最初で最後の名推理
日常系ラブコメやし……前回よりホラー感無くても文句は言わんといてください。
兄としての意地か、俺は何としても妹を取り戻さなければならないと思っていた。行方不明ともなれば警察に任せただろうが、碧花が見掛けたという事は、まだ自分の手が届く範囲に居るのである。ならば俺が取り戻す。いや、取り戻さなければならない。仮に碧花が嘘を吐いていたとしても、俺は行かない訳には行かなかった。
これがドッキリだったとしても、俺は怒らない。妹が無事ならばそれでもいい。妹が無事なら俺が笑い者になっても別に構わない。どうして消えたのかは分からないが、俺の超絶的な不運がいよいよ妹にも作用してしまったと考えれば納得がいく。死人が出たのだ。攫われたって不思議ではない。
それにしても公園とは一体何処なのだろうか。それに気づいた俺は、一度呼吸を整えて碧花に電話を掛ける。
「碧花!」
「君のお気に入りの公園だ。早く来てくれ」
「分かった!」
素早く電話を切って、俺は走り出す。自転車に乗らなかったのは悪手か、いや、今の俺は自分でも不思議なくらい素早く走れていた。体感速度で言えば自転車に匹敵する。これが火事場の馬鹿力というのかもしれないが、いつ切れるかも分からない力に甘えていてはいけない。一秒でも早く辿り着かなければ、何もかも手遅れに…………
―――天奈!
口も悪いし態度も悪いが、自分にとってはかけがえのない妹だ。目の前で人が誘拐されたにも拘らず、先程の電話と比べると碧花は随分落ち着いている様に聞こえたが、気にする様な事じゃない。あの公園に行くには建設中止となったビルの横を通り過ぎなければいけないが、妹の為ならばそれくらいのリスクは侵そう。
疾風の如き速度で駆ける足を鈍らせたのは、またも着信だった。碧花からの報告かと思って携帯を見たが、今度は灯李だった。先程まではこういう連絡を欲していたが、今はそれ処じゃない。鳴り響く携帯をポケットに捻じ込んで、再び最高速まで速度を上げる。後もう十分もすれば、彼女が教えてくれた公園まで辿り着けるだろう。
着信は暫くすると止んだが、間髪入れずに再び掛かってきた。携帯をもう一度手に取るが、掛けてきたのはまたしても灯李。ビルの横を呑気に歩くのは幾ら何でも無謀なので、ビルを視界の奥に収めた辺りで停止して、俺は電話に出た。
「もしも―――」
「助けて狩也君! 私捕まっちゃったの!」
…………冗談にしては性質の悪い内容だった。現に今、本当に妹が連れ攫われているというのに、一体何だってこんな電話をよこしたのか。
「ねえお願い! 狩也君、私の事好きでしょ? ね、お願い。愛を証明して…………私を助けてよお……」
と思っていたが、最後のすすり泣きにも似た声はとても演技で出せる様なものではない。俺は冗談ではない事を信じて、話を聞く事にした。
「……誰に捕まったんだ?」
「分からない! 変な人が来て、私を建物の中に連れ去ったの!」
「要求は?」
「分からない! でも助けを呼んでいいって。助けが来たら解放してやるって! ねえお願い、助けて! もし助けてくれたら、恋人になってあげるから!」
俺は脳をフル回転させて、彼女の発言に不自然な個所がないかを探す。不自然と言えば、誘拐犯らしい人物の行動原理が不自然だが。
これは語るまでもない事だが、人を攫っておいて助けが来たら解放してやるなどという馬鹿は居ない。誘拐とは主に人質を取る為に使われる手段であり、そんな人を恐怖させる為だけの目的で使われる手法ではない。しかし彼女は、どうやらその居ないと思われていた誘拐犯に攫われたらしい。
不自然なのはそれだけじゃない。
「…………何処の建物だ」
「分からない! 分からないの! とにかく来てよお!」
警察に連絡しない事には、この際目を瞑ろう。仮に誘拐犯がそんな要求を仕掛けたとしても、流石に警察は呼ばせない筈だ。近しい人物と限定していたっておかしくない。
―――いや。
もしかすると、犯人は性質の悪い奴なのかもしれない。先程から分からないと彼女が連呼する限り、俺も、俺以外の誰かも彼女を助けに向かう事など出来ない。そうなる事を知っていて、敢えてそんな事を言ったとすれば? 攫われた人物……この場合の灯李は、見せかけの希望に縋りつくだろう。それを眺めて愉しんでいるのだとしたら?
