いいとも
「また出会ってくれるかな?」
まるでいいとものタモリさんのように、
君が軽やかな声で僕に聞いた。
反射的に、いいとも、と答えそうになったけど、こらえた。
それは簡単な事じゃない。
わかっているから、簡単に答えるのは辞めた。
君と出会ったのは、1年前の春だったね。
行きつけの職場近くの喫茶店で、
店員の君が僕の頼んだカフェオレとカフェモカを間違えて持ってきて、
「お客さん、なんだかカフェモカって感じなのにね」と言われたのが初対面だった。
ずっとおばちゃん一人でやっていたお店に、
アルバイトが入ったことも意外だったのだけれど、
その女の子が、ショートカットではきはきとした感じで、
僕のタイプだった事にさらに驚きを感じた。
でも、この通り、第一印象は最悪だった。
ちなみに、この喫茶店のおばちゃんは愉快な人で、
行く度に雑談をしては、僕を笑わせてくれる。
昔、このお店で転んだ子どもを泣き止ませた事があったんだけど、
その事がきっかけで仲良くなった。
恋愛の相談や、プライベートの話までする仲だ。
一応、常連だと思う。
おばちゃんだったら、カフェオレとカフェモカを間違えたりはしない。
「どんな出会い方が理想的?」いつかおばちゃんに聞かれた。
「僕は奥手だから、向こうからズカズカ来てくれた方がいいんです」僕は答えた。
「じゃあ注文をミスした店員が逆切れするとか?」にやけながらおばちゃんが言う。
「それは面白いかもなぁ」本心で僕は答える。
「カフェオレとカフェモカなんて間違えやすいしねぇ」ケラケラ笑うおばちゃん。
そんな話で盛り上がった事はあったけど、実際そうなってみたら、
第一印象は最悪だった。でも、結局付き合った訳だから嘘はついてないよね。
君との二度目の出会いも偶然だった。
駅前の交差点での信号待ち。
「あ、カフェモカ」と君はあのいつもの笑顔で、
まるで随分昔から知り合いだったかのように話しかけてきた。
「カフェオレです」と僕は精一杯の抵抗を試みたが、
「男なんだから小さい事は気にしない。さ、カフェラテでも飲みいこう」
いつの間にか君のペースだった。
人見知りの僕だったのに、なんでだろう。
あの時は、特に予定がなかったせいもあってか、抵抗もなく君に付いていった。
会話は思ったよりも弾んだ。
野球が好きな所とか、
パスタはペペロンチーノが好きな所とか、
猫より犬派とか、
好きな映画や本が似ていたから。
併せて、僕とは全然違う部分を持つ、君をきっとどこか尊敬していたんだ。
物怖じせず、自分の思ったことを堂々と言える君が、羨ましかった。
だから君との時間はいつも、何でもないのに、楽しかった。
すぐに二人は恋人同士になって、
夏休みは君を車に乗せて色んな場所へ出かけた。
「いつかさ、二人でドライブした距離を足したら、世界一周ぐらいにはなるかな」
「それにはまずとてつもなく時間が必要だね。けっこう一緒に居なきゃいけないよ」
「あら?まさか居ない気なの?」
君が冗談交じりに僕に詰め寄る。僕はたじろぎながら「そんなわけないよ」と応える。
「ずっと一緒だねって、なんだか安易だけど、素敵な言葉よね」君は笑う。
ずっと一緒だね。その響きを噛み締める。うん。悪くない。
ずっと一緒だよ。頭の中で繰り返す。少なくともこの時僕は、そう確信していた。
色んな人に君を紹介もした。
喫茶店のおばちゃんに報告した時に、
「本当良かったねー」と涙を流して喜んでくれた事は忘れない。
君はすごく照れ臭そうにしていた。
「親に紹介するよ」って言った時、君はすごく拒否をして、
喧嘩もした。「なんで?」って聞いた時の、君のあの悲しそうな顔は忘れられない。
その理由がわかったのは、
僕らが出会って初めての冬だった。
「ずっとさ、嘘をついてたんだ」
二人で居る事がもう当たり前になっていた僕の部屋で、
いつになく真面目な顔で君が切り出した。
いつも通りコーヒーを淹れていた僕の手が止まった。
「え?本当は男だったみたいな?」冗談で僕は返す。
前々からどこか感じてはいたんだ。君が抱える暗い部分。
時折見せる切ない目。元気のない姿。悲しそうな顔。
そんな不安を吹き飛ばしたくて、僕は軽口を叩く。
「それとも、本当は猫派ってことかな?」
「うん」
君は表情を変えずに頷いた。
夜をまとった様な、すごく冷たい声に聞こえた。
「私ね、本当は猫派だし、それに病気なの」
冷たい声は僕に突き刺さる。声が出ない。病気?何の?誰が?
