第38話
1年ぶりです
遅くなってすみませんでしたぁぁああああ!!!
結衣が燈に勧誘されたことを契機に、連日のように上級生が1年A組の教室まで来るようになった。その多くはただ噂の結衣の顔を見に来ただけのミーハー的な野次馬だったのだが、中には結衣がトイレに行った時など1人のところを見計らって接触を図る者もいた。
「ちょっとあなた!」
「ひゃっ!」
不意に背後から知らない女生徒に肩を掴まれた結衣は思わず吃驚の声を上げる。制服から上級生であることはすぐ理解できた。
「な、なんですか?」
「あなた、燈様から声をかけられたからって調子に乗ってるんじゃないわよ」
女生徒は高圧的な態度で結衣を威圧する。結衣は1年生のくせにと燈から声をかけてもらえなかった上級生から嫉妬の対象になっていた。もちろん、全員が全員この女生徒と同じというわけでもない。上でも記したように、基本的にはミーハーで好意的な野次馬が主だ。
ただ、一部結衣を気に食わないという者もいるというだけだ。
結衣としては調子に乗ったつもりもないので何でこんなに怒られないといけないのかとフラストレーションが溜まっていたのだが、本人の性格上強気には出られなかった。
「燈様のチームに入ろうだなんて、生意気よあんた。今すぐ辞退しなさい」
「辞退も何も、最初からお断りしているんですけど」
この人は勘違いしているから怒っているんだと結衣は納得し、ならその勘違いを訂正しようと結衣は真実を話す。すると女生徒は自分が間違えていたことを謝罪──なんてすることもなく結衣を睨みつける。
「ちっ……断ったならいいわ。最初からそう言えっての」
女生徒は最後まで態度を改めず去っていく。結衣はその背中を見送ると、黙って教室へと戻るのだった。
「学校怖いです……」
「まぁ、そんなことがありましたのね」
教室に帰った結衣はエリナの胸の中に飛び込んで癒しを求める。結衣はこれまで何らかの嫉妬の対象になることはあったが、ここまで露骨に敵意を向けられる経験というのは無かった。なぜなら悪態をついていても誰だって風間の名前は怖いからだ。それが魔導士を志す者ならば尚更だ。雀からすれば、結衣に対してここまで強気で出てくる者がいるというのも驚きだった。
「それにしても、風間一族に喧嘩を売れるって凄いよね。ある意味只者じゃないよ」
雀は、私には無理だわ〜とけらけら笑う。どちらかといえば嘲笑に近い笑いだった。感情的でやってしまうにしても、それはあまりにも下策だとしか言いようが無いからだ。これに対して結衣は1つの推測が出来ていた。
「はぶんしばはかっはんばぼぼぼびばふ」
「ひゃん! こらっ結衣さん!なんで急に胸の中で喋るんですの!」
「ぷはっ、多分知らなかったんだと思います。私が生徒会長のチームに入ったって勘違いもしてましたから」
至って真面目な顔をしているがさっきまでエリナの胸を堪能していたせいもあって締まらない。話を聞く限りでは、どうにも女生徒が短絡的なように思えてしまう。
「情報収集も魔導士にとっては大事な要素なんだけどな」
龍平が話を聞いた上で魔導士としてそれでは落第だと評する。そのあたり雀はよく分かっているが、結衣やエリナはまず情報収集というものについてピンと来ていない。
「情報収集の基本に3つのSって言葉がある。精度、鮮度、そして質。後はこれに整理を合わせて4つとすることもあるんだが……情報っていうのは厄介な生き物でな、さっきまで正しかったことが急に嘘になったりするんだ」
この嘘一つで自分だけでなく仲間までもを窮地に陥れる可能性がある。ただ、情報が大事なんてことは多かれ少なかれ誰しも理解しているはずなのだ。ただ、上記した3つが何故大切なのか、その本質までは実戦経験を積まないと理解できないだろう。
「彼を知り、己を知れば百戦危うからずってね。昔の偉い人の兵法書にも書いてある通りよね」
雀が引用したのは紀元前500年頃に書かれたとされる兵法書『孫子』の一文だ。つまり2000年以上前の文献にすら情報戦がいかに大切かということがはっきりと書かれているのだ。
「だから結衣さんのことを調べもしないで突っかかってきた人を落第だと言ったんですのね」
「あぁ、感情的になっていることや冷静な判断が出来ていなかったなんてことはいいんだ。だが、情報を得ようとしなかったことはギルティだ。何でか分かるか?」
龍平はここまでを踏まえて答えてくれと結衣に問いかける。急に話をふられた結衣は考えても答えが出なかったみたいで無言を貫いていたが、「え?最初の2つもダメですよね!?」と目は雄弁に語っていた。
「エリナは分かるか?」
