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地球産5

 春の始まりである季節らしく、夜明けの空気はひやりと冴えている。

 薄っすらと明るくなり始めた空を見ながら、莉芳はリオの案内で屋敷の中庭、井戸の傍へと立った。


『今度はもっと魔力を絞るように意識してやるんだぞ。出す水の想像を幾ら小さくしたって、注ぎ込む魔力が大き過ぎれば意味がないからな』

『うん、分かってる。やってみるよ』


 すう、と莉芳は息を吸って、意識を自分の内側へと集中させる。

 前へ突き出した手のひらを見つめ、水の雫がそこへ垂れる様子をはっきり明確にイメージした。


 そして。


「──み」


 だばばばばば!!!

 虚空から降り注ぐ豪雨のような水で、盛大にびしょ濡れになった。


『…………どうして、そうなるんだ? っていうか、まだ水とすら言えてなくなかったか?』

「はは、あはは……。うーん、どうしてかなあ……」


 呆れ返ったリオの声に、乾いた笑いを返すしか無い莉芳である。

 だがその裏では、昨日の段階で立てた仮設を元に、魔術師としての考察をきちんとしてもいた。


(うーん、多分霊性の把握がうまく出来ていないんだろうなあ。水が凄い勢いで出て来るし、発動の仕方もちょっとおかしいみたいだし)


 霊性。

 それは形而上認識における個の形成要素の一つであり、 肉体、生命体と重なる三つ目の身体──感覚ではなく思惟によって観測される、星幽(アストラル)体の側面の一つである。


 魔術師となる必須条件として、この霊性が優れている事が上げられる。

 霊性は世界に対して干渉を起こすためのアンテナの役割を司る。霊的感受性はこの霊性に属し、肉体と生命体を失った存在である幽霊や霊性上位の空間である異界の存在を認識するのに必要なものだ。

 霊性の鈍い者はそもそも魔術や霊魂、異界やその住人といった存在を認識出来ずないため、魔術師になる切っ掛けを持つ事が出来ないのである。


 魔術師となるには、自分に備わったその霊性を正確に把握する必要がある。

 霊性はアンテナのみならず、しばしばケーブルにも喩えられる。

 魔術は発動の第一段階として、霊性というケーブルを使って魔術を使う先に接続する事が必要になるのだ。

 ところが刺す先が分かっていたとしても、自分の持つケーブルがどんな長さでどんな形をしているのか、何処が先端なのかが分からなければ、刺しようがない。

 そして刺せた所で、ケーブルを通れるものが、例えば電気信号のようなものなのか、光なのか、それとも振動なのか、或いは液体なのか、そういった事の把握もしなければならない。流し込む魔術が通らなければ意味がないからだ。

 つまり、霊性の把握がおろそかであれば魔術は使えないのである。


 魔術師曰く、霊性の把握が出来ない魔術師見習いなど、ただの霊媒体質でオカルト知識の豊富な人間でしかないのである。

 よって魔術師の修行というものは、必要な知識を詰め込むよりも、この霊性の把握の方が重要であった。


 そして何故自分の霊性がうまく把握できなくなったかも、勿論莉芳は既に仮説を立てている。


(十中八九、リオとの融合が原因かな。ああ、異世界に来たことも少し関係してるかもしれない)


 莉芳の推測通り、魂が同一であるため霊性の方向性はあまり変わらないが、莉芳の【霊性の範囲】は広まっていた。

 これはアンテナから発した電波の届く範囲のようなものだ。

 融合により、電波を発する出力に相当する機能は二人を合わせた分だけ向上している。


(ということは、霊的感受性もおそらく鈍っただろうなあ……また磨く必要があるかな)


 霊的感受性を磨く修行を思い出した莉芳は、ふう、と息を吐きながら髪をかき上げ、首元や顔を持って来ていた布で拭う。

 いくら水で汚れや埃が落ちるとはいえ、老廃物をそのまま洗い流してくれるわけではない。 


「ふぇ、ふぇっくし! うぅ……寒い!」

『服の水を消して、屋敷に戻ってくれ……!こんなに寒いのに、俺は自分では腕を擦る事もできないんだぞ』


 リオから非難めいた声が上がった。

 莉芳とリオの感情は繋がっている。莉芳は伝わってきた寒さへの強い不快感に顔を顰め、魔法で出した水を──服に吸われたものも今度は忘れずに──瞬時に全て消した。


『だいたい、わざわざ濡れネズミのまま顔やら首やら拭わなくても、さっさと服の水を消してから井戸の水でやればいいじゃないか。 身体を洗いたいなら風呂の日まで待てば……』


 脳内で響くリオのブツブツはまだ続く。

 水を吸った服の不快感は消えたが、冷えた身体は寒さを訴えたままだ。


(お風呂に今すぐ入れればいいのに……)


 リオによると、この屋敷では五日に一度浴室の浴槽にお湯を張るらしい。

 領主とその家族の入浴の後ならばナインとその弟子にも浴室の使用が許されるという。


(意外と星読みの地位は高いのかな。定期的に暖かいお湯を浴びれるだけで……ん? あ、そうか!)


 何かを思いついた莉芳は、屋敷に戻ろうとしていた身体をくるりと反転させ、再び井戸の横へと戻った。


『……莉芳? 何するつもりだ?』

「お風呂を待たなくても、シャワーなら自力で出来るじゃん? 魔法って凄いなあ!」

『おい、待──』

「お湯よ、出てこい!」


 リオの制止も聞かずに、思いついた事に目を輝かせた莉芳はさっと手を頭上に翳してそう唱える。


 ……滴る水の雫をイメージしていても大量に水が出るというのに、勢い良く流れるシャワーを頭に思い浮かべて、魔法を発動させる言葉も早口に言い切って。

 さらには、これまで魔術を使っていたときのような感覚で、殆ど霊性の操作に意識を払わずに、である。


 ドオッ!! という音と共に空中でお湯が噴き出す。

 まるで海の波に飲み込まれたかのような勢いで弾かれ、莉芳は中庭を流された。


「何だ!? 何事だ!?」


 屋敷を揺らがすような音と衝撃に、当然、驚いた人々が窓から顔を覗かせる。


『…………この、馬鹿野郎……』


 屋敷の壁に囲まれた中庭を丸々浴槽のような状態に変えた莉芳は、リオから伝わる強い感情と目の回った感覚に頭をクラクラさせながら、自分の起こした惨状に今更気付いて引き攣り笑いを浮かべるしかなかった。





『ごめん、リオ……本当に、ごめんなさい。私が悪かったです。リオと融合したのも、結局私の責任だし……』


 それから二時間近くの間、頭の中で莉芳はリオに謝り倒していた。


『リオのこれまでの生活を壊したりしないって昨日約束したばっかりなのに……ごめん。考えなし過ぎた……』

『……はぁ、もういいよ。反省してるのは十分わかったし。魔法なんてあらゆる場面で使うし、どうせいつかは誰かにバレる事だった』


 ずっと黙ったままだったリオは、溜息混じりに莉芳の謝罪を終わらせる。

 同じ声であるせいで、自分に謝られているようなおかしな状況にしょうもなさを感じ始めたのだ。

 それに、莉芳が気を緩ませずともいずれ魔法の暴走が起こるだろうという事は、昨日の時点で既に理解していた。


 魔力のコントロール──正確には霊性の把握だが──というものは、一朝一夕で身につくものではない。

 そして日々の生活に使われる魔法を完璧に制御出来るまで使わないでいるなどそもそも不可能であった。


「リオさん、そう心配しなくても大丈夫ですよ。何も壊れたりしませんでしたし、それにあんなに凄い量のお湯を一瞬のうちに出せるなんて……名の通った魔獣狩りにだってそんな魔法を使える人はそうそういないでしょうし、領主様だってきっと喜ぶと思います! でも、どうやって魔力の操作をそんなに上達させたんですか?」

「ああ……うん……そうだね…………」


 更に言えば、リオに謝ってはいるが傍から見れば黙り込んでいる莉芳をずっと慰めているルツにも少々悪い気がし始めていた。

 リオへの謝罪で頭がいっぱいになっている莉芳は、ルツへの返事も完全に上の空だ。

 流石は頭の中でリオがどれだけ騒いでもさっぱり気づかない事のある莉芳である。

 分割思考とやらはどうした、とリオは呆れるしかない。


『ルツの言う通り、別に領主様は俺の事をここから追い出したりはしないだろう。もしかすると専属の魔法使いになれるかもな。そしたら、大出世だ』

『でも……リオは星読みになりたかったんじゃないの?』

『……いや、まあ、父さんが星読みだったからな。ナイン師匠にもずっとお世話になっているし』


 リオの父は流浪の民の星読みであった。

 星読みの貴賎は、差が激しい。

 ナインのように領主の専属として雇われる事もあれば、リオの父のように街から街を放浪して一年の占暦を作るような者も居る。或いは、行商人の旅団に随行して星から道の良し悪しを判断する事もあったかもしれない。


 リオの父は死の間際、同じ星読みであったナインに全財産とリオを預けた。

 弟子入りの持参金としてはあまりに少ない額だという事は、当時のリオでも理解する程であったが、ナインはリオを弟子として迎え入れ、血族であるルツと同様に扱ってくれている。


 莉芳は黙って目の前の扉を見つめた。

 その向こう、領主の居室には、莉芳が溢れさせた中庭の湯の事で領主に呼び出されたナインが居る。


 どんな話をされているのだろうか。

 ルツやリオの言う通り、悪い話でなければ良いが。

 そう願うしかない莉芳であった。

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