星謳いと魔女の守護獣
その日は久々の休日で、けれどやる事があってそう寝続けてもいられなかったので、昼前には起きて家から出た。
郵便局へ行ったり市役所へ行ったりといった用事を全て済ませてから、成人の歳になった御祝い金として振り込まれていた諭吉達を口座から引き出して、雨貝瑠果は冷たさの増した冬の風にその使い道を決めた。
新しいコートを買おう。去年まで着ていたものは手に入れた時点でお下がりだったという事もあって袖の縫い目が裂けてしまい、既に処分してしまっている。
厚着で寒さを凌ぐにも限界で、丈夫さだけが取り柄だというのに風を引いた時のような頭痛が朝からずっとしていた。
繁華街、と呼ぶには華の無い、けれど人通りのあって活気もそこそこという田舎ならではの商店街を歩きながら、瑠果は店先に並べられた冬物の上着を眺めていった。
買うデザインはもう決めてある。
汚れの目立たない黒色のロング丈で、出来る限り丈夫なもので、深めのフードの付いたものが良い。多少値が張っても良いから、布地も出来れば撥水の効果があるのが良いだろう。
それから防寒機能を高めるために前を二重に止められるダブルボタンなら尚良い。フードの内側に口元まで覆える高い襟が付いていれば文句無しだ。
せかせかした足取りで目当ての品だけ見ていく瑠果を、商店街をのんびりと歩き、或いは商いをする人々は変わったものを見る目で追った。
金色に似た赤毛にはっきりとした青い目の瑠果は、それだけならばただの西洋人だが、彼女の顔立ちはどう見てもアジア人特有ののっぺりとしたそれだ。そのミスマッチさが人々に奇妙な表情をさせ、彼女に不躾な視線を投げかけさせる。
瑠果はその視線の一切を意識の中へ入れる事無く、条件に合うコートをさっさと探し出して、それを購入した。田舎の商店街で英語なんて出来ないと怯える老店主に、私だって英語は出来ないと頭の中で唱えながら。
冬も半ばの風を防ぐには薄っぺらく頼りない上着を脱いで、タグを切ってもらった新品のコートに袖を通してやっと、瑠果は歩調を緩める。
商店街のスピーカーからピアノの曲が流れているのを何となく聞きながら、一番安い風邪薬と一番強い頭痛薬を買って、それからさっさと家路についた。
児童養護施設で育った瑠果には、家の外を目的も無く彷徨きながら暇を潰すという発想があまり無かったのだ。何年ぶりかもわからない頭痛という体調不良に必要以上に怯えていたせいもある。
あれは何という曲だっけ、と野暮ったいコートの中で冷えた身体を縮こませて商店街の人混みを抜けながら、瑠果はそんな事を思った。
スピーカーからゆっくりと流れるピアノの音。その和音の旋律に聞き覚えがあるような気がして、そうすると曲名がどうしても気になった。
彼女の中では音楽とは教養の象徴のような存在だった。孤児院育ちで教養が無い、と言われるのは、奨学金まで取って大学へと進んだ彼女にとっては耐え難い屈辱の一つだった。
「……深き困窮よりわれ汝に呼ばわる、かな?」
ピアノに編曲されているとはいえ、随分な曲を掛けるものだ。賛美歌ではないか。いや、普通の人はこれほどマイナーな曲など、曲名はおろか賛美歌であるとすら気がつかないのかもしれない。
シスターのいるような教会に付属した児童養護施設で育った瑠果だからこそ、一人雑踏の中でこの曲にあれこれと思いを巡らす事になっているのだ。
そう思った瞬間。
「、え?」
瑠果の足下に、黒黒とした穴がぽっかりと落ち込むようにして空いた。
唐突過ぎるその現象に瑠果はとっさに何をする事もできなかった。目を見開いて、暗い闇の中に沈み込む穴の上になぜか浮いたままの自分に頭を真っ白にさせただけ。
「な、にこれ」
辛うじてそんな間抜けな疑問を口にしたところで、瑠果の身体はとうとう落下を始めた。
人の行き交う商店街で、目立つ容姿をしている筈の瑠果の異変を誰一人として気付かないという異常事態にも気づかないまま、瑠果は視界を失った。
Stand byに組み直してしまったネタなので、こっちに上げました。