「もうすぐ居なくなるんだ」
そこから君の病気の説明は淡々と続いたけど、
正直、僕の頭の中にはこれっぽっちも入っては来なかった。
「いつから知ってたの?」僕はどうでもいいこんな言葉を発していた。
君の事なんて何も考えずに。
「あなたと出会う前から」
君は表情を変えずに言った。わかった。もうわかった。
君が寂しそうにしていた理由。親にも会おうとしなかった理由。
もうすぐ君が、この世界のどこからも居なくなってしまう事。
後から考えてみても、
どうする事が正解だったのかわからないけど、
この時の僕は何にも出来なかった。
悩んで悩んで悩みぬいて重い告白をした彼女を、
余計に悲しませる事しか出来なかった。
そんな僕が、何百万人に一人の難病を抱える君に、
してあげられる事は一体何だったんだろう。
始まった君の入院生活。
僕は毎日、仕事の前に君に会いに行った。
あの日の事が嘘のように、相変わらず君と僕の話は盛り上がったけど、
その片隅にいつも寂しさの気配は潜んでいて、
その原因の君の体調の悪さも、身振りや仕草から感じられた。
もう僕らにそんなに時間が残されていない事も、
何となくわかった。
僕は君にプレゼントを贈ることにした。
君との時間を、頭の中だけじゃなくて、
ちゃんと形に残しておくために。
今まで撮った写真もなるたけ使って、
二人のアルバムを作った。下手くそな手紙も添えた。
僕は君に会えてよかったよ。
確かに、猫派だったことはショックだったけど。
そんな事で僕の気持ちは変わらない。
楽しかったよ、君との毎日。
そしてこれからもそんな日々が続いていく。
君の病気が治ったら、ドライブに出掛けなくちゃ。
世界一周までの道のりはまだまだ遠い。
楽しみだね。ワクワクするね。ずっと一緒だよ。
約束したもんね。ずっと、ずっと、ずっと一緒。
僕は君に会えてよかった。本当によかったよ。
そう始まる手紙が届けられて、
病室で喜んだり泣いたりした君は、
その一か月後に、静かに天国へと旅立った。
僕は何も出来なかった自分を悔やんだ。
いっぱい泣いた。君のいない世界なんて、と、
あとを追う事すら考えた。
そんな時だった。喫茶店のおばちゃんが、
僕に一枚のDVDを渡してくれた。
「あんたが落ち込んでたら渡してくれって。よく気の利く子だよ」おばちゃんは泣きそうな顔で笑った。
「私もごめんねぇ」あの子が病気なの、ずっと知ってたんだとおばちゃんは言った。
それでも、好きな人とは一緒に居なきゃって応援して、
結果あんたには辛い思いさせちゃったね。おばちゃんは最後には泣いてた。
君からの贈り物は、僕に宛てて撮られた、
最後のメッセージだった。
「ごめんね」
画面の中の君は言った。
「嘘ついててごめん」
その声は、いつも通りの君の声で、
少しだけ僕は安心した。
「本当はさ、私、ずっと前からあなたの事知ってたの」
画面の君に僕は「え?」と聞き返した。
「あの喫茶店でね、何回かあなたを見かけたの」
君が語りだしたストーリーは、
僕を驚かせるには十分な内容だった。
「あのセミの物真似は斬新だったよ」
その一言に合わせて、笑い声が聞こえた。きっと撮影をしてるおばちゃんだろう。
君は入院服のままだったから、入院中のどこかで時間を見つけて、
このメッセージを残してくれていたんだね。
それにしても、よく覚えてるね。そうそう。
あの喫茶店で、転んで泣いた子供を相手に、
僕は決死の覚悟で物真似を披露した事があった。セミ。
子供は笑うというより、キョトンとしていた。でも、一応泣き止んだ。
「それを見てさ、なんだかいい人だなーって思ったの。そこから少しずつあなたの事を好きになって…」
画面の君は照れ臭そうに笑う。
「それから、おばちゃんにさ、好きなタイプとか好きなものとか聞いて、自分なりに勉強して…」
君が今度は少しうつむく。何だか悪い事をしてたみたいに、ちょっと申し訳なさそうだ。
「無理言って身体の調子のいい時にバイトまでさせてもらって、やっとあなたに声をかけたの」
君が完全にうつむいた。そうだ。
僕は前におばちゃんと話した事がある。理想の出会い方。
店員さんが注文を間違えて始まる、恋について。
うつむいたまま、君は小さく言った。
「カフェオレとカフェモカ、間違えるわけないじゃない」
ショートカットにしたのも、ハキハキ喋ったのも、明るく振る舞ったのも、
猫好きなのに犬派にしたのも、好きな映画も本も、
もちろん注文を間違えたのも、全部、全部嘘だったの。
全部、あなたに気に入って欲しくて、したことなの。
君は泣きそうな声で言った。
「私、知ってたのに。自分がもう長くない事。知ってたのに、あなたに声をかけたの」
うつむいたままの君は、泣いていた。ごめんなさいって何度も言いながら、泣いていた。
「ごめんなさい」
「馬鹿だなぁ」思わず呟いた。
馬鹿すぎて、涙が出てくるよ。
そんな事で僕が怒ると思った?嫌いになると思った?
そんな嘘なんか、嘘でも何でもないよ。
