死の呪い
ラブコメが足りない……?
流れで山の中に入ってしまったが、よく考えたら懐中電灯も地図も無い。地図はともかく、懐中電灯を持ってこなかったのは悪手と言う他ない。これは悪霊以前の問題だ。暗い。暗すぎる。雰囲気をぶち壊す様で申し訳ないが、これでは悪霊に襲われる前に、崖から転落死してしまう。
「道なんて覚えてねえよ」
心の底からの叫びだった。恐怖を紛らわせる目的もあったが、多くを占めたのは本当に言葉通り、道なんて覚えてない。二度と足を運ぶ事なんて無いと思っていたから、そもそも記憶を割くつもりすら無かった。
碧花が居れば案内してくれるのだろうが、どうせ彼女は既に到着している。俺の為にわざわざ降りてくれるなんて、そんな都合の良い女性は居ない。女性じゃなくても、そんな自己犠牲的な奴は居ない。
ああクソ、どうすれば―――
良くも悪くもない視力を極限まで定めて、慎重に歩を進めていると、不意に前方がぼんやりと光った。
「ん?」
その光はどうやらランタンの光で、何者かの足音を引き連れてこちらにやってくる。足元は土なのに足音が聞こえないから間違いない。こいつは悪霊だ。何故ランタンを持っているのか分からないが、ゲームとかでも幽霊(というか亡霊)って何となくランタン持ってるイメージあるし、死に装束同様、そういうモノなのだろう。
「でやあああああああ!」
なので殴る。幽霊に物理攻撃が効くとは思っちゃいないが、これで少しでも怯んで、俺に手を出そうなどと愚かな事は考えないようになってくれれば万々歳だ。俺史上最速の拳は間違いなく幽霊の顎を捉えていたが、命中する直前に手首を掴まれ、動きを止められる。
「なッ!」
馬鹿な。幽霊が物理攻撃を物理的に受け止めるなんて。攻撃が効かないと分かった瞬間、全速力で逃走しようとするが、
「うおッ!」
瞬く間に足を払われて叶わない。なんて武闘派な幽霊だ。足払いを使える幽霊とか、喧嘩の強い不良と同じ怖さしかない。天を仰ぐついでに幽霊のご尊顔を拝見しようとしたが、ランタンの光に視界を潰されて何も見えない。足元が地面だったのは不幸中の幸い。コンクリートだったら後頭部を打って、そのまま意識を失っていただろう。
ここまで完璧に封殺されてしまうと、もう俺に抵抗手段は無い。地面だったとは言っても頭は朦朧としているし、そんな状態でこの武闘派幽霊から逃げ切れる気がしない。いよいよ腹に覚悟を据える時かと決意しかけたが、ランタン越しに聞こえた声が、その決意をぶち壊した。
「逃げないでよ」
「………ん…………? ―――まさか、碧花?」
ランタンが少し離れて、持ち主の顔を照らす。
暗闇の中から照らされた顔は、美醜どうあれ恐ろしい。だが、相も変わらぬ仏頂面が、妙に懐かしい気もした。
「碧花ッ!」
意識が朦朧としていたとか、視界が悪いとか、どうでもいい。俺は直ぐに立ち上がり、彼女の身体を力強く抱きしめた。
「ちょ、ちょっと…………! な、何?」
「無事で良かった……お前まで居なくなったら、俺は―――」
他人にされたら痛いくらいに抱きしめている。拒絶されても文句は言えない。それでも碧花は文句ひとつ言わず、黙って俺の抱擁を受け入れていた。
「……私が居なくなるなんて、あり得ないよ。居なくなるとしたら、それは私の意思がそうさせた場合。私の意思は、君とずっと一緒に居たい。だから安心してくれよ、狩也君。どんな事があっても、私は君の傍から離れない。君を絶対に……離さない」
碧花は知らない。俺が碧花を信じる為に、疑っている事を。彼女が『首狩り族』に関わっているなんて思いたくない。好きな人が何か悪い事をしているなんて、思いたくない。
「なあ碧花」
「何?」
「お前、隠し事とか、してるか?」
「してるよ」
意外にも、即答。嘘を見抜く準備は万全だったので、少し戸惑ってしまう。
「どんな隠し事だよ」
「君に関係ないと思うけど」
「……悪い事か?」
「いいや。悪い事じゃない。むしろ良い事だ」
「良い事なのに、何で隠すんだ?」
