第17話 魔導士と見えない敵
「流石は救命救助のスペシャリストってところか……」
到着した麻耶と雀を見て龍平は率直な感想を述べる。今回救助の要請を出してから麻耶達が到着するまでの時間はおよそ15分。街中ならいざ知らず、これを雪山でコンスタントにこなせる魔導士はそういない。何より、麻耶はそれをさも当然のようにこなすのだ。
「まったくもう、先生の仕事を増やさないでよねー」
「はい……、すみませんでした……」
そう言う麻耶は特に怒っていないように見えたが、それでも結衣は自分が迷惑をかけたという意識が強かったのか酷く落ち込んでしまう。そんな結衣を見て麻耶は優しげな表情を浮かべていた。
「反省してるならいいよ。それより怪我はない?」
「はい。大丈夫です」
「じゃあ鹿島君も元気そうだし、戻ろっか」
麻耶は面倒事を起こされたというのに特に怒ることはせず、まるで散歩にでも来たかのような声音でそう告げる。いや、そもそも面倒事だと思っていないのだろう。例えば彼女の主な活動場所の一つに高山地域がある。
その中には世界の最高峰、標高8848メートルのエベレストをはじめ、未だ誰も踏破したことのない人喰い山と呼ばれる凶悪な山々も当然のように含まれている。それらと比べれてしまえば日本の山道なんて麻耶からすれば庭のようなものだ。あくまで麻耶からすれば、だが……。
「雀、大丈夫か?」
「なんとか回復したってとこかな……」
麻耶と一緒にやって来た雀は余裕綽々の麻耶とは違って若干肩で息をしている。龍平はここに来た雀が先ほどから一言も話さずにひたすら呼吸を整えていたのをばっちりと見ていた。
本来ならこうなるのが普通、いや人によっては麻耶についていくということ自体が不可能だろう。
なので龍平はもう動けないと言わんばかりに息が上がっている雀を見ても、良くここまで食らいついたものだと肯定的に評価していた。
「それより、ありがとね。結衣のこと助けてくれたんでしょ?」
不意に、雀が他の2人には聞こえないような小さな声で確認する。偶然一緒になったという可能性を完全に否定することは出来ないが、それはあまりにも都合が良すぎる展開だ。むしろ龍平の実力を知る者なら、こう考えるのが自然である。
「流石に死なれたら目覚めが悪いからな」
「ごめん。私の見通しが甘かったから……」
「いや、雀だけが悪いってわけじゃないさ」
リーダーという立場には常に責任が付きまとう。采配次第で仲間を危険な目に合わせることはあるだろう。だが仲間はその危険を承知した上で行動し、それを承知した以上それは本人の責任であり指示を出した者をとやかく言う資格はない。
責任というのは、大なり小なり個人個人の中にあるのだ。
「それに、次同じ失敗をしなければいいって話だろ?」
そう、失敗を失敗で終わらせるのではなく、そこから何かを学べたのならそれで良しなのだ。学外研修はそういう失敗が出来る貴重な機会でもあるのだから。
「龍平君って結構甘やかしてくれるんだね。もっときつく言われるものかと……」
「落ち込んでる相手に追い打ちをかける必要もないしな。ほら、俺たちも行こうぜ」
雀は怒られるかもしれないと思っていただけに、励まされたことに面食らってしまう。同時に、怒られたからではなく励まされたからこそ今回の反省を絶対に次に活かそうと思えたのであった。
施設に戻ると結衣と雀は自分達の割り当てられた部屋へと直帰する。そこには救助に行く前の麻耶の指示をしっかりと守っていたエリナがいた。そのエリナは無事に帰ってきた結衣の姿を見てホッと安堵の溜息をつく。
「無事でしたのね」
「はい。ご心配をおかけしました」
「全くですわ。一体何をしてましたの?」
「山頂の石碑を直してた時に山の主に襲われて気を失ってしまって……。たまたま龍平君が助けてくれて、山小屋に避難出来ました」
「…………」
運良く助かったという結衣の言葉をエリナは訝しむ。本当にそんなことがあるのだろうかと彼女の中でもやもやっと引っかかっていたのだ。しかし、それを口にすれば変な空気になることは明白だったために彼女はそれを飲み込んだ。
そんなエリナの心中のことなど露知らず、結衣や雀は遭難話で盛り上がっている。
「そういえば結衣、低体温症とか大丈夫だったの?」
「もうそれに関しては大丈夫です! 私が気を失っている時に龍平君が…………」
「え? もしかして脱がされてた……?」
雀はただ雪山で遭難した際の代名詞ということで低体温症のことを聞いただけなのだが、それで何故か結衣が真っ赤になってしまったことと、龍平の名が出たことで雀は一つの結論に至っていた。
