第12話 学外研修
日本という国は国土面積のうち7割が山という世界でも上位にランクインするほどの森林大国だ。日本各地東西南北が山で出来ていると言っても過言ではないだろう。過去数百年という歴史の中で人の手によって開拓された山というのは少なくはないが、峻嶮な山々が連なり市や県の力では開拓の仕様がないという地方もまた珍しくはない。
そこで、国はそのような土地を活用するために魔法学校と協力して魔導士のための施設を作ったというわけだ。
福井、石川、岐阜の3県に跨る白山。標高2000m級の山々が立ち並ぶ連峰はその施設が作られた地方の一つである。龍平達魔法学校の1年生は学外研修という学校行事のため、羽田から小松まで飛行機で1時間、その後バスで2時間という道のりの末、白山の大地に降り立ったわけなのだが……
「ふぇぇ……ここ本当に日本なんですか? なんか凄い寒いですし……」
東京では絶対に見ることの出来ない豪雪地帯の雪景色に結衣は感嘆というよりも恐怖の篭った声音で呟く。寒い寒いと凍えている結衣を尻目に龍平はポケットから携帯を取り出すと、天気予報を開いて現在地の情報で検索をかけた。
「今の気温は2度か。標高のせいってのもあるだろうけど、東京とは寒さの質が違うな」
結衣だけでなく雀もバスから降りた途端にガクブルと身体を震わせてこのざまである。ついでに雀はというと「なんでこんなところに……」と声を震わせながら恨みがましく文句も垂れていた。とはいえ、ついこの間仕事で山の中を捜索していた雀がその理由を分かっていないなんてことは無いのだが……。
「魔導士の活動場所が常に平地とは限りませんわよ? それこそ、このような雪山を走り回る機会もあるでしょうし、それを学べる良い機会ですわ」
「え、エリナちんは元気だねぇ……」
「私の故郷ではこのくらい普通でしたもの。すぐに慣れますわよ」
「うひぇ〜、流石は北欧育ち。私は雪山なんて歩く機会そうそう無いからなぁ……」
魔導士の活動場所が多様であるから、というエリナの言葉は正しいものだ。だが、世の中には特例というものがどこにでも存在する。雀の属する伊賀家は地域に根付いた魔導士の集団であり、その活動場所は三重県内、あるいは三重県北部と限られている。地域性を考れば、雪が深々と積もった山を歩くということは滅多にないことだろう。
「温泉……温泉は何処ですか……?」
「とりあえず結衣も限界そうだし、麻耶ちゃんのとこ行って急かしてきますか」
「それが良さそうですわね。ほら結衣さん、そっちはバスですわよ」
雀とエリナの2人が結衣を介護するように引率の教員である麻耶のところへ歩いていく。龍平はその様子を眺めながらただただ3人の後をついて行くのであった。
施設に入ると、龍平達一年生は昼食も兼ねて宴会場のような部屋へと案内される。ちなみに昼食はというと学校側から支給された越前蟹飯弁当だ。そんな北陸地方の名産に龍平達が舌鼓をうっていると、程なくして龍平達の担任である麻耶が壇上に立った。
「食べ終わった人から部屋の鍵を渡しますから前に来るように。部屋に戻って荷物を置いて来た後はクラス毎に集合場所が違うので気をつけてください!」
麻耶のアナウンスが入ると既に弁当を食べ終わっていた悠馬はよっこいしょという擬音をつけながら立ち上がる。
「僕先に部屋に行ってるよ。龍平の荷物も持ってこうか?」
「いや、俺ももう食い終わるから一緒に行こう」
ちなみに部屋は2人で1部屋、もしくは3人で1部屋と割り当てられている。龍平と悠馬は2人部屋だ。麻耶から鍵を貰って割り当てられた部屋に入るわけだが、その内装に龍平も悠馬も若干引き気味で驚く。
「なにこれ旅館じゃん」
「インスタントの梅昆布茶に、これはお茶菓子か……
なんというか至れり尽くせりって感じだな。まぁ流石は国営機関ってところか」
「これが国営機関の本気ってことか〜……」
当てがわれた畳の部屋は、2人で使うには十分な広さもあり、悠馬の言う通り、それはもう施設ではなく旅館と言うに相応しい代物であった。
「とりあえずゆっくりしたいのは俺だけか?」
