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三国志で、北伐に出た諸葛亮(孔明)と司馬懿とが何度も戦った地域での話です。
「ううむ……」
うなり声が上がった。
誰が発したのかわからない。誰が発しても不思議はない。天幕内に居並ぶ男たちの、どの顔も一様に沈鬱であった。
「これほどとは……」
冷たい泥のような空気の中、誰かが声を絞り出した。
建武9年(西暦33年)、中国北西部の涼州、天水郡。
公孫述「皇帝」がつかわした「成家」軍、その武将たちである。
数年前より、蜀の地の北方にある涼州の実力者隗囂が劉秀の軍勢に攻められていた。
そしてこの年、劣勢の中で隗囂は病死してしまった。
その子隗純が後を継いだものの、その勢力は衰えきって、まさに風前の灯火となった。
蜀の地への入り口でもある涼州を劉秀に取られてはまずいと、公孫述は隗純への援軍を派遣する。
だが、蜀を出て険しい山嶺を越えようやく涼州天水郡に達した成軍の前に現れたのは……。
漢の、とてつもなく分厚い陣容の大軍だったのだ。
漢軍の総指揮官は、皇帝劉秀の縁戚、中郎将來歙。
以前より隗囂との戦いの矢面に立ち、時に兵を率いて急襲をかけ、時に城を固く守って揺るがず、謀略を駆使し隗囂の部下を大勢離反させるなど、勇猛さと知略とを合わせ持った名将である。
その配下の将として、まず揚武将軍馬成。
群雄のひとり、淮南の李憲を討った将軍だ。李憲の拠る城を包囲し陣を築いて一年にわたって包囲し続けた粘り強い戦の達人。
虎牙大将軍蓋延。
北方の出身で、堂々たる偉丈夫。これも群雄のひとり、梁の劉永を攻めに攻め、幾度となく敵軍を打ち破った猛将。
建威大将軍耿弇。
北方から東方にかけての広大な地域を平定した若き知将。縦横無尽に策略を駆使し、平らげる所の軍は四十六、城を落とすこと三百、未だかつて挫折なしと史書に記されている。
そして征西大将軍馮異。
劉秀がまだ小さな勢力の頭でしかなかった頃より付き従い、東に北に西にと連戦し勝利し続け、彼なくば劉秀の覇業もなかったと断言できるほどの貢献をなした、この時点において漢軍最強の将軍と言っていい。
これら、綺羅星のごとき名将たちを前に、成家軍武将たちの顔面は一様に蒼白だった。
「これほどとは」
「劉秀め、一気に決着をつけるつもりと見える」
「いかに対抗したものやら」
成家軍とて決して弱兵ではない。
戦いが続き荒れに荒れた中原と違って、公孫述がしっかり統治し乱れることのなかった蜀の地は、多くの兵力を抱えることを可能にする豊かな生産力を保っていた。派遣されたこの軍に関しても、兵糧や武具の心配はまったくなく、兵士はみな強壮で、訓練は行き届いている。過去数年にわたって、涼州に出兵したり長江を下って荊州をおびやかしたりと、漢軍相手に実戦経験も積んでいる。
しかしやはり、本腰を入れてきた漢の大軍、中原を制覇してきた名将たちの率いる歴戦の軍勢を前にしては、意気軒昂とはいかなかった。
「やれやれ、戦う前からそうも飲まれておっては話にならんぞ」
のんびりした声で言ったのは、この場の最上席に座す人物である。
趙匡。公孫述が派遣したこの軍の、総大将だ。
体型は小太り、頬もふくよかながら、目には並々ならぬ強い光があった。
「まずは皆、思うところを存分に述べるがいい。弱気でもかまわん。敵は強いでもかまわん。わしの悪口でもかまわぬぞ」
穏やかな言いようだが、さすがに皆、困った顔をした。
「兵たちを命令ひとつで死なせる身でありながら、何一つ思うところがない、ということをわしは許さん。まず語れ。とにかく語れ。わしの許可などいらぬ、明晰な意見でなくてもかまわぬ、頭の中のものを外に出してみせろ。すべてはそれからだ」
配下にまず好き放題に言わせる。それを静かに聞き続けた上で、自らの意見を述べ、それには絶対の服従を命じる。趙匡とはこのような将軍だった。
しかし強敵を前に、どの武将の口も重たく閉ざされている。
「それでは申し上げます」
若い声があがった。
居並ぶ武将たちの、末席からだった。
「漢軍は確かに兵数多く、率いる将はいずれも当代きっての名将ぞろい。あまたの戦に勝利し中原を制してきた恐るべき相手にございます。まともにぶつかっては勝ち目はありますまい」
