望郷とは言わずとも
CASE3 開章
今日はあまりにも唐突だった。いや、俺の超絶的な不運を絡めれば唐突なのはいつもの事だが、そういう事じゃない。俺の不運など全く絡まない筈の所で、それは突然起こった。
…………お分かりだろうか。俺に対して好都合であれ不都合であれ、不測の事態には慣れている筈の俺が、ここまで取り乱すなんて余程の事だろうと。勘の良い人間ならばそう思ってくれるだろう。実際、それは尋常な事ではない。
『いやあ、悪いね。実に久しぶりの事だよ。風邪を引いてしまうなんて』
碧花が風邪を引いてしまったのである。季節的にも今はそんな時期ではない筈だが、ともかく彼女は体調不良となり、今日は学校を休んでしまった。屋上に来て弁当を開こうが、隣に彼女は居ない。途端に俺は不安になり、こうして昼休み中は、ずっと彼女と会話しているのだった。
居なくなって初めて気が付く。彼女の大切さに。ここだけ聞くと何とも大袈裟だが、俺は碧花の事が…………今は本人も居ないので正直に言おう。好きなので、彼女が隣に居ないというだけで精神的な安定感は随分と違ってくる。
『文面見てる限りは元気そうだが』
『文字から体調不良が伝わるって事は無いと思うよ。そんな事が分かるとすれば多分ウイルスにでも感染してるんじゃないかな』
『お、上手い! やるな』
『君とは生きてきた年数が違うからね』
『同い年だよな?』
やはり元気そうだが。真に体調不良の人間がコンピュータウイルスと風邪のウイルスで言葉遊びを始めようとはしない。文字は面と向かって話すよりも圧倒的に送られる情報が少ないと言うが、少なくとも彼女が大人しく寝込んでいる様には感じなかった。
『今日お見舞いに行くよ。何か元気そうだから、無駄かもしれないが』
何故かこの時だけ、返信が遅かった。
『有難う。体調不良のせいで部屋が片付いていないけど、その辺りは容赦してくれ』
『お前がそう言う時って大体清潔なんだよな。知ってるよ』
それから、他愛もない会話が続く。やはりどう考えても彼女が体調不良には見えない。何度考えても、ずる休みをしたという理由の方がしっくりくる。信用出来ないので画像を送ってもらったら、ベッドの画像だけが送られてきた。中には碧花が居ない。カメラの角度的に、ベッドから出ている。
『病人は安静にしろという言葉を知ってるか?』
『病人はハンセンにしろ?』
『文字でそのボケをするな。誰が病人を日本で一番成功したプロレスラーにしろって言ったんだよ。病人に対して慈悲が無さ過ぎんだろ』
そしてどうして俺もこのボケに乗っかってしまうのか、これが分からない。有名だからだろうが、突然のプロレスラーにはさしもの俺も困惑気味だ。如何せん返信が早いので、弁当が全然底を見せてくれない。俺は『少し食べるのに集中するからまたな』と送ると、間を置かずして『またね』と返ってきた。病人の打てる速度ではないが、本当に風邪を引いたのだろうか。単に俺が考えすぎで、風邪と言っても病状は軽いのかもしれない。
新鮮な気分ではあるが、どこか寂しさを感じる昼食を食べていると、碧花ではない何者かが、屋上の扉を開け放った。ここは滅多に人が来ないから過ごしやすかったのに、碧花が来ないと、聖域も聖域ではなくなるのか。
「あ、先輩。ここに居ましたか!」
部活に入ってもいない俺の事を先輩呼びしてくれる後輩は一人しか居ない。オカルト部所属の怪しい一年生、西辺萌だ。彼女の首からはカメラが提げられており、そこには俺が返したレンズカバーがきちんと嵌められていた。あの後カメラを買い替えていたなんて事があったら微妙に悲しかったが、流石にカメラという事もあって、早々変わったりはしないらしい。
「えっと……萌、でいいのか?」
「あ、はい。そうです。覚えててくれたんですね!」
あんな事があれば誰だって覚えているだろう。人は嫌な記憶が残りやすいものだ。彼女に迷惑を掛けたあの出来事は、俺にとっては嫌な出来事だった。
「で、何か用か? 申し訳ないが、オカルト部への勧誘は勘弁だぞ」
「いえ、そうじゃなくて。先輩に私達の活動を手伝ってもらえないかなって思って」
