3
「誰か……尋常ならざる知恵者がおるな」
馮異はつぶやいた。
光武帝劉秀の幕下にあって、難敵を幾度となく打ち倒してきた名将である。
その視線の先、敵軍の陣に、高々と『趙』の旗が掲げられていた。
――緒戦の敗退後、漢軍諸将は考えをあらためた。
成家軍は強く、自軍は体勢が悪かった。立て直さねば。
みな、後の世に名将と讃えられる人物である。事実認識も対応も早かった。
ただちに軍を分割。
五将それぞれが一軍を率いて、分散して行動し始めた。その方が各自の力を存分に発揮できると判断してのことだ。
來歙は当初の目的通りに、隗純がこもる冀城を攻める。
耿弇と蓋延はそれぞれ別働隊を率いて周囲の郡や豪族を平定し足場を固める。
馬成は補給路の整備や各軍同士の連絡に目を配る。
そして馮異が、最も強き敵である、趙匡率いる成家軍に当たることとなった。
それから数ヶ月。
守りの堅い冀城を少なめの兵力で攻めている來歙はともかく、他の将たちはそれぞれ着実に戦果を挙げている。
だが、馮異のみが、まったく戦果を挙げることができずにいた。
馮異は、策を巡らせるのが得意な将である。
『孫子』を始めとする兵法を深く修め、光武帝麾下の誰よりも着実にそれを実践し、多大な戦果をあげてきた。
その馮異をもってしても、眼前の成家軍はきわめて厄介と認めざるを得なかった。
策が、ことごとく看破される。
罠を仕掛けると乗ってこない。敵軍の弱点を見きわめ攻めこむとすでに対処されている。軍を移動させると、こちらの目論見を読んで最もいやな場所に対応の陣を敷かれる。攻めてきてほしくない時に攻勢をかけてくる。使えそうな相手に調略をかけてもことごとく看破され逆用される。
歴戦の名将たる馮異なればこそ、自軍の損失を最小限にとどめ部下をなお強固に統率することができていたが、他の将であれば早々に無残な敗北を喫していたとしても不思議はなかった。
「趙匡とは、これほどまでに厄介な相手でありましたか」
「いや」
馮異は、部下の慨嘆を一蹴した。
「趙匡とは、以前にも戦ったことがある。その人となりについてもおおむね存じておる。公孫述が一軍をまかせて送りこんでくるだけあって、決して凡庸ではないが、名将と言えるほどの冴えはない人物だ。少なくともこの戦において見せている才は、私の知る趙匡のものではない」
「ならば……?」
「趙匡に策をすすめている何者かがいる、と見るべきであろう」
馮異は情報担当の部下に、趙匡配下の武将、幕僚の名を挙げさせた。
「田弇、環安……尹焉、郭勝、衛恂、公孫玄、霍成、梁淵、范植、任育、田通、侯丹……梁淵という名は、初めて聞くな」
「公孫述の后、梁氏に連なる若者とのことにございます。齢十九、兵法を好みよく学んでおるものの、武芸達者とは聞かず、戦場に立つはこれが初めてとのこと」
「この者が趙匡に進言しておる、ということはあるか?」
「いえ、手の者が伝える限りにおいては、その言ことごとく若輩者の典型、理ばかりに傾き実を知らぬ大言壮語、歴戦の将たちは苦笑いし、その意見を趙匡が取り上げたことはこれまで一度たりともないとのこと」
「ふむ……」
馮異は、かつては文官だったものが、光武帝劉秀を主と仰ぎ付き従ううちにやむなく軍を率いることとなり、そこから戦果をあげ勝利を積みかさねて栄達した人物である。
また馮異と並ぶ最古参の幹部たる鄧禹に到っては、劉秀軍に身を投じたのが二十一歳の時。
実戦経験がないから、若者だからと、相手を侮る心はかけらもない。
しかしそれでもなお、伝え聞く範囲では梁淵という若者に対して何ら脅威を感じることなく、馮異はその名を頭から追いやった。