「だね。なんで僕たちはこんな寒いなか雪山に向かわなきゃダメなんだろ」
今からすぐに集合という事実に悠馬は分かりやすくがっくりと項垂れる。龍平と同じく、悠馬も小旅行気分だったというわけだ。
ただ、そんな気分になるのも無理はない。事前情報にもあった通り、この施設は龍平達のような学生魔導士のための教育施設でもあると同時に娯楽施設でもあるのだ。龍平達がバスを降りた施設の表口は目の前がスキー場で、辺り一面を雪で覆われた広大なゲレンデを一望することが出来る。まさにプライベートビーチならぬプライベートゲレンデだ。遊びたい盛りの高校生に浮かれるなという方が難しい話である。
そんな龍平達の集合場所は施設の裏口、表口の一面の銀世界とは裏腹に、こちらは一面に雪の積もった針葉樹が悠々と生い茂っている。言ってしまえばただの山である。その光景は遊ぶ気満々の浮かれた心を落ち込ませるのに十分すぎるものであった。そんな生徒の心を知ってか知らずか、麻耶はたった一言でこれから行うことを告げる。
「よし、みんな集まったね。じゃあ鬼ごっこしよっか」
鬼ごっこをしようと提案する麻耶はいい笑顔をしていたのだが、対する大半の生徒は頭の上にハテナを浮かべる。高校生にもなって鬼ごっことはこれは如何にという表情だ。それに何より足元が悪すぎる。建物周囲の雪は人が踏みしめた跡があり足場は安定しているが、少し建物から離れた途端雪に埋もれて歩くことすらままならないという状態だ。到底普通に鬼ごっこなんて出来るはずもない。
「分かってるとは思うけどただの鬼ごっこじゃないよ。私たちは魔導士だからね。相手に攻撃または干渉しない魔法なら使用はOK! はい、適当に5人か6人でグループ作って〜」
麻耶が手を叩いて促すと仕方なしといった感じでだいたいのグループが仲の良い者同士で集まっていく。龍平達もまたそのグループの一つだ。
「僕の100メートル走12秒に勝てるかな?」
「いや、割と普通に速いんだよな。けどな、足の速さだけが全てじゃないぞ」
既にやる気満々なのか足に自信のある悠馬は水を得た魚の如く活き活きとしている。龍平の言うように本当に速いところがまた憎らしい。
「魔法が使えるのなら私達にもやりようはありますわね」
「そうですね……身体強化系の魔法なら使っていいみたいですし、それなら赤萩君にも対抗できそうです」
「僕に勝つなんて、そう簡単にいくとは思わないことだね」
自力で走るのがそこまで得意では無いエリナと結衣が、何故か悪役のようになっている悠馬と盛り上がっている中、一方身体能力に自信のある雀は頭を悩ませることなく余裕を見せていた。
「龍平君は走るの得意だっけ?」
「流石に悠馬ほど速くは無いな。よくて中の上ぐらいだ」
「む〜、苦手なら龍平君に勝てると思ったけど……厳しいかなぁ」
他の面子には聞こえないような小さな声で雀がそう呟く。雀は特に龍平をライバル視しているわけでは無いが、同じ現役魔導士である以上、せめて得意分野では龍平に勝ちたいという願望があるらしい。更に言うと認めてもらいたいという気持ちもあるのだろう。ただ、雀本人が思っているよりも龍平は雀のことを評価していた。
「俺はそこまで身体強化の魔法は得意じゃないからな、接近戦も苦手だし俺と雀じゃ初めから勝負にならないぞ」
「え〜、絶対嘘だ〜。この前私が襲った時なんか逆に押し倒してきたじゃん」
急な雀の爆弾発言に誰かが聞いてたらどうするんだと龍平は心の中ではかなり動揺していたが、辺りを見て誰にも聞かれていないのを確認するやいなや冷静を装う。
「⋯⋯なんだか言い方に物凄く悪意が感じられるんだが。それにあの時は露骨に殺気を出してくれてたからな、ほんと寿命が縮まるからもうやめてくれ」
「それはもしかして前振り……?」
「…………さて、やるか」
「わー! 冗談だから! 無視しないで!」
付き合わなければ折れるのかと龍平が一つ雀の扱い方を学んだところで早速全員を集める。すると、集まってきたいつもの面子の中に担任である麻耶もひょっこり紛れ込んでいた。
