狐ノ巫女 2
2016/11/28 一話分だったものを分化しました。
髑髏の隠れ家である洞窟の、資材置き場になっている一角。
「こうしちまえば、ただのメスガキだなあ? オイ?」
危うく自らの「尊厳」を、舞姫に粉砕されそうになった男が、いかにも雑魚の台詞を吐く。
床に横倒しになっている彼女の頭を、白い面の雑魚がつま先で何度も小突いた。頭部に巻かれた呪符に意識を奪われ、何の反応も示さない。
「精々楽しませて貰うぜ」
雑魚の男は下品な笑みを浮かべて、舞姫の豊かな胸に手を伸ばそうとする。
「やめなさい。その子は捕虜なのですよ」
その手を払った金色の面をした女性が、嫌悪感を隠そうともせずに雑魚Aを見下ろす。
「タマ潰されかけたんだから、そのくらい別にいいだろ」
それを無視してAは舞姫の太腿に触れ、手をスカートの中に差し入れようとする。
「やめなさいと言ったはずです!」
「ごっふうううう!?」
金色面の女性は、それの顔を全力で蹴り上げて吹っ飛ばした。続けざまに浮き上がっているサンドバックに回し蹴りを食らわせ、段ボールに突き刺した。
「全く……、低級はこれだから……」
脚の生えた段ボールを外に投げ捨てて、資材置き場のドアを閉めた女性は頭を抑えた。
「……頭まで巻かなくてもいいでしょうに」
そう言って彼女は、舞姫の頭部に巻き付いた呪符を剥がす。
「……。ん……」
意識を取り戻した舞姫が目を開けた。目線だけ動かして、目の前に立つ女性を認識した。
「すみませんね。こんな厄介事に巻き込んで」
女性はそう言って資材の中にある、圧縮されたマットレスを開けて床に敷く。
「……っ」
女性を睨み付ける目には、親しみといった感情が一毛たりともない。
「流石、久遠様が育てられたお子ですね」
女性は舞姫を軽々と抱え上げ、固い地面からマットレスの上へと移す。
「貴女が居る限り、ここだけは絶対安全です」
女性は扉の前に座り、面を外して素顔を晒す。低い声の割には、彼女からは幼い印象を受ける。
「……」
そう言う割に彼女は、冷や汗を滝の様に流していた。
「外では恐らく、もうじき生き地獄が始まる頃でしょう」
身震いをした女性は、手の震えが止まらなくなり始める。。
「苛烈なあのお方の事です、何もかも燃やし尽くしてしまうでしょう」
「……?」
あのわがままで、寂しがり屋で、どこまでも優しい久遠と、彼女が話す久遠が舞姫にはどうにも結びつかない。
まあ無理もないでしょう、と言ってから一つ間を空けて、
「久遠様は、寵愛なさっている者以外には、とても手厳しいお方ですので」
女性は額の汗を拭いてそう続けた。
「配下の者に手を出そうものなら、それはもう恐ろしい報復を――」
独り言の様に彼女が言った時、扉をすり抜けて管狐が入ってきた。
「久遠……?」
直後、隕石でも落ちたかのような轟音が響き渡った。
「おいでなさいましたか、久遠様……」
自らを威嚇する管狐に、女性は降参のポーズをした。
管狐の尻尾から出てきた狐火が、舞姫の全身に巻かれた呪符を焼き切った。
「そこ、どいてもらえませんか?」
再び耳と尻尾が顕現した舞姫は、ゆらゆらと出入り口に向かう。
「そういうわけには行きません。私には貴女を護る義務があります」
女性はそう言って彼女を押しとどめる。
「行かない、と……」
直後、痛いほどの動悸を覚えた舞姫は、その場に崩れ落ちた。
「舞姫様!」
苦しそうに浅い呼吸を繰り返す彼女を、女性は優しくだき抱え、マットレスの上に戻した。
「久遠……、苦しい……、よ……」
それでも身体を引きずって、外に出ようとする舞姫。
「もしや……?」
女性はその体内を循環する気に、久遠のものが混ざっているのを感知した。
*
「こんなの聞いてねえよ……」
目が覚めた段ボールの目の前で、山がドロドロに溶けて赤熱していた。
その中心、髑髏の張った結界内と、舞姫がいる部屋だけが原型を保っていた。
『貴様ダケハ許サン! 髑髏オオオオォォォォ!』
髑髏と対峙する金色の化生は、低い声と高い声が混ざった様な、不気味な声で叫ぶ。
八本の尻尾から生成された、八つの火球が結界に殺到し、また、凄まじい轟音を鳴らした。その余波で、段ボールの雑魚は吹き飛ばされて行った。
それでも髑髏は、不敵に笑い詠唱を始める。張られた結界は、完全な状態で未だに健在だった。
舌打ちをした化生は、今度は妖力を1カ所に集めて火球を放つ。
「どうした九尾狐! 貴様はその程度であったのか?」
だが、相変わらず結界には、ひび一つ入っていない。
「ならば貴様は! 我を倒す事は出来ぬ!」
呪符を陣の中心に貼り付けると、周囲の溶けた岩を吸い上げながら、岩の巨人型の式神が姿を現した。その怪物には、頭が付いていなかった。
『コノ程度ッ』
化生は最大限の妖力をつぎ込んで、一度に何発も火球を怪物に叩き付ける。
なにっ!