若者の言葉に、年長者たちが色をなした。
「おぬし、臆病風に吹かれたか!」
「戦う前からなんだその言いぐさは!」
「お聞きなされい!」
若者は少しもひるまない。
「確かに漢軍は強い、されど無敵にあらずと、そう申し上げたいのです!」
頬を紅潮させ、若者は両腕を大きく広げた。
「耿弇は、当たるところ敵なしといえど、それは勝手知ったる斉の地でこそ。
馮異は古今無双の名将と名高いが、農民軍にすぎぬ赤眉に敗れたこともある。
さらにはかつての項羽も、万人に敵する武勇を誇り七十一戦に勝利しつつも、漢の高祖(注:前漢の初代皇帝劉邦)に七十二戦目にして敗れ、その身は故郷に戻ることあたわず!」
「むう」
「大事をなすに必要なものは、天の時、地の利、人の和という。偉大な父を失い悲嘆にくれる隗純どのをお助けする、これこそまさに天より下されし崇高なる使命、それを果たすべき今こそ天の時。
地の利は言うまでもなく我らにあり。
残る人の和を、他人の話を聞かず自ら乱してどうするのか」
「黙れ梁淵! 陛下の縁者なればこそ尊大なる口も聞き流してやったが、我らをおとしめるその言葉は聞き捨てならぬ!」
年長者に怒鳴られても、梁淵というその若者はなお舌鋒を鈍らせない。
決して勇猛とは見えぬ貴公子然とした細身であったが、筋肉量を誇示しつつ怒鳴ってくる髭づらの面々に、むしろこちらから噛みついてゆきそうな不敵な顔つきをしていた。
「聞き捨てならぬと申されるが、兵を率い天険を越え陣を設け、幕の中で敵の強大さにおびえる者をおとしめずに何とする!? 武人の誉れはどこへやった!?」
「何を!」
「この若僧が!」
「いくさばたらきの経験もないくせに片腹痛いわ!」
「ほう、匹夫の勇を誇るが陛下の臣のありようか!?」
「まあ待て待て、そうわめくな、耳が痛いわ」
趙匡がやはりのんびりした声で仲裁に入った。
「梁淵よ、存念を語れとは言ったが、味方を罵れとは申しておらぬぞ」
「はっ、申し訳ありませぬ」
「だがその意気やよし。我らに必要なのは、その気迫、必勝の信念であろう。
さすれば、梁淵よ、聞こう。ここに布陣せし我らは、次にどのように動くべきか? ああ心配するでない、どのような意見を述べたとしても、それでそなたを罰したり、心象を悪くすることはせぬよ」
趙匡は若者を慈しむように言った。
「わたくしは、まずは持久を進言いたします」
梁淵は胸を張った。おのれの意見に絶対の自信を持ち、その目は強く輝いていた。
「ほう」
「確かに漢軍は強大、しかし各地になお敵は残り反乱は続き、それでいて軍を縮小せねばならぬほどに中原の耕地は荒れ果て、大軍を養う余裕はなく、目の前にいるあの軍勢も、内実は兵糧不足におびえ、ともすれば戦う前に瓦解もあり得ると聞いております。
なればこそ奴らは、我らと即座に決戦し、戦を長引かせまいとすることでしょう」
「攻めかかってくる、と」
問うた趙匡に、梁淵は深くうなずいた。
「だからこそ、まずは持久なのです。
漢軍は、まず援軍たる我らを撃滅し、返す刀で意気阻喪する隗純どのを攻め滅ぼす速戦即決を狙い、激しく攻めてくるでありましょう。
一方の我らは、陛下の仁政のおかげで兵糧の不足はなく、守勢に不安はありません。まずは防ぎ、防ぎきったところで強烈な逆撃をくらわす。
そう、全力での防御こそが、結果的に必勝の戦法であるかと!」
「ふむ」
趙匡は、いいとも悪いとも言わずに口ひげをしごいた。
「否! 否!」
他の武将が銅鑼声を張り上げ、それを皮切りに、みなが次から次へと声を上げ始めた。
「あの來歙が、馮異が、歴戦の者どもが、若輩者にもわかるその程度のこと、読んでおらぬわけがありますまい!」
「左様! 我らが持久するだろうと読んで、攻めかかるふりをして、一軍のみ牽制に残し、隗純どののこもる冀城に残る全軍で一気に攻めこむと見る!」
「いや、わしの見たところやつらは……!」
一気にやかましくなった天幕内で、趙匡はゆったりした笑みを深くし、梁淵は自らの声が他の大声にかき消されてしまうことに歯がみした。
漢軍の武将は、のちに「雲台二十八将」と名付けられその功績をたたえられる名将たちです。(來歙は光武帝劉秀の縁戚なので『将』には入れられませんが能力も功績も同レベルです)




