雨ノ訪問者 2
2016/11/29 一話分だったものを分化しました。
「舞姫っ!?」
突如現われた妙な気配を察知し、僅かな舞姫の声を聴いた久遠は、本殿を飛び出してすぐさま駆けつける。
そこには既に彼女の姿は無く、引きずられた跡だけが残っていた。それは周囲より乾燥している。
「こっちか!」
舞姫の気配をそれが続く先から感じ、駆けだそうとすると、
「久遠……、様っ」
木々の間からボロボロの黄金が、足を引きずる様に現われた。
「黄金! どうしたのじゃ!」
式神を出して、倒れ込みそうになる黄金の身体を支える。袴姿の彼女の全身はずぶ濡れになり、衣服が少し乱れていた。
「私よりも……、舞姫様を……」
久遠は苦しそうに呼吸する彼女に触れると、その妖力はほぼ残っていなかった。
「うむ!」
自分の分を分け与えてから、久遠は森の中へと入っていった。
森の中を突き進んでいくと、少し開けた所にたどり着く。
「舞姫!」
そこには人が余裕で入れる程の洞窟が口を開けていて、久遠は躊躇無くその中へと入っていく。狐火を灯すと、その中が下り坂になっているのが見えた。
まっすぐ坂を駆け下りて行くと、何かが蠢く音と舞姫のうめき声が、次第に大きくなってくる。
「ふぉおん……」
力が入らない舞姫の身体に、先程の蛇がいくつものたくっていた。
「いかん!」
その蛇は、蠢く巨大なわらび餅のような物に繋がっていて、舞姫の精気に混じる久遠の妖力を吸い取っていた。
久遠にもいくつか蛇が襲いかかるが、手の平から放たれた火炎によって、それらは瞬時に蒸発した。
「こやつ、水で出来ておるのか!」
久遠が印を結ぶと、地面にわらび餅を囲うように光の線が引かれ、大きめの結界が展開された。
「うわっぷ」
それによって分断された蛇は、ただの水に戻って舞姫と久遠をずぶ濡れにした。
「舞姫、大丈夫かの?」
「……うん」
だが久遠はそれに構わず、結界の上でむせかえる舞姫の元にやってくる。その半身を起こして、優しく抱き寄せる。
「さて、と」
久遠の小さな身体では、舞姫を持ち上げられないため、式神を出そうとした瞬間、
「なんじゃとっ!?」
結界を破られてしまい、二人もろとも怪の中に落ちてしまった。
息が出来ぬ……っ。このままでは舞姫が……!
水を飲んでしまったらしく、舞姫の口からは気泡が出ていなかった。
ええい、ならば奥の手じゃ!
その唇に自分のそれを押しつけると、久遠の身体が輝いて九尾状態に変化した。この状態になると、舞姫の身体は久遠の一部扱いになり、久遠は力加減をしなくても良くなる。
彼女は凄まじい熱量によって、容赦無く怪の水分を飛ばし、中から脱出することに成功する。
「まったく……、とんだ不届き者じゃのう」
式神を使って、舞姫の肺に溜まった水を排出させると、彼女は激しく咳き込んだ。
「久遠……っ」
神々しい姿の久遠に抱えられている舞姫は、自分から彼女にギュッと抱きついた。
「恐かったじゃろう? もう大丈夫じゃ」
「うん……」
怪を炎であぶりつつ、舞姫を抱く手でその頭をかき撫でる。
「あんな事言って、ごめんなさい……」
「いいんじゃよ」
儂も言い方がちときつ過ぎたの、と申し訳なさそうに笑う。
「さて、そろそろ蒸発しきったかの?」
久遠がそうつぶやくと同時に、こぶし大ほどの大きさになった怪が、炎の壁を飛び越えてさらに奥へと逃げていく。
「ええい! 逃げるでないわ!」
舞姫を小脇に抱えつつ、久遠はその後を追いかける。
必死に逃げる怪だが、洞窟は行き止まりになっていて、怪にはもう逃げ場はなかった。
