何もかも元通り?
CASE2 終章
あの電話以降、彼女から連絡が来る事は無かった。心の何処かで性質の悪いドッキリだと思っていた自分が居たが、そんな幻想は粉々に打ち砕かれた。彼女が居なくなった事はドッキリでも何でもない、純然たる事実だった。
翌日。俺が学校に行くと、玄関前の掲示板には『調査結果』と書かれた紙が貼り出されていた。間もなくそれは教師の手によって回収されたが、彼女が来る事を願って朝早くに登校していた俺は、運悪くその内容を知る事が出来た。
……運が悪いと言ったのは、どんな気持ちを持てばいいのか分からなかったから。
そこには灯李を対象にした調査結果が書かれており、どうして彼女が自分にラブレターを送ってきたのかも、その結果から容易に想像する事が出来た。
彼女は所謂美人局であり、かつて俺に元カレと語られたたーくんが、彼女の協力者だったそうな。彼女は女っ気の無さそうな人物ばかりを狙って親しくなり、頃合いを見計らってたーくんが登場。暴行、脅迫などの手段を用いて金を巻き上げてしまうらしい。そして、その様子を見た彼女が対象者に失望という形でフッて、また次の対象へ。
そんな行動を続けて通報されなかった事を不思議に思うが、被害者の気持ちを考えれば少しは理解出来る。美人局に引っかかったと分かった時の惨めさは、他の人には想像しがたいものがあるのだろう。人に言えれば苦労はしないのだ。
自分の受けた痛みを簡単に人へ伝えられたら、イジメ問題だって全てとは言わずとも中々の数は早々に解決している筈である。問題が無くならないのは当事者が抱え込んでしまうからだが、それは抱え込んでしまうのではなく、抱え込む事しか出来ないと言った方が正しいだろう。だからイジメなどは、第三者……親や担任教師などが気付く事が重要であると。
それと同じで、狙われた人間は己の情けなさから通報しようとはしなかったのだろう。そうに違いない。或いは今まで付き合ってきた彼女を信じて、仕返しを決意する事が出来なかったのかもしれない。現に自分も、彼女を性悪とは思っていなかった。彼女には性悪と思わせない不思議な魅力があった。
或いは自分は何も悪くないのに、警察に頼ればまるで自分が悪い事をしている様な気分にでもなったのだろうか。気が弱い人間ならばよくある事だ。例えば学校で友達の校則違反を目撃して、それを先生に告げれば『チクり』になる。それと同じで、警察を呼べば彼女を悲しませる事になる……と、交際経験皆無の男性であればそう考えてもおかしくない。傍観者にしてみれば『自分が被害に遭っているのだからやれよ』という話だが。
そして肝心のたーくんだが、実は既に死んでいた。気づくのが遅すぎたが、面識がないので仕方がない。あれだ。遊園地付近で死んでいた男の事だ。調査書によると、その人物こそがたーくんらしい。調査書にはそう書いてあった。
となると、自分がどうして金を巻き上げられなかったのか。そして彼女が急に一緒に帰ろうと言い出したのか。何となく納得がいくような気がする。自分が金を巻き上げられなかったのは、その時にはたーくんが既に死んでいたからであり、彼女が一緒に帰ろうと言い出したのは、たーくんという拠り所を失ったので、新たな拠り所を得ようとしたのだろう。碧花が見せてきた映像は、俺以外にも当てがあったと考えれば納得出来る。しかしそう言う意味で言えば、俺は当たりでもあり外れでもある。
俺の超絶的な不運が意図的に操作できるのならこの限りではないが、生憎と操作も出来なければ無作為だ。拠り所にしようとすれば巻き込まれる。それが首狩り族こと首藤狩也の異名だ。
唯一お互いに救いがあるとすれば、今回彼女が死亡した件に何も関わっていないという事か。彼女はあの建設途中のビルの中で死んでいたらしい。落下した鉄骨に上半身を潰されて即死したそうだ。その事故については俺が翌日の朝を迎える頃には既に何回も報道されており、何でも『とある部分が異常に脆く、そこのバランスを崩すと一部が崩落してしまう恐れがあった』とか何とか。一時中止だった建設は、これによって永久的に中止。あそこは更地になるそうだ。当然警察も集まり、俺は碧花の予想通り事情聴取を受けた。灯李の交友関係を洗い出した際に俺が出てきたのだろう。幾らか聞かれて、それで終わった。