「……それは、遠回しに勧誘してないか?」
どうせあれだろう。活動中に褒めちぎってその気にさせ、いつの間にか俺をオカルト部に入れてしまおうという算段に違いない。その手の詐欺染みた方法には引っかからないのだ。弁当箱を閉じた俺が身構えるが、萌はキョトンとした表情を浮かべて、「そんなつもりはないんですけど……」と少し困っていた。
「―――まあ、俺も早計だった。勧誘じゃないってんなら話を聞こう」
「有難うございます! 座って良いですか?」
俺は無言で隣を空ける。萌は素早くそこに座って、カメラを持ち上げた。
「実は―――」
「ああちょっと待ってくれ! その…………何だ。敬語、やめてくれないか?」
「へ? でも敬語って年上の人に使うモノですし」
「ああ。それはそうなんだが…………もういいや。邪魔して悪かった。続けてくれ」
これは俺の我儘に過ぎない話だが、部活などと言う物に入っておらず、上下の人間関係に対してさほど経験のない俺は、自分が先輩扱いされる事に微妙な違和感を覚えていた。先輩というのは部活などで精力的に活動している者の事を指すのであり、自分の様に怠惰に生きる者が先輩と呼ばれるなんて、他の先輩方に失礼だ。
とはいえそう思っているのは俺だけだから、直ぐ撤回した訳だが……流石はオカルト部。一度気になった事は追求してくる。
「敬語が嫌なんですか?」
「いや……ああ。うん。そう、だけど。せめてその先輩って呼び方をやめてくれると……助かるというか」
「じゃあ狩也さんはどうですか?」
そういう問題かと言われるとそういう問題だが。何だか余計に敬われている感じが増してしまった。しかし不思議と、先輩と呼ばれるよりは違和感が無かったので、それで首肯する。
出来れば全般的に敬語を止めて欲しかったが、それは幾ら何でも我儘を貫き過ぎである。
「実は、今度。新聞部にオカルト部の活動記録を乗せる事になりまして」
「へえ。次は体育祭だけど、オカルト部に出番はあるのか?」
「いや、文化祭の方です。それで、部員のみんなで話し合った結果が、学校の七不思議を調べようかなって!」
会話していて思い出したが、彼女は幽霊専門の調査員だった。都市伝説の方はフィールドワークになってしまうから、今回は七不思議なのだろう。俺達の住む地域にも少なからずそれがあるので、ここで頷けばその時の縁でなんやかんやまた協力させられてしまいそうである。
面倒を嫌うならば問答無用で断っておくべきだが、頼られて嬉しくないと思える程、俺は乾いていない。体型は俺の好みではないとはかつて述べたが、それはそれとして、後輩という存在は抱えてみると可愛く思えてくる。まだ、断る気にはなれない。
「一つ聞かせてもらって良いか? 七不思議なんてオカルト部だったら皆調べそうなもんだろ。どうしてわざわざ俺に? ていうか、何なら卒業生とか部長の方が調べてるんじゃないのか」
「えっと……確かにそうなんですけど。先輩には言っておきますね。オカルト部にとって学校の七不思議ってのはとても大事な存在なんですよ。一回調べただけじゃ全容が判明しないって言うのもありますけど、夜の学校に忍び込める時ってそうありませんから。だからオカルト部は今までの先輩方も通して、少しずつ、少しずつ七不思議について調査していたんです」
いつの間にか俺の呼び方が『先輩』に戻っていたが、元々俺の我儘を聞いてもらうつもりはない。だから一度撤回したのだ。
しかし七不思議がそこまでオカルト部にとって力を入れる案件だとは思っていなかった。俺の中で七不思議はオカルト部が日常的に調べている事の一つであり、そんな次世代へ引き継ぐ程の謎では無いと思っていた。
ここだけ見ると、何だか部活っぽい気もする。いや、部活なのだが。
「何で学校に忍び込めないんだ?」
「だって、先生達って普段は遅くまで仕事してるじゃないですか。でも明日の夜、先生達が七時には居なくなるらしいんですよ」
「伝聞調? 誰からの情報だよ」
「部長からです」
部長……俺は部長の顔を知らないが、そいつはどうして学校事情を知っているのだろうか。