「さーて、覚悟はよいかのう?」
ソフトボール大の火球を手に、怒れる久遠は凄まじい殺気を放つ。
「……まって久遠」
「なんじゃ?」
舞姫に制止されて、火球を放つ寸前で久遠は動きを止めた。
「あの妖怪、中に水晶みたいなのがあるよ」
目をこらしてみると、確かに欠けた水晶のような物があった。
「ふむ? なぜあやつの中に」
舞姫を降ろして肩を掴ませた久遠は、しゃがんで怪の中に手をいれて、水晶のかけらを回収しようとした。すると怪の形が崩れて、先程の蛇同様ただの水になってしまった。
「消えちゃったね」
「何だったんじゃあれは……」
まあ細かい事はよしとするかの、と言って再び舞姫と口付けを交わし、普段の小さな状態に戻った。
「さて、持って帰って直すかの」
久遠が地面に転がっている水晶に触れると、
「のわっ!」
「何っ!?」
突如、勢いよく煙が上がり、その勢いで久遠がひっくり返った。
「大丈夫? 久遠」
「うむ」
差し出された舞姫の手を掴んで、彼女は立ち上がった。
辺りに広がった煙が晴れると、そこには全裸の女の子がペタンと座っていた。
彼女はしばらく呆然とした後、
「……久遠様、なの?」
驚愕の表情を浮かべる久遠に、彼女は鳥のさえずりの様な、美しい声でそう訊いた。
「お主……。水葉……、なのか?」
目を見開いて眼前の少女に聞き返す久遠は、微かに震えている手を伸ばす。
「はい、なの」
水葉は小さな花を思わせるような、可憐な笑みを浮かべた。少し細い目から、涙がぽとりと一粒落ちた。
「一体、何がどうなっておるんじゃ……」
「私も、良く分からないの」
気がついたら身体が有ったの、と不思議そうにその裸体を眺める。
「なっ! 水葉殿!?」
式神に連れられてやって来た黄金は、驚嘆の声を上げた。
「黄金も無事――ッ!」
彼女の方を見た水葉は、久遠の後ろにいる舞姫が視界に入って、ギョッとした顔をする。
「久遠様、そいつ、誰なの……?」
怯えた様子の水葉は、舞姫を指さして訊ねる。
「こやつは舞姫、儂の巫女じゃ」
取って食ったりはせんから安心せえ、と久遠は笑って言う。
「ほら、怖くないよ?」
舞姫も、危害を加える気がない事をアピールするが、
「嘘なの! あの鬼面と同じ気配がするの!」
全く効果は無かった。彼女を睨み付ける水葉から冷気が溢れ、氷で出来た龍の顎が現われた。
「待つのじゃ水葉! 舞姫はあやつとは違うんじゃ!」
久遠は舞姫を下がらせてから、敵意むき出しの水葉を説得する。
「だまされちゃ駄目なの!」
氷の龍は今にも、舞姫へと襲いかかろうとしている。
「ええい! やめんか!」
聞き入れようとしない彼女に、久遠はげんこつを喰らわせる。それと同時に、龍の頭は霧となって消えた。
「痛いの……」
水葉は半ば混乱した状態で久遠を見上げ、げんこつを喰らった所を撫でる。
「舞姫はただ単に、"鬼面の"の子孫なだけじゃ」
それにのう、よく舞姫の精気を視てみい、と言って、久遠は舞姫を呼び寄せる。
「……! 久遠様と同じ妖力を感じるの……」
「久遠様は訳あって、彼女に魂を分け与えたのです」
妖力が戻った黄金がやって来てそう説明する。その手には先程、自分の式神に持ってこさせたパーカーがあった。
「お主等と同じように、儂の愛する者なんじゃよ、舞姫は」
じゃからあのような目で見んでくれ、と困った顔で水葉にそう諭すように言う久遠。
「……ごめんなさい、なの」
彼女は素直に頭を下げて、舞姫に謝罪した。
「気にしてないから大丈夫だよ?」
