恋愛インファイト
大丈夫。省略するから。
「で、何しに来たんだい。こんな所に」
「そんな言い方ないだろ……しかもお見舞いに行くって言ったし」
碧花は一応病人という事でベッドを椅子代わりに座っている。それはいいのだが、ベッドに座る彼女に対して俺が椅子に座ると言うのも何だか馬鹿らしかったので、碧花のベッドの上で、俺と碧花は座っている。
―――これは、不味い。
家に来た事は何度だってあるし、こういう形で座った事も初めてじゃない。只、さっきも言ったように、普段の碧花と今の碧花では色気が違う。ベッドに残る温もりまで、必要以上に意識してしまうから手に負えない。俺が何となくソワソワしている様に見えたとしたら、それは多分彼女の肌と密着している様な錯覚を覚えているからだろう。
「お見舞いとは言うがね、君。そういうのはもっと重体の人へするべきじゃないのかい。奈々とかさ」
「奈々…………ああ。奈々か。いや、行ったよ。この前」
記憶喪失なので、当然あの時の事も覚えていないし、俺の事も覚えていないらしいが、友達と一緒に居れば何か思い出すかもしれないとの事で、実は低頻度ながら、彼女の病室には顔を出している。教えられてもいない病院にどうしていけたかは、俺が天才なので語る必要はない。
嘘だ。実際はこの付近に大きな病院なんて一つしか無いからだ。
「どうだった? 記憶は取り戻したのかい?」
「いいや、俺も月に一回くらいしか顔を出してないしな。元々そんなに親しかったかって言うとそうでもないし。まだまだだよ」
「……まあ、そうだろうね。記憶喪失がそう簡単に治るとは思えないし。私の風邪は直ぐ治ったけれども」
「いや、咳が止まったってだけだろ。見るからに風邪引いてるから、俺が帰った後はちゃんと安静にしろよ?」
「じゃあ君が居る間は荒ぶるよ」
「そういう事じゃねえよ!」
病人を荒ぶらせるとは一体。俺こそが病原菌だった…………? いや、そんな馬鹿な。俺は碧花を元気づける為にここへ来たのだ。病原菌などと言われて黙ってられるものか。
「なんかして遊ばないか?」
「ふむ。君は安静にしろと言いつつ、病状を悪化させに来たのか」
「お前はどうして『遊び』と聞くとアクティブなモノばっかり考えるんだよ! トランプとかボードゲームとかあるだろ!」
あれなら動かすのは手と頭だけである。アクティブとは言い難く、俺にガス銃を突きつけるくらいに余裕があるなら特に問題は無いだろう。ひとしきり俺との漫才を楽しんだ碧花は、ベッドの下から『ブラック人生ゲーム』を取り出した。
「…………え、マジ?」
「何か問題でも」
問題しかない。ブラック人生ゲームは発売当初からそのヤバさを危惧されていた代物であり、発売してみると実際、あまりの理不尽さから友情崩壊を起こす客が続出。その噂から物好き達が次々と購入し、気づけばプレミア化してしまった伝説のボードゲームである。以前に来た時は無かった筈。
「何で持ってんだよ!」
「それなりの頻度で君は私の家に来る訳だけど、もてなす側のこちらとしてはお客様の君を退屈させてしまうのはプライドが許さない。恥ずかしい話だけれど、私は話が上手い訳ではないんだ。こうして他愛もない会話をするくらいが限界で、君を楽しませるにはこうでもしないと……無理でね」
「いや、俺は別にお前と喋ってるだけでも……」
服装によってはどさくさに紛れて胸の谷間とか見えるかもしれないから―――じゃない。会話の内容に俺は愉しさを感じている訳じゃない。会話する事そのものに愉しさを感じているのだから、そう気に病む必要はないのだが。そんな俺の気遣いは碧花の自虐には届かなかった。
「お世辞でも嬉しいよ、有難う。さ、それじゃあ早速やろうか。どっちのコマを選ぶ?」
「どっちって……選ぶのか?」
「うん。片方足がない死刑囚か、それとも片方腕が無い死刑囚か。どっちか」
「早速どうしようもない理不尽が来たな! 何でどっちも死刑囚なんだよ!」
「箱には、現実に則した夢も欠片も無い世界とは書いてあるけど」
「俺達の世界ってそんなに世紀末だったか? 街を死刑囚が闊歩してるって、もうそこゴーストタウンかなんかだろ!」
しかし、文句ばかり言っていても始まらない。片足のない死刑囚は行動の際の……つまり進む際に三以上の数値を出せないデメリットがある。ただし、割り切れない数字である『五』は例外らしい。
現実に則したとは一体……
片腕の無い死刑囚は、アイテムを一つしか持つ事が出来ないらしい。このゲームは所謂アイテムカードを五つまで持てるのだが、それが制限されるのは中々辛いデメリットと言える。どれだけ良い出目を出した所で踏んだマス目が悪ければ敗北するのが人生ゲーム。そう考えると、片足欠損マンが有利なのだと思う。
「じゃあそっちで」
「そうか」
