平日前の休日程怠いものはない。
これはほのぼのなんだって、信じてくれよお!
僕はキラじゃない!
翌日。碧花の勧めもあって、日曜の俺はひたすらに惰眠を貪るだけの男になった。寝ぼけ眼に時計を見遣ると、時刻は朝の十時。まだ俺は寝間着から着替えていないが、着替える気は毛頭ない。誰かに会う訳でもないし、幾ら灯李と言えどもまた電話を掛けてくる事は無い筈だ。幾ら無尽蔵の体力を持っていると言っても、彼女にだって休息が必要だろう。掛けてくる事があるとすれば碧花くらいだが、彼女も彼女で予定がある筈。前日にあんな事を言ってきたくらいだから、何か干渉してくるという事は無いと思う。
まだベッドで蕩けていても良いが、流石にこれ以上の怠惰は妹に何か言われそうなので、起き上がって部屋を出る。寝癖もそうだが、何もかもが整えられる前なので、俺の姿は中々どうして酷い事になっている。
「うわ。朝から汚いモン見た」
「ひでえ言い草だぜ妹よ。お前には兄を労ろうという気持ちは無いのかね?」
「お兄ちゃんを労うって……何それ。新しい拷問?」
階段ですれ違った妹は、俺の寝起きを見るなり、気付け薬にしては強すぎる毒を吐いてきた。
彼女の名は首藤天奈。こう言っては何だが本当に俺の妹か疑うくらい可愛い。だがそれ以上に口が悪く態度も悪いので、俺は別にシスコンとかではない。やはりどんな美人でも、口が悪いのは勘弁だ。
それでも普通の妹くらいには愛しているが、今の所あちらからは嫌悪ばかり向けられている。
「兄貴を労う事が拷問ってどういう事だよ! 相手に何の苦しみを与えるんだよ!」
「視覚的不快以外に何があるっての。早くその顔、どうにかしてきてよ。見てられないんだけど」
「今行く所なのに無茶言うなッ」
俺は階段の端に寄って妹とすれ違い、洗面所へ。顔を洗って髪を整える。鏡の反射から見る限りでは、良い男とは言わないまでも、気持ち悪いと言われる程に醜悪にはなっていない。リビングの方へ足を運ぶが、俺に朝食が用意されている道理は無かった。仕方がないので、冷蔵庫を漁り、朝食になり得そうな食材を探す。料理のレシピが掲載された本などは多数所持しているが、肝心のスキルを持ち合わせていない。持っているのは妹だけだ。
……一応、彼女の為にも弁護しておく。意地悪されている訳ではない。俺が悪いのだ。とある日に一度だけ、俺が焦げた卵焼きについて口を出したら彼女を怒らせてしまって、それから作ってくれなくなったというだけの話だ。直ぐに謝ったが、俺如きの謝罪には十円の価値も無いらしく、今の状態が続いている。
ここまで聞けば分かる通り、悪いのは料理を作ってもらう側にありながら文句を言った俺の方だ。なので俺もこればかりは当然の報いとして受け入れている。幸い、冷蔵庫には適当に温めるだけでも主食と成り得る様なものがあるので、餓死する事もない。
電子レンジでハムを温める。シスコンという程でもないが、やはり家族は家族。ある程度はコミュニケーションを取りたいのに、一体いつまでこの微妙な距離は続くのだろうか。ゲームに誘っても応じてくれないし……俺はご飯と共にハムを頬張りながら、溜息を吐いた。
家族団欒の言葉がある通り、食事とは家族で囲んでこそ真の美味しさを発揮する。今の食事は、確かに美味しいが、何処か味気なかった。食事を続けていると、二階から降りてきた天奈がリビングに入ってくる。
「まるで改善されてない!」
「ブフッ! 顔を洗って顔面が切り替わったら苦労しねえんだよ!」
それは顔を洗うというより、顔面を洗い落とすというのだが。
「まだ食べてるの? 早くしてよ。ちょっと台所使いたいんだよね」
「勝手に使えばいいじゃないか。別に俺は調理しながら朝食摂ってる訳じゃねえよ」
「お兄ちゃんに見られたくないんだよ! ほら、さっさと食べて!」
こんな感じで、割と邪険に扱われててお兄ちゃんは悲しいです。それでも嫌いきれないのは彼女が妹だからであり、今はこんなんだが、昔は『お兄ちゃんのお嫁さんになる~』などと可愛い事を言っていた様な…………気がしなくもないからだ。昔過ぎて記憶が捏造されている恐れがあるので言い切れない。
俺は食事を終えると早々に立ち上がって、二階に戻っていった。元より今日は妹と交流するつもりはない。何も扱いが変わっていないのは悲しいが、俺は休む。今日はその為に日曜日を使う。昨日のデートは、想像以上に俺の身体に疲労として蓄積されていたのだから。
「……あー」
何となしにベッドへ倒れてみる。する事が無い。休むだけと口で言うのは簡単だが、具体的に何をすればいい?
