序
歴史上初めて中華の地を統一した秦の始皇帝。
彼の死後、乱れた天下の覇権を項羽と劉邦が争い、勝利した劉邦が「漢」帝国を築き――それから200年。
かつての大帝国も腐敗し統治は乱れ、皇帝の外戚、王莽という者が漢を乗っ取り、「新」なる王朝の成立を宣言した。
しかし「新」王朝の政治は現実を無視したもので、たちまち国は大きく乱れ、民は苦しみ、各地で反乱が起きた。
新はそれらを鎮圧することができず、崩壊していった。
乱世の訪れである。
様々な勢力があちこちに並び立ち、争いを繰り返す。
凄惨な戦乱の中、勝ち残り中原を制したのは、劉秀という人物である。
劉秀は、傍流ではあるが一応漢の帝室の血を引いており、「漢」を復活させることを宣言し、更始3年(西暦25年)、皇帝に即位した。
のちに光武帝と諡されることになる、知勇兼備にして仁徳に満ちた名君であった。
もっとも、即位したとはいえ、まだ各地に敵は残っていた。
公孫述は、そのうちの一人である。
のちの三国志の時代に劉備がよって立つ「蜀」(現代の四川省)の地に勢力を広げ、「成家」国皇帝を自称していた。
人の世を統べる者、「皇帝」を名乗ることが許されるのは地上にただ一人。
成家と漢の激突は必至であった。
三国志の、およそ250年ほど前の時代です。