没ヒロイン2
「ユーリエル様、着いたみたいですよ」
侍女のマルセラに声を掛けられて、私は停まった馬車から降りた。
そうして足を踏み入れたユリアローズ学園は、その名の通り色とりどりの薔薇の花に彩られた美しい学園だった──或いは、ゲーム企画で出されたコンセプトイラストの通りに。
一応、シナリオ企画もまだ頭に入っている。最初のイベントでは、ヒロインの学園到着時は運悪く正門が閉じられている。付近で狼が見つかったためだ。
学園は王都の中心に近い位置にあるが、敷地が広大なので、端の方は王都の郊外にもつながっている。なので時々、学園内外の森を伝って王都にまではぐれ狼のような野生動物が入り込んでしまう事もあるのだ。
そうして立ち往生している際に助けてくれるのが攻略キャラクターの一人、『騎士』リオネル。
学園の風紀委員のような組織に属する彼が正門の様子を丁度見に来たところでヒロインを見つけ、彼の案内でようやくヒロインは学園に入ることが出来る、といった流れとなる。
まあ、没ヒロインである私にはそんなイベントは起こらない。
去年のうちに、ヒロインであるフリージアかレイナ、或いはその両方にそのイベントが発生したかもしれない。出会ったのがリオネルかは分からないが。
特に何事も無く、誰に会うこともなく正門を通過し、入学式前の遊園会会場まで辿り着いた。
ユリアローズ学園は、貴族のための教育機関だ。だからなのだろう、入学式は夜会であり、現実で言うところのデビュタントのような役割を持つ。
それまでは到着順に遊園会に参加して、学園の庭園を散策したり、お茶会をしたりといったまったりとした時間の中で、自分の同級生になる方々との友好関係を築く事になっている。
偶然目の合った人と挨拶を交わし、自己紹介をして、ちょっとした会話をしては飲み物や軽食を取りに行くと言って分かれ、同じことを繰り返す。
とはいえ、一学年分の人数はそれほど多いわけではない。すぐに殆どの人と挨拶を終えてしまった。
入学の年齢に幅もあるせいか、家同士の付き合いがある旧知の友人はここには居ない。敢えて言うのであれば昔はよく一緒に遊んでいた従姉妹であるフリージアとレイナがそれにあたるだろうが、彼女達は二年生だ。
──そして、当然といえば当然なのだろうが、攻略対象キャラクターも一人も居なかった。
一年分の時間を過ごしてからの追加キャラクターの設定などは全く考えられていなかったから、まあ順当、と言ったところだろうか。
キャラクターの年齢や、時間軸の設定などは煮詰まっていなかった。ユリアローズ学園が十五歳から十九歳までの間に通わなくてはならないというのも、お父様から聞いて初めて知った事だ。
やはり自分は没ヒロインなのだな、と納得する。イベントが起きないのだからそう考えるしかないだろう。
そして何も起きないという事に、やはりこれからの一年を通して、自分が制作に関わったゲームの行く末を見届けるのが自分の役割なのだろうな、とも思う。
少なくとも、華々しいゲームキャラクター達と恋愛するのが役割というわけではないのは確かだろう。
「ユーリエルさん、ユーリエルさん。どうしたの?ぼうっとしてるようだけど」
「……え?あ、クレセアさん……なんでもないの。学園での生活はどんなものかしらと思っていただけよ」
雑談をした中で何となく気の合ったクレセア・リンドヴルムに声を掛けられて、はっとする。
ついあれこれ考るのに没頭してしまっていたが、気付くと周囲の人達がどこかへ移動を始めていた。
「入学式が始まるから、皆夜会服へ着替えに行くのよ。向こうに客室棟があって、一人一部屋ずつ開放して下さるのですって。私達も行きましょう」
どうやらクレセアは親切にも、周囲の様子に気付いていない私を誘いに来てくれたようだった。
お礼を言うと彼女はにこりと微笑んで、上品な所作で扇を口元に当てる。
「皆さんの夜会服が楽しみね。私、ドレスを見るのが好きなのよ」
お世辞ではなく、本心だ。クレセアはファッションに強いこだわりがあるように見えた。
今着ているドレスでさえ、ともすれば地味な色である明るい灰色の生地に、ところどころ青く光を反射する黒い蛇革のような不思議な飾りを取り入れることによって彼女のミステリアスな雰囲気を強めている。
さりげなく髪飾りから扇、おそらくは靴に至るまで共布や同じ素材を使って統一感を出しており、どことなく存在感があった。周りからちらちらと視線を感じるので、おそらくその感覚は気のせいではないだろう。
目立つ彼女と一緒にいれば、自分の学園生活も安泰だろうか……。
そんな打算めいた考えさえ浮かんでくる。
下手に未来の断片のようなものを知っているせいで、自分の立ち位置や行く末がどのようなものになるのかが不安だった。
本来ならばそんなもの、分からなくて当然だというのに。
それでも何かしらの安定が得られないかと思ってしまうのだ。
リンドヴルム家、という家名は、ゲームの設定の中には見られなかったものだ。
そして今生で得た知識のお陰で、リンドヴルム家が強大な力と影響力を持つ辺境伯家という事は分かっている。
少なくとも、彼女の友人として収まる事に悪い影響は無い筈だ。
……他人に寄生していると言うなかれ。貴族というのは究極の話、人間関係で食べていくものなのだ。特に女性は。
「個性が出るものね。私は無難なものにしてしまったけれど……クレセアさんのドレスがとても楽しみだわ」
