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君の笑う夜3

 教師たちは今夜は打ち合わせなどのために山を降り、一般生徒達が泊まる山麓の温泉街へと滞在する。

 D組、E組の生徒達は古民家の大広間に布団を広げ、全員で寝る予定となっている。第二次成長を終えた男女の雑魚寝は現代日本では問題ではあるのだろうが、他に寝泊まり出来るスペースは無い。

 逆に全員が纏まって寝ている方が間違いも無さそうだ、というのが学園側の適当な判断である。現に今まで問題が起こった事は無いそうだが。


 「じゃ、各自17:00まで自由行動、解散。」


 教師が最後にそう言いおいて、一瞬の後転移する。魔導装置か、とアンヴェルローザが冷静に判断するのと同時に、魔力を持たない何人かの生徒の為に数少ない魔術師の生徒が実際にあれは魔導装置だ、と声を上げた。


 さて、自由行動である。今のうちに村の中を見ておこう、とアンヴェルローザが思ったのと同様に、殆どの生徒がふらふらと古民家から出ていく。人口百人にも満たない小さな村は、逆に非日常的な雰囲気で満たされていて、生徒達の淡い好奇心を煽る。


 同時にそれは、地理の把握を兼ねている。村の四方にある山に入って一週間、その他の山に分け入ることも、逆に村に降りてしまうことも許されていない。山の中で方向感覚を失う訳にはいかないと、山中の登山道や小川のありかを頭に叩き込むために、村中に話を聞いたり、山についての資料を読み漁らねばならない。

 勿論村の人々には、学園の生徒が只のレクリエーションとして登山すると思われている。情報収集の演習も兼ねているらしい。


 「というわけで私は村の人に話を聞きに行くけど、ローザはどうする?」


 共に古民家を出た忍の問い掛けに、アンヴェルローザは首を横に振った。


 「き、くさ、はな、わたし、はなし、する、かのう。」


 声なきもの、言葉なきもの達の声を聞く能力は、こちらの世界でも失われていない。彼女の半分は神であり、神とは世界だ。人間離れした能力に、同じく人間離れした能力を持つ忍は、


 「便利だね」


 とただ一言笑った。


 それでもどうせレポートを書く必要があるだろうから、と忍はアンヴェルローザと別れて民家の並ぶ方へと向かっていった。真面目な彼女にれぽーととやらに関しては任せるとして(そもそもアンヴェルローザにまともなレポートが書けるかと問われれば否だ)彼女は村はずれをぶらぶらと散歩することにした。



***



 透けるように白い癖に紫外線に驚くほど強い肌を無謀日に晒してアンヴェルローザは宛処無く歩を進める。

 残暑の涼しい夕暮れは、彼女の気分を落ち着かせた。いつもより濃い窒素は窒素酔いを起こさせて、まるで酩酊しているかのように彼女の気分を高揚させ、正常な思考力を奪っていくのだ。


 「お嬢ちゃん、お散歩なの?」


 何処からか声をかけられたのに気づき、アンヴェルローザは自分のすぐ右手にひっそりと存在する家屋へと視線を向けた。四枚連なりのガラス戸は中央の二枚が開け放たれ、玄関とは思いがたい石床の空間が広がっている。そこに、少々埃っぽそうな古びた戸棚がいくつも並んでいる。棚には見慣れない小袋が詰まった小箱が何種類も収められていて、どこか規則的な並べ方にアンヴェルローザはやっとこの家屋が何らかの店であることに気がついた。その奥、一段高い木造りの床の上、引かれた薄い座布団の上で猫を抱えた老女が微笑んでいる。

 アンヴェルローザはひとつ瞬きをしてから頷いた。彼女は老人を見たことがなかった。向こうの世界には老いの概念は無い。人々は刻々とそのすがたを変えていくが、生まれたときから、こちらの世界で青年くらいの見た目がずっと続く。そして、死は訪れない。誰にもわからないほど膨大な時間をかけて、世界に溶け込んで、個を失う。それがいうなれば、向こうの世界の死である。


 老女はアンヴェルローザの顔立ちを認めて、あらまぁ、と多少驚いたような声を出した。


 「外人さんなのね。めずらしいわねぇ」


 老女は微笑みながらゆったりとそう言って、アンヴェルローザに手招きをした。そこには害意も敵意も無く、家屋からはただただ穏やかな匂いがする。それでも逡巡したアンヴェルローザの背に、村からのそよ風が吹いた。


 「こんにちは」


 アンヴェルローザはぎこちないながらも挨拶と共に家屋に踏み入る。ここに危険は無いと、彼女に全てが語りかけていた。


 「こんにちは。修学旅行に来た学生さんね?」


 老女はゆったりとした口調で問いかけながら、自分の隣にある座布団をその手で何度か叩いた。座れ、という動作だ、とアンヴェルローザは判断し、そこへ腰掛けてから老女に向かって頷く。


 「やま、のぼる、するます。あした……」


 「あらあら、そうなの。」


 どうしてか、老女はとても楽しげだ。アンヴェルローザの怪しげな日本語を気にもせず、老女は彼女に熱い液体の満たされた杯を差し出した。茶器だ、ということは、中身は茶だろうか。あまりの熱さに舌への火傷を警戒して身長に啜ると、口内に独特な味が広がった。渋みがあるのにまろやかに甘い。