「いえ、わたくしも分かりませんわ。魔導士は常に冷静な判断を下すべきではありませんの?」
エリナも分からないと答える。どうやら2人とも同じところで躓いているようであった。
「そうだな。エリナが言っていることは正しい。正しいが、なら冷静ならば常に最適な選択肢を選ぶことが出来るか?」
「それは無理ですわ。けど、感情的になっているよりは最適なものを選べるはずですわ」
「けど、感情的になっているからこそ最適な選択肢を選べるケースもある。特に、大衆の心を動かすのは論理的な思考よりも突発的に湧いた感情的な衝動だったりする。結局、どれが最適な選択肢かなんて言っても結果は未来のことだからその時までわかんないってことだ」
龍平は故にそこで選択ミスをするのは人間ならば仕方がないという。それを踏まえて龍平は付け加えた。
「だから選択ミスをするのは仕方がない。仕方がないが、それは最適な選択肢を得るための努力を怠っていいというわけではない」
「なるほど……ようやく意味が分かりました」
魔導士は実力主義なこともあって結果だけを重視する傾向にあるが、結果を成功と失敗の2パターンでしか判断しないなんてことはあり得ない。むしろ、成功よりも失敗したときこそ原因を突き止めるべきなのだ。何故失敗したのかとフィードバックをした際に、必要な情報はあったが選択を間違えたために失敗したという場合と、必要な情報が無くそもそも選択肢が無かったという場合では前者の方には救いがある。
前者は失敗したという経験を得ることが出来るが、後者は特にそういう学びもなく、人としての成長が止まっている。
ようは、これが次は頑張れよと言われるか、なんだこいつと見捨てられるかの違いになるわけだ。
「許される失敗と許されない失敗があるってわけだね〜」
「許される失敗と許されない失敗……そんなこと初めて考えましたわ」
人は誰しも失敗することを恐れる。人によってはその2文字を蛇蝎のごとく忌避する傾向にある。エリナもその例に漏れず上を目指すために失敗は許されないと考えていた。
「トップチームの多くは個々の失敗をある程度は許容するべきだと唱えている。というのも、失敗を嫌って慎重さに重きを置きすぎてしまうと大胆な行動が極端に制限されるからだ」
「大胆な行動、ですか……」
結衣はその言葉にあまりいいイメージを持てないようだった。思い切った行動よりも安全策をとるのが1番ではないかと結衣は考える。一方で、これまで安定思考するべきだと考えていたエリナが龍平の言いたいことを理解していた。
「なるほど、選択肢は多い方が良いというわけですわね」
「そうだ。それにリスクを抱えてようやく得られる見返りというのもある。ローリスクでは絶対に辿り着けない大きな見返りだ。ロマンではなく期待値という考え方をしたときにそれがもっとも効果的かもしれないな。もっとも、その期待値は机上の空論で実際はそんなロジカル通りとはいかないが」
「そんな博打めいたリスクを負うのは誰だって怖いからね〜。けど、その恐怖心に負けずにリスクに飛び込めたら……その時は期待値以上のリターンを得られるかもしれない」
そういう雀は分の悪い賭けであっても飛び込めるのだろう。別に頭がおかしいのではない。恐怖心で身体が強張っていてはパフォーマンスが落ちて余計に勝機を逃すと分かっているのだ。しかし分かっていてなお大半の者はその恐怖に打ち勝てないのだ。
『命を賭けなければならない場面に直面した時にどうするか』
この命題を突きつけられて結衣とエリナは自分の認識の甘さを知った。他の職業よりも死が身近にあるというのに死への覚悟がないというのは致命的であり、そしてそれは学生の2人だけでなく現役の魔導士にも散見される事象であった。
「ま、恐怖に打ち勝つって簡単に言ってるけど、こればっかりは1度経験しないと分からないかもしれないな。結衣は宿泊研修の時に思うことがあったんじゃないか?」
結衣は文字通り死ぬような経験を宿泊研修の際に自分の身を持って味わっている。山の主との対峙は今となっては良い経験だっただろうと龍平は思ったわけなのだが、結衣からするとそうではなかったらしい。
「実はあの時は死を覚悟する時間すら無く気を失ってしまったんですよね……改めて考えてみると危なかったですね」
「なるほど」
窮地に陥った経験が一種のトラウマとなり魔導士として仕事が出来なくなる者は少なくない。龍平はあの経験をそんな他人事のように済ませていいのかと思いつつも、トラウマになっていないのは良い事だと思うと微妙な反応になってしまった。
「結局、結衣は山の主よりも上級生に絡まれる方が怖かったと」
「全く、頼もしいのか頼もしくないのか分かりませんわね……」




