捨て令嬢01
博明館美麗と言えば校内に知らぬ人物はいないほどの有名人である。三年生のヤンキーから一年生の不登校児まで誰もがその名を知り、顔を鮮明に記憶している。
博明館美麗がなぜ有名なのか。一応ながら、説明してみよう。
一つ目、そこらのアイドルなどかすんで見えるほどの美貌。
とにかく、博明館は顔が良いのだ。大きな瞳、長いまつげ、鼻筋の通った高い鼻、薄い唇。……俺程度のボキャブラリーでは上手く説明できないようだ。とにかく、博明館は美人であり、おまけに抜群のプロポーションを誇る。冗談ではなく、世の男性の理想をCGで再現したかのような存在なのだ。
二つ目、学年トップレベルの成績。
自称進学校である我が校では切磋琢磨を促すという名目での成績開示が行われる。その際、薄明館美麗の名は上から五番目以内に必ず表示されている。360人中200番台後半をさまよう俺にとって、いくら地続きとはいえ雲の上の存在とも形容したくなる。
三つ目、男子生徒顔負けの運動神経。
一年の体育祭で、ビリで受け取ったバトンを一位で受け渡した彼女の姿は、今でも俺の目に焼き付いている。その後陸上部から激しい勧誘を受けたようだが、やはり博明館は断ってしまったらしい。
四つ目、ある有名な大企業の令嬢であるという事実。
博明館、と言う名を聞けばなんとなく予想がつくだろう。彼女の父親は日本どころか世界にも名を轟かす博明インダストリーのCEOであることはもはや周知の事実であり、彼女を有名人たらしめる最も大きな要因なのかもしれない。仮に、そのことが伏せられていたとしても、博明館が全身から醸し出す教養の深さや育ちの良さは彼女が良家の血筋であることを察するには十分すぎるだろう。
簡単にいってしまえば、容姿端麗、成績優秀、運動神経抜群、ハイパー金持ち。漫画の中でしか出てこないような完璧な女子生徒なのだ。天は二物を与えず、などという言葉があるが俺はこの女の存在を知って以来神の存在に懐疑心を持っている。
ああ、それから言い忘れていた。彼女が有名な理由五つ目。性格が悪い。
もっとも、この五つ目に関して真偽のほどは定かでない。あくまで噂だ。『博明館美麗』の名を知っている、と言うだけの俺にとっては彼女の性格の善し悪しを知ることはできないだろう。
ただ、ごくまれに廊下で博明館の姿を見かけることがある。金髪の縦ロールを揺らし(イギリスかどっかのクウォーターらしい)眉間にしわを寄せていつも一人でいる。それが孤高の存在なのか孤独な存在なのかはさておき、博明館美麗が性格の悪いと言う噂を信憑性のある者にするには十分すぎた。
長々と一人の女子生徒について話すことになったが、俺と博明館の間に面識はない。学校と学年は一緒だが、クラスも委員会も違う。俺にとって博明館は有名人であるが、博明館にとっては俺など単なるその他大勢の一人に過ぎないのだろう。
そういうわけで、俺と博明館は決して交わることもない存在だった。
そう思っていた。
しかし、人生ほど先が読めないものはない
二年生に進級し、ようやくクラスに自分の居場所を見つけられた頃のこと。具体的には6月4日のこと。梅雨前線が停滞し、全国的に雨に見舞われたそんな初夏のある日のことである。
期末考査に向け、図書室で自習を終えた俺は家路に就いていた。透明なビニール傘には大量の雨粒が打ち付け、水たまりを踏まぬよう慎重に歩いていた。
さすがの雨で、いつもは賑やかな公園に人気はない。俺は公園に一瞥もくれることなく歩みを進める、はずだった。
「……・」
見つけた。
目に入った。
土砂降りの雨の中、ブランコに座る博明館の姿を。
特徴的な縦ロールは雨によりその原型を崩壊させていた。
俺は気がつけば博明館の前に立っていた。博明館が顔を上げる。その表情には悲壮感が漂っており、思わず目を背けたくなるほどだった。
「大丈夫か?」
俺は傘を博明館に差し出す。博明館は何も答えない。
「うち、来るか? 雨宿りくらいなら。ここから近いし」
俺はこんなにも日本語が下手だったろうか。
「……ええ。お邪魔いたしますわ」
博明館は蚊の鳴くような声でそう言った。
それが始まりだった。