寝る? いいや、起きたばかりで流石に眠れる気がしない。
ゲームをする? かえって疲れる。
テレビを見る? それは良い案かもしれない。
俺はテレビをつけた。と言っても、朝から昼のテレビはつまらない。ニュースか食べ歩きか、再放送のバラエティか。俺は適当にチャンネルを回しながら、興味を引いてくれそうなチャンネルを探す。
『○○会社の新規ビルが、建設途中に事故多発。建設は一時中止。原因は構造自体にある致命的な欠陥が原因か』
特に興味はなかったが、全く無関係という訳でもない。少し自転車を使えば行ける範囲での話だ。あの近くにはお気に入りの公園があるのだが、暫くは近寄らない方が良いかもしれない。生憎、俺はビルの横を通り過ぎるルートしか知らない。
『再放送! 日本の良い所発見バラエティー!!」
興味がない。
『女性に性的暴行を加えたとして男が逮捕。調べに対し男は覚えがないと供述しており……』
覚えがあるという奴が果たして存在するのだろうか。犯罪者は犯罪が悪である事を自覚しているので、大体の言い分はそんな感じだろう。開き直っている奴が居たら一周回って敬意すら表したい。
その後も回したが、株価だとか犬が行方不明だとか。俺が関わりそうな範囲外の事ばかりニュースになっていて、あまり面白くない。別に関わりたい訳じゃないが、近所だったら興味くらいは持てただろう。
暇になったので、俺は何となくベランダに出た。家の外を見下ろすと、家の前……厳密には玄関を出てすぐ横のT字路に、車が止められていた。見覚えのない車だ。男が扉に寄りかかりながら誰かと話している。誰かは壁が死角となっていて頭頂部すら見えない。
―――不審者か?
しかし、覗きという訳でもなさそうだ。暫くその様子を見ていたが、男は自分達の家に一瞥もくれる事無く車を走らせて何処かへ行った。不審者と思った事は心の中で詫びておく。きっと何らかのトラブルがあって、動けなかっただけだ。例えば道に迷っていて、たまたまそこを歩いていた人に道を尋ねていたとか。そういう事なら納得がいく。
部屋に戻って、再びベッドに倒れ込んだ。今度は背中の方で振動を感じ、何事かと携帯を開いてみる。碧花からメッセージが届いていた。
『まだ眠っているのかい?』
どうしてこうも的確にメッセージを送れるのかが不思議で仕方ないが、偶然だろう。俺は素早く指を滑らせて返信する。
『眠りたいが、眠れん』
『朝食は?』
『摂った。後はどうすればいいか分かってない』
自分でも実に馬鹿らしい事を書いているとは思ったが、実際にそうなのだから仕方ない。休もうと思ってそのまま休めれば苦労はないのである。碧花に言っても事態が解決するとは思えなかったが。
あんまりにも暇なのでゲームでもして退屈を紛らわそうかと考え始めた頃、一階の方で、妹の叫び声が聞こえた。
「キャアッ!」
聞いたことも無い声に、俺は部屋を飛び出した。階段を飛び越して、戦隊ヒーローの如く颯爽と妹の下へと駆け寄る。彼女は玄関の方を見て、完全に固まっていた。
「あ、あの…………誰、ですか」
「何度も言っているだろう。君のお兄さんのご学友だと」
俺の姿を認識した碧花は、澄まし顔で手を挙げた。
「やあ」
何で俺の家を訪ねてきたかを尋ねた所、『退屈と休息は全く違うだろうから』という分かるようでさっぱり分からない理由を返された。事実として退屈していたので、唯一の友人である彼女が来てくれたのは有難かったが、割と真面目に言っている意味が分からない。
