第10.5話 闇を知る
閑話です
閑話休題 結衣の場合
場所は変わって東京郊外。魔法文化の発展のために作られた新東京区から電車を乗り継ぎ1時間。結衣の実家はそこにある。結衣は3連休初日の朝から実家に帰省していた。
「ただいま帰りました〜」
特に格式張ったような屋敷などではなく、どこにでもあるような普通の一戸建ての家に入ると結衣はすぐさま帰宅を告げる。すると、その声に反応して玄関を覗くようにひょっこりと中年の男性が顔を出した。
「お帰り結衣、なんだ随分早いな」
「あれ、お父さん? 今日は土曜日なのに警察庁に行かなくていいんですか?」
「あぁ、夜から本家で定例会議だから今日の公務は無しだ。ほんと全くもって面倒だ。いつもなら魔導課の面々と飲みに行っているというのに……」
魔導課、というのは魔導士で構成される魔法に関する事件などを専門とする警察内の特殊部隊のようなものだ。魔導公務員、という公務員に区分され国家資格が必要とされている。魔法学校を卒業した魔道士達の職業候補の一つだ。
「いつもって……そんなのお母さんが怒るんじゃ……」
直後、何かを発見した結衣は時が止まったかのように硬直する。この時点でこの後一体どうなるのかということが安易に想像出来てしまったからだ。
「大丈夫だよ、美嘉さんには内緒にしてるから……って結衣どうしたんだ? そんな縮こまって?」
「ふぅ〜ん。千智君、いつも私に黙って飲みに行ってたのね?」
「あっ……」
結衣よりも反応が遅れやってしまったと父、千智の顔から冷や汗がだらだらと溢れ出す。千智が意を決して後ろを振り向くと、そこにはどこか冷たい目をした母、美嘉の姿があった。
そんな美嘉だが結衣の姿を見ると一瞬で朗らかな笑みに変わる。
「結衣ちゃんおかえり。でも困ったわね〜。こんなに早く帰って来ると思ってなかったからまだご飯出来てないわよ?」
「た、ただいまお母さん」
変わり身の速さが恐ろしく、何故か千智と一緒に怒られたような気になってしまい萎縮する。普段は優しく温厚な美嘉だが、怒ると容赦が無くなるということを知っていたからだ。
「ちょっと待っててね、すぐ2人分作るから」
「2人分、あっ………」
ここで抜かれたのが千智の分だということはもはや自明の理であった。だが、それを察したところで救いの手を差し伸べることは出来ない。結衣は項垂れる千智の横をご愁傷様ですと思いながら通り過ぎて行くのであった。
昼食時、食卓にはきっかり2人分用意された料理と一つ即席のカップ麺が並ぶ。これは本来なら悲しむべきことなのかも知れないが、千智はそれでも飯があるということに感極まっていた。
「そうだ結衣、学校はどうだ?」
そんな彼から父親らしい質問をされたのは結衣たちが食事を始めてすぐのことだった。だが、その心配も結衣の表情を見て杞憂だったということに気づく。
「すごく楽しいです。あ、でも勉強はちょっと難しくて大変です」
「あららら、試験は大丈夫そう?」
「うっ……友達に教えて貰ってなんとか……」
千智も美嘉も結衣が勉強を不得手としていることも当然知っているわけで、そんな結衣の試験の心配をのはもはや彼らにとっての恒例行事になりつつあっていた。
「結衣に勉強を教えるなんてその子は大変だろうな……」
「ほんとにね〜。結衣ちゃん、その子にちゃんとお礼するのよ?」
結衣のこれまでの成績を知っているだけあってボロクソに言っている。少しも我が子を擁護する気のない2人の態度に心を痛める、なんていうことはなく、結衣は全くもってその通りだとしか思わない。
「お礼というと、やっぱりお礼の言葉だけというのは違いますよね……。とはいえどういうお礼が良いのか……お父さんはどう思いますか?」
「ふむ、お礼か……学生なら何か飲み物を奢るとかその辺が無難じゃないのか? まぁ俺の場合は変に物を送られるよりかはそっちの方が嬉しい気がするってだけだが」
「なるほど……確かに男の人が何を貰ったら嬉しいとか分からないですしそれが良さそうですね……」
結衣は独り言のように呟きながら吟味するようにうーん唸る。そんな結衣の言葉に千智と美嘉は聞き間違いかと驚いたような表情を浮かべながら顔を見合わせていた。結衣がそんなガツガツと片っ端から友達を作っていくような性格でないことは良く知っているし、ましてやこれまで男友達の話題なんて全く聞いたこともなかったからだ。
しかし驚愕も束の間、特に美嘉は結衣のいう男友達に対して興味津々といった様子になる。
「ねぇねぇ、その男の子ってどんな感じの子なの? 結衣ちゃんから見てどう? かっこいい?」
「どうって……まぁかっこいいとは思いますよ? 勉強を教えてくれる時も優しくて丁寧ですし、そういうところがとても尊敬出来る人ですね」
「へぇ〜」
結衣の龍平に対する評価はなかなかに高く、美嘉も結衣がここまで信頼しているのだからとまだ見ぬ龍平に対して安心感のようなものを感じていた。しかし、それは美嘉に限った話で、結衣の父、千智は180度違った見方をしていた。
「待て待て、男っていうのは女の子には優しくする生き物なんだ。普段は大人しい奴でも絶対に下心を隠し持っている」
「龍平君はそんな人じゃないです!」
男の優しさには必ず打算のようなものがあると断言する千智に対して結衣は感情的になり声を荒げて反抗する。人を信頼するということは美徳ではあるが、千智の弁に理があるというのも事実であった。出会って間もない相手に対し身骨を砕くことに何のメリットがあるんだと問われれば、そこに何らかの打算があると見るのはごく普通のことだろう。