「準備とかは大丈夫なのか?」
夜の学校に忍び込む事自体は俺もやった事があるから分かるが、必ず事前に準備をしておかないといけない。先生が居なくなるとは言っても、この学校には警備員が居るから、それにも見つからない様な……言い換えれば、目を離している間に施錠されない様な工夫をしなければならない。過去に俺がやった時は警備員の居ない学校だったからともかく、この学校がそこまで時代遅れだとは思っていない。
萌は元気よく笑った。
「はい! 部長がやってくれるそうです!」
行動力の高い部長だ事で。俺は少々感心してしまう。
「……もう一つ聞きたい。俺がどういう存在かは聞いたんだろ? だったらどうして俺を誘うんだ? 下手したら……死ぬぞ」
冗談でも何でもなかった。俺と関わって、現に多くの人々が死んでいる。会って間もない萌を巻き込むなんて俺の本意ではないが、超絶的な不運はそれ故に操作不能。俺にはどうしようもない。高校生にしてはやけに凄味のある言葉に、萌は暫く押し黙っていたが、やがて。
「先輩が居たら、何か変わるかなって」
「は?」
「先輩の異名は知ってます。でもそれって、何かにとり憑かれてるんじゃないかなあって思ったんです。というかむしろ、先輩の異名を知ってるから、私はここまで来たんですよ」
…………そう言う事だったか。
オカルト部的には、七不思議的な怪異には出現してもらいたい。しかし後輩へ後輩へと調査結果をドンドンと引き継いでいる所を見ると、七不思議と直接対峙した、といった体験は無いのだろう。しかし、そこに超絶的な不運もとい何かに取り憑かれているらしい俺が居る事で、それが可能になるのではと、口にはしていないが彼女はそう考えたに違いない。であれば、確かに俺を誘った事も頷ける。
目に見えぬ神秘を追求するだけはあって、度胸はある様だ。
「しかし、待て。新聞記事にするんだろ。バレずに学校に入るのはいいとして、掲載は不味くないか?」
「先輩。オカルト部の発言が全て信用されると思いますか?」
「……思わん」
「だから、創作として受け取ってもらっていいんですよ。それに、場所とかはぼかせばいいんですし」
何て部活動だ。実体験を基にして書くのに、嘘として見られても構わないなんて言えるのはこの部活くらいだろう。多くの部活……まあ高校には無いが、例えば新細胞の開発をしたとして、それを嘘だ出鱈目だと罵られたらその人は憤慨するだろう。実際に嘘ならばともかく、真であった際の疎外感と来たら想像に難くない。
「…………だが、俺とお前の二人だけじゃな」
「え。いつ二人きりって言いましたっけ」
「は?」
質問を切り返されるとは思っても見なかったので、俺は面食らう。直ぐに記憶を思い起こしてみると、確かに彼女の言う通り、二人きりとは一言も言っていない。俺は彼女が幽霊専門の調査員だと思い出したから勝手に二人きりと思い込んでいたが、まず最初に、
『私達の活動を手伝ってくれませんか』
となり、次に、
『部員の皆で話し合った結果、七不思議を―――』
と言っていた時点で、二人きりの筈がない。それに、二人きりだったら部長が協力してくれる意味が分からない。どうして俺は二人きりだと思ったのか。俺は俺の不運と同じくらい、ビビりだというのに。
「すまん。俺の思い込みだった。他のメンバーは?」
「一応、オカルト部全員来る事になってますけど、一人か二人くらいは都合が悪くなるかもって言ってました。来るとしても…………五人ですかね」
そのくらいの数であれば、俺も怖くはない。七不思議と言うと、心霊スポットに足を踏み入れてしまったあの時を思い出してしまうが、今度は七不思議に造詣の深い者達が五人。あんな風にはならない事を願いたい。
「分かった。他でもない後輩の頼みだ。ただ……死なせてしまったら、ごめんな」
過去を想起した俺は、萌から見れば悲痛そうに見えたのかもしれない。彼女は小刻みに震える俺の手を握って、微笑んだ。
「その時はその時ですから、気にしないでください」
三日以内です。でも多分翌日です。