幾年の経験は真贋を見抜く
パソコンがふりーずしたから もう駄目かと思った。
孤独という状態は人から正常な判断を奪い去る事が出来るが、極限を超えると冷静になる事もある。俺の場合は、何としても碧花を守らなくてはならない、そして絶対に手遅れにしてはならないという状況が、冷静にさせた。
皮肉な話である。碧花を守る為に冷静になったというのに、それで碧花が偽物である事に気付いてしまったなんて。探偵なら『今はまだ言えない』と引っ張る所だが、俺の目の前に居るのは恐らく実行犯。つまりオミカドサマ。
二人を助ける為なら、ここで問い詰める必要がある。
「……何の事だい?」
プラフでも何でもない。明確に俺は横の存在が碧花ではないと気付いている。本物の彼女と接してきた俺だからこそ、短時間に見破る事が出来た。
「おかしいと思ったよ。アイツは仏頂面だけど、凄く優しい奴だ。俺が『首狩り族』で心を痛めてる事も知ってる。愚痴ってるからな。そんなアイツが『また?』とか、『何が』とか、無神経な事を言う筈ない。合コンに関しちゃお前も参加してるし、あんな事があって忘れたとは思えない」
怪異と変装のプロの話を先程したが、変装のプロであればこの様な気付き方は不可能だったと思われる。何故なら変装のプロは対象に変装する為、ぶっつけ本番ではなく観察期間を設ける。言動や癖で見抜かれない様に、徹底的に観察するのだ。だから肉体の差異はともかく、癖や発言で見抜く事は出来ない。
一方で怪異は、見た目こそ完璧かもしれないが、ついさっきオミカドサマがやらかした様に、変装自体はぶっつけ本番。肉体の差異から見抜く事は出来ない一方で、癖や発言で見抜く事は出来る。
「お前がオミカドサマだったら、西園寺部長の件も納得が行くよ。お前は自らの意思でここに来た。西園寺部長に連れられたと嘘を吐く事で、不信感を高めたんだ」
そして実際、さっきまではその通りに事が運んでいた。俺は二人居るとされた西園寺部長に不信感を抱き、唯一無二の碧花に信頼を寄せた。そこで露骨に表情が変わったのも怪しむ一因にはなったが……やはり決定的だったのは、俺が挙げた反応である。
「なあオミカドサマ。アンタ何がしたいんだ? 俺を遊び相手にしたいのは分かる。分かるが、碧花に変装したのはどういうつもりだ?」
逃がすつもりはない。だからこの座敷に入った。壁が崩壊していたら何の意味も無かったが、壁はきっちり残っている。入り口は俺がこの身体を犠牲にして止めているので、オミカドサマが逃げるには俺を殺さなくてはならない。
だが殺したら、俺は遊び相手にはならない。
もしもはない。俺が何十年間彼女に想いを寄せていたと思っている。好きな人の偽物が見破れないで、その人を好きになる価値はない。怪異なんぞに騙される訳が無いのだ。目の前の碧花は暫く固まっていたが、やがて諦めたか、口元を醜悪に歪めた。
「すごいねカリヤ。私の事、分かっちゃうんだ」
「やっぱり、オミカドサマなんだな」
「うん。カクレンボは私の負け。カリヤの勝ちだよ」
「勝手に遊び相手にするな。それより質問に答えてないぞ。どうして碧花に変装したんだ?」
「次は何のアソビする? カリヤが決めて良いよ」
「人の話を聞けよ!」
出会った時もそうだ。この怪異はまるで人の話を聞かない。究極的に自分の都合しか気にしていない。俺はそんな性根が大嫌いだ。それも含めて、こいつの遊び相手になんぞなりたくない。どんな失礼な子供―――俗にクソガキと呼ばれる子供でも、この子供に比べれば遥かに賢く見えるだろう。
もう少し粘ろうと思ったが、同じ事を繰り返しても、どうせ同じ反応が返ってくる。違う事を聞いてみよう。
「……二人は何処にやった?」
「オニゴッコする? オニゴッコが良い?」
「碧花に変装したのは何でだ? まさかアイツも攫ったのか?」
「オニゴッコしようか! ね、しようね!」
「人の話を聞けよ!」
オミカドサマを壁際まで追いつめて、頭の横に思い切り掌底を叩きつける。さっきは一方的に切り出されて取り逃がしたが、もう逃がしてやるものか。見た目こそ碧花なので、絵面的には完全に壁ドンをしている様に見えるが、俺は目の前の人物が碧花でないと知っている。
だから思い切り、やれる。
「お前、分かってんだろうな。萌と由利に続いて碧花まで攫ったら―――容赦なんか絶対にしないぞ。どんな手段使ってでもお前から三人を取り戻してやるからな」
