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地球産4

 魔法。

 それは概念行使であり、魔術とは全く別の存在である。


 魔法の使える存在に対価を渡してその力を行使して貰うというやり方は最も古い魔術であるため、魔術師である莉芳も魔法とは無縁という訳ではない。


 莉芳の居た世界においては、魔法とは妖精や精霊、悪魔といった異界に属する存在が持つ力であり、また、それらそのものだと考えられていた。

 いずれにせよ人智を越えた力であり、およそ人が完全に理解できる法則や理論ではない。基本的に、人間は異界側の存在ではないからだ。


 はっきりしているのは、自己や利用するアーティファクトの霊性と理論でもって森羅万象の形而上認識、端的に言って世界に介入する魔術とは違い、魔法は世界を自分に合わせて捻じ曲げるものだという事である。


 ……とはいえ、高度に極められた魔術は魔法と区別がつかない事象を引き起こすので、大差は無い。要は手段の問題だ。


『魔法は、元の世界では人間が使えるものじゃなかったんだ』

『そうなのか。使うのは簡単だぞ? 水が出るように念じて、切っ掛けになるような言葉を言えば良いんだ。水よ出ろ、みたいな。身体を洗うなら、頭の上で桶を傾けるのを想像するのがいい。最初は難しいかもしれないけど、まあ、練習すれば生活に必要な魔法なんてすぐだ』


 理屈など一つも無いあっさりとした説明は、それが本当に魔術ではなく魔法なのだと裏付ける証拠であった。


『うーん……。今はリオと融合してるし、出来るかもしれないね。ちょっと試してみる』


(でも、本当に魔法なんて使えるのかな? 取り替えっ子(チェンジリング)でも混血でもないただの人間が? とりあえず、まずは試しに……手のひらに少しだけ受け止める感じで……)


 蛇口からポタポタと垂れる水滴を受けるイメージを頭に浮かべて、水が出るよう恐る恐る莉芳は念じる。


「えっと、……水よ、」


 ──その途端。


 全身にぎゅっと力を入れるような感覚がしたかと思うと、莉芳の目の前の虚空から、まるで浴槽でもひっくり返したかというような量の水がたぱりと溢れ出した。

 当然手などで受け止められるわけもなく、莉芳の全身がずぶ濡れになり、部屋は水浸しになる。

 

『うわっ! 何やってんだ!? 早く止めろ!!』

「あわわわわわ、と、止まって!! 消えろ!!」


 莉芳が慌ててそう口に出した途端、水の出現は止まり、床の水も忽然と姿を消した。


 何事も無かったかのように静まり返る部屋。

 だが、消えろと念じるのを忘れていた莉芳の服にぐっしょりと染み込んだ水が、今の出来事が現実のものであると突きつけてくる。


『……い、一体どんな想像をしたんだお前? あんな量の水が出てくるなんて……』


 頭の中で呆然としたリオの声が響く。


『い、いや、手のひらにちょっと受け止めるくらいの水をちゃんと頭に浮かべてたよ!』

『ありえない! それに、俺にはあんな量の水を出せる程の魔力なんて無かったんだぞ。お前が何かしたのか?』

『……まりょくぅ?』


 その言葉に、困惑していた莉芳はいっぺんに冷めたような気持ちになって、胡乱げにそうリオへと聞き返した。


(魔力なんてそんな前時代的(・・・・)な言葉が出て来るとは……)


『な、何かおかしい事言ったか俺? 魔力は魔法を使うのに必要な、当たり前の力だろ?』


 当然の事を聞き返され、リオは戸惑う。


 異世界から来たと聞かされているとはいえ、そんなものの存在などリオはこれまで意識した事など無かった。

 莉芳と融合していなければ、説明されても異世界の実在を信じる事は出来なかっただろう。

 当然、異世界では常識も異なるという事は、今自分の身に起きている事もまだ完全には受け入れられていないリオには思い至る事は難しかった。


『ああ、うん、異世界だなぁと思って』

『……お前の元いた世界って、どんだけ変わってるんだ?』


 莉芳からすれば、変わっているのはこちらの世界の方である。

 次元の壁を越えてきたのだから、この世界のあらゆる事象に対して莉芳の知識は通用しないのは当然である。

 とはいえ、同じ人間のいる世界だ。世界そのものの在り方にそれほど大きな違いがあるとは考えていなかった。


(……んー。いや、でも、本当にそうかな?)


 けれど、莉芳の魔術師としての好奇心がうずく。

 何かの法則に対して、そういうものだとすぐに受け入るのは、魔術師としては三流以下だ。


『リオ。魔力が他の人より優れてるかどうかって、どうやって判断するの?』

『今お前がやった事が、一番簡単な魔力の計り方だ。水の出る量と勢いと、それをどのくらい続けられるか』


(あー。魔力という考え方そのものは、あんまり変わらなさそう?)


 考えるときの癖で莉芳は腕を組む。

 濡れたままの服の袖が肌にべったりと密着し、リオが『冷たい!』と不快そうな声で叫んだが、考え事を始めた莉芳はさっぱり聞いていなかった。


 かつて地球の魔術師達の間でも、魔力という考えは一般的なものであった。

 だが長い年月の中でそれらは特定の力などではなく、【霊性の純度】、【霊性の掌握度】、【自我保持能力】の三つの能力を包括する概念だという事が分かり、次第に魔力という曖昧な考え方は前時代的なものとされ廃れていった。

 今となっては、魔法を使うための未知のエネルギーとして、魔法や魔術に疎い只人達の間にのみ残る言葉となっている。


『水の量は霊性の純度、水を放出する勢いは霊性の掌握度。どれだけ続けて魔法が行使出来るかは自我保持能力。魔力の意味するところが変わらないのに魔法が使えるってことは……この世界は異界と似た法則性、つまり、物質じゃなくて霊性上位の世界なのか。そうか、だから獣人が居て、人間でも魔法が使えるんだ!』

『は、はあ? 突然なんだ?』


 一応の仮説を立てる事ができて、すっきりした莉芳は思わず思考ではなくリオと話す為に使う意識的な脳内言語を発してしまった。


『あ、ごめんいきなり。間違えてこっちで話しちゃった』

『こっちで? 考え事をしている時と、俺と話す時、頭を使い分けられるのか?』

『思考分割は得意な方なんだ』


 えっへん、と莉芳は腰に両手を当てて胸を張る。

 濡れた服からポタポタと床に水がこぼれ、動いた事によって肌に密着する布地の面積が増えたため、再びリオが『冷たい!』と抗議の声を上げた。


『冷たい? あ、そうか……』


 ようやく自分が濡れネズミのままである事に気づいた莉芳は、ふぇっくしょい! と盛大なクシャミのあと、ようやく本来の目的である着替えを始めるであった。





「──春の始まり、翠の月の夜空は、吉兆である青星はネフェシュとイェツェルに、凶兆である赤星はレゲッシュに位置する。ネフェシュの瞳、イェツェルの手のひら、そしてレゲッシュの尾と呼ばれる三星だ。ルツ、覚えたか?」


 領主の館の一番高い塔の上で、莉芳はレイン、ルツと共に、すっかり暗くなった空に輝く星々を見上げていた。


 今はまだ天文の勉強が始まったばかりだというルツに、レインが星の位置や名前などを教えている。

 地球と同様に、この世界にも星座の思想があるようだ。

 ただし莉芳からすると、この地の占星術師に求められる技術は地球のものとは全く別物のように思えた。


『もう少し右を見てくれ莉芳。……あー、オーシェルがレゲッシュの領域に入ってるな。それに……何だ? レダが変な位置にあるし、いつもより明るい』


 莉芳はリオの指示に大人しく従いながら、遠い目をして異世界の星空を眺めていた。


 どうやらこの町には電気が通っていないらしく、日暮れとともに明かりの消えた地上のおかげで、星空が随分はっきりと見える。

 そのおかげで莉芳にもはっきりと、複雑奇怪極まりない動きをするその星空の様子が分かった。


(……星の動きが一定じゃない。ははは、異世界だなあ)


 この世界の星は、時間経過と共に地球のように一定方向に向かう訳ではない。

 北極星のように全く動かないように見える星から、殆どの星の動く方向と垂直に交わるように進んでいく星、或いはその逆など、地球では全く考えられない法則で動いているのだ。


(霊性上位の世界だし、物理法則も当然異なるんだろうなあ。ここは初心に返って、レイン師匠の説明を私も聞いておくべきかな?)


 そんな事を考えている莉芳に構わず、リオはあれこれと星の位置を確認するのに忙しい。

 三角定規のような器具を空に翳して星と星の距離を計ったり、簡易的な星図を書き込んだりと、せわしなく作業に打ち込んでいる。

 ……勿論、それらの作業を実際に行っているのは莉芳である。


『莉芳、次は足半歩分右回転してくれ。レダと月の位置関係も調べておきたい』

『……随分作業が多いんだね、星読みって』

『いつもこんなって訳じゃない。ここ五日程、夜空が雲に覆われていて星の観測が出来なかったし、月も変わったからな。月始めと、五日分の星の動きの予測と、それらの星読みとを一気にやってるんだ』

『なるほど』


 溜まった仕事を一気に片付けていたのか、と、三角定規をずっと持ち上げているせいでぷるぷるしはじめた腕を抑えながら納得する。


『おい、揺らすな! もう限界とか、お前の肩、貧弱過ぎるだろ!』

『リオの身体なんだよねえ、これ……』

『…………あ、いや。き、気合が足りないぞ。もう少しだから揺らさず頑張ってくれ』


 乾いた苦笑いを浮かべつつ、莉芳はリオの言葉に従い、必死で腕のぷるぷるという震えを押さえ込んだ。


 莉芳の異世界での逃亡生活一日目の夜は、こうして更けていった。

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