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エンドリア物語

「郷に入っては郷に従え」<エンドリア物語外伝101>

作者: あまみつ

「最後の質問だ。魔法に不可能はあると思うか?」

「ありません」

 私は断言した。

 面接官が薄笑いを浮かべた。

「なぜ、そう思う?」

「理論上では時を越えることも、死を超越することも可能です。できないことがあるというならば、ぜひ、お聞かせいただきたい」

 私の自信に溢れた態度は、面接官にいい印象を与えたはずだ。

 面接官は立ち上がった。

「ライアン・パーセル。面接はこれにて終了とする。これより、最後の課題を言い渡す。無事終えることができれば、魔法協会幹部候補生選抜試験は合格とする」

 私は目を閉じ、手を胸に当て、課題を待った。

 面接官の朗々とした声が響いた。

「エンドリア王国ニダウにある古魔法道具店、桃海亭で一週間、住み込みで働くことを課題とする」




 古びた扉を開いた。店内は予想と違い、綺麗に磨き抜かれていた。商品の配置も客が見やすいように考えられている。

「お待ちしていました。ライアン・パーセルさんですね」

 カウンターにいた少年が私に微笑んだ。

「祭りが近いので人手が足りず、困っておりました。よろしくお願いいたします」

 優雅にお辞儀をした。

 黒髪黒目、整った顔立ち。ピンクのローブ。

 条件が一致した。

 少年の名前は、シュデル・ルシェ・ロラムだ。

「初めまして。このような店で働いた経験はありません。ご迷惑をかけると思いますが、よろしくお願いいたします」

 少年は微笑むと、奥に向かって声をかけた。

「店長、パーセルさんがいらっしゃいました」

 奥の扉が開いた。

「店長のウィル・バーカーです。よろしく」

 茶色の髪、茶色の目。

 中肉中背。やや、痩せ気味。

 覇気がなく、顔はフタツユビナマケモノに似ている。

 条件が一致した。

 間違いない。彼は、ウィル・バーカーだ。

「いきなりで悪いんだけど、こいつの世話を頼んでいいかな?」

 ウィルは持っていた鉢植えを、私に渡した。

 植木鉢にはピンクの球体が乗っていた。

 球体の直径は約10センチ。表面には規則的な凹凸がある。棘がないサボテンに見える。

「これをどうすればよいのですか?」

「地面に置かない、床に置かない、鉢を壊さない、以上、よろしく」

 意味不明だ。

 質問を重ねようとした私は、サボテンが変化していることに気がついた。サボテンの先端が割れて、そこから、牛に似た顔が現れた。サイズ2センチの牛の顔だ。

 牛の口が開いた。

 黒い舌がのびてきて、私の顔をぺろりと嘗めた。

「うわっ!」

 落とした植木鉢をウィルが受け止めた。

「危ないだろ!」

 大声で怒鳴られた。

 今回の件、私に非がある。

「申し訳なかった。まさか、舌が出るとは思わなかったのだ」

 ウィルが、鉢を私に差し出した。

「先に言っておかなかったオレも悪かった。こいつを落としたら、半径20キロは吹っ飛ぶんだ」

 私は鉢をウィルに押し返した。

「私には荷が重いようだ」

「他の仕事に比べれば天国で昼寝するぐらい楽な仕事なんだけどな。でも、イヤなら他に変えるか?」

 半径20キロ。

「変更を希望する」

「ちょっと、待っていてくれ。こいつをチェリーに頼むから」

 植木鉢を持って店の奥にある扉に入っていった。

「パーセルさん。一週間、住み込みで働いていただけると聞いていますが、間違いありませんか?」

 カウンターにいるシュデルが笑顔で聞いてきた。

「その予定です」

「泊まる場所なのですが、ムーさんの部屋と店長の部屋とどちらがよろしいですか?」

 ムー・ペトリ。異次元召喚ができる天才魔術師。

 ウィル・バーカー。さえない一般人。

「ムー・ペトリ殿の部屋を希望します」

「わかりました。寝袋は用意しますので、部屋にはご自分で持って入ってください」

 寝袋。

 不満が顔に出たらしい。

「パーセルさん。申し訳ないのですが、当店には来客用のベッドがないのです。寝袋でお願いします」

 ベッドがないのならば、しかたない。

 うなずいた。

「食事は3食つきますから、安心してください。今日のお昼は豆のスープです」

 豆のスープ。

