現人神3
明くる日、私は父母に尋ねた。
このままここでひっそりと穏やかに暮らすか、人の世界へ戻るか、どちらがいいか。
最近はごく普通の子供のように、ものを教わり、拙い手伝いや遊びに明け暮れていたので、久々にこのような口を利いたと思う。
干した鮎も、作り続けた木材や竹の加工品も、或いは獣の川や肉も、織った布も、最早自分達の必要な分を大幅に凌駕して蓄えてあった。
私は既に目覚めた。目覚めたからには、その命を救うべく閉じた世界へと導いた彼等を再び人の世へと戻す事も出来よう。
選択は早い方が良い。よく考えて決めるよう、そう告げた先の父母は数日の間沈黙した。
◆ ◆ ◆
三日が経った。両親はまだ、外の世界を開くか否かに頭を抱えていた。その間、私はずっと光球を通してこの星を見ていた。
便宜上の方角を地球に見立ててさだめ、頭の整理をつけた。強固な結界を張った2つの小国のうち、大陸の中央からやや西にある方は、特に私の興味を引いた。
入国する者の殆どが杖を携えているのだ。
……これは恐らく、呪い師の集う国。私達は皆呪い師であるから、移住先はこの国が良いかもしれぬ。
ぼんやりと父母の答えを待ちながら、光球を覗いていると、ふと、光球が赤く滲むように輝いた。
おや。絶対に居ない、と思っていたのだが。
遠視する場所を三日月列島へ引き戻すと、大陸からの洋上を飛来する点が見つけられた。
焦点を合わせると、その点が西方の呪い師である事はすぐに分かった。特徴的なつばの大きなとんがり帽子は一瞥でそうと伝えてくる。
さて、この遠き西の地より来る呪い師の男は、何故にこの島を目指すのか。
空像を彼の前に出現させる。
何も読み取れぬ表情で、呪い師の男は空像を見上げて飛行の速度を落とし、止まった。
「汝、何故にこの大洋を渡りたるかや?」
「きみは……」
「汝、何故にこの大洋を渡りたるかや?」
男は暫く静かに空像を見上げていた。彼は僅かな逡巡の後、ただ一言答えた。
「きみに会うため、かな……」
私の存在に気づいて遙か西方より飛んで来たと?俄に信じられぬ言い分に、沈黙を返す。
「……汝は何者なるか?」
では、と別の問いを投げかければ、呪い師は答えを如何に表そうかというかのように口を一つ開閉し、そうして「僕はエイレン。旅人だよ」と答えた。
「汝、旅の者にして西方の呪い師エイレンは、何故この地を見出したるか?」
再びの逡巡があった。言い澱むエイレンに沈黙をもって答えを促す。彼の瞳は僅か、揺れている。
「……鳥たちがざわめいていたから、かな」
「鳥の囀りに導かれるか。エイレン、しかし我は今、汝に返す言葉は持たぬ。汝この先へ進む事無かれ。疫と穢れに満ちた土に降り立ちたもうな」
エイレンはそっと目を伏せ、そう、とだけか細く答えて引き返して行った。
彼が遠く大陸へ去るまで見届けた後、私はこの列島に薄い膜をかけた。円形のそれは、不用意に入れば対角線上に擦り抜けるものとなっている。
鳥のざわめきで私の所業が露見しているならば、この島に留まることは最早安全ではない。平穏はその息を止めるだろう。
そっと父母を呼んだ。
次の日、私達はこの島を出立した。無論船も、航空船も有りはしない。
私がこの世界のものではない力を大きく使い、大陸への扉を繋げたのだ。薄く伸ばして練った力は鳥の力とは変質していて、鳥達を不安気に騒がせた。
そうして、大陸の中頃にある平原へと私達は降り立った。
父母はこれを『かみ』の御業であるとして尊んだ。あねたちは不思議そうにしていた。
繋げた扉の向こうには、見覚えのある男が立っていた。
エイレン。
見据えた私に、エイレンは中身の読めぬ微笑を送る。
「やあ、来たね。きみを待っていた」
「……あなたは?」
母は警戒を隠しもせずに杖を握り締め、問う。エイレンは見定めるような目で母を見返した。
エイレンは私達五人の誰が『私』であるか、見定められてはいないようだった。
「僕はエイレン。旅人さ」
昨日と同じ答えを一見陽気な様子で繰り返す。けれど彼の瞳には、剣呑な光が灯って見えた。
「旅人が私達に何の用でしょう?」
父の問いかけにエイレンが僅か目を細めた。自然、父の双眸も険しい光を灯す。
「きみが何者か知りたい。きみが何をするつもりなのか、それがこの世にどんな影響を齎すか、僕は見定める必要がある」
父母やあねらの瞳が苛烈に煌めいた。
「去るがいい。答える言葉は無い。我々は何者にも過度の干渉を許しはしない」
鋭い言葉にエイレンの視線がぐらつく。
戸惑っているのだ。賢者の瞳であることは容易に察しはつけども、ここで私を暴く事が彼にとってはどんな意味があるというのか。
「世界のために、教えてはくれない……みたいだね……」
エイレンの瞳が伏せられると同時に、周囲にさざめく光の鳥達が激しくざわめきだす。
父母は唇を硬く噛み締め、ますます杖を固く握り締める。
「双方鎮まり給え」
エイレンがぴたりと私を見据えた。私も見据え返した。母の腕に抱かれていたのを、あねが引き取って下ろし、あにとともに私の後ろに控える。
「我等に危害を加えんとするか、エイレン?」
「……まさか、キミがそうなのかい?幼すぎる、まさか」
信じられぬ、とばかりに目を見張り、険しい表情を浮かべたエイレンに、私は緩く首を振る。
「そなたの中の基準などこちらには何の関係も無い。そして我等に、危害を加えられる理由も有りはしない。自らの目論見も明かさずに傲慢極まりない振る舞いはそちらが礼を欠いていると考えるが、如何に」
「……確かに、事を急き過ぎたね。ごめん。僕はエイレン。この世界の監視者の一人さ。キミが何者か、世界を揺るがしかねない存在であるのか、それが知りたい」
訳もない問いでしか無かった。
「泥水を啜って汚濁を這いずり回る地獄より、人の営みへの回帰を望みてこの地へ渡っただけの事。
私は呪い師アビニとマナの子かがみ、或はヴァイシャーラ。東の果ての愚かなる亡国の末裔となるもの」
かがみ、と私の名をエイレンは舌の上で転ばせる。
量っているのだ。そして、量りかねている。
思いついたものを書いていったものの、テーマ性の無さに気付いて結局進まなくなってしまったもの。




