表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

暖色・中間色・寒色短編集

Moon La Mort

作者: むあ



「月が、きれいですね」



 今日は何年かに一度しか見ることのできないスーパームーンとやらが空から顔を見せる日だと男は知っていたからか、残業中のオフィスから抜け出し、屋上の上で独り煙草を吹かしていた。


 男が屋上に向かえば、既に先客がいたようだが、彼はそんな問いかけがあるまで気づかなかった。会社内に残っているのは自分だけだと思っていた男は少しだけ驚いたが、女がそう呟いた時男はそうですねと頷き、月が綺麗だと答えた。

 そういえばかつての有名な文豪が愛の言葉として用いた表現も、この言葉であったと、男はふと気づいて闇夜に灰色の(スモーク)を吐き出す。


 男の人生は、いたって平凡な、何か特別に大きなイベントがあったようなことはない。生まれ育ち、親との喧嘩、兄弟姉妹との喧嘩を繰り返しながら育った青年期から愛を育んだ妻との間に3人の男児を授かった。会社では業績No.1になった直属の部下をねぎらいつつも、自らは世代交代が近づいていることは知っているので、会社のことにはあまり口を出さないようになってきていた。そんな彼も、明日、大規模なプロジェクトの運営を任されている。老い衰えを感じるようになってきた今日この頃に、彼は体に悪いとは知りつつも、高い税金を払い、白い紙にくるまれたシガレットを咥えているのだ。


「あなたはどうしてこんなところで?」


 ふと気になって、女のほうを向くと。彼女は少しだけ伏せ目がちに目をこちらに向けた。目があった瞬間、彼女の”赤い”瞳の中に見え隠れする、何か得体のしれないものを見た気がして、彼は慄いた。人工的な色をつけるカラーコンタクトとは思えない、本物の赤なのだと、瞬時に男はきがついた。


「やり遂げなければならないことがありまして」


 女は落ち着いた声色でそう答えた。


「そうですか……」

「あの、私を見た正直な感想を教えていただけませんか」


 質問の意図が分からず聞きなおすと、彼女は自身の姿を見たときに感じたことを正直に教えて欲しいと、再度言いなおした。彼はしばらく腕を組んで考えこんでいたが、気づけば煙草の火が唇を今でも燃やさんとしていたため、あわてて口から吐き捨てて、アスファルトの地面にこすりつけて消火した。危なかった。


「天から舞い降りた天使かと思ったと、いえばなんだか安っぽく聞こえるものだね」

「天使?」

「でもあなたの背後には、闇があるような気がしますね」


 男はそう言って、自分も背負っているものがあるのだと過去に思いをはせている。女はそんな彼の様子をしばらく見つめて、静かにその色の白い肌を紅潮させて、美しく微笑んだ。赤い瞳の光は今も残るが、幾分、初めて彼女の瞳を見たときより心は穏やかだった。


「月も闇の中だからこそ輝ける、貴女はどうなのでしょうね」

「そうですね、きっと私もそうなのでしょう」


 彼女のほほ笑みは、次第に消え、その陶器のような純白の肌を滑り落ちたのは、月光に輝く、数滴の(なみだ)だった。


「月が今日は、本当にきれいです」

「そうだね」

「思い残したことは、ありますか?」

「そうだね。結婚記念日記念日(きょう)、妻に花束を渡すことが、できないことくらいかな」

「残業、ですか」

「中間管理職的な立場を任されつつ、次の世代の社員を育てる立場は、のしかかる重圧が大きすぎるがね」


 男の言葉に闇で輝くその女は手に光り輝く銀色の鎌を持ち、彼の前でこう言った。


「あなたはこれを見ても、私を天使だといえますか」

「君は、月の女神だったか」

「え」


 最期なら、妻には常に吸いすぎだと怒られるがもう一本くらい許されるだろう。死の宣告をされているのにも関わらず、男の心は穏やかなままだ。


「私は死神です」

「そのようだね」

「私を天使と呼んだのは、あなたが2人目でした」

「……そうかい。それは良かった」




 死神と名乗った女は、大きく光輝く月を背負い、人思いに一閃、その彼女の武器(かま)を彼に向ってふるったのだった。


「貴方の次の人生に、幸あらんことを」

「月は綺麗です、貴女も綺麗だ」





 死ぬ間際の男の声は、空気にまじって夜空に消えた。











「早く私も、愛する彼に会いに行きたいものね」



 闇夜に溶け込むように消えていく死神の女の囁き声は、誰にも届くことなく、月の光を前に、消えてしまった。





お読みいただきありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