君の笑う夜2
アンヴェルローザの語った異世界の創世神話にふむふむと相槌を打っていた忍が、きょとりと瞳を丸くした。
「じゃあ、アンヴェルローザさんは半神半人なの?」
「たぶんそう」
神と人の境目はこちらの世界よりも曖昧で、半神半人とわざわざ区別する必要性は感じられなかったが、上手く説明出来ないと判断したアンヴェルローザはこくりと頷いた。
英敏は難しい話は理解不能だとお手上げのポーズで、ただアンヴェルローザの世界は随分地球とは異なるのだ、とだけ覚えたようだった。
「だから息するくらい簡単に魔法が使えるんだ」
「それ、たぶんちがう」
例え母が神でなくても、イースはアンヴェルローザよりも魔法を自然に使ってみせた。華奢な青年を思い浮かべて否定すると、異世界の理を理解するのは難しいと忍が唸る。
話の一段落ついたタイミングで、彼女達の座る座席を教師が覗き込んだ。
「お楽しみのところ悪いんだが、そろそろ到着だぞ、と。」
「はい、先生」
忍が返事をするとさっさと去る教師を見送り、アンヴェルローザは忍が盛大に広げた菓子類をビニール袋へと押し込んだ。
***
三日月島村は、四方を山に囲まれた山間の小さな集落で、決して余所の人間が旅行に来るような場所ではない。
【学園】のE組の生徒は森でのサバイバルキャンプを行う為にそんな山村を訪れる、例外中の例外である。
A組からC組までの一般クラスの生徒達は山麓の温泉街に宿泊し、日頃の疲れを癒やす気楽な旅行だが、訳ありのD組と、特異能力者専門クラスのE組のバスは山へ分け入り、一週間文明の利器から遠ざかって過ごすのだ。まるで演習だね、とクラスメイトの誰かが呟いていた。E組の主な就職先は特殊部隊の特殊工作班である。
「いいかお前ら、山の中では三人行動。俺達教師はお前ら一人ひとりの位置把握してるから、逸れたやつは速攻で回収しに行く。が、誰か一人でも逸れたグループは修学旅行後に特別課題出るからな。」
今日だけは宿泊できる貸出の巨大な古民家の大広間に、覇気の無い教師の声が響く。
「同じように体調を崩したやつ、毒食っちゃって死にそうなやつ等も回収対象。勿論特別課題付き。」
生徒達は大人しく説明の声を聞いている。元から特別課題を出されるようなヘマの出来ない能力の持ち主達は、この修学旅行を単なる風変わりな演習と捉えているのだ。
問題はD組である。
様々な訳ありではあるものの、彼らは一般人と何一つ変わらないただの人間である。間違っても毒の効かない体長2mの超筋肉の持ち主や、他の生物の精気を啜れば食事の要らない魔術師ではないのだ。
「E組のグループに各々一人ずつ、D組の奴を参加させる。ようは要人護衛のサバイバル訓練だな」
英敏がのんびりと呟いて、忍がアンヴェルローザへとこの演習の目的をもう一度噛み砕いて話す。なるほど、と頷いたアンヴェルローザの視界に、こちらへ寄ってくる青年が見えた。
「二班ってお前ら?」
不満そうな顔を全面に押し出した赤髪の青年が、嫌そうにそんな質問をした。異国の白い顔立ちと、金と赤の混じる美しい長髪、翡翠のような瞳。
「そういうキミはシオン君?」
忍が聞き返すと、青年──シオンは憮然と頷いた。あどけない少年のような、むっつりと口をへの字に曲げた素直な表情。美しい宝石のような容姿の彼にアンヴェルローザは悪い気もせず、彼が座る場所を開けてやる。
「山で一週間なんて、たりー……お前ら、ちゃんと俺が食えるもん作れよな。つーか頭使えなそうな筋肉ダルマと細っこい女二人が俺のグループメンバーとかまじありえねぇ……大丈夫なのかよ?」
「シオン君はお客さんだと聞いた。不安に思うのもわかる。大丈夫だ、アンヴェルローザさんがいればマグマの中でも快適に生活できるから。」
秀敏がうむうむと一人頷くと、シオンが首を傾げる。
「じこしょうかい、する、いい」
他の二人と違ってアンヴェルローザとシオンはグループのメンバー達のことを何一つ知らない。山に入る前にお互いのことを話しておくべきだと彼女が言葉少なに提案すると、その意を正確に汲み取った忍がそうだねと頷く。
「私は香月忍。シスター見習いだよ、宜しくね」
「シスターって神聖教団の暗殺部隊か?」
「聖典祈術の使い手と言ってほしいな。戒律守って生活して、神の教えを人に広める、ちょっと正義の執行もするだけの普通のシスターだよ。」
ぺろ、とちょっと舌を出して笑う彼女は肉食獣のような凶悪さを醸し出している。神々が信仰を奪い合う地球では、彼女のように神を絶対支配者視する人間もいるのだ、とアンヴェルローザは記憶の片隅に新たな事実を刻みつけた。
「俺は条島英敏。突然変異の細胞のために筋肉だけは自慢できるぞ。」
「骨格も尋常じゃねーぞお前?」
「筋肉を支えるために常人の1.5倍程大きい骨格と太い骨を持っているからな!」