にもかかわらず、それは全くダメージを食らっていなかった。
反動で動けない化生は、化物に鷲掴みにされ、
『グッ!?』
その足元に叩き付けられた。化生の身体が薄くなっていき、苦しそうに喘ぐ久遠の姿に戻った。
「やれ」
彼女の小さな身体を、化物はその巨大な足で何度も踏みつける。
「ご……、は……」
舞姫……っ。
「あぐ……、うああああ!」
舞姫は胸を抑え、いっそう悶え苦しみ始める。額に大量の脂汗が浮かんでいた。
「舞姫様! お気を確かに!」
意識が朦朧としつつある彼女の、半身を起こして呼びかける。
「久遠の所に……、早く……」
うわごとの様に掠れた声で、舞姫はそう言う。
「危険です」
神にも匹敵する力を持つ者同士の、戦いの最中に飛び出していくのは、自殺行為に他ならない。
「早く……、しないと……。早く……」
何度もそう繰り返し、彼女のその手が宙を掻く。
「……っ。どうなっても知りませんよ!」
根負けした女性は、舞姫を担いで外へと飛び出す。
「これは……っ」
彼女の視線の先には、式神に両腕を拘束され、磔のように吊り上げられている、久遠の姿があった。
「久遠……」
「か……、あ……」
「あの九尾狐がこの様とは……」
力なく喘ぐ久遠の正面に、愉快そうに笑う髑髏が降り立った。
髑髏は卑しく顔を歪め、彼女の巫女服をはだけさせる。彼女の膨らみの乏しい胸と、ほどよく丸みを帯びた腹部が露わになった。
赤色の顔料を彼女の身体に塗りつけて、その柔肌に術式を描いていく。
「うあっ……」
触れられる度に身をよじる久遠を、髑髏は嗜虐的に笑いながら弄ぶ。
「さて」
腹の物を描き終り、髑髏が素早く詠唱する。すると術式が蠢いて、血管のような膨らみを作りながら、久遠の身体を侵食していく。
「まさか天下の九尾狐が! 我が下僕となる日が来ようとは!」
髑髏は大仰にそう喋りながら、久遠ののど元を指先でなぞった。あられもない姿で顔をしかめる彼女を、舌なめずりする蛇の目で眺める。
「それが意味する事は何か? それは我が神にも匹敵する存在へと! いや! むしろ神そのものへと昇華する事で――」
「……ようその程度の事で、儂の逆鱗に触れる気になったのう」
髑髏が長々と垂れた口上を、久遠は一笑に付した。
「なにっ!」
青筋を立てて激昂した髑髏は、己を嘲笑するようにそう言った久遠の頬を殴りつけ、術式で覆われた腹に蹴りを入れた。
彼女は激しく咳き込んだが、その鋭い眼光が鈍ることは一切無い。
「貴様の手を出した娘はの、今の儂にとってはただ一つの幸福じゃ」
その脳裏には200年もの孤独から久遠を救った、いとおしい舞姫の笑顔が浮かぶ。
「じゃが貴様は! 儂のささやかなそれを奪わんとした!」
惨めにも痛めつけられて、嬲られる様な辱めを受けてもなお、髑髏を睨む久遠の瞳には気高く神々しいまでの光が、
「この身が貴様の手に墜ちようとも! 貴様だけは赦さぬ!」
どう猛な化生の闘争心が、確かに宿っていた。
「だからどうした! 貴様はもう――」
髑髏の発言を遮って、舞姫を抱えた女性が、
「久遠様ああああ!」
やけくそ気味に突っ込んで、剣を髑髏に向かって振り下ろす。
「裏切るか金面よ!」
髑髏は軽やかにそれを回避し、宙を舞って怪物の頭の位置に着地する。
「舞……、姫……っ」
息も絶え絶えな舞姫は、久遠の身体を強く抱き占める。
「ええい、儂から離れい! お前まで巻き込む訳にはいかんのじゃ!」
舞姫の身体までも、術式は浸食し始める。
「いつも……、護って貰ってばっかりだから……」
怪物が飛ばしてくる巨岩の弾を、女性は結界を張って何とか凌ぐ。だがそれも、あと僅かで限界に達する。
「だから、これは恩返し……、だよ」
そう言った舞姫は、久遠の唇に口付けをする。
その瞬間、突っ込んで来た怪物の本体が、三人もろとも踏みつけた。
*
