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ロックンロールを君に

作者: 山石尾花

 寒空の下、文字通り、私は放り出された。

 唐突に告げられた最後通告。明日からはもう来なくていいよって。年末も年末、年の瀬、どこの家でも紅白歌合戦を見るなり、蕎麦をすするなり、初詣の準備をするなり浮き足立っている中、あたしはこんな時間まで働かされてたっていうのに。

 明日から来なくていいって、元旦のあけましておめでとうのめでたい日は、普通休みだっての。

 なんて悪態を吐けるわけでもなく、不当解雇だ労基へ行くぞ裁判を起こしてやる、の捨てゼリフをキメるなんて発想も浮かばず、あたしは社長の言葉に「はい、今までお世話になりました、ありがとうございました」と頭を下げることしかできなかった。

 なんとなく兆しはあった。仕事でミスをして、小さくはない損失を出してしまったあの時から。

 同期は、腫れ物どころか病原菌の塊みたいな扱いであたしに接するし、上司は簡単な仕事さえも回してくれなくなった。

 汚名返上、名誉挽回するチャンスすら貰えなかったわけだ。頭を下げ倒して、駆けずり回る機会もなかった。あたしの存在を、なかったことにしたがっている、そして、なかったことにする機会を窺っているっていうことだけは分かってた。

 どうしてあんなミスをしたのか、あたしがミスさえしなければ。それを悔いて、なんとか報いたかった。が、現実はそんなに甘くない。まぁ、ごめんなさい、で全てがチャラになるなんて、世間知らずなことを考えているわけじゃなかったけど、まさかここまで許されないとは思わなかった。

 あー、次の就職はどうしようか。採用面接で、「退職理由は?」なんて聞かれたらどうすんの。社に損失を出したので、クビになりました、なんて言えないって。


 そんな時でもお腹は空く。非常事態なんて関係なく、生きるために身体は空腹を訴えた。裁判起こす前にこの飢えをどうにかしろって。

 一番はじめに目についたコンビニに入り、食料品を買い込んだ。普段は絶対食べない、ソースカツ丼、お好み焼き、漬物盛り合わせ、味玉、さきいか、500ml缶チューハイを三本。あたしはお酒が弱い、でも一人暮らしの家飲みなら人に迷惑かけることもない。幸い、自棄になったあたしを労って介抱してくれるような、心優しき恋人なんていませんから。

 鼻息を荒げてレジにぶちまける暴飲暴食の余震。ついでにチキンとおでんを追加してから会計を済ませたあたしは、なんとも消化しきれない感情のまま店を出た。ランチはあまり食べられなかったはずなのに、まだ胃の中に残っている気がする。


「おねーさん、そんなにたくさん一人で食べるの?」

 おねーさん、とはあたしのことか。キョロキョロと周りを見回し、デカいレジ袋を抱えたおねーさんを探したけど、どうやらそんな女はあたしだけのようだ。

 パチリ、と目があった。そいつは駐車場の車止めに腰掛け、微かに笑っていた。その笑い顔がなんだか困っている風にも見えて、なんであんたがそんな顔してるんだって聞きたくなるくらいで。

 この手の輩には関わらない方が吉とみた。ただでさえスペックが低い上に、たった今クビになったばかりの事故物件女に声をかけるなんて、ろくな奴じゃない。どう見たってみじめったらしい、今からやけ食いしますって全身からオーラが出てるのに。


 なのに、その日のあたしは何故か立ち止まってしまった。


「そうよ、お腹空いてるの」

「それ、美味しいよね、カツ丼。卵とじのも美味いけど、やっぱり俺はソース派かな」

「なんで袋の中身が分かんの」

「さっき、レジで見た。俺はコーヒー買っただけだから、すぐに終わったけど、おねーさん、レジ長かったでしょ」

「……余計なお世話よ」

 そいつはコーヒーに口をつけ、熱っと小さく叫んで舌を出した。無邪気な口ぶりとは対照的に、彼はキチッとスーツを着こなし、大人びて見える。いるいる、口を開くと残念な男って。

「おねーさん、ちょっと待ってて。コーヒー買ってくる」

「は? まだ飲みかけじゃない。もう一つ買ってどうするの」

 彼は返事をせず、コーヒーを買いに店内に戻っていった。これって、待っていなきゃいけないパターンなのかしら。うーん、と自動ドアが開閉する程度の時間悩んだ末、結局待つことにした。