「私も混ぜてもらおっかな〜」
「麻耶ちゃんが相手か〜、腕がなるねぇ」
「確かに、自分がどこまで通用するのかを試すのに丁度いい機会ですわね」
唐突な麻耶の参加だったが、雀やエリナなんかは麻耶を相手に挑戦して見ようという気概を見せる。それとは逆に、結衣や悠馬なんかは自信なさげな表情をしていた。
「悠馬、さっきまでの自信はどこにいったんだ?」
「いや、流石にA級魔導士の先生相手に通用するなんてそこまで自惚れてはないよ……」
「私もこの前龍平君の巻き添えを食らいましたけど、鷹野先生って意外と大人気ないですよね……」
特に結衣は一度模擬戦のようなものをしているため力量の違いは既に体験済みだ。そんな1ヶ月2ヶ月という短時間で自信なんてつくはずもない。
「何を弱気になってらっしゃいますの? 胸を借りられるのなら借りて損はありませんわよ」
「うわ、そう言われるとなんか私もプレッシャーだなぁ……。じゃあ逃げれる範囲はここを中心に50メートル四方くらいの面積で早速やろうか。まず誰が鬼を…………」
「はい!」
麻耶が鬼を誰にしようかと決めようとしたところで食い気味に雀が勢いよく挙手をしてるアピールする。キラキラと目を輝かせている雀に若干嫌な予感を感じながらも、麻耶は最初の鬼を雀に頼むことにした。
「ふっふっふ……まずは誰から狙おっかなぁ〜」
まずは、と言ってしまっているあたりもう雀の中では全員捕まえるまで鬼を続けるつもりのようだ。
「じゃあ伊賀さんは10秒後にスタートね」
「りょーかいでーす!」
勢いの良い雀の返事と同時に、逃げる側は一斉にその場から散開する。いくら足場が悪いとはいえ、10秒もあれば25メートル程度なら移動するのは容易い。そんな状況で誰がどこにいると把握するのはほぼほぼ不可能に近いため、雀が最初に言っていた通り誰か1人を狙いうつということが選択肢となるわけだが、その雀の視線はというと建物から離れた方へと向かう麻耶を追っていた。
「そんじゃ、行きますか」
10秒経ったのと同時に雀は一直線に麻耶を目指す。辺りには柔らかい新雪が積もっているというのに、その足元は絶妙に安定し、雪に足がとられるということもない。もちろん、それこそ魔法の賜物である。
「移動速度が落ちないように足元の雪を魔法で固める基本テクニックだね。雪山では一分一秒を争うことも多いから、基本だけど凄く大事なことだね」
雀が来ていると事前に察知していた麻耶もまた、同じような技術を使って雪の上を軽々と走っている。そこら辺の技量はやはり麻耶の方が上であるためのそう易々と捕まえることはできない。そのため雀は策を講じていた。
「くっ……この程度じゃ簡単には捕まえれないかぁ……けど、これで追いつめた!」
追い込み漁のように隅へ隅へと麻耶の逃げ道を誘導していたのだ。もう麻耶に逃げ場は無い、そう思って雀が思いっきり加速したその瞬間、追われていた麻耶が雀の正面を向いてニヤリと笑った。
「凍れ!」
「ちょっ!? うぇぇぇ!!!???」
特に威力が強いわけでもない入門用の魔法だ。麻耶はそれを雀の足元の雪に使う。急に地面をスケートリンクのように凍らされるという不意打ち、必然、勇んで踏み込んだ足はツルンと滑って雀の身体は前に倒れこんだ。それを仕掛けた麻耶は倒れる雀を待ちうけて正面から受け止める。
「はい。調子が良い時ほど気を抜いちゃダメだよ」
「肝に銘じます。いやでもそっか、相手に干渉しないからそういう手もありなのかー……」
これが上級者向けの魔法ならばともかく、小さな子供でも練習すれば出来るような初心者用の魔法ということで雀は感心する。
「じゃあ、次は私が鬼やろうかなぁ。そうだな〜、やる気みたいだったしエリナさん辺りを……」
「うわっ! 麻耶ちゃん容赦ないなぁ〜」
「大丈夫、そんな生徒の自信を砕くようなことはしないよ〜」
大丈夫大丈夫と気楽に言う麻耶を見て、この人は無意識にそういうことしそうなんだよなぁ、と雀は心の中でそう思いつつも口には出さず、ただただエリナの自信が失われないことを願うのであった。