「何事も詳らかに説明したら、趣が無くなる。女性は少しくらいミステリアスな方が、魅力的なものだよ。何事も分かってしまったら、君だって私に興味を無くすだろう」
少しも躊躇わない。少しも言い淀まない。一挙手一投足全てに自信がある証拠だ。俺が彼女の事を好きな理由は、俺とは違ってあらゆる全てに自信が伴っているのもある。人は自分が持っていないものを持っている人間に惹かれる。
俺と碧花を比較すれば良く分かるだろう。格好良くない、美しい。頭が悪い、頭が良い。自信が無い。自信がある。
まるでジグソーパズルみたいに、碧花は俺の持っていないものを持っている。
「それにね」
「ん?」
「………良い事と言っても、聞く人が聞けば顰め面してしまう様な事だ。多分、君がそうだろう。だから教えられない」
「おい、決めつけんなよ」
「君はいい奴だ。だからこそ、顰め面するよ。お互い付き合いが長いんだから、もう分かるよね」
悔しいが、碧花の予想は当たっている。碧花は時々変な所で頑固になるので、これ以上は俺が何を言っても返答は変わらない。キスをして胸を揉みしだき、彼女が果てるまでレイプしたとしても答えは変わらない。
暫く碧花の温もりを全身で味わってから離れ、俺は改めて尋ねた。
「何でここに居るんだ?」
「君が心配だった」
「俺が?」
「うん。君の足音が聞こえたもんで」
「嘘つけ。耳良すぎるだろ」
「まあそれは嘘なんだけど。とある人が教えてくれたんだ。だからこうして迎えに来たって訳。分かったかい?」
「……いいや、分からん! じゃあ何で足払いしたんだよ!」
「いや、あれは君が勝手に根っこで躓いただけなんだけど」
え?
ランタンが下がり、暗闇を剥がされた光景が視界に映り込む。そこには地面から階段の段差と同じくらい飛び出した根っこがあり、俺が足払いと思っていた攻撃は、単に俺が躓いただけだった事が分かる。
「文句を言いたいのはこっちだよ。急に殴りかかってきたから驚いちゃった」
「あ……! す、すまん。悪霊だと思って―――本当、ごめんなさい!」
勘違いが原因とはいえ、女性に殴りかかるなんて俺は何て駄目な奴だ。もっとフェミニストの精神を鍛えなければ、いつかは碧花にまで嫌われてしまう。
鹿威しみたいに何度もペコペコ謝る俺はさぞ滑稽に見えたに違いない。碧花は目を細めつつ微笑み、俺の顔をその胸に埋めた。ここが漫画であり、擬音が描写されるなら、むにゅりという音が描画されているだろう。
「怒ってない。だからそんな謝らないでよ。君に会えて私も嬉しいんだからさ」
「ふッ、ふーふ、っふふふふーふ! ぐふうーふふふふ!」
滅茶苦茶幸せな気分だが、このままだと窒息する。かと言って胸を掴んで強引に抜け出したくもない。一度足を入れたら抜け出せない炬燵の魔力に似ている。巨乳の魔力だ。
って、そんな感想を述べている場合か!
後頭部を捻じ伏せる腕力は、とても女性とは思えない。
「―――だからこれであいこ」
脳が酸欠で腐る所だった。碧花の谷間から無事脱出できた俺は、何度も深呼吸を繰り返し、酸素の重要性を全身で味わう。
「び、びっくりしたあ」
「驚いただろ? 私もそれくらい驚いたんだ。ほら、これで後腐れ無し。じゃあ、行こうか」
彼女の基準は大きくズレている。拳と乳房がおあいことか、どう考えても為替レートが狂っているとしか言いようがない。下半身における俺と本能の死闘を知らないから言えるのだ。
「……あ、ああ。行こう」
取り敢えず、碧花は俺の傍に居る。傍に居る限りは、俺がこの命に代えても彼女を守る。
残りの女子は二人。萌と由利。
二人共、俺に比べれば怪異の専門家だが、女の子である。なら男の俺が救出するのは世界の道理というもの。オミカドサマだか何だか知らないが、俺から友達を奪おうとする奴は許さない。事と次第によっては、西園寺部長に代わりオミカドサマと直接対決をする事だって吝かではない。
碧花と再会した事により心に余裕が生まれた俺は、一先ず気持ちを切り替えた。二人は今頃、どうしているのだろうか。
無事なら良いのだが。
実質的な告白に気付かない男が居るらしい。