聞かれた当初は拍子抜けしてしまったが、あの時点で警察は彼女が美人局的な行為をやっていた事をしっていたのかもしれない。だから俺が何を答えても、顧客に見せる彼女の顔が明瞭になるばかりで、得るものがなかったのだろう。
彼女の助けを求める声を無視した事は、言っていない。
俺が家に帰った後、碧花から『聞かれてもいない事を漏らすと色々と面倒になるよ』と言われていたから、その通りにしたのだ。結果として、従って良かった。彼女が何も情報をくれない以上は助けようがなかったし、あの時の自分は直前に訳も分からず泣かれた事で彼女の涙とやらに不信感を抱いていた。言い換えれば、彼女の真を見抜けない状態にあった。
そういう事情があったにせよ、助けを求める声を切り捨てたのだ。警察に言えば、心象は悪かったに違いない。しかしこういう行動は、携帯の通話記録を調べれば直ぐにバレてしまうだろう。
不思議なのはここからだ。
この事件の死者は二人。一人は俺が知る筈もない男性で、一度白タク行為で検挙された経歴がある男性だ。もう一人は灯李。一体どういう共通点があったのか分からない。警察の調べでは、二人に共通点は見当たらないそうなので、尚の事よく分からない(ニュースだから隠されている可能性はあるが)。更には、二人が持っているであろう携帯が、未だに行方不明なのだそうだ。俺は一応電話を掛けてみたが、電源が切られているらしく、何処にあるかは判然としなかった。
それと、構造的欠陥は意図的に突かなければああいう風にはならないらしく、しかしながら誰かが意図的に何かをした痕跡はないらしい。これはネットに書かれていたので真偽は分からない。ただ、手掛かりになるのなら既に犯人が捕まっていてもおかしくはないので、痕跡の有無はともかく、捜査に進展をもたらさなかったのは事実だ。
これまでの発言を要約すると、『事故にしては不自然だが、殺人とするにはあまりに手掛かりが少ない』という事。俺の不運とは全く関係のない事件が始まって、終わった。俺は格好の得物として彼女に見られていた訳だが、妙に心が痛む。やはりあの時、見捨ててしまったからだろうか。
―――いいや。
彼女は何も情報をくれなかった。もしかしたらあげられなかったのかもしれないが、であれば俺が超能力を持っていない限り彼女を助け出す事など出来なかった。とはいえ、俺が建設途中のビルにビビらず横で電話を聞いていたら……彼女の叫ぶ声が、微妙に聞こえたかもしれない。そう考えると、やはり俺は見捨てたとも言える。心が痛んだ。狙われていたのは確かだが、俺は結局一円も巻き上げられていない。だからだろうか、この傍観者が抱くような憐れみは。
というか、今回に限って俺の不幸は作用していない筈……強いて発動したなら天奈に発動しているが……なのに、どうしてこんなに心が痛むのだろうか。やはり、人が死ぬからだろうか。中学の時にもあった事だが、あの時は精神病院に搬送されたり、不登校になってしまったりと、言っては悪いが、死ぬよりはマシな不運だった。しかし俺の年齢が上がると共に不運まで威力が上がってしまったらしい。最早これは呪いとも言うべき代物になっていた。
「君は一々考えすぎなんだよ。今回のビル倒壊に君は何も関わっていない。妹が誘拐されかけただけの事だ。それも外傷なく帰ってきたし、これ以上何を望むというんだい?」
彼女との集合場所である屋上で、俺はまたも彼女に呆れられていた。こんな事が起きているにも拘らず、やはり彼女は俺の隣に居る。神経が図太いとかそういうレベルじゃない。ここまで来るとまるで犯人の様な精神力だ。
「だって……狙われていたとはいえ、俺はアイツを助けられる立場にあった訳だし。助けられたらって考えるのは普通だろ?」