もし碧花まで拉致したなら、俺はこの怪異をぶっ殺す気でいる。付け加えておくが本気で言っている。大切な友人を誰も彼も攫われたら、幾ら俺でも我慢出来ない。法律とか理性とか、知った事じゃない。相手は法律の中に居る存在じゃないのだから、俺が法を守る道理が何処にある。
対応の変化は結果的に功を奏した。遊びたがりのオウムと化していたオミカドサマの表情が、笑顔から一転、変装先の碧花を思わせる仏頂面になったかと思えば、悪意を宿した瞳を俺に向けた。
「モエとユリがどうなっても良いの?」
「教えないってか?」
「アソンデくれなきゃ、捨てちゃうよ」
「勝手に遊んでる癖に。流石に横暴だろ」
「だってカミサマだもん」
「神様なら何しても良いってか?」
「うん」
躊躇なく頷くオミカドサマに対して俺は遂に切れた。言葉で分かってもらえないのなら、実力行使で分からせるまでと拳を振り上げたまでは良いが―――
殴れなかった。
神通力とか、そういう不可視の力が働いている訳じゃない。殴ろうと思えば殴れる。だが偽物とはいえ碧花の顔をしている奴を殴るなんて、俺には出来なかった。
頭で偽物と分かっていても、この身体は反対の事を考えている。目の前の碧花がオミカドサマだと気付いたのは、俺が彼女の事を数十年間想い続けたからこそだが、ここで殴れないのにも同じ理由が適用される。
偽物だとしても、碧花に危害は加えられない。
俺は拳を振り下ろした。
「萌と由利、碧花の居場所を今すぐ言え。そうしたら遊んでやるよ」
「ほんと? 嘘吐いたら分かるよ。コロスよ?」
「勝手にしろ。お前は俺を殺せない。遊び相手になれないからな。三人の居場所を教えた上で、更に安全まで保障されたら緋々巡りでも何でもしてやる。さあ教えろ今すぐ教えろ! これは俺とお前の問題だ……『トモダチ』を巻き込むんじゃねえよ」
俺に遊び相手になって欲しいなら、誰も巻き込むべきでは無かった。まあ本性が本性なので、最終的には断っているだろうが、好感度に差が出ただろう。俺が不運に遭うのは仕方ないと割り切れるが、他の人が不運に遭うのは我慢ならない。
萌や由利が何をした? 碧花が何をした?
萌は蝋燭歩きを調べようとしたが、それがオミカドサマと何の関係がある。碧花に至っては接点が無いから、巻き込まれただけだ。
そんな彼女達を、俺と『遊びたい』が為に巻き込むこの怪異。壮一よりも嫌いだ。
「………………アオカの事、トモダチだって思ってるの?」
「当たり前だ。アイツは俺の事を救ってくれた恩人で―――俺の数少ない友達で。好きな人なんだから」
「そう。アクシュミだね、カリヤ」
「放っておけ。少なくともお前なんかよりは良い女性だよ」
オミカドサマは首を振った。
「カリヤ、知らないんだ。あの子の本性」
「本性?」
さっきの遊びたがりから一転。オミカドサマの言葉に、突然有益な情報が混じり始めた。
「カリヤ。騙されてるね。あの子、ワルイの。あの子が居るからカリヤは苦しんでるのに、カリヤはあの子、トモダチだって思ってる」
「―――騙されてるってどういう事だ? それに苦しんでるって」
言わんとする事は分かっている。オミカドサマの言いたい事は、俺の心で引っかかっている事柄にも関係しているからだ。だけど確証はない。確証がないから信じたくない。
敢えて分からないフリを通して、俺はこの神様から答えを探ってみようと考えた。オミカドサマは何かを知っている。答え合わせという訳ではないが、それを聞き出さなくては。
「カリヤがあの子をトモダチって言えば言う程、あの子はカリヤを苦しめる。カリヤは何にもワカッテナイ。あの子の事、何にも知らない」
「回りくどいんだよ、似た様な事ばっか言いやがって! 何が言いたいッ?」
「―――シったら、カリヤはあの子と遊ばない?」
「…………え? ま、まあ。いいけど」
嘘である。ここで正直な気持ちを言っても事態は進展しないから、必要嘘と言えるだろう。心は痛むが。
碧花を模したオミカドサマは、再び醜悪な笑みを浮かべた。
「あの子、カリヤの――――――」
「耳を貸すな、狩也君」
「…………え?」
背後から聞き覚えのある声が聞こえ、俺は直ぐに振り返った。が、それよりも早く声の持ち主はオミカドサマへと近づき、
「その減らず口、一回死なないと直らないか?」
慣れた手つきでナイフを首筋に突き刺し、そのまま力任せに引き裂いた。殺し方の荒さもあって、凄まじい返り血が実行犯及び、俺に降り注ぐ。
「…………な」
一切の躊躇なく実行して見せた相手に、俺は震えた声で尋ねる。
「何……やってんだよ。碧花」
直ぐ。