「い、医療行為です! ほら、遭難したら裸で温めあうって言うじゃないですか!」
「裸で温めあったんですの!?」
流石にクラスメイトがそんな展開になっているというのは気になるのか、雀だけでなく訝しんでいたはずのエリナまでもが食い気味になっている。
「待ってください下着は着てましたから! 裸じゃないですから!」
「「温めあったことは否定しないんだ(ですのね)」」
「はうっ!」
もう3人の頭からはあくまで医療行為だということは完全に吹き飛んでいる。そもそも結衣が初めから赤くならずやましいことは無かったと堂々としていればこうはならなかったのだ。
「うぅぅ……私はなんて恥ずかしいことを……」
いや、堂々とできるはずが無かった。結衣は自分は一体何をしでかしたと思い返してみる。服を脱いでいたという所は医療行為なので恥ずかしがることはない。問題はその後、下着姿で一緒の毛布に包まろうと自ら提案しているではないか。流石にこれは擁護が出来ない。
「あの時は頭が上手く働いていなかったんです。ムキになってしまったというか……」
「男子と下着で密着するのに抵抗感は無かったんですの?」
「そりゃ誰でもって言ったら抵抗ありますよ。けど龍平君なら別にいいかなって……」
結衣は顔を赤らめながら意味深なことを呟く。もっとも結衣にそういう意図は全く無かったわけだが、これではどうぞ誤解してくださいと言っているようなものだ。流石にこの発言にはからかっていただけの雀とエリナも鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべていた。
「もしかしてそれは、身体を許してもいいってこと?」
「へ? 身体を許す……?」
結衣は何かが食い違っていると思い雀の言葉を鸚鵡返しする。そうした後にその言葉の意味を吟味して冷静に考えたかと思うと、意味を理解したその直後その顔は幾ばくという時間もかけずに真っ赤になっていた。
「ち、違います! 龍平君はちゃんと私を助けてくれましたし、そういう意味で大丈夫だと信頼してるということです!」
自分の言い方に問題があったとはいえ、結衣もまさかそんな生々しい意味で捉えられるとは思ってもいなかった。確かに雀の言ったように抵抗感を持たなかったことで憎からず思っているという節は結衣自らも認めてはいるが、流石に身体を許すかと言われれば答えはNOだ。
結衣の龍平に対する信頼はあくまで誠実さからくるものであり、そこに男女の関係を持ち出されるのは違うと言えた。それが2人に伝わるかどうかは別として。
「まぁ結衣さんがムッツリなのはさて置きですわ」
「ムッツリじゃないです……」
「わたくしはそれよりも鹿島龍平があの吹雪の中でどのように結衣さんを助けたのかが気になりますわ」
どうやらエリナはただの偶然で終わらせるつもりはないようだ。いや、本当に運が良かっただけだと言われても反論する手段が無いためそれ以上の追求はできないわけだが、少なくともそんな都合の良い偶然を素直に信じられなかった。
「あと、雀さんも変でしたわ」
「え、私!?」
「鹿島龍平が行方不明と聞いた時の雀さん、わたくしより彼を心配していなかったですわよ?」
「いやー、そんなことないよ?」
エリナの言葉に雀は内心やらかしたと焦りに焦っていた。確かに龍平の行方不明を聞いた時、雀は龍平が結衣を助けてくれるだろうと完全に安心しきっていたからだ。つまりもうこの時既にエリナは薄々勘付いていたというわけだ。
「そういえば、龍平君って魔導士のことに詳しいですよね。雪の上を歩くのも上手でしたし、それにあの救助のサインも龍平君がやってくれたんですよ。
「ちなみに、あのサインをあの場で知っていたのは鷹野先生と雀さんの2人だけでしたわ。雀さん、彼も雀さんと同じで既に魔導士として活動してますわね?」
エリナに詰め寄られた雀は万事休すかと龍平の学外研修中の行動を振り返ってみた。
一つ、雪国育ちというわけでも無いのに雪の上をスイスイ動く。
一つ、視界不明瞭な吹雪の中から結衣を助け出す。
一つ、魔導士共通の非常サインを知っている。
お前本当に隠す気あんのか! と雀はツッコミたくなったが、それでも龍平がNBMTの一員であるということは口止めされているので言えない。仕方がないので雀は真実を少しだけ語ることにした。
「そうだよ。はぁ……龍平君に後で謝らなきゃなぁ」
魔導士であると認めただけで重要機密には抵触していないが、秘密の一握りを語ったことはまぎれもない事実だ。他人の個人情報を無闇に話すのはあまり好ましい行為とは言えない。雀は2人の秘密を吐露してしまったことと合わせて気落ちする。