「それが考えすぎだって言うんだ。私だって何も出来なかったのに、君に一体何が出来る。仮にあそこへ踏み込んだら、君も一緒に死んでいたかもしれない。或いは足跡が見つかって、容疑者として面倒な日々を過ごす事になったかもしれない。あれ以上の最善は無かった。君が彼女から一歩も離れなければ……って所だけど、カモにいつまでも付き纏われちゃ相手もやり辛いだろうからね。やはりああなったとは思うよ」
「そりゃ……そうかもしれないけど」
「君はヒーローじゃない。その時確実に救える命が無事だったならそれで妥協しておくべきだ。何せ、我々には特別な力など無いのだからね」
関わっていないからだろうが、ここまで冷静に彼女の死を分析出来ると、いっそ羨ましく思えてくる。彼女の図太さが俺にもあれば、こうも心を揺れ動かされる事は無いのだが。
ベンチに放り出された俺の手を、碧花が重ねる様に取った。彼女の体温が伝わって、ドキリとする。振り向くと、思った以上に顔が近かった。
「それにね。実行犯と思わしき男が死んで、攫われた彼女も死んだ。それが事件だ。君は何も事件を起こさなかったし、君の周りで何も事件は起きなかったんだよ。確かに、君は彼女に餌として見られていた。けれどそれだけだ。彼女が捕まっていた時、君は全く別の事に関与していた。何も心を痛める必要はない。然るべき罰が下ったと考えた方が気が楽だよ。君は人を呪わば穴二つという諺を知っているかな?」
「呪ったら、呪い返しで呪った人も死ぬから穴が二つ必要って意味じゃないのか?」
「……諺を文面通りに解釈する人を初めて見たよ。人を陥れようとすれば自分にも悪い事が起こるという意味だ。お金を巻き上げた程度で死ぬのかって話だけど、彼女は何もこれが初めての犯行じゃない。塵も積もれば山となる、天秤は遂に釣り合った訳だ」
「―――難しいな」
「そう思ってるのは君だけさ」
お互いに見つめ合って、微笑する。今の俺が出せる精一杯のボケに反応してくれた事が嬉しかった。俺は携帯を開き、彼女とのチャットグループを削除する。記憶喪失とはいえ生存している彼女とは違い、死人から言葉が掛けられる事はない。見る度心を痛めるのも嫌だったので、俺としてはケジメのつもりだった。
この件についてはもう考えない。考えるだけ、俺が苦しむだけだから。
一連の様子を、碧花は嬉しそうに眺めていた。
「何だよ」
「いや、何。いつまでも引きずっているんじゃないかと心配していたんだ。心の中で決着をつけてくれたみたいでホッとしたんだよ」
「心配してくれたのか?」
「友人が勝手に追い詰められているのを見たら誰だって心配するよ。私だって鬼じゃないからね」
少しだけ心の余裕が生まれた俺は、改めて今の状況を把握して、手を引っ込める。碧花の手とこれ以上密着していたら俺は手を洗えない。その行動だけだと不審に思われると考えた俺は、ベンチに座り直した。手はまた触れても困るので、後頭部の枕にする形で組んでおく。
「そういえば、妹さんとはあれからどうなんだい?」
「え、ああ―――」
そういえば、その事を忘れていた。あの一件以降、俺達の仲は以前よりかは良好になっていた。と言っても、朝ごはんを作ってくれるか否かの違いしかないのだが、それ以外にも、心なしか彼女の表情が柔らかくなった気がする。俺の中では、完璧だと思われていた妹のイメージが若干崩れつつあるが、それはそれで愛嬌があるので、特に気にしていない。相変わらず口は悪いが、その口の悪さも俺の中では日常の一つだった。少なくとも、目覚めた直後みたいに泣き出されるよりは随分マシだと言える。
碧花は屋上の縁に腕を置いて、眼下に広がる校庭を眺める。今は昼休みで、校庭の方ではサッカーをして遊んでいる男子の姿が見られる。
「皮肉な話だね」
「何が?」
「君とくっつくつもりの無かった彼女が居なくなった事で、君と妹がくっついたんだ。皮肉と言わず何と言う」
「おい、それだとまるで俺と妹が恋仲になったみたいじゃねえか!」
「愛らしい妹さんじゃないか。君的にも満更じゃないんだろう」
「そんな訳あるか! 大体、そんな妹大好き人間が『彼女欲しいなああああああ!』って叫んでるってどういう事だよ! 妹が好きなら妹に告白すれば良いだけの話じゃねえか!」
「お兄ちゃん、キモイ」