『化生の儂に、人の子を育てろというか』
困惑する九尾狐の腕には、ほとんど生まれたばかりの赤子が抱かれていた。
『はい。このままではこの子は、死んでしまいます』
どうかお助けを……、と赤子の母親らしき女性は、彼女へそう必死に懇願する。
『してこの赤子は、――っ!』
気の流れを見た九尾狐は、
『心ノ臓が……、無い……、じゃと?』
その赤子の心臓が、無くなっている事に気がついた。
『はい。妖に、食われてしまいました』
確かに普通なら赤子は、このまま死ぬしかなかった。
『そう……、か』
何も知ること無く消えてしまう、無垢な命を哀れに思った九尾狐は、
『承知した』
自らの尻尾を1本犠牲にして、赤子の心臓を生み出した。
『これでよい』
『ありがとう、ございます……』
母親はそう言って、深々と礼をした。
『じゃが、この赤子、儂が傍におらねば半日で死んでしまうぞ』
『はい……』
『お主はよいのか? 我が子の傍で、成長を喜ぶ事もできんのじゃぞ?』
穏やかに眠る赤子には、半透明な尻尾と耳が顕現している。
『それで良いのですよ……』
それだけ言うと、母親の姿が消えて無くなってしまった。
『あやつ……、やはり、すでに死んでおったのか』
九尾狐が抱く赤子はその腕の中で、スヤスヤと心地よさげに眠っていた。
それから九尾の狐――、「久遠」の、舞姫と名付けられた少女を育てる、悪戦苦闘の日々が始まった。
*
「この儂を散々コケにしよったな。髑髏よ……」
轟、という音と共に、岩の怪物は体中から火を吹き、その身が爆ぜて粉微塵になった。
「なん……、だと」
踏みつぶしたはずの三人は、久遠の結界のおかげで全くの無傷だった。
「さて、どうしてくれようか」
怒りに燃える久遠は、全盛期の妖艶な美女の姿をしていた。その腕の中には、穏やかに眠る舞姫が抱かれている。
「これが……、九尾の……」
九本の尻尾から放たれた炎が、髑髏の皮を焼き尽くし、本体の骸骨が露わになる。
「往生せえ」
業火はそれさえも焼き尽くし、後には何も残らなかった。
今度は久遠が口付けをすると、彼女の姿は元の幼い姿にもどり、その尻尾も普段通りの一本だけになった。
「なんて日じゃ……」
目が覚めた舞姫と一緒に、仰向けに倒れ込んで横並びに寝そべる。
「そうだね……、久遠」
漆黒の空には、一面の星空が広がっている。
「舞姫よ……」
「……何?」
「腹減ったのう……」
「疲れてるから作れないよ……」
まことか……、と空気の抜けた風船の様な会話をしていると、
「では僭越ながら私が代理を」
金色の狐面を頭の横に付けた女性が、二人を一緒に抱えてそう言った。
「おお、黄金ではないか。二百年ぶりじゃのう」
気がついて無かったの? と、驚いた舞姫に、おう、と嬉しそうに尻尾を振っている久遠は返事する。
「気持ちはありがたいがのう、普通に帰ると三日ぐらいかかるぞ?」
はい? と絶望感溢れる顔になる黄金。
「まあ、これ使えばひとっ飛びじゃがな」
久遠がそう言うと、二、三匹の管狐が集まって変化し、雲の上に乗った牛車が現われた。
「なら早く言ってあげなよ、久遠」
ちょっとした戯れじゃ、と、久遠は舌を出してニヤリと笑う。
「そうじゃ。舞姫に、言っておかねばならぬ事があるんじゃが……」
彼女は一転、神妙な面持ちになる。
「あの鳥居、全部壊してしもうたんじゃが……」
へへへー、と乾いた笑いを浮かべる久遠を、
「……」
舞姫はジト目で眺める。
彼女はあの鳥居の紅いトンネルが、大のお気に入りなのであった。
「……この人置いて帰りましょう、黄金さん」
「はい、舞姫様」
黄金は懇切丁寧に久遠を地面に降ろして、舞姫とともに牛車に乗り込む。
「ま、待つのじゃああああ!」
久遠は大慌てで立ち上がり、動き始めた牛車に飛び乗った。
「冗談だよ」
愛しい二人の顔は、悪戯っぽく微笑んでいた。