 黄金色のスープに豆が浮かんでいる映像が、脳裏に浮かんだ。

「先に言っておきます。豆のスープだけです。パンはありません。スープには豆の他に塩漬けの野菜も少しだけ入っています」

 豆のスープだけ。

「あとで店長から詳しい説明があると思いますが、桃海亭以外で食物を摂取した場合、問答無用で失格だそうです」

 外食した場合、失格。

 量が少なくても、一週間なら問題ない。

 うなずいた。

「忘れていました。パーセルさんは魔術師と伺っています」

 うなずいた。

 22位の上級魔術師だ。

「桃海亭では絶対に魔法を使わないでください。店内だけではなく、奥にある食堂やその他の部屋でも禁止です。絶対に守ってください」

 魔法というと戦いや治療のイメージがあるが、魔術師は日常でも魔法を使う。食堂で調理をするときに火をつけたり、高いところの物を取ったりする。

 説明を求めようと口を開きかけたとき、奥の扉が開いた。

「ムーがいないんだが、知らないか?」

 ウィルがサボテンを片手に店内に入ってきた。

「いないのですか?」

「困ったな。ワゴナーさんに呼ばれているんだ」

「商店街のイベントの件ですか?」

「こいつを、持って行くのは………」

 ウィルが私を見た。

「10分、いや5分で戻ってくるから」

 サボテンを差し出された。

 これを拒否したら役立たずの烙印を押されるだろう。

 渋々、サボテンを受け取ろうと手を伸ばした。

「悪い。頼むな」

 受け取ろうとしたとき、先端が割れて、牛の顔が出た。

 一瞬ためらった。

「あっ!」

 両手の間から、植木鉢がすり抜けた。

 慌てて手をのばして、サボテンをつかんだ。

「あぶねぇ」

 鉢は、ウィルが受け止めてくれた。

 ウィルが持つ鉢の中身は、空っぽだった。

 つかんでいるサボテンを見た。

 ピンクのボールの先端に牛の顔。根の部分にはウネウネと動くタコの足のような触手。

 思わず、放り出した。

 放してから、爆発することを思い出したが、身体が反応しなかった。

 空中に放られたサボテンが、ゆっくりと落ちていく。

 映像がスローモーションで流れていく。

 牛の顔が、私を見た。触手がのびてくる。

 ぬめる感触が、首に、腕に、胸に、腹に、足に。

 触手が収縮した。

「ぐわぁ!」

 ピンクの触手が、全身をがんじがらめにしていた。

「シュデル!」

「わかっています」

 足音が遠ざかっていく。

「た、助け………」

「動くな!動くと血を吸われるからな」

 血を吸われる。

「ひぃ!」

 触手から逃れようと身をよじった。首に巻きついていた触手の先端が首に張りついた。そこから、血が吸われている感じがする。

「動くんじゃねぇ!!」

 もがこうとした身体が、ウィルの怒声で固まった。

「動くなよ。いいか、2カ所から吸われたからもたないぞ」

 戻ってきたウィルにシュデルが何かを渡した。

「ほら、こっちを見な。こっちの方が美味しいぞ」

 ウィルが手に持っている植木鉢を、牛の顔に近づけた。

 中に入っているのは、リンゴ。

「甘いのを選んできたからな。食っていいぞ」

 優しく言ったウィルは、植木鉢を牛の顔の前で揺らしている。

 拘束が解けた。

 立とうと思ったが、力が入らず、床に崩れ落ちた。

「よし、いい子だ」

 ウィルが、牛の頭をなでていた。

 サボテンは最初見たときと同じように、植木鉢に収まっていた。

 シュデルが横たわっている私を見下ろした。

「コンティ先生を呼びましょうか?」

「治療費、あったか?」

「桃海亭にはありませんが、パーセルさんの治療代です。魔法協会に請求できると思います」

「わかった。ワゴナーさんに会いに行くとき、往診を頼んでおく」

 ウィルが、サボテンをシュデルに差し出した。

「僕は今日も忙しいです。店の仕事に、祭りの準備、このようものまで増えました」

 シュデルが、私を一瞥した。

「こいつを持って商店街を歩くのは、まずいだろ」

「わかりました。モルデ、店長が戻るまでの間、お願いしてもいいかな」

 カウンターの下から、魔法鎖が現れた。

「そうだね、あの辺りはどうかな」

 シュデルが窓の下の指すと、魔法の鎖はグルグルと逆円錐の形に螺旋を作った。

「店長、ここに置いてください」

「明日の朝まで、モルデに預かってもらえないか?」