「勝手に妹の代理をするな! まあ確かにそう言われるだろうけど……」
こうして彼女とふざけ合っていると、不思議と元気が出てきた。突然妹キャラを演じてきたのには驚いたが、それも全ては自分を元気づける為と考えると、不思議と彼女のボケにも対応したくなる。
「実際、どうなのかな。 妹さんは君の好みかい?」
「恋愛対象じゃない奴から恋愛対象について語るのは無理がありすぎないかッ?」
「そんな事は無いよ。妹一人楽しませられないで、他人とのデートを成功させるなんて出来ないと私は思うんだけどね」
碧花の発言には何かと納得出来る事が多いので、それがむしろ俺的には腹が立った。気心の知れた妹を楽しませられないのでは、気を遣う必要のある他人を楽しませる事は出来ない。確かにその通りだ。今度、妹をデートに誘ってみようか。
言い方があれだが、要は出かけてみようというだけである。
「なあ碧花。女性と一緒に行くといい場所知らないか?」
「…………また、か。君も懲りないね」
「ちげえよ! お前の発言に倣って、妹と出かけてみようかなって思っただけだ。大体、ラブレターでも来ない限り俺が異性とデートをする…………なん…………て」
俺の言葉に勢いが無くなったのは、碧花が制服の内側に隠し持っていた手紙をまじまじと眺めて、その正体を知ったからだ。開封箇所がハートのシールで留められており、それはこれでもかと言わんばかりに、己の正体を俺に示していた。
「…………だ、誰かからまた送られてきたのか?」
何も言ってくれないので、俺は彼女からそれを受け取り、開封。中にあった幾つものチケットを見て言葉を失った。日付は丁度、今週の土曜日に合わせられている。
「こ、これは……」
「私からのラブレターとでも言えばいいかな。そこに行けば間違いないと思うよ。まあ……多くの場所は君へのメンタルケアも兼ねているんだけど。笑うと癌が治るって言うだろう? 君の心の癌を取り除く為のものだったんだが、それを使って行ってきなよ」
「いいのか!?」
「プレゼントだ。特に後ろのチケットは高かったよ。臨時収入が無かったら買えなかったくらいだから、ちゃんと楽しんできてくれ―――」
粋な笑顔を浮かべる碧花に、感極まった俺は、理性の抑止力も空しく彼女を力強く抱きしめた。
「よッ…………!?」
制服越しに彼女の肌が沈む。制服に皺が出来るのも構わない位、俺は彼女を力の限り抱擁した。それから間もなく理性による抑止力が働き、俺が気付いた頃には、彼女の豊満な胸が俺の胸筋に挟まれて形を変えていた。それくらいに身体を密着させていた。
俺は本能を殴り倒し、理性だけの力で彼女から飛び退いた。碧花はベンチに腰かけたまま、ぱちぱちと何度も現実を確認する様に目を瞬かせている。
俺はその場で、これ以上ないくらいに綺麗な土下座をした。
「あ……ああ…………ああすまん! マジですまん! こんな事をするつもりじゃ……その……本当にごめん!」
「……………い、いいよ。気にしないでくれ。それより、もうじき昼休みも終わるだろう。君達のクラスは、移動教室だった筈だ。そろそろ行った方がいいんじゃないのかい?」
「あ、そうだった! じゃあ俺行くけど……えっと、ごめん!」
俺は自身の弁当を手に取って、素早く階段を下りていく。手が触れる処か全身が触れてしまった。きっと碧花は心の中で怒っているだろうし、早く行かなければ教室が施錠されてしまう。途中からは三段飛ばしに階段を下りて行った。
彼の感触を全身で感じ取る様に、私は自分自身を抱きしめた。彼の方から仕掛けてくるとは思わなかったから、本当に驚いてしまったよ。
―――彼にさえ関わらなければ、私は見逃したんだけどね。
暇潰しに調査していた事がここで活きる事になるとは、人生何が布石になるか分からないものである。
それにしても……
「……力、強すぎなんだよ君」
このままだと私の方が授業に間に合わない。間に合わせたいなら今から階段を下りれば良い話だけど、それは叶わない。
腰が抜けてしまって、動きようがないんだから。
他の作品更新するので。はい。どうせまたやるけど、暫くは待たせます。