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黄昏を彷徨いて夜天に祈る

 砂埃で視界が煙る。赤灰色の大地は乾いて熱く、本来ならひんやりとした森の中に住むはずのエルフ達の肌を容赦なく痛めつけていた。

 ──肌の表面が強い日の光に焼かれて熱を帯びている。ここには水や冷気を司る青の精霊も殆ど居ないせいで、それを癒す事も出来ない。


 その苦痛をなるべく無視して、草の生い茂る場所を探してエルフの子供達が彷徨う。岩と岩の隙間に僅かながら連れている家畜達を食わせるにも、自分達が休息を得るにも、精霊の居る所を探さなければならなかった。この砂と岩ばかりの土地には僅かな草地以外に精霊の宿るものなど無いのだ。

 だけどその頼みの綱である草地も殆ど見つからない。ここが不毛の土地であるからこそ、彼等はここへ追放されたのだ。──滅んでしまえと。死に絶えてしまえ、と。苦しみの無い死を与える事も、死者を弔う事さえも、したくないといわんばかりに。




 ジリ、と熱せられた肌から汗が噴き出して垂れる。額から伝ったそれが目に入りそうで、灌木がぽつぽつと立つ荒野を一人歩く幼いエルフ──ラルは慌てて汗を拭った。

 頭から被った布から出た殆ど白色に近い銀色の髪が陽光に煌めき、その下で翳る黄金色の瞳は周囲の眩しさに酷い痛みを感じているのか、それとも砂埃から庇うためにか、殆ど瞼が開いていない。エルフの何よりの証の一つである長い耳は今は布の下に隠れているが、特有のつくり物めいた美貌はこの過酷な地に於いても損なわれていなかった──例え飢えと渇きに痩せ細っていてさえ。

 だが、その肌だけはこの赤灰色の大地と同じような浅黒い色をしていて、それだけが元来エルフの特徴とされる外見とは異なっていた。そしてそれこそが、この岩と砂だらけの不毛の地をラルとその一族が苦痛と共に彷徨わねばならなくなった原因でもあった。


 ラルは息を吐いた。吸うのは億劫だった。乾燥した熱気は呼吸をするだけで喉を焼く。水も碌に飲めない生活では、息をするという生物にとって当たり前の事でさえ気を使わねばならない。

 その時だった。日が傾き始めて尚眩しい黄金色の空から、白い光が眼前にへと降ったのは。


「えっ……、何だ、今の」


 思わず呆然とした呟きが声となって漏れた。今のは──白雷?雲も無いのに雷が降るなんて、そんな事があり得るのだろうか。一つだけ可能性があるとすれば(レン)族の使う祈呪(マジ)だが、こんなところに(レン)族はやって来ない筈だ──と、ラルは困惑した。

 大人を呼びに行くべきだろうか。数秒躊躇って、結局ラルは引き返さずにその光の降った場所に向かって歩き出した。大人達には仕事がある。草地を探すと共に、周辺の見回りもラルのような幼いエルフに与えられた役割であった。

 大人を呼んで彼等の仕事を中断させれば、日々の飢えを辛うじて凌ぐための食事すらもとれない。その上あの白光がただラルの眩んだ目が見せたものだったとしたら。そう考えると、まずは一人で様子を見に行くのが正しい事だと思えた。


 ぼこぼこと巨大な岩ばかりで足場の悪い道を、千歩も歩いただろうか。ラルの目の前の大地は突然地平線を迎えた。それはなんてことは無い、ほんの大人一人分程度の高さの崖があるだけだったが──ラルはその崖下を覗き込んで、目を丸くした。


「あっ」


 緑色が。……ラルの一族が探して彷徨う精霊の宿る地がそこにはあった。眼下の一面に広がった草原に我を忘れ、思わず身を乗り出したせいで、ラルの身体はぐらりと支えを失って、そのまま崖から転がり落ちる。


「わぁあ!!」


 悲鳴を上げたライの身体は、しかし地面に打ち付けられる直前で誰かの腕に抱き止められた。


「……あ、っぶなぁ、大丈夫?間一髪間に合ったかな?」

「──っ!?」


 ラルの被る布を持ち上げて、誰かが覗き込む。眩む視界にまず飛び込んできたのは、夜の空のような緑髪と、尖らずに丸く曲線を描く耳朶の影。

 (レン)族の、女だ。何故こんな所に(レン)族が。

 ヒッと息を呑んで身を竦ませたラルに、けれどその人族は驚いたようにして息を止めた。


「えっ……?ぎ、銀髪……?」


 ラルは、その女の肩を突き飛ばすようにしてその腕から逃れた。突然の事に小さく悲鳴を上げるその女は、きょとんとした表情でラルを見て。


「…………、ぎ、銀髪金目褐色ショタエルフ?」


 もそりと何事かを呟いた。エルフ、という言葉が入っていたのは聞き取れた。女はしっかりとラルの耳の尖りまで見ていたらしい。

 警戒と共に女から距離を取ろうとしたラルだったが、あれ?と──首を傾げた女が、取り乱し始める。


「え、あ、あれ?何で──あれ?ここ、どこ?え?何──夢?」


 女は笑っているように見えた。正確には笑っているのではなく、不可解な出来事に頬が引き攣っている。ラルを見ていた濃い茶色の瞳が、急にあちこちをおろおろと忙しなく彷徨い、明らかに自分より小さなラルから一歩下がって距離を取った。


「…………ね、ねぇ、その──ここってGöreme National Park and Rock Site of Cappadociaよね?あの、つまりGöreme Milli Parklarに私達は居るのよねって事なんだけれど……」


 女は引き攣った声で、あは、あはは……と力なく笑う。けれど不審な女が突然耳慣れぬ言葉を話したように聞こえたラルが首を縦にも横にも振ろうとしないのを見て、女からとうとう表情が抜け落ちた。


「あの……あの、私の言葉、通じる?Engish分かる?Türk?ニホンゴはまさか通じないよね……、العربية、御免私あんまり上手く喋れない……も、もしかしてKurdî?」


 ラルは訝しげに女を睨んだ。女の話すものの中に聞き慣れない言葉が幾つも聞こえ、しかもそれが理解出来るかラルを試している。ラルが何の返事も返さない毎に、女は焦りを強くしているようだった。


 ──(レン)族と追放されたラル達褐色のエルフの一族の間には、最早交流は無い。接触の時があるとしたら、人攫い共によるエルフ狩りの襲撃だけだ。

 けれど、この奇妙な女はエルフ狩りのようには見えない。真実を見透すと伝えられるエルフの目でもってしても、女が心から何事かに困惑し、ラルに助けを求めているようにしか、見えない。


「……貴女は誰。どこから来たの」


 ラルは詰めていた息を吐き出して、そう聞いた。けれどまたしても不可解な事に、女はピタリと口を閉じると、ラルをまじまじと見つめる。


「えっ………ニホンゴ?えっ?」

「ニホンゴ?……もう一度聞く。貴女の名前は何。どこからこの地へ入ったの」

「あ、私、名前、ジュリ。昨日はネヴシェヒルって町に泊まりました。ニホンから来たニホンジンです」


 ……どうにも要領を得ない。女はラルの二度目の問いかけに素直に答えたようだったが、女の上げた地名らしき言葉をラルは一つも分からなかった。


 ラルは、一族が追放された後に生まれた子供だ。大人達とは異なり、この地の外の事には全く疎い。ニホンニホンと繰り返すという事は、それが何かは分からないが、この女はそのニホンという名を冠した某かに属しているのだろう。


 自分の手には余る。

 そう判断したラルは、すぐに女を連れて一族の元へと戻る事に決めた。

 探し求めていた緑地を漸く見つけたのだ。女の事さえ無ければすぐにでもそうするつもりだった。


「ジュリ、着いて来て。大人に会わせる。お前の話、ボクには良く分からない」

「ん、あ、うん。よ、よろしく……?」


 女は首を傾げつつも、大人しくラルについて来た。やはりエルフ狩りなどではなさそうだ。大人のエルフの集団の元へと連れて行くと告げても女の目には怯えも恐怖も浮かばず、ただ困惑だけが灯っていた。

銀髪褐色ショタエルフと異世界から来たお姉さんの話。この後はお姉さんを軍師に褐色エルフが生存戦略する予定だったのだけれど、うまく筆が進まなかった。書いてから半年以上寝かせたんだけど……。

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