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 木の葉が残らず落ちきって寒々しい、厳冬の山肌と山肌の間を、人馬が必死で移動してゆく。


 所々に雪も積もる山道を、一群の騎兵が逃げ、それに数倍する軍勢が追っていた。


「追え! 走れ! ここがこのいくさの分かれ目ぞ! 勝負どころじゃ! 命を懸けよ!」


 趙匡(ちょうきょう)が、普段は温厚に細まっている目を限界まで見開き、猛烈に叱咤する。

 付き従う梁淵も、周囲の兵士も、鬼の形相で山道に馬を駆る。


 彼らの追う先には、折れ曲がる谷間を逃げてゆく漢の軍勢がいる。

 その数、一千にも満たない小勢だ。

 だがその中に、精鋭に守られつつひたすら逃げる敵将の背中が垣間見えていた。


「あれこそ馮異(ふうい)ぞ! やつを討てばこの戦、我らの勝ちじゃ!」


 趙匡の叱咤に、周囲が激しい雄叫びで応える。


「なにゆえ…………このようなことに……」


 梁淵は激しく揺れる馬上でつぶやいた。


 馬術も修練しているとはいえ、鍛えられた騎兵についてゆくのは厳しいものがあり、脱落しないのが精一杯だ。

 そして現状では、脱落はそのまま戦死か、捕虜となることを意味していた。


 逃げる小勢の馮異、それを追い山間を突き進む成家軍――長く伸びたその隊列の背後に、「漢」の旗を掲げた軍兵の群れが迫っている。



 軍議を終え出撃を命じた趙匡は、自軍のほとんどを、横合いに出ていた漢軍の一千に殺到させた。

 まるで、馮異はその中にいると確信しているかのごとき、一切のためらいのない采配だった。


 そして――本当に、馮異はその一千の中にいたのだ。

 梁淵の推測とまったく逆に。


 馮異自らが率いるだけあって、その一千は漢軍の中でも最精鋭だった。

 それに向かう成家軍が、気の抜けた足止め部隊であったなら、同数以下はもちろん二千三千であってもたやすく突破され、趙匡の本陣への突撃を許してしまったことだろう。

 長きにわたる膠着した状況を打破する、馮異の奇策であったのだ。


 だが万を超える数、しかも趙匡の指示を絶対と仰ぎいささかの乱れもなく押し寄せてくる成家軍を前にしては、さしもの最精鋭といえども退却以外の道は選べなかった。


 趙匡は漢軍本隊と馮異隊との間に分厚く兵を配置し逃走を許さない。

 馮異はやむなく、唯一の逃げ道である背後の山間に駆けこんでゆく。


 それを成家軍が猛然と追い、そのまま馮異を討ち果たすはずであったが――。




 唯一の誤算は、漢軍本隊の狂奔であった。


 馮異は漢の光武帝の信認厚い国家の柱石であり、常に漢に勝利をもたらす名将であり、そしてまた、兵たちから圧倒的に支持される人徳者でもあったのだ。


 諸将が軍功を誇り合う場に加わらず、ひとり大樹のもとに座りゆったり空を仰いでいたという逸話からついたあだ名が『大樹将軍』。のちに日本において武家の頂点たる将軍すなわち征夷大将軍のことを「大樹」とも呼ぶ、その由来である。


 功を誇ることなく、民を慈しみ、その率いる軍は精強でありながらもいささかも狼藉をはたらくことがない。降伏した敵兵を許し自軍に組みこむ際に、馮異に打ち破られたはずの兵たちが馮異の部下になりたいと願い出てきた、という逸話が伝わっている。


 その漢軍将兵が、敬愛してやまない名将の危機に、爆発した。


 成家軍の足止め部隊を一瞬で粉砕し、馮異を追う成家軍の背後に殺到する。


 かくして、逃げる馮異、追う趙匡、さらに追う漢軍という状況ができあがったのである。




衛恂(えいじゅん)どの戦死!」

田通(でんつう)どの、矢に当たり捕縛されました!」

 趙匡の元に次々と注進が入る。ほとんどが、山道に入りきれず山裾で漢軍を迎え撃っている自軍の悲報だ。


 だが趙匡はいささかも揺らぐことはない。馮異ひとりを討てば、自軍が半減したとしても成家軍の勝利なのだ。

 主将の意志が末端の雑兵にまで伝わり、成家軍は猛蛇となってひたすらに馮異を追い続ける。


「梁淵!」

「はっ!?」


 趙匡に呼ばれて、梁淵は馬を寄せた。


「見よ。この先、道はさらに狭く、左右は崖じゃ。罠があるか否か、どう見る!?」

「むむっ……」


 馮異が一千の方にいたことも現在の戦況も完全に梁淵の想定外である。

 しかしそんなことで思考を止めるようでは自分がここにいる意味はない。

 梁淵は素早く地形を見て取り、進言した。


「この地形ならば、罠は必ずあると見ます。馮異ならば、兵を残し閣下を狙撃することを考えるかと!」

「うむ!」


 趙匡は強くうなずくと、剣を振り上げ配下に指示する。


()()()()、急ぎあの隘路(あいろ)を突破せよ!」

「…………え」


 ぽかんとする梁淵を尻目に、趙匡とその親衛隊は馬腹を蹴り突き進んでいった。


 総毛立ちつつ後に続いて崖の間の道に入りこんだ梁淵だったが、上から石も矢も降ってくることはなかった。


 危険地帯を何事もなく通り抜け汗をぬぐった梁淵の視界に、漢の旗が飛びこんできた。

 馮異。いや漢の騎兵が、ひらけた場所で陣形を組んでいる。待ち構えている!


「梁淵!」

 再び、趙匡の声が飛んだ。


 総毛立っていた梁淵は我にかえり、知覚のすべてを用いて状況を観察し判断した。


 地形――千を超える軍勢が動き回るには十分な、広めの窪地。だが周囲すべてが急斜面。これ以上の逃げ場なし。

 敵の隊形――味方の救出を待ちそれまで堪え忍ぶ防御の陣、と見せかけているがむしろ攻撃を企図している。

 敵の気勢――きわめて高く危険。しかし窮鼠(きゅうそ)の気配あり。

 これまでの経緯も合わせて、結論は――。


「この道への逃亡は馮異の企図したものにあらず! 先ほど罠がなかったのもそれゆえ!

 もはや逃げ道はなし! かくなる上は我らの出鼻を痛撃してから先ほどの隘路(あいろ)を封じて立てこもり味方を待つのみが生存の道と、死に物狂いの防戦を目論んでおります!

 罠も策もなし! 時間をかければ馮異ひとりのみ崖を登り逃げのびるやもしれず、ここは即座に攻めかかるべし!」


「うむ!」


 趙匡は先ほどと同じように、得心いったと強くうなずき、剣を振り上げ――。


()()()()! ()()()()()()()!」

「え……!?」


 次の瞬間、強烈な衝撃を受けた。


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