それを見て結衣とエリナは自分達がしたことの意味を理解したようだった。
「ごめんなさい。雀さんと龍平君の秘密だったんですよね……」
「私もはしゃぎ過ぎてしまいましたわ。雀さん、鹿島龍平には私が謝ります」
雀の立場を無視した軽率な行為だったと2人は反省する。悪いことをしたという罪悪感はあったようだ。
「まぁいいよ。素直に言えば龍平君は許してくれるだろうし……」
許してくれると雀は言うが、例えそうでもそれで雀が自分を許せるかといえばそれは別問題だ。とにもかくにも、まずは報告をしないことには始まらないので龍平の部屋へと向かうのであった。
数分後、龍平の前に神妙な顔をした3人の姿があった。出会い頭にいきなり謝罪された龍平は急にどうしたと困惑したが、ともかく彼女たちが真剣であるということはどことなく伝わってきた。
「ですから雀さんは悪くないんですの。今回のことは全てわたくしに責任がありますわ。責めるなら雀さんではなくわたくしを責めなさい」
「いや、別に責めるつもりは無いんだが……まぁでもあんまり言いふらしたりはしないでくれよ?」
そんなことはしないだろうと思いつつも龍平は念のためにと忠告をしておく。だが、結衣達はその忠告の意味をただ秘密だからと漠然としか理解していないようであった。
「一部の界隈が五月蝿いからな」
「一部の界隈ですか?」
「あぁ、日本国内にも、魔導士は核兵器だというスローガンを掲げ、魔導士を社会から排斥することを狙う団体が多数存在している。学園に在学中の生徒が活動をしているとなれば、いい材料が手に入ったとそういう団体に難癖をつけられるかもしれない」
魔導士というのは立派な国家戦力だ。もちろん学園の存在は国から認可がおりて成立しているわけだが、連中からすればそれ自体が面白くないわけである。
「魔導士を社会から排斥って、そんなことをして何の意味があるんですか?」
結衣のように真っ当に生活をしている人からすれば、そんなことをする意味が分からなかったようだ。どういうことだと首をひねる結衣に、龍平と同じく既に魔導士として活動をしている雀が説明をした。
「警察組織が弱体化することで犯罪がしやすくなるし、あと生産力が低下するから国力も下がるわね。簡単な話、一部の界隈っていうのは国外の勢力とそれに協力する人達のことよ」
「なんというか、怖いですね……」
「その怖い連中からお小遣いをたんまりと貰って協力する日本人がいるからほんと厄介なのよねぇ」
雀はそれを体験したかのように語る。というのも、そういう裏の組織を狩るのは、裏の魔導士団体という一面も持っている雀の実家、つまり伊賀の一族の生業だからだ。
「そんなわけで学校に迷惑がかかるかもしれないから他言無用ってことだ」
「なんだか、知りたくなかった社会の闇まで知ってしまった気がしますわね」
「自然災害を相手にしてるのが一番楽なんだけどねぇ……。とりあえず、サバイバルナイフと拳銃くらいは対処出来た方がいいよ」
魔導士だって刺されたり撃たれたりすれば簡単に死ぬ。仮に対人戦闘を主な仕事にしていない魔導士であっても、身を守る手段の一つや二つ持っておくというのは魔導士の常識であった。
しかし、これまでにそういうことを意識したことが無い者達にとってはいきなりな話である。
「私、魔導士の世界はもっと華々しいと思ってました。人命救助や災害の復興支援とか、社会に貢献できる仕事ってイメージしか無かったです……」
「それだけ魔導士が世界で活躍してる証でもあるんだけどな。ま、それで良いんだよ。魔導士が社会の為になるって実績があれば、活動家の声が大きくなることは無いからな」
これは別に魔導士だけに限った話ではないが、真っ当に活躍している人を批判したところでそこに説得力は生まれない。世間から見て頓珍漢なことを言っていれば、世論を味方につけられないどころか、世論を敵に回すことになるからだ。
「ならそんなに難しく考える必要無いですね! つまり、世の為人の為に頑張れば良いってことですから」
「いや、まぁ間違ってはないんだけどな」
結衣は複雑な事情も様々な思惑も全て無視してざっくりまとめてしまう。このあまりにも大胆な結論付けに3人は苦笑いを浮かべた。
「結衣って意外とアホの子だよね」
「結衣さん。勉強なら手伝いますわよ」
「将来悪い人間に利用されないか心配だな」
「え? 私ってそんなに言われるほど酷いですか?」
言いたい放題言われて結衣は少しばかりの反論を試みる。だが当然の帰結というべきか、ここで擁護の言葉を発するものは誰一人としていないのであった。