私の答えは彼女のお気に召したようだった。
はにかむような笑みを浮かべた彼女は、「実は私が自分で考えたドレスなの」と照れくさそうに言う。
お抱えの職人と共にデザインを考え、布地と糸を全て選び、飾りや靴まで考えたと。
私はちょっと考えて、「今着ているドレスも?」と尋ねた。
クレセアは殊更嬉しそうに「分かる?」と頬を薔薇色に染めて微笑む。自分で作らせたドレスの中でも一番のお気に入りらしい。
──何というか。クレセアって可愛い人だな。
利害を抜きに、この短いやりとりだけで私はすっかりクレセアの事が好きになってしまったようだった。
ギャップにやられてしまったとでも言うべきか。
クールでミステリアスだった第一印象が、嬉しそうにはにかむ笑顔で全て塗り潰されていく。
そんな遣り取りをしているうちに、更衣室として解放された建物へと辿り着いた。
私とクレセアは自分の家の侍女に案内され、それぞれ自分の夜会服が用意された部屋へと入る。
「リンドヴルムのお嬢様と仲良くなられたのですか?」
ドレスを着付けながらのマルセラの問いかけに、私はちょっと首を傾げた。
「当家に何か不都合が?」
「いいえ、そのような事は。ただ……リンドヴルム家のゆかりの方が、昨年から少し学園内でその名を囁かれていらっしゃるようでしたので」
迂遠なマルセラの物言いに、ああ、と私は納得する。
クレセアとリンドヴルム家には何の問題も無い。学園を出てからの付き合いにも問題は無い。けれど学園内で彼女の傍に居る人間に悪評が立っているらしい。
学園内での話は、よっぽどの事でも無い限り基本的には秘匿される。マルセラがそれを知っているのは、フリージアかセレナの侍女から情報収集でもしたためだろう。
悪評、と聞いて思い出したのは、一人のキャラクター案の事だった。
百合の花姫を賭けてヒロインが争う事になるライバルキャラ。
覚えている記憶の限りでは、彼女のキャラクター案もまた、二つの候補のどちらにするかがまだ決まっていなかった。
ヒロインを導く優しい姉のような、誰もが憧れるような『先輩』というキャラクターと、その真逆で能力も容姿も家柄も申し分無いが誰に対しても冷酷で容赦の無い『悪役』というようなキャラクター。ただし、ヒロインと違って彼女のキャラデザと名前は既に決定されていた。
……この世界では、『花姫』はフリージアとレイナの二人が選ばれている。
ヒロインのライバルとなる筈の彼女がどうしているのかは、私も少し気になっていた。
まあ、たとえ本当に彼女とクレセアが縁者だったとしても、私にはあまり関係ないだろう。
学園内に多少の悪評があってもそれはそれ。大人たちは子供ばかりが集まる学園で起こる事について軽視しがちだ。
──それに。
コンコン、と部屋の扉がノックされ、「クレセア・リンドヴルムです。ユーリエルさん?」と声が掛かる。
丁度私のドレスの最後の糸が留められたところだ。迎えに来させてしまったと内心焦りながら、おかしいところが無いか手早く確認して部屋を出る。
「クレセアさん、お待たせして──」
「あ!やっぱり青色のドレスだったのね。良かった!」
私の着ているグレーの掛かった青いドレスを見下ろして、にこりと笑うクレセア。が、すっと私を今出たばかりの部屋へと押し戻した。
「え?え?」
戸惑う私とマルセラ。
目の前ではクレセアの後ろから、数人のお針子がぺこりと頭を下げて入ってくる。
「ユーリエルさん、お願いがあるの」
「は……い、なんでしょう?」
「ドレスのアレンジをさせて貰えないかしら!」
お願い、とクレセアは両手を口元で合わせて小首を傾げる。あざとい。可愛い系の顔じゃないのに非常に可愛い。
「え、えっと……どんな風に?」
「あのね、…………銀の薔薇とレースをつけたらどうかしらと思って。必要なら付けようと思って持ってこさせたのだけれど、試しに合わせてみたら気分じゃなくて余らせてしまったのよ。でも折角作らせたかざりだったから、ユーリエルさんがもし寒色系のドレスなら、お願いしてみようかと思ったの」
そう言う彼女のドレスは、これが夜会用なのかと思うほどシンプルで飾り気が無い、なめらかな光沢のある銀のドレスだ。オフショルダーの上半身に至っては白い糸で刺繍が施されているだけで、リボンやフリルは一切着いていない。
ただし、スカート部分はちょっと見ないほど複雑だった。
斜めにスリットが入れられてたくし上げられた布地から、立体的に折り重ねられた幾重ものシフォン生地が少しずつ色味を変えて重なるのが覗き、その内側に縫い込まれた宝石や鮮やかな孔雀羽の飾りを品良くぼかしている。
現代的だ。
しかもちょっとオリエンタルで格好良い。
私は苦笑しつつも、「お願いします」と言うしか無かった。
他家のお針子にドレスを弄くり回されるのはちょっとアレではあるけれど、リンドヴルム家への信頼としてアピールも出来そうだったので、良しとする。
「ありがとう!じゃあ、早速少し触らせて貰うわね。あ、ねえ、あなたユーリエルさんの侍女の方かしら。少し相談が──」
マルセラを捕まえて、二人でお針子にあれこれと指示を出しながら、嬉しそうにはにかむクレセア。
それを見て、私はやっぱり、と思う。
彼女と仲良くなれるなら、もしも彼女の縁者が私の従姉妹とライバルで学園内で悪評が立っていたとしても、どうやら私は全然構わないらしかった。