にかり、と笑う英敏から視線を逸らすように、シオンが顔を顰めながらアンヴェルローザに向ける。他人から悪意以外を向けられていることに慣れていないのか、と一目でわかる程にわかりやすい仕草だった。
「お前、日本人じゃないな」
どちらかといえばこの世界の白人種に近い顔立ちのアンヴェルローザに親近感でも湧いたのか、彼は多少なりと柔らかな声を掛けてくれる。
アンヴェルローザはひとつ頷いた。
「俺はシオン。イギリスから来た。父上の仕事にちょっと問題があったらしくて、学園に警護と保護を頼んでる。お前は?」
「アンヴェルローザ。いせかいから、きた。魔術師。」
「イセカイ?どこの国だ、それ。つーかお前日本語下手過ぎだろ。」
「かいわ、まいにち、ない。」
訥々と一定調にてにをはの抜けた日本語を話すアンヴェルローザに、シオンが複雑な表情を作る。
アンヴェルローザは、これまでの四年間の殆どを与えられた自室で過ごしていた。勿論それは、彼女が何もかもが異なる異世界から来た為というのもある。こちらの世界に疎い彼女は外出自体を避けていた。
しかし、最も大きな要因は、こちらの世界の空気が彼女にとって毒であるということ。
アンヴェルローザにとって、地球の酸素濃度は薄く、窒素の濃度は濃すぎる。普段から彼女の自室では常人が酸素中毒を起こして死に至るほどの高分圧の酸素濃度が保たれ、その分窒素を排するという設備が働いており、部屋の外では定期的に酸素の吸引をしなければ彼女は窒息してしまう。
今回の修学旅行を迎えるにあたり、日本の魔術師が作り上げた【一定の原子を排して指定した分子を自動的に生成する簡易結界】が試験的に彼女には与えられている。彼女がクラスメイトたちと良い人間関係を築くのにやぶさかでないことも、この簡易結界があればこれから先付き合いが生じるだろうと思ってのことだった。
日本語も、聞き取りに関してはずいぶんと上達はした、と彼女は自負しているものの、やはり喋る事には不慣れだ。修学旅行を通して上達するといいのだが。
「きみ、は、にほんご、じょうず。すごい。」
そうであっても異国の言葉を覚えることは難しい。特に、イギリスは日本とはまったく異なる言語形態の発達した地域である、と彼女は地球の簡単な言語学の知識を引っ張り出した。単純に感心して思ったことを口に出したアンヴェルローザに、しかしシオンは「はぁっ!?」と大げさに顔を歪める。
「……なに、へんな、こと、いった。わたし?」
首を傾げた彼女に、忍が苦笑する。「シオン君、照れてるだけだから気にしないで」とそっと耳打ちしてきた彼女に、アンヴェルローザは神妙に頷いた。シオンはぷりぷりと不機嫌そうにそっぽを向いてはいるものの、耳元が薄らと赤く染まっている。
唐突に、アンヴェルローザは彼のことが哀れに思えた。こんなことで照れるほど、褒められる事に慣れていない青年。何の能力も持たないはずなのに、明らかに同年代の一般人とは異なるその様子が、酷く不憫に感じたのだ。
「えいご」
唐突に口をついて出た言葉。ぱっと振り向いたシオンに、自分でもよくわからないままに次の言葉がするりと滑り出る。
「おしえて、……あー、ほし、い?」
「教えてほしい?俺に?」
呆気にとられて聞き返したシオンに、アンヴェルローザは首肯した。「にほんごも」と付け加えると、彼は数秒彼女の顔を眺めていたが、やがて「しかたねーな」と零すように言った。
「一週間も山の中なんて暇だし、日本語学習者に教わったほうがわかりやすいだろうし、英語も俺はネイティブだからな、し、しかたねーから教えてやる!ひ、暇つぶしだからな。」
──とりあえず、教えてくれるということでいいのだろうか。アンヴェルローザはこっくりと頷いた。
***
「話は変わるが……アンヴェルローザというのは、少し長い名前だな。」
やり取りが落ち着くまで静観していた英敏がぼそりと言った。アンヴェルローザがそうだろうかと小首を傾げると、シオンと忍もそのとおりだと肯定を示す。確かに日本人の名前に比べれば長いかもしれない、と彼女も頷くと、英敏が「うむ」と頷き返した。
「そこで、愛称で呼ばせてほしいのだが、いいかな」
「あいしょう」
知らない言葉だ、とアンヴェルローザが虚耐えるのを、目敏く察したのはやはり忍である。感情の機微を察する事に長けているのだろう、忍は簡単に「友達同士で使う特別な名前」と愛称について説明した。
「……あいしょう、ほしい」
友達、特別。異文化に馴染む体験はアンヴェルローザの心を踊らせる。やはり修学旅行に参加してよかった。退屈なばかりの四年間は、時間を無駄にした気がしてならない。
最も、彼女の世界に寿命という概念は無く、時間はさして重要ではないのだが。
「じゃあ、ローザ?」
「そうだな、ローザが呼びやすいだろう」
「……いいんじゃねぇーの?」
初めての友人達がさっさと彼女の愛称を決めるのを、アンヴェルローザは楽しげに眺めていた。