 「リョクチャを飲むのは初めてなのねぇ」


 リョクチャ……緑茶か。アンヴェルローザはいつかに蓄えた日本の基本的な伝統文化の知識をそっと漁った。これが緑茶。初めて飲んだ。老女、猫、緑茶、この店、四年もこの狭い国土で過ごしているはずなのにアンヴェルローザは今までそのどれも実際に見たり、飲んだりしたことは無かった。いかに自分が外界との繋がりを断ち切っていたのかがわかるというものだ。

 こうして現実に相対するのは、想像以上に彼女の好奇心をくすぐった。彼女は元来賢者であり、研究者の気質を持つ。もったいない四年間だった、といまさら彼女は自省する。


 「それなら、ダガシも初めてかしら」


 老女はつぶやくようにそう言って石床の上に降りた。膝から落ちた猫が気にした様子も無く、のんびりと薄暗い屋内から夕暮れのまぶしさの中に去っていくのをアンヴェルローザがぼんやり眺めていると、戸棚に向かっていた老女が戻ってくる。


 「どうぞ。オチャウケニオアガリナサイナ」


 笑顔と共に老女が自分にかけたその言葉の意味がわからず、アンヴェルローザは戸惑う。まごついた彼女には構いもせず、老女は彼女の膝元にいくつかの小包を散らした。

 よっこらしょ、と言いながら老女は元の座布団に腰掛ける。そうして、老女は小包のひとつを手に取り、包みを剥いて中の艶めいた黒い四角柱を躊躇いもせずに口に含んだ。どうやらこれは食べ物らしい、と判断し、ということは、先ほどの言葉はこれを食べろ、という意味だろうとアンヴェルローザは思考を繋げた。老女に見習って手に取った小包を剥き、噛り付く。

 途端に強い甘味が舌の上に転がり落ちた。滑らかで、粘り気が強くともやわらかい口当たりは上品に感じられる。ただ甘みは本当に強い、とアンヴェルローザは緑茶を啜った。そうして、彼女はその食べ物が緑茶と共に食すものなのだということに気づく。

 オチャウケとはお茶の一緒に食べるためのものか、と彼女が自分の頭の中の辞書に記憶したところで、背後からけたたましいベル音が鳴り響いた。紙張りの戸は襖という名前だっただろうか。


 「あらあら、電話だわ。ごめんなさいねぇ。これ、お土産に持って行ってねぇ」


 老女がそういって、まだまだ散らばったままの小包を手早くまとめてアンヴェルローザに手渡す。またも老女の言葉の意味が取れずに困惑した彼女にお構いなしに老女は襖の奥へと去っていった。


 暫く待っても老女はこちらには戻ってこない。微かに老女の話し声が聞こえてくるので、誰かと会話を楽しんでいるのか。これ以上ここにいても何も無いだろう、と、アンヴェルローザはそっとその家屋を去った。お礼として、秘密裏に家屋に清めと、朽ちぬよう守りの魔法をかけておく。気づかれないよう些細なものだが、自己満足なのでそれでいい。



***



 町外れをぐるりと回って散歩に満足したアンヴェルローザが古民家に戻ると、中には暇そうなシオンだけがむっつりと不機嫌な顔で座っていた。


 「ただいま」


 「おかえり」


 アンヴェルローザが声をかけると、ぱっと機嫌よく彼が返事をする。よほど退屈だったのだろう。何してたんだ?と質問を飛ばしながら、シオンは彼女を自分の隣に座らせた。散歩をしてきたこと、老女と話をし、オミヤゲにと菓子をもらったことを素直に告げて、アンヴェルローザはいくつかそれをシオンに渡した。


 「これ、羊羹ってやつだな」


 細長い包みをしげしげと眺めて、シオンはそう言った。

 羊羹。アンヴェルローザは口の中でその言葉をそっと転がす。上品な口当たりと強い甘さは癖になるほど美味だと感じた。


 「なに、から、できてる。……しっている?」


 「ん?餡子、ってやつじゃなかったか?豆を煮た奴だったと思う」


 さらりと答えたシオンに感謝を述べつつ、アンヴェルローザは羊羹、餡子、という二つの単語を頭に刻み込む。修学旅行から帰ったら、他の甘味も試してみよう。今まで外界に特に興味も無く過ごして来た事が嘘のように、彼女の頭の中はこれからどんなことをしてみようかという好奇心あふれる欲望でいっぱいだった。


 表情は大して変わらないくせになにやら楽しげな彼女に、シオンは変な奴だな、と小さく、アンヴェルローザ本人には絶対に聞こえないよう本当に小さく呟く。見ていて嫌な気分な訳ではではなかったし、相手は今日知り合ったばかりの女の子で、さすがにそれに悪態とも取れる言葉を堂々と吐けるほど、シオンは無神経ではなかった。一方的に気まずい思いになった彼は、手持ち無沙汰におすそ分けされた羊羹を食べる。


 田舎の、おそらく駄菓子屋からもらったというそれは、驚くほど甘ったるいくせに、不思議と不味いとは感じなかった。

珍しく現代奇譚的なものを書こうとして、主人公の選択を間違えた事に気付いてお蔵入り。元は友人とやろうとして中途半端に終わったCoC。

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