だかそれよりも、訳が分かっていなかったのは天奈の方だった。
「ほほほほほほほほほほほほほほほ本当に兄貴の友達ですか?」
「そうだよ。君のお兄さんとは時機が合えば良く行動を共にしている。こうして会うのは初めてかもしれないけど、君の事はお兄さんから聞いているよ」
「え、何て?」
「それは私から言うべき事じゃないだろうから、本人に聞いて欲しいな」
妹が驚くのも無理はない事だった。碧花が俺の家を訪れたのはこれが初めての事ではないが、大抵は何かしらの理由があって妹が外出していた時だ。一度途中で妹が帰ってきたが、上手いことすれ違ったせいで碧花とは出会っていない。靴を見れば女性か男性かくらいは分かりそうなものだが、日常的に靴を見る様な妹ではない。
とはいえ、妹の目線は同性がやってしまってよいものか怪しい。足から舐める様に視線が上がり、腰の締まり具合に一度停止。続いて胸の大きさに停止。最後にその顔の綺麗さに停止。それから何故か、俺の方を見た。
「お兄ちゃん。もしかして、お友達料とか払ってる?」
「いじめられっ子じゃねえんだぞッ!?」
「え、だって…………え? 嘘…………あの、失礼ですけど、どうしてウチの愚兄と」
「色んな言い方してくれるなお前! 微妙に腹が立つぞおい!」
「中々ユニークな妹さんだね」
この状況でも碧花は一切取り乱さない。取り乱す筈がない。自分が関わっていても殆ど動じない様な彼女が、関わっていない事に動じるなんておかしな話である。
「まあ、色々とね。人間、どんな出会いがあるかは分からないものさ。それじゃあ狩也君。君の部屋に案内してくれるかな」
「え。でもお前、今日が初めてって訳じゃないだろ」
「だからって勝手に上がるのもどうかと思うよ。私は礼儀知らずにはなりたくない。最低限の礼儀くらいは守らないとね」
「まあ……そうか。じゃあついてこいよ。俺も暇してたし、なんかして遊ぼうぜ」
俺は妹を横目に、碧花を連れて俺の部屋に。男女が二人きりという状況が見事に完成しているが、何かあったのならこれまでに何かあっただろう。それが無い時点で、何度それが完成しようが何も起こらない。
「偶然だと思うけどさ、何かお前の登場って都合良すぎるような」
「へえ? 私は都合が良い女って事かい?」
「べ、別にそんなつもりで言ってねえよ! そ、そうだ。何して遊ぶ? 出来れば頭を使わないで暇を潰せるもんがいいんだけど」
俺はベッドに座り込んだが、ここである事に気付き、碧花と席を代わってもらった。だが、ベッドに座ろうが地べたに座ろうが、結果は変わらなかった。
首元のゆったりした私服を着ているせいで、目のやり場に困る。スカートだったら下も見れなかったが、ショートパンツだ。だがそれが、彼女の太腿の引き締まった肉付きを強調しているみたいで、目に毒である。
普段は察しが良い筈の彼女も、自分の格好が俺にとってどれだけ刺激的なのかを理解していない様だった。
「パズルとかどうだい?」
「思っきし頭使ってるじゃねえか! あー金比羅でもやるか?」
「この部屋に船々する程の雅さは無いと思うけどね……なら、神経衰弱でもしようか。トランプは確かこの部屋にあるよね?」
「ああ、それなら確かに……じゃ、それするか」
俺は気だるげに立ち上がり、引き出しに手を掛ける。何となしに扉の方へ目を向けると、扉を僅かに開けて、天奈が覗いていた。
三日以内です。