「…………悪い。俺には無理だ。他の誰かを呼んでくれ」
「え…………?」
それは彼女にとって、死刑宣告にも等しい裏切りの言葉だった。勿論、それなりの理由があっての発言だ。誘拐犯に加担して愉悦しようと思った訳ではない。
「何の因果か知らないが、俺の妹も今誘拐されてる。情報がハッキリしないお前より、俺は目撃者の居るあっちに行く」
「な、何でよ…………何で私を見捨てるの! ねえ、ねえってば! そんな女どうでも良いでしょ? 私が好きなんでしょ? だったら―――」
「女とかじゃない、妹は家族だ! ………悪い」
「いや、ねえ。ちょっと、切らないで! ねえ―――」
俺は通話終了のボタンを押して、公園に向かって走り出した。口ではああ言ったが、俺にも良心がある。まるで目の前で彼女を見捨てたみたいで、心の奥が荒縄で縛り付けられた様に苦しかった。
「やあ。待ってたよ」
公園のベンチには、怠そうに前傾姿勢を取る碧花が居た。
「碧花! …………って。それは…………」
「御覧の通り。君の妹だ」
彼女はいつもと変わらぬ澄まし顔でそう言い放つ。俺はようやく二度目の電話で彼女が落ち着いていた訳を知った。その訳とは他でもない、碧花がどうにかして彼女を助け出したからである。天奈はエプロン姿のまま、公園のベンチで眠っていた。ベンチの足元には彼女の全身を縛り付けていたと思われる荒縄が落ちていた。
その事を知った瞬間、俺の足からフッと力が抜けた。足元は土だが、膝が汚れようと立ち上がる気力がないのでは仕方がない。
「どうやって……助けたんだ?」
「あれは幸運だったね。君に電話を掛けた後、私は気付かれない様に追ってたんだけど、犯人と思わしき男はあの…………建設途中で中止になったあそこに入っていったんだ。もう一人、誰か連れているみたいだった。君の妹は奇跡的に後回しにされたから、その隙に私が助け出して、ここまで運び込んできたという訳さ」
それが本当なら確かに奇跡だ。いや、実際に本当か。それを証明する為の材料として、家から居なくなった妹がここに居る。それが何よりの証拠である。
「…………良く運べたな。幾ら近いっつっても、人一人運ぶんだぞ?」
「火事場の馬鹿力って奴かな、フフ。これでも、私は君の妹を気に入っているんだよ? 私は大切なモノを大事にする主義だ。これくらい…………なんて事……ふう」
「疲れてるのか?」
「―――少しね」
いつも通り落ち着いているから大したことは無さそうだと思っていたのだが、良く見てみると彼女は肩で息をしていた。怠そうに前傾姿勢を取っているのも、筋肉の疲労に堪えかねているからだろう。あのビルはここの公園を一目で見渡せるが、現在の時間帯は夜であるし、碧花の座るベンチは木々で視線が微妙に切られている(俺が公園に入るまで碧花に気付かなかった事からも分かるだろう)。目を凝らせば見えるだろうが、誘拐犯と呼ばれる者達がそんな事をするとは思えない。そんな事をして人目に付けば、最悪警察に通報される恐れだってあるのだ。流石にハイリスクだろう。
ようやく立てる様になった俺は、渾身の力を振り絞って碧花の隣まで接近する。ベンチを空けてもらうと、屋上でくつろいでいた光景を想起した。
「警察にはもう連絡したのか?」
「当然だろう。幾ら私でも誘拐犯相手に立ち向かう気にはなれないよ。『立ち入り禁止の場所に誰かを縛って連れ込んだ男達が居ます』って通報した。多分、もう少ししたら来るんじゃないかな?」
遠くを見遣る碧花に倣い、俺もぼんやりと虚空を見つめる。今の所、サイレンの僅かな音すらも拾えていない。本当に通報したのか疑わしくなるくらい、静寂に満ちていた。
「さて、と。君は妹さんを連れて帰りなよ。私は通報者として色々言わなきゃいけなさそうだから、残念ながらついていけないんだ」
「…………それ、俺も居た方がいいんじゃないのか? 正確には天奈だけど。だって、一回攫われてる訳だし」
「一理ある。けど、今は意識を回復させるのが先だ。どうせ私が色々喋るんだから、ここに残ろうが残るまいが関係ないと思うけどね。違いがあるとすればここで警察と話すか、それとも警察が家に来るか。それくらいかな」
「割と違うじゃねえか!」
「実質的には変わらない。変わるのは世間様の評価くらいさ。まあどうしても残したいというのなら止めはしないけど。君は本当に関係ないから帰るべきだと思うよ。どうする?」
選択肢など無い。俺には帰る道以外の選択肢が無かった。今更気付いたが、夜という事もあって風がとても寒い。部屋着の妹を放置するには、悪条件の天候と言えるだろう。これでは事件とは全く別に風邪を引きかねない。
俺は妹を抱き上げて、一度位置を調整し直した。重い。だが、落とすつもりはない。
「じゃあ、後の事は頼んだからな」
「ああ、それじゃあね」
碧花に背を向けながら、俺はゆっくりと自宅へ向けて歩き出した。何気なく背後を向くと、碧花が手だけを振って俺達を見送っていた。
「……………まあ、何もかも無かった事にするのが、一番いいんだけどね」
三日以内ではない。どうせ明日も更新するんだ。