やろうと思えばいくらでも論理を展開していけるのだが、千智がこれ以上追求することは無かった。
それは結衣の口からそれ以上の単語が出てきたからであり、千智も美嘉もどこか苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
「いや、まさかな……」
「お父さん?」
「あぁ……いや、何でもない」
千智の意味深な態度に結衣は何かあるのかと訝しむ。何でもないわけがないだろう、と。口には出さないが視線でそう訴えかけると、やれやれと千智は諦めて観念するのだった。
「そうだな。結衣ももう高校生だ。風間を担う者として知っておくべきだろう」
それは、結衣がこれまで栄光ある一族と信じていた風間が持つ裏の顔。一族の、それも大人しか知らない他言無用の禁忌だった。
「今から15年前、結衣が生まれた年に同じように風間の本家にも男の子が生まれたんだ。本家んとこはずっと子供に恵まれなかったから、これで後継問題もなんとかなる、万々歳ってそりゃもう喜んだもんだ。けど結衣も知っての通り、今の本家にお前と同い年の子供なんてのはいない」
「もしかして、亡くなられたのですか?」
結衣は千智の話し振りから何か不幸な事故があったのだろうと推測する。なるほど、本家の跡取りが不幸な事故で亡くなったともなればそれは大変だと勝手に想像していた。
「殺したんだよ。6歳の誕生日にね」
「え……?」
結衣は一瞬何を言っているのか理解出来なかった。自分の子供を無責任に殺す外道が世の中にはいるということはニュースで聞いたことがあった。しかしそんなのはどこかフィクションの世界の出来事のように捉えていて、それがまさか自分の身近で起こっていたなんてそうそう信じられるものではなかった。結衣がそのことに少なからずショックを受けていたのは分かったのだが、それでも千智は話を続ける。
「殺したと言っても直接手を下したというわけでない。その子は魔法が不得手というわけでは無かったけど、風魔法の才がからっきしだったんだ。このままではいずれ風間の品格を落とすことになるだろうと憂いた当時の上層部がその子を一族から追放したんだ。誇りや名誉なんていうくだらないものを守るためにね」
「なんてことを……」
大人達の勝手な都合で6歳の子供が路頭に迷うことになる。とてもじゃないが気分の良いものではない。同時に、結衣はそんなことがまかり通ってしまう自らの一族に一種の狂気、おぞましさのようなものを感じていた。
「そんな非道な行為を厭わない連中が今の上層部にはうようよいるわけだ。その時に追放された子が龍平って名前だった」
6歳の子供が身体一つで生きていけるほど世の中は甘くはない。何処かに引き取られでもすれば話は変わってくるのだろうが、そんな話は風間のネットワークでは聞いたことが無かった。故に、龍平が無事に生き延びている線は限りなく薄いというのがこの秘密を知る者全員の考えであった。
しかし、今の結衣にとってそのようなことは些事にすぎない。結衣からすれば、過去にこんな凄惨な事件があったということ自体が問題だからだ。そして、その事実をすんなりと受け入れられるほど精神的に成熟してはいなかった。
「少し、部屋で休みます……。すみません」
「信じたくないと思うだろうけど、身内にもこんな非情な奴らがいるってことを肝に命じておきなさい。これから先、万が一ってことがあるかもしれない」
「はい……」
結衣は心ここにあらずと言った様子で返事をすると、そのまま部屋へと戻っていってしまう。千智も言いたいことはまだあったが、結衣が気落ちするのも分かるとこれ以上は何も言わずにただただそれを見送る。
「出来れば結衣をくだらないお家騒動に巻き込みたくは無いが、俺達の世代では今の風間を変えることは不可能だ。いずれ、その時は来てしまうんだろうな……」
親の贔屓目無しにしても結衣は優秀だ。優秀ではあるが、汚い世界を知らない。故に、千智は腐敗した風間という組織が結衣を都合の良いコマとして狙うことを危惧していた。逆に、結衣を中心として末端の魔道士が力をつけていけば、今の風間の体制を変えることが出来るかもしれないという期待もあった。
「まぁその時はその時ね。とにかく、あの子のやりたいことをさせてあげましょ?」
「あぁ、そうだな」
兎にも角にも、何としても結衣を幸せにするということが千智と美嘉の2人の共通の思いであった。
一方、部屋に戻った結衣は部屋着に着替えるとベッドに横たわりながら先程の話を思い出す。結衣はこれまで、風間として恥じぬように努力してきたつもりだ。そんな彼女だからこそ、先程の話で受けたショックは決して小さいものではなかった。
「私みたいな子供に出来ることなんてないですよね……」
しかし、ショックだったからと言ってただ落ち込むというだけではない。千智も言っていた、風間を変えるという目標を実現するために何かしなければならないということを漠然と思う。だが、組織に巣食う闇が自分の力でどうこう出来るものではないということも理解していた。
「結局、もっと力をつけないと何も始められないというわけですか……」
結衣は今の自分に出来ることがただひたすらに研鑽することだと結論付けると、ベッドからガバッと飛び跳ねるように起き、そして苦手な勉強に取り組み始めるのであった。




