第一話ーリア充応援から始まる日本再生ー
はじめまして。梅木仁と読みます。
これから少しずつですが、投稿させていただこうと思いますのでよろしくいただきます。
桜が咲き乱れ、春風にのせてその花弁が舞い散る。ソメイヨシノ、しだれ桜を想起してもらいたい。それらが校門から校舎に続く道沿いを、新入生を左右から祝福するように飾る。そこに新たな春の訪れを感じさせ、初々しい制服に袖を通した新入生か、いや、それだけでない。そこにはいろいろな感慨を持って歩き、そして歩かされている人々がいる。ある人は桜に目をやりながら、ある人は参考書に目を落とし、ある人は坊主頭の集団の中に群れて笑顔を咲かせ、ある人ははては日本の国難か、遠い目線でその桜を目に焼き付けるように。それぞれがそれぞれを案じて左右の祝福に思いをはせる。とにもかくにも、その景色は日本人が数千年の国家の歴史の中で、何度も目にしてきた光景であろう。
ときに、桜は五七五という言葉遊びの中で、季語として用いられて詠まれ、
また、桜は国を結ぶ友好の象徴として送られ、
さらには、桜は人々に宴の風情を提供してきた。
そして「桜」という漢字が、学校の名前や校歌に登場することもあった。人名もおよそ、然りだ。町名もそう。
つまり、桜は、この日本を代表するような花というにふさわしい。
その様は、一見、薄いピンクの花弁が数枚集まり、一点に沿って重ねられ、それが無数に焦げ茶色の木枝にちりばめられているだけであるかもしれない。その花は、雨風の重みに弱々しくも、あっけなく散り、人々の宴の機会や目の保養でさえも、一瞬にして失うような、そんな簡素で壊れやすい存在かもしれない。
けれども、日本人は毎年、この花に魅了され、そして、胸を落ち着ける。
小生、けだし、その弱さと儚さはきっと、人間の栄華の弱さと儚さを重ねている。
花弁をよく見てみる。先ほど言ったように、そこにあるのは小さな薄いピンクで破れやすい、しっとりとした花びらである。しかし、わずかではあるが、その一枚一枚が凹凸していて、決して平らな一枚でない。しわしわなのだ。また、その花びらの凹凸が、ある意味では山であり、谷を形成し、それはまるで人間の苦難の歴史をも彷彿とさせる。色の濃淡も、たった一色のみでなく、各所がグラデーションのように変化させている。それはまるで、人間一人一人の人生そのものだ。そして、それらが花びらとして集まって花弁という名のコミュニティを形成し、そして、それが木枝を通して大樹と化し、一つの景色、言うなれば「人間の歴史・世界」を具現させる。桜の大樹そのものが、人間の歴史であると考えられはしまいか。
また日本には染物の文化が発達している。ソメイヨシノの桜の花弁は薄い桃色であるが、染物として花弁から色素が抽出されるとまた変わった色合いを我々に提供してくれる。無論、花弁を押し花にして栞として読書の友にする人も多いのではないだろうか。栞にしても、桜の花びらはその色素を僅かに保ちながら、季節を越えて大樹に咲きみだれる光景を脳裏にかすめてくれる。
小生、こと小畠逸太は、今、そんなことを思いながら、一枚の写真を眺めていた。
「愛知県立宝南三群高等学校普通科入学式」
写真にあるその名前を見て、小生はこれから起こりうるであろう「戦い」への決意を新たにする。
全国の高等学校は、現状、三段階のランク付けがなされている。
一群校は、最優秀校である。国家に対し極めて深い忠誠を示した者、その子が在籍できる高校である。いわゆるエリートである。学校内の設備やサービスは、他の群校とはかけ離れて行き届いており、「楽園」と呼ばれる。当然、「極めて深い忠誠」が、入学要件であるために、ほんの一握りの人間でしか、進学しない、というよりできないというニュアンスのほうが適切だろう。
二群校、普通校。言葉のままの解釈で足りるだろう。厳しい入学試験があるとはいえ、普通といっても、冷暖房は備え付けられているし、購買部も運営されているので、高校生活にはなんらの支障はない。全国的に見て二群校に進学する者がもっとも多く、高校生全体の八〇%である。一方で、校則は極めて厳しく、言動、思想についても厳しい制約を受ける。
三群校、劣悪校。中学校のころに、問題行動を起こしたり、国家に対して、反逆的な家庭、行動をしたり、思想的に危険な者は三群校に強制的に入学させられる。試験はない。そこでは、別段冷遇されるわけではない。実態がどうであるかは、明らかにされていないが、国民が知っているのは、二群校と大して変わらないということである。しかし、不思議な制度が存在している。その制度とは、本来二群校への進学ができるような人物であっても、ある一定の要件を満たせば、三群校への進学が許されるというものである。その際、その子どもの両親、親権者、親族には多額の補助金が支払われるという。ただ、その制度は都市伝説と言われており、真実は明らかでない・・・。
いうまでもない。宝南高校は名にもあるとおり、三群校である。
小生はその三群校に入学したのである。
小生は、中学校での問題行動も、教師への反逆もしなかった。むしろ評判が良かったほうである。定期テストの成績はそこまでふるわなかったが、教師たちには自分から話しかけて、質問や議論をしに行った。もちろん全ての教師が、いい顔をするわけではなかったが、多くの先生はそんな小生に、付き合ってくれた。
そんな小生は、中学校では科学部に入っていた。
自然科学が中心に思われてしまいがちな科学部であるが、小生は社会科学、つまり文系関連の勉強を進めていた。そこからいろいろなことを考察し、そこで考えついたことを論文の形でレポート化し、それを文化祭で発表していた。
中学三年の文化祭での論文テーマで小生は学校の最優秀賞である校長賞を獲得した。
ただ、その年を最後に文化祭は姿を消した。どの中学校でも。
そもそも校長賞は優れた生徒に今後の更なる努力とこれまでの努力を高く評価するために導入されるための制度だった。
最後の校長賞。
それが日本にもたらされた、(厳しいという言葉で片付けるには語彙が貧しい)、現実の最たる例だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
小生は、実際に私梅木が、自分を呼称する際に使っていまして、そのまま採用しました。
次回もよろしくお願いします。