第十話ー明かされゆく真実(後編)ー
こんばんは。こんにちは。梅木仁です。
本当は明日午後に更新ですが、明日は所用がありまして。
さて、今話はついに真実編のクライマックス!
といってもどでかいことは特にないです。
それではどうぞ。
生徒会長はこうも言ってのけた。
「まあ、もっともそこの事実と真実の狭間がいろいろあるわけだけどね」
俊はその言葉の真意をなんとか飲み込もうとしているように見えた。
ただ、その咀嚼には時間を要しているようだ。
小生はというと、別になにも感じていないわけではない。
事実、世の中に信義誠実の原則なるものや、経験則なるものはあるけれど、
正義というものが、その正しさに基づいて万人にそれを語って、全ての人に受け入れられるかと言えば、それは甚だ意味のない命題である。
万人には万人の正しさが存在する。
十人十色なら万人万色である。
その無量大数の正しさの中で多数を得たものが、次に正義と化し、その正義の名のもとで政治などが取り仕切られる。そして、その正義によって形成された自己満足が歴史を形成してゆくのである。言い換えれば、歴史は多数の正しさに裏打ちされた権力の直接事実であり、次世代へとその正義を相続するための遺言なのである。
もう一つ、多数の正しさを歴史のように直接事実化し、遺言のように相続するための方法としては法律というものも上げられるのかもしれない。
したがって、後世の人間が歴史を解釈しようとするときには多角的な視点を持って、臨まなければいけないと考えるのである。
さて話は前後するが、奇しくもその正義の源たる自己満足を抱えるのは、小生もまた同じことなのである。小生の場合、多数を得ていない現状、その“正義にならない正しさ”の実現は意味をなさないのかもしれない。そして時に、正義は小生のような少数の正しさを侮辱し、抑圧する。そうして完成されるのが秩序である。国家というものが形成されゆく過程では、しばしばこういったことが行なわれる。
「え、コバは知ってるのか?」
突然の問いに少し戸惑う。
「ドンジンの乱なら知っているぞ。」
「ファ!?どんなやつだよ。言ってみろよ」
「今から十年前、今の植民地支配へと移行しかけていたとき、俊の言ったように、植民地体制への反抗のために武装蜂起が起きたんだ。」
「まじか・・・どこで!?結果は!?」
「じゃあ太森くん、その二つを総合して逆に聞こう。もしそこで反乱軍が勝っていたら今ごろはどうなっていた?」
俊は黙った。考えるまでもないと俊の中でも腑に落ちているのだろう。
「ごめんね、太森くん。少し意地悪だったかな」
「い、いえ、現実、いや勉強不足なわけですから。」
「さてと、ふう。」
生徒会長は少し壁の時計を見てため息をついて、
「では、今後の日本がどのようにあるべきか、ということはまた今度にしよう」
「そうですね、もうこんな時間ですし・・・」
小生の腕時計はデジタルで十八時を示している。
「じゃあ、二人ともまた明日。学校でね」
「「はい!」」
「じゃあね~!」
玄関先から手を振って小生たちを見送る生徒会長の顔を見ながら、小生たちは宝南駅への道を歩き始めた。周囲はまだ明るい。だがその道は来たときよりも、ビルの影だからなのか、少し薄暗く感じた。
ところで。
俊は小生と同じ中学校出身ではあるが、お互いの家は校区の中でも両極に別れていると言えるほどではないが遠い。小生の家が校区のど真ん中なのに対して、俊の家は東の端、つまり隣校区との境にある。したがって、小生は駅から歩いて帰宅することができるけれども、俊は宝南市街を通る路面電車を利用する。
路面電車の乗り口で俊が小生に声をかけた。
「なんか・・・ごめんな。今日は」
「ん?気にしてないさ。そういうこともある。」
「う、うん・・・そうか・・・」
「なぁに、まだまだ始まったばかりだよ。それに、俺が持っていないものを俊が持っていて、俊が持っていないものを俺が持っていればいいって話じゃないのか?」
小生はさっきの生徒会長宅でのことなど、微塵も思っていない。むしろ、あそこで俊が意見を発信していたという行為がそもそも尊重されることだ。前記の通り、小生も、俊も、別にどちらが間違っているとか、間違っていないとかいう話ではなくて、そこで意見交流をした点に意義があると小生は思う。
「そうか。ありがとうな。」
「いいってことよ。」
「じゃあな。また明日な!コバ!」
そう言って元気よく小生に手を振る俊。
その元気の良さこそ、小生にはない生き生きとした俊らしさそのものだ。
エネルギッシュな俊に小生は心底羨望の念を覚えるのである。
帰りながら小生はいつもの昔の曲を聞く。
その曲は第二次世界大戦から七十年あまりが経過した頃の日本の曲だ。
どうやら当時は、“アニメ”なるものがあったようだ。テレビでテレビ局などが制作したものが放映されていた。そのアニメの始まりと終わりには多くの場合、何かしらの音楽や歌が流れ、それを“アニソン”という。
現在ではアニメもアニソンも一般向けにテレビでは放映も公開もされていない。「アニメ関連禁止法」という法律があって、それによって厳しく規制されている。とはいえ、小生が生まれる四十年前にその法律が制定されたそうで、小生の生まれた時にはすでになかったように思う。とある本によれば、アニメが日本文化を支えていたという説があり、当時絶大な人気があったようだ。当然、そんな文化を支配国が認めるわけがない。こういうところから類推するに、植民地支配は実際のところもっと早くから始まっていたのではないだろうか。
一方でアニメ関連法にはあらゆる抜け道があって、“円盤”なるものを利用して多くの人がアニメ文化の保存に尽力したそうだ。小生の家にも六枚の円盤がある。題名は“まるまる可愛いこんな妹がワガママですけどお兄ちゃんはいやじゃないよ”という長文のタイトルである。
そうして、アニメの歌を聞きながら、小生は一日を振り返り帰路につくのであった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
三話に渡って、書かせていただきました真実編。いかがでしたでしょうか。
とは言いましてもまだまだ話も始まったばかりで、これからもっと真実が出てきます。
その中でまっすぐにただ一点を見つめて進んで行く少年少女の姿を大切に書いていこうと思います。
リアルでもそうです。知らなかった事実が、大人になった瞬間に一気に押し寄せる。その中で悩んで苦しんで生きるしかない。その中で前を向いて進んでいく。そこにはいろんな答えがあって、よくわからなくなる。そのよくわからないのが正解で、でも間違っていて。よくわかっているのも正解で、間違っている。そんな感じなのかなと最近思うようになりました。
さて、最後に事務連絡。
四月になりまして、新学期が始まったり、人事が動いたりと何かと変化の多い季節になります。
ですので、小生も懸命にペースを守って書いて参ります。更新が遅れないよう、精進します。
これからも、よろしくお願いします。