黄金からパーカーを受け取って、舞姫は水葉に着せてあげた。
「ありがとう……、なの」
シュンとした顔で、申し訳なさそうに水葉は礼を言う。
「ふにゃっ! 久遠様……?」
すると、突然に久遠が水葉を抱きしめ、それに驚いた彼女は驚いて変な声が出た。
「会いたかったぞ……、水葉……」
こらえきれず、静かに涙を流す久遠。
「久遠、嬉しそうですね」
「はい」
舞姫と黄金は、少し離れてその様子を見守っていた。
ややあって、
「……また、水葉の羊羹が……、食べられるんじゃな」
腕を解いてそう言った久遠は、満面の笑みを浮かべていた。
「はい、なの!」
水葉も微笑み返して、元気よくそう答えた。
「それより、着替えが先ですね」
水葉以外の全員は、濡れ鼠になっている。
「じゃあお風呂だね!」
「……しょうが無いのう」
「やった!」
渋そうに笑いつつ、久遠がついに折れた。それを聴いた舞姫は、小さくガッツポーズをした。
入浴後、急遽お祝いをすることになり、黄金と舞姫が協力して料理を作った。
「久遠、ご飯出来たよー?」
久遠は縁側に座り、月をぼんやりと眺めていた。
「久遠?」
「……おお、舞姫か」
舞姫が顔をのぞき込んだところで、久遠はやっと彼女のことに気がついた。
「考え事?」
「ああ、そうじゃ」
隣に座る舞姫に寄りかかり、身を預ける久遠。彼女はいつになく、不安そうな顔をしていた。
「なあ、舞姫。儂は――」
「ずっと一人で、我慢してきたんだよね。久遠は」
久遠の言葉を遮って、舞姫は彼女の頭を優しく撫でる。
「……うむ」
耳を横に倒して、久遠は満足そうにしている。
「多分、許してくれるんじゃない?」
彼女が訊ねようとした事への、答えが舞姫から返ってきた。
「そうかのう……」
「みんな(・・・)、久遠が大好きだったんでしょ?」
だから大丈夫、と手を取って、舞姫は小さく笑った。
「そう、じゃな」
久遠の尻尾が嬉しげにパタパタと動く。久遠の柔らかな金髪が、月明かりに照らされて輝いている様に見える。
そうしていると、エプロン姿の黄金が二人の名前を呼び、
「せっかくの料理が冷めてしまいますよ」
「なの」
茶の間から顔を覗かせた。その隣では、水葉がめざしをもひもひと食べている
「今行くぞ」
立ち上がり舞姫に目配せをする久遠。頷いた舞姫も続き、二人の待つ茶の間へと向かう。
「ぬっか漬け~、ぬっか漬け~」
上機嫌でそう歌うように言って、久遠達は料理が並ぶちゃぶ台に着く。
「む、油揚の味噌汁じゃの」
汁椀の中に入っている、具の油揚を箸でつまんで口に入れる。
「しっかり油抜きしといたよ」
「ご苦労じゃったの」
待ちに待ったキュウリの漬け物は、ぱりぱりと小気味良い食感がした。
「そうえば久遠って、油揚は好物じゃないの?」
「それ、気になっていたの」
舞姫からの問の答えに、興味津々な水葉は、玄米混じりのご飯を美味しそうに食べている。
「嫌いではないんじゃが……。ちと油分がの」
儂はへるしい指向なんじゃ、と自分が作ったわけでもないのに、久遠はどや顔で言う。
「なんか近所のおばあちゃんみたいだね」
「げふん!」
舞姫の発言を受け、茶を飲んでいる久遠がむせかえった。
「誰が老婆じゃ!」
「そうですよ、舞姫様。おばさんでもむせます」
フォローになってないフォローをした黄金に、
「……黄金、後で儂の部屋にくるように」
「……? はい」
久遠は、口だけが引き攣った笑いを浮かべてそう命令した。
その後四人の賑やかな声は、家の明かりが消えるまで、止まることは無かった。