「モルデは忙しいのです。元凶のムーさんに預かり先を探してもらってください」

 シュデルが扉を指した。

「早く行って、早く帰ってきてください」

 ウィルが出て、すぐに老医師がやってきた。

「貧血だな。金はあるか?」

 老医師がシュデルに聞いた。

「支払いは桃海亭ではなく、こちらのパーセルさんです」

 老医師は、私に顔を近づけた。

「増血剤の魔法薬は高いぞ。安い鉄の増血剤にするか?」

「………魔法医師による治療をお願いしたい」

「造血の魔法を使える魔術師はニダウにはいない。どうしても魔法による治療を希望するなら、ムー・ペトリだ」

「魔法薬をいただきたい」

「金貨3枚」

 暴利だと思ったが、ここは見知らぬ土地で、他に薬を得る方法がなかった。

「承知した」

「ほれ」

 鞄のなから、液体を詰めた瓶を渡された。

「一気に飲め。2時間ほどで元通りだ」

 シュデルが、身体を起こすのを手伝ってくれた。

「すまない」

「飲み終わったら、ムーさんの部屋に移動してください」

 シュデルが無表情で言った。

 飲むと身体が熱くなった。急激に身体が楽になり、目眩がとまった。

 ふらついたが、自力で立ち上がれた。

 老医師が手を出した。

「金貨3枚」

「いまは持ち合わせがない。後日、必ず届ける」

「先生、パーセルさんは魔法協会の偉い方です。踏み倒したりしませんから安心してください」

 シュデルが助け船を出してくれた。

 老医師が帰ると、シュデルは奥の扉を開いた。

「パーセルさん。ムーさんの部屋に案内しますので、ついてきていただけますか?」

 扉を抜けると廊下だった。真向かいに扉。

「そちらは食堂です。ムーさんの部屋は2階です」

 急な階段を軽快にあがっていく。私は後を追った。

「1番右側の扉が店長の部屋です。店長に用事があるときは訪ねてください。制約はありません」

 シュデルは淡々と説明した。

「3番目の扉が、ムーさんの部屋です。出入りは自由ですが、扉は必ず閉めてください。入ったら、すぐ閉める。出たら、すぐ閉める。開閉に2秒以上かけないでください」

 2秒のところは力が入っていた。

「よろしいですか?」

 確認された。

「わかった。2秒以上開けない」

「違います。2秒以下です。2秒より短くなければいけません。よろしいですか?」

 2秒にこだわる理由が見えない。

 だが、店に置いてもらう身だ。

 素直にうなずいた。

「他の扉は開いてはいけません。危険魔法道具を保管していたりします。絶対に開けないでください」

 有無を言わせぬ迫力だった。

 うなずいた。

「では、僕は店番に戻ります。ムーさんの部屋で休んでいてください」

 シュデルは身を翻すと、軽やかに階段を下りていった。

 私は3番目の扉をノックした。

 返事がない。

 ウィルが『ムーがいない』と言っていたのを思い出した。留守の部屋に入っていいのか迷った。血が足りないのか足がふらついていて、階下に降りてシュデルに聞くのがつらかった。シュデルが『出入り自由』と言ったのだからと、扉を開き、部屋に一歩踏み込んだ。

 魔術師の研究部屋に似ていた。

 壁際に置かれた本棚には本とスクロールがぎっしりと詰め込まれている。床は本が積み重ねられ、合間に布が見える。

 他にも実験器具、薬品、魔法材料などが、あちこちに置かれている。

 乱雑であることは気にはならなかった。

 気になったのは、動いているものたちだ。

 大粒の宝石がついたネックレスが、クネクネと歩き回り、蛍光ピンクのナメクジが天井にはりついている。一抱えもある白い蕪が、むっちりとした足でステップを踏んでいる。深紅のバッタが何匹も部屋を跳ね回っている。

「これは、何なのだ………」

 呆然としていた私の横を、バッタが一匹すり抜けた。急いで扉を引いて閉じたが、バッタは廊下に出たあとだった。

『2秒より短くなければいけない』

 バッタに逃げられてから意味がわかった。生き物がいるならば『扉を長時間開いていると中にいる生物が逃げる』と、説明してくれていれば私も気をつけていた。

 バッタを追うために扉を開こうとした。が、扉が動かない。

 押したり、引いたりしていると、扉の位置が高くなっていることに気がついた。最初に扉を開けようとした時、扉に刻まれた葉のレリーフが顎の位置と同じだった。いまは、額の高さにある。

 背が縮んでいる。

 足元を見た。

 真っ黒い渦が巻いている。足首まで、渦に沈んでいる。

「ヒィーーーーー!」

 ドアノブから手を離し、床を這うようにして渦から脱出した。

 渦から黒い頭が出た。

 ナマズに似ている。

 目があった。

<……や、約束……くれ………>

 夢中だった。

 渦を飛び越え、扉に体当たりをした。

 廊下に転がった。素早く扉を閉めた。

 息が荒い。

 何を見たのか考えたくなかった。

 扉を支えに立ちあがった。そこで、バッタが逃げたことを思い出した。

 階段に向かおうと一歩踏み出した。足の裏に冷たい感触がした。

 見ると雑巾を踏んでいた。

 黄色い花が刺繍された可愛い雑巾だった。

 足をどけた。

 雑巾がジャンプした。私の目の高さまで飛び上がった雑巾は、四隅の一角で私の頬を殴った。

「ぐほっ!」

 強烈なパンチだった。

 床に降りた雑巾は、ファイティングポーズをとり、軽快なフットワークで左右に動いている。

 隣の部屋の扉が開いた。

「騒がしいぞ」

 黒いローブを着た老人が顔を出した。

「キノチョではないか。どうかしたのか?」

 人である私ではなく、雑巾に聞いている。

 雑巾は自分の腹を指し、次に私の足を指した。

「踏みつけたのか。それは怒って当然だの」

 寝ていたのか、眠そうな目をした老人が、私に聞いた。

「キノチョに、なぜ謝らない?」

 返答に窮した。

 生まれてから今日まで、雑巾に謝ったことはない。

「キノチョが本気で殴れば、ブルードラゴンを吹っ飛ばせるぞ」

 雑巾は、シャドウボクシングを始めた。

 老人の話が本当かわからないが、桃海亭にいるのは一週間だけだ。ことを荒立てたくない。

「踏んで、済まなかった」

 キノチョと呼ばれる雑巾に謝った。

 老人が私を見た。

「わしは寝ておるからな。今度騒いだら、氷の地に飛ばすぞ」

 眠そうな顔で物騒なことを言った。

 次に老人は屈み込んだ。

「キノチョ、11時の起こしておくれ。そのあと、掃除も頼む」

 雑巾はわかったというように、うなずいている。

 老人が部屋に入り、雑巾は4番目の扉に入り、私だけが廊下に残された。

 階段を上ってくる足音がした。

「これを」

 無表情のシュデルからが、深紅のバッタを差し出した。

 階下に逃げたらしい。

「ムーさんの部屋に戻しておいてください」

 淡々と言うと、私の手にバッタを押しつけた。

 その時になって気がついた。

 シュデルはバッタに触れていない。見えない何かでバッタを動かしている。

「どうぞ、ゆっくりお休みください。それでは」

 シュデルが会釈して戻っていく。

 ムーの部屋の扉を開けようとして、思い出した。

 ナマズがいる。

 だが、バッタは、今入れなければいけないような気がする。

 ドアノブを回した。

 動いた。

 素早く引いて、15センチほどの隙間からバッタを投げ入れた。その時、部屋の中を確認した。

 成人男性サイズの太ったナマズが、部屋で寝そべっていた。

 あげそうになった悲鳴を飲み込んで、速攻で扉を閉めた。

 ムー・ペトリの部屋で休むことは難しそうだ。

 ウィル・バーカーの部屋の扉は開いていいと言っていたが、この様子では何がでてくるかわからない。

 階下で休める場所を探した方がいいかもしれないと、階段を下りた。食堂には誰も居なかった。

 食堂で休むなら、シュデルに一声かけた方がいいかと店との扉を開いた。客はいなかった。

「何かありましたか?」

 カウンターで紙束を読んでいたシュデルが、顔を上げて聞いてきた。

 食堂で休みたい、と言う前に、なぜ、ムー・ペトリの部屋を使えないかを説明すべきだと思った。

「ムー・ペトリに部屋にナマズが現れて…………」

「ロンドさんがいらしたのですか?」

「いや、ナマズが」

「人間サイズのナマズですよね?それならば、ロンドさんです。ムーさんに会いに来られたのだと思います。お茶の準備をしなくては」

 シュデルが笑顔を浮かべた。

「パーセルさん、体調はいかがですか?」

 シュデルが言おうとしていることがわかった。

「お茶を入れれば、いいのだろうか?」

「お願いします。食堂の右隅に井戸があります。そこで水を汲んで、テーブルに置いてある赤いポットに入れてください。すぐにお湯が沸きますので、そうしたら、僕を呼びにきてください」

 それならできそうだと、私はうなずいた

「水を汲む前に、井戸の中に魚に許可を得てください。井戸の横のリンゴは魚のリンゴですから、触れないように。では、よろしくお願いします」

 優雅にお辞儀するとシュデルは再び、紙束を読む作業に戻った。

 井戸に魚。

 行けばわかるだろうと、食堂に戻った。

 食堂の一角に衝立置かれていた。のぞくと小さな井戸があった。井戸の横には木箱に入ったリンゴ。

 井戸をのぞき込んだ。

 何かが動いている。

「魚、水をもらうぞ」

 井戸の縁に置いてあった紐のついた桶をおろした。

 胸に衝撃があった。

 よろめいて数歩下がった。

 小さな魚が浮いていた。

 ヒラメに似ているが、大きさが手の平くらいしかない。

 胸が濡れている。

 魚の攻撃だとわかったが、なぜ、攻撃されるのかわからない。

 桶を入れる前に、声はかけている。

 魚が鰭を上下に動かした。

 顔の横を、風が抜けた。

 髪がパラパラと床に落ちた。

 何をすればいいのかわからない。

 脳裏に店にいるシュデルの姿が浮かんだ。

 叫んだ。

「魚がぁーーー!」

 扉が開いて、シュデルが飛び込んできた。

 髪と水が食堂に散っているのを見ると、魚に言った。

「今日の夕食になりますか?」

 魚がすごいスピードで井戸に飛び込んだ。

 シュデルは食堂の扉を開けると、上に向かって声をかけた。

「キノチョ!至急の掃除を依頼します」

 先ほど見た刺繍をした雑巾が飛び込んできた。ホウキとチリトリを持っている。

「お茶は僕が用意します。パーセルさんは店番をお願いします」

「私は古魔法道具店に入ったことがない」

 勝手が分からないと遠回しに告げた。

「桃海亭に商品を買いにくるお客様はそれほど多くありません。カンターに立っていてくだされば、それでいいです。何かあれば呼んでください」

 私はうなずいた。

 店に行き、カウンターに入った。

 客が少ないと言っていたが、1分も経たずに扉が開いた。

「いらっしゃいませ」

 笑顔で挨拶をした。

 人相の悪い男たちが数人入ってきた。全員、柄の長い戦斧を持っている。入ってくると、カウンターに前に並んだ。

「てめーが、ウィルか?」

「違います。見ての通り、魔術師です」

 一般人がローブを着て魔術師を騙ったら、重い罪になる。別人だとわかってくれると信じていた。

「茶色だよな、髪」

「茶色だな、目」

 私の顔をジロジロ見ている。

「偶然です。私は魔法協会に属している魔術師です」

 一般人のウィルと間違えられるのは屈辱だった。

「試してみれば、わかるな」

「わかるな」

 戦斧が振り下ろされた。

 死ぬ。

 両目をつぶったが、いつまで経っても斬られる痛みがない。

 恐る恐る目を開けると、幅広の剣が戦斧を受け止めてくれている。

「やっぱ、たくさんで来て正解だな」

「正解だな」

 戦斧を掲げた男たちが、一斉に飛びかかってきた。

 とっさに魔法で結界を張った。

 身体が宙を飛んだのがわかった。

 背中から何かにぶつかり、衝撃で意識が遠くなった。



「転がっているぞ」

「店内で魔法を使ったようです」

「注意しなかったのか?」

「しました」

「危険だとわかっていて、なんで使うんだよ」

「店長に間違われて、襲われたようです」

「こいつ、オレに似ているか」

「店長の方が、3ランク落ちます」

「そうだよなあ。女にもてそうだよな」

「襲った戦士の方々は、アーロン隊長が連れて行かれました」

「怒っていたか?」

「はい、烈火のごとく怒っていました」

「今日、4回目の襲撃だからな」

「6回目です。アーロン隊長、徹夜されたようです」

「7回目は夜かな」

「ムーさんが戻られましたから、ないかもしれません」

「ムーのやつ、戻ったんだ」

「いま、ロンドさんとお茶をされています」

「ナマズのロンドさんか?」

「はい、例の薬を貰いにこられたようです」

「それでムーがいなかったのか」

「材料を取りにいかれたそうです」

「王宮に生えているから、採取が楽だよな」

「忘れていました。早朝にいらした、アレン皇太子から伝言です。『王宮の裏庭のマンドラゴラ、なんとかしろ!』密かに栽培していたのがバレたようです」

「マンドラゴラは売ると高いんだぞ。王宮の財政に………」

「『今日中に処分しなければ、魔法協会にチクる』と言われました」

「わかった。ムーに……そうだ、爺さんがいるじゃないか。爺さん、毒草のエキスパートだろ」

「ハニマンさんの、今日の予定は決まっています。高級宿泊所<銀の鈴亭>に泊まられているラルレッツの方と、チェスを打たれるそうです」

「またチェスかよ」

「そういえば、リュンハ帝国より書簡が届いています」

「放っておけ。どうぜ、爺さんに国に戻って欲しいだろ」

「僕もそう思います」

「戻って欲しいなら、ここに来て、引きずってでも連れて帰れよ。オレも手伝うから」

「店長の気持ちは、わかりました。ところで、パーセルさんですが、そろそろ起こしますか?」

「そうだな。おい、髪が短くなっていないか?」

「魚に切られました」

「何かしたのか?」

「僕は魚に『許可を得る』ように言ったのですが、『もらう』と言ったようです」

「魚のくせに、プライドが高いからな」

「魚ですが、ラフォンテ十二宮の魚座です。上から目線で言われて、我慢できなかったのでしょう」

「色々、やらかすなあ。起こすのが、面倒くさくなってきた。このまま、どこかに転がしておく、っていうのはどうだ?」

「ムーさんの部屋が気に入られたようですが、いまはロンドさんがいらっしゃいます」

「オレの部屋に運ぶか」

「店長が植木鉢を持ってくださるなら、モルデに運ばせますが」

「頼む」

「モルデ、店長の部屋に置いてきて………あっ」



「約束の物だ」

 スモールウッドに金袋を差し出された。

「ありがとうございます」

 恭しく受け取って、中身を見た。

 金貨1枚。約束は金貨7枚だ。

「足りないようですが」

「7日間で7枚。1日だから1枚。当然だろう」

「そんなことを言わずに………」

「報告書だと滞在時間2時間と書かれていたが、あれは間違っているのか?」

「シュデルが作りましたから、正しいと思います」

「2時間で金貨1枚なら、報酬として悪くないはずだ」

 スモールウッドさんは7枚を払う気はないようだ。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。

「2時間の間、桃海亭は色々な迷惑を被りました」

「報告書に詳細が書かれていた。賠償するようなものは何もないはずだ」

 オレは隣に立っているシュデルを横目で見た。

 時には方便も必要だ。

 スモールウッドが立ち上がった。

「報酬は渡した。私はこれで帰る」

 オレは必死に考えたが、引きとめる理由が考えつかなかった。

「スモールウッドさん」

 シュデルの涼やかな声が響いた。

「今回、魔法協会の方が祭りの手伝いをしてくれるという条件でお引き受けしました。パーセルさんがお帰りになり、人手が足りません。スモールウッドさんに代わりをお願いできませんか?」

 笑顔のシュデルと、頬をひきつらせているスモールウッドさん。

「わかった。手伝いを雇うには、いくら掛かるのだ?」

「金貨2枚でいかがでしょうか?」

 シュデルに金貨2枚を渡して、スモールウッドさんは帰って行った。

「2時間で、金貨3枚か」

 金貨を手に、笑顔のシュデルが言った。

「パーセルさん、短い滞在でしたね」

 オレがワゴナーさんと打ち合わせをして帰ってくると、パーセルは床に目を閉じて横たわっていた。シュデルから話を聞き、オレの部屋に運ぼうという話になったとき、いきなり、飛び起きて、店を飛び出した。しばらく待ったが、それっきり戻ってこなかった。

 夕方、魔法協会のガガさんが、滞在が中止になったことを伝えに来た。

「そんなにイヤだったのかなあ」

 オレは呟きに、シュデルがため息をついた。

「店長、魔法協会本部には、桃海亭を意味する隠語があることをご存じですか?」

「桃海亭だから、ピーチハウスとか?」

「ピンクホーンテッドハウスと呼ばれているそうです」

 ピンクのお化け屋敷。

 化け物が3人住まう、この店にはある意味ぴったりではあるが。

「オレ、人間だからな」

 宣言すると、

「そう思っているのは、店長だけだと思います」

 シュデルが、ドス黒い笑顔を浮かべた。




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