストラクターのライセンスというのは明らかに学生が持っている代物では無い。雀という実力者が近くにいたせいで、学生でも探せばいるだろうという感覚になってしまっていた。
「ということは、わたくしが龍平に会ったのは今年ではないということになるんですわね」
「!!?」
結衣の顔が「その話聞いていないんですけど」と物語っている。エリナはそれを感じたのか「大した話じゃないですわよ」と前置きをした。
「あれは、6年前。わたくしが9歳の時でしたわね。夏季休暇に家族でシチリア島にバカンスに行った時のことですわ。授業でやりましたわよね、6年前のシチリア島といえば」
「クラーケン、ですか」
エリナは肯定を言葉ではなく頷くことで示す。水瀬智香という魔導士が台頭するきっかけとなった出来事だ。その話も結衣の記憶に新しい。
「ええ、あの時に遠目ではありましたが空色の髪をした魔導士を見てましたの。まさか同い年の少年だとは思ってませんでしたわ」
エリナは昔を懐かしむ。エリナがNBMTを目指すきっかけとなった日だ。あの時の水瀬智香と、『スモールドラゴン』の姿に憧れたから今ここにいるのだ。
「ですので、ちょっと複雑な気分ですわね」
それこそ、『スモールドラゴン』については顔も名前も分からなかったが、それ以外のことについては調べたものだ。
エリナの中では、早くても数年後にNBMTに入隊し、そしてそれから始めて憧れの魔導士と対面、当時の想いを伝えるというシミュレーションが出来上がっていた。
叶わぬ初恋でも良い思い出だったと、そうしたかった。
しかし、その空想上の相手が急に見知った相手に置き換わってしまったのだ。その妄想はエリナは悶絶させるに充分すぎる破壊力を持っていた。
「エリナさん、大丈夫ですか? お顔が真っ赤ですよ?」
「穴があったら入りたいですわ……」




