現人神2
父と母は、私を何か超常的な何者か、あるいはその移し身か使いかだと考えるようになっていた。父と母はその超常的な何か、のことを『かみ』と呼ぶようになった。
滲んだ意識の外側でその音はくぐもって響いていた。
淀んだ澱のような眠りからぷかりと浮かび上がったころ、この小さな豊葦原の瑞穂国は様相を変えていた。
近場に竹藪や笹があるという。良質な石も土もあるらしかった。
磨いた石を刃物替わりに、竹の加工を父母は行っていた。
葦の囲いは少しだけ広くなっていて、道がいくらかできていた。竹で作った平たい小屋が家となって、開けたところに立った竹竿には川魚が並んで吊られている。
あねとあには活発に走り回り、弓の腕を磨いていた。竹の小弓に葦の矢を番え、川向こうの鴨を射抜くほどの上達だった。
竹藪の向こうにワタの木が幾らか生えていたからか、父母は糸錘や機まで作っていて、服を自作していた。
尤もこれらは、私が覚えていないだけで、私が指示して作らせたもののようであった。
それ以外にも突然物の作り方を寝言の如くに零したことが何度かあったという。
他にも不格好ではあれど焼き物や、木の加工品、中にはどう見ても漆塗りの物などもあったが、一際異彩を放っていたのは、壁際に立て掛けられた杖であった。
木彫の長杖が5本。2つは大きく長く作ってあった。これを見て、どうやらあねやあにのように両親もやはり呪い師の類らしいと確信した。
恐らくは私も。
父母の話から察するに、この国は方士と呼ばれる超常者を須く迫害する政策を続けていたらしかった。
私の父母は運良く逃れていたようだが、他は大抵が遥か昔に都で重役を担い権力を握ろうとしていたようで、国政の歪みが露見すると反乱に転じたものの、敗北した。
父母の幸運は偏に、最端の村でひっそりと生まれたからである。
寝ているばかりだったと思っていた自分にも、当たり前だが変化が訪れていた。
はっきりと思考が澄み渡ったその瞬間、私はふと立ち上がったのである。
父母もあねたちも口をぽかんと開けて私を凝視していた。首を傾げて私は前へと歩を進めた。
なにかあったの。
そう尋ねた私に返されたのは、二年間微睡んだままずっと横になっていたという事実だった。厳かな寝言を言わぬ時は呻き声一つも上げぬままだったとも。
三歳の小さな体で母の瞳を覗いた。
心配させてごめんなさい。今起きた。おはようございます。
家族は暫く咽び泣いていた。
それから、私に名が付いていた。あねやあにと同じように、父と母から二つの名を与えられていた。
母からは、かがみ、という名を。
父から貰った名は、音の響きが予想外だったものだから、驚いてしまった。
それは、ヴァイシャーラ、という。
かがみ、或はヴァイシャーラ、それが、今生における私の名となる。この地でどんな意味を持つのかは解らねど、大層な名前をつけられたようだ、と何となく察した。
家族の発達させた小さな文明を見て回る日々が少々続いた。
鳥は大いなる流れ、力を司っているらしく、あねやあにはその声すら聞くことができた。
私には、ただ、囀りが音調となって聞こえるだけだった。
方士の力を継いだのであれば、と、父母から古くから続く呪いを教わった。あねやあにから、鳥より伝えられたという呪文やその意味を教わった。
鳥の声の聞こえるあねらよりも身に宿した力は少かれど、私には萎びた知恵がほんの僅かな財産として許されていた。
鳥の持つ力を、別のものへと変化させる。あらゆる理と天則の中を流転してきた私はいつしか、異界の力さえも世の区別に関わらず扱えるようになっていた。
薄く伸ばす感覚。世界の境界と理を踏み越え、或いは踏み抜いた感覚があった。しかし私という異界の記録のような存在がこうして生を受けているからには、既に境など有って無いようなものだ。
慣れ親しんだ力へと練って、小さくそれを灯すと、ほわりと白光の球は宙へ浮く。
「かがみ、なにしてるの?それ、とりのとちがうよね」
後ろから声をかけてきたのはあにだった。
あには興味深そうに傍へ寄ってきて、光球をしげしげと眺めた。
更に後ろから、母の声が飛んだ。あまね、かがみを妨げてはなりませんよ。
母に手を引かれていたあねが同調する声で言う。
「かがみはかみのみこさまなんだよ。そのおつとめをしてるあいだはじゃましちゃだめだよ」
不気味な赤子をそのように結論づけて、父母やあねらは私と上手く接していた。
基本的には一番下の子供として。或いは特別な力を持って家族を導く尊師として。
「みくにの言う通りです。さ、あまね、少しお下がりなさい。」
あにがひょいと後ろに下るのを視界の端に捉えながら、私は光球を覗き込んだ。
そこには、星が大気に包まれて輪郭を暈している様が写し出されている。
もう少し近くだったな、と地表へと寄せれば、海原にぽつりと浮かんだ三日月形の列島が見えた。
三日月の背側に巨大な大陸が広がっている。
しかし、その間には遥かな距離があった。水路では、生半可な船では決して往けぬ道だった。
元より船で往く気は無かったから良いのだけれども。
三日月列島の丁度中程へ視点を移動させた。土や転がる小石の見えるほどに近づいて、ああ、やはりと目を少し伏せる。
国はやはり、滅んでいた。
蔓延る国軍もそれを牛耳り国益を貪り尽くした豚のような軍官共も、骨と皮のみとなった無力な国民も。皆死に絶え、或いは海に出たは良いがそこで力尽きて。
冷めた気分で視野を引いた。
中央にだけ傾斜の緩やかな平野が広がり、上にも下にも行けば行くほどに険しい山脈が連なる。
川は穢れだと伝承されていた文化から、山も穢生として忌まれていた。
故に豊かな自然はそのまま残され、無様で劣悪な人都は一箇所のみに留まっていた。
海路は険しく、大陸から向かってくる船も最早無いだろう。どぶ川と疫病に塗れた地しか海には開けていないらしい。
他は絶壁だ。わざわざ回り込むにも、この列島は面倒な形をしている。
大陸の方へと目を移す。
いつの日も恋しく思う母星、地球とこの世界はよく似通っているように思えた。
ユーラシア大陸に似て横たわる、この列島から最も近い広大な大陸は、数多国家が存在し人で賑わっている。文明は発達し、とりどりの文化が華々しく咲き乱れているようだ。
その気候や文化も地球を彷彿とさせる。或いは、この世界はいつか私が生きたその世界と近似のものであるのかもしれない。
大陸を向う側へと見ていけば、幾つか不可解なものがあった。
文明の発達しようもない人里離れたところへ聳え立つ絢爛な建造物と、それから遠視の出来ぬ場所がいくつか。
建造物については見当もつかないが、遠視を阻むものは恐らく結界だろう。
強固なものは特に2つ。中も見えぬほどのそれは、大陸中と、それから大陸の内海の洋上にひとつ。
あとは、大陸の端と端の方に存在する2つの大国が広大な結界を張っている。
私の生まれたこの島国の隣国がまさにその大国の1つで、結界の中をつぶさにみて、これを天瀛と呼ぶことを知る。
ほう、漢字のような文字が存在するのか……。どのような世界でも、これ程に発達した表意文字はついぞ見たことが無い。親近感をまた一つ覚える。
世界情勢についてはこのくらいにして、視点を自分の上へと引き戻した。
ぐっと地表近くに焦点を合わせ、この葦原の近隣にまだ何か使えるものが無いものかと観察する。 結果からいえば、それは私の望み過ぎであった。