「あ、待っててくれた」

 そいつは人懐っこく笑うと、あたしの目の前にズイ、と真っ黒な缶コーヒーを差し出した。

「…………ブラックじゃないの。あたし、飲めないんだけど」

「え、人生につまずいた時はブラックでしょ」

「そんなこと誰が言ってたのよ」

「俺のばーちゃん」

 なんなの、そのロックなばーちゃんは。せめて濃い目の緑茶とか言ってちょうだいよ、なんて心の中でツッコミを入れながら、あたしは飲めないブラックコーヒーを受け取った。

「っていうか、あたしが人生につまずいたなんて勝手に設定しないでよ」

「そんな顔でやけ食いする人は、大概、大コケしてきたばっかりだよ」

 くすくすと笑われているのに、不思議と腹は立たなかった。多分、こいつは、そういう性質のヤツだ。どんな人間の懐にでもスッと入っていく。得なのか損なのか、よく分からない体質。

 ほんの数分、言葉らしい言葉だって交わしていないのに、心を開きかけている、気がする。それが癪で、あたしは飲めないブラックコーヒーをあおった。

「にっが……」

「でしょ、それがいいんだよ」

 こいつは果たして人間なんだろうか、と斜め上の発想すら浮かんでくる。少なくとも今は完全にシラフなのに、現実逃避したあたしの脳が見せてる幻だったら、冗談抜きでヤバい。

「おねーさん、少し前の俺みたいな顔をしてたから、つい声をかけちゃった」

「へ?」

「気にしてないようで、すっげー気にしてる顔」

「……」

 何も言えなかった。

 やけ食いして全て終わらせようと思っていたから。

 そんなことで終わるわけなかったのに。

 ぐさりと刺さった言葉が、返しがついていて抜けない。うるさいなって、いつものあたしなら返せるはず。

「似合ってないよ、その服」

「は?」

 前から刺されて呆然としていた隙を見て、不意打ちのバックドロップ。割といい値段したのに、この服。

「キレイめっていうの? できるOL風っていうの? あんまりらしくないよ」

「本格的に余計なお世話ね」

「おねーさんは、もっと派手なのがいいよ、自由なやつ」

「……まぁ、ゆっくり考えておくわ」

 口の中に渋みが広がる。そこに、わずかばかりの酸味。それもありかもしれないと思うなんて、あたしはどうかしている。

 彼はグッと最後の一滴までコーヒーを飲み干すと、中身が本当になくなったのを確かめるように缶を振り、小さく首を傾げた。

「空っぽになっちゃった。じゃ、俺、行くね。良いお年を」

 あたしの缶の中はまだ半分くらい残ってるのに、もう少し話に付き合ってくれたっていいのに。

 冷めかけのおでんの入ったレジ袋を握りしめ、見送ることしかできない。

 目をしばたいて、幻覚ではないと確かめたその後ろ姿は迷いがなくて。

「……寒っ」

 あたしはそいつと真逆の方向へと歩き出す。だって、家はそっちの方向じゃないし、早くしないと本当におでんが冷たくなっちゃうし。

 

 以前の彼に何があったのだろう、と聞きたかった。だけど、こんな短い時間じゃ、何も話を聞けない。まるで自分だけが救われたみたいだ。

 ん、救われた?

 自問して、自答する。

 あぁ……一瞬だったけれど、あたしは確かに救われた。今の生き方が似合ってないって、はっきりと言ってくれた。

 彼が誰かに救われた後なのか、まだ救われていないのか、それともこれから誰かに救われるのか、分からない。いや、あんなタイプは存外自分で自分を救うのかもしれない。

 

 あたしはバッグからイヤホンを取り出し、耳に差し込み、端末を操作。先週ダウンロードしたのにまだ聞けていなかったアルバムを選ぶ。

 大好きなロックバンドの、最新アルバム。

 人生の機微とか、情感とか、そんなのは今はいらない。ただ駆け抜けるだけの力が欲しい。

 

 二度会うことはないと思う。それでも全然構わない。何かを感じる余裕もないくらいに一瞬すぎた。

 これが運命なら、神様が半分死にかけていたあたしをもう一度活かしてくれようとしたのかな、なんていう程度。

 ただ、割と真剣に幸せになってくれればいいのになって。本人の気づかない一言が、誰かを活かしていたりするもんだから。

 もしも、どこかで偶然会うことがあれば、今聴いているこの曲を聴かせたい。最高にカッコつけた顔で。

 ハイヒールを脱ぎ捨てて、カッコつかないくせに全力疾走してるって、笑い飛ばしてもらえればいいのにって。

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