勿論、片足欠損マンを取る。俺は勝負において慈悲も容赦も掛けたりはしない。相手が碧花ならば猶更だ。男だからと変に情けを掛けても惨めに敗北するだけ。ならば全力で挑むのみ。
「あ、そうだ碧花。お前に聞きたい事があったんだけど」
「ん? どうしたんだい?」
「学校の七不思議って知ってるか?」
蕩けていて焦点の定まらなかった瞳が、一瞬だけ完璧に調節され、俺を見据えた。しかし直ぐに戻り、碧花は気の抜けた声を上げる。
「知ってるよ、勿論。と言うか君、あの学校に二年も居て七不思議を知らないなんてある意味希少種だね」
「ひょっとしなくても馬鹿にしてるか?」
「いや、結構な事だとは思うよ。わざわざ危険地帯に足を踏み入れる必要はない。七不思議なんてのは大概嘘だけど、もしも本当だった場合、殆ど遭遇者は命を落としてしまうからね。で、急にどうしてそんな事を聞いてきたのかな」
「実は―――」
俺は屋上であった出来事を全て碧花に話した。萌の存在を彼女は知らないので、話を円滑にするためにも彼女の名前は『オカルト部の知り合い』になった。胡散臭い付き合いとは思われただろうが、だからと言って碧花は適当な返事をしない。
「―――成程。大体事情は分かった。行くんだね?」
「まあ、な。でも俺だって死にたくないし、だったら七不思議について少しくらい知っていた方が良いのかなって思ってさ。知ってるなら教えてくれよ」
人生ゲームの盤面について語る事は無い。まだ序盤だ。理不尽なマスが多いだけで、特筆する様な事は何もない。余談だが、今の所俺の所持金はマイナス一億だ。クソゲー過ぎる。
「……分かった。君がそこまで言うなら教えてあげるよ。何が聞きたいんだい?」
「全部頼む」
「…………やれやれ。少しくらい説明の手間を省いて欲しかったが。仕方ないか。それじゃあ一番有名な一階トイレの年彦君について話そうか。何でも二〇年以上前に、あそこで首を吊った男子学生が居たそうだ。その子の名前が年彦君と言って、幼少期からの病気で肌の老化が早かったらしい。そのせいで同級生から酷い虐めを受けていたらしくてね。まあそれだけだったらよくある虐め問題なんだけど…………」
「けど?」
「それから二日後にね、彼を虐めていた主犯格が一人死んでしまったらしいんだ。良心がそうさせてしまったなんて囁かれてたけど、その次に取り巻きも死んで、最終的には彼の虐めに無視を決め込んだ担任も死んでしまったらしい。これだけなら、まだ偶然の一致と言えるかもしれないけど、三人はいずれも顔面の皮を剥がされていたらしい。更には死体発見場所がいずれも一階の男子トイレ……それから学生達の間では、夜、誰も居ない日に一階トイレに男子が入ると、鏡の中から『お前の顔を見せろ』という声が聞こえてきて、それが綺麗な顔だった場合、顔面の皮を剥がされるらしいんだ」
「……対処法とか無いのか?」
「あるよ。鏡に顔が映らない位置から鏡を汚すか、予め自分の顔を泥だらけにしておく事で防げるらしい。まあ、汚い顔で虐められた訳だから、汚い顔を欲する筈がないよね」
「因みに俺は、綺麗か?」
「彼女を作る為に日々の手入れを欠かしていないんだろう? 素敵な顔つきだと思うよ」
終わった。俺は絶対に一階のトイレには行かねえ。そう決意した瞬間だった。彼女も出来ていない今、顔面の皮を剥がされるのは勘弁願いたい。大して格好良くもないのに、更に醜くなるのは困る。物理的にも精神的にも寒気を感じている俺を碧花は愉しそうに見つめていた。表情、ではない。何となく目付きがそんな感じなのである。
「……そう言えば君は物凄い怖がりだったね。本当に、どうして行こうと思ったのかな」
「いやあ……うん。世の中、断り切れないものってのはあると思うんですわな! それに、七不思議がそんなやべえのなんて知らなかったし!」
幾ら俺でも、有名な花子さんとかは流石に怖くない。いや、実際に会えばまた違うのだろうが、聞くだけならば腐る程聞いた。もう怖くはない。怖いのは『顔面の皮がはがされた』なんて乱暴な言い回しをしてくれた碧花のせいもあるだろうが。
「な、何かもういいわ。怖くなってきた」
「おいおい、教えて欲しいと言ったのは君だろう。ちゃんと最後まで教えるから、聞いてくれなければ困る」
人生ゲームそっちのけで後ずさる俺を、碧花は声を息で包んだような、とても優しい口調で言った。
「そう怖がらなくても、今は夜じゃないし、ここには私が居る。むしろここで聞かなければ、君は夜の校舎でオカルト部から聞かされる事になるだろうけど、それでもいいのかい?」
「良くありません! 是非聞かせてください、お願いします!」
「素直でよろしい」
碧花の澄まし顔は、何度も見ていると次第に安心できるようになってくる。それはいいのだが、今は色気が半端じゃない。安心したらそこで俺の理性は終了する。引き続き気を引き締めて、俺は七不思議の情報に耳を傾けた。
三日以内ですが、俺の予言によると翌日になる。