嘆きの国
イジャスラーフは隣国ルギエヴィートの第二王子だった。ヴォレスとルギエヴィートはやっと同盟を結んだばかりで、イジャスラーフは交換される人質としてこの国にやって来た。
イジャスラーフは僕より二つ年上で、紫色の目が特徴的で、いつもにこにこ微笑んでいた。毎日ルギエヴィートに伝わる丈の長い上着を着ていて、足のあたりまで暖かそうなのが羨ましかった。
彼が離宮に到着してから一月の間、僕が知ったイジャスラーフの事はたったこれだけだった。
【ルギエヴィートの王子】
ヴォレスも大抵一年中を雪に閉ざされた国だが、それより北に位置するルギエヴィートは年柄雪の解ける日が来ない氷の国だという。
僕はその景色を直接見た事はなかったが、絵でなら見た事がある。一面白と灰色で塗りたくられた、とても寂しくて、なのに美しい絵だった。奥の方にぼやけた白の輪郭があって、黒い影のような人影がぽつぽつと描かれている他には何も無いのに、悲しいほどに綺麗で、そして狂おしいほど寂しくて。初めてあの絵を見た時の、胸のあたりをぎゅっと鷲掴みにされたような感覚は、今でも忘れられない。
イジャスラーフの歓迎として開かれた晩餐会でその話をした。イジャスラーフとはその席が正式な初対面となった。
近くで見たイジャスラーフは雪のように白い髪の色をしていた。二つ年上だからか、僕よりも頭半分ほど背が高い。彼の髪は日の光の下で見ると太陽の色を透かして白金のように輝くのだが、シャンデリアの火の揺らめきの下で見ると随分潔癖そうに冷たく煌めいていた。
「……レーフ殿下の仰っているのは、恐らくスラーヴァの雪の日という絵でしょうね」
イジャスラーフは僕の話に対してそう答えた。
「スラーヴァの雪の日?そのような題がついていたのですか。浅学がお恥ずかしいのですが、その、スラーヴァというのは画家の名でしょうか」
新しく同盟を結んだ国という事で、僕のここ半年近くの勉強は殆どがルギエヴィートについての事だった。歴史、文化、言葉、習慣、宗教、地理……様々な事を頭に詰め込んだが、いくら頭の中を探ってもスラーヴァという名の画家には行き着かない。地名かとも思ったが、城の立つような主要な都市にも当て嵌らず、僕は頬が熱くなるのを感じた。
「ああ、いえ。知っている方が珍しいと思います。完成してから十年も経ってないような絵ですし、描いたのは画家でもありませんから。六年近く前に売られていったのですが、まさかレーフ殿下のお目にかかっているとは思いませんでした」
なるほど、と頷く。僕はむしろそんな絵をイジャスラーフが知っている事の方に驚いた。売られていった、という言葉から察するに所持していた事があるのかもしれない。
「新しくても、画家の描いたものでなくても、素晴らしい物だったからこそ僕の元へと届いたのでしょう。いつかは世に広まるかもしれませんね」
「さあ……それはどうか分かりませんが、殿下に気に入って頂けているようなら何よりです」
イジャスラーフは曖昧に微笑んだ。優しげな顔立ちがふんわりと目尻を下げ、更に柔和な表情になった。
「イジャスラーフ殿もレーフと同様に絵画がお好きか?」
会話が途切れそうになった空気を感じてか、上座の王太后がさり気無く口を挟んでくれる。彼女はもう半ば隠居の立場にあって、こうした会食の場では下手な事の言えない国王夫妻の代弁を果たす役割を担っている。僕は一応この国の唯一の王子ではあるけれど、まだ未成年で、立太子までは代弁の責を負うことは無かった。
「はい、絵画は見るのも描くのも好みます」
イジャスラーフが応えると、王太后は目尻の皺を深める。イジャスラーフは僕と話す時よりも緊張した様子だったが、見かけ上はかなり上手く取り繕っていた。王太后は少年者が頑張る姿を見るのを好む。僕も昔から、忙しい国王夫妻に変わって彼女から褒められることが多かった。
「それは良い。芸術に親しみ、その技術を保護するのは王族の勤めの一つ。この城には妾の収集した絵画や彫像等も多くある。後で案内させよう」
「恐れ入ります」
言葉通り、イジャスラーフはかなり恐縮した様子だった。
イジャスラーフは名目上、ヴォレスに留学という事になっているが、実際は同盟を保証する人質として派遣されている。ルギエヴィートはヴォレスより小さく貧しい国で、どうしたって僕を含むヴォレスの王族の方がイジャスラーフより立場が上だった。
「宜しければ、僕に案内をさせて下さい」
その立場の差による隔たりがどうにも気に食わない。僕はイジャスラーフともっと話がしたかった。
雪国雪国。
雪国の二人の王子が友人になって、その後争い合う話。
今はこの作品だけに集中できない事に気付いてお蔵入りした。
今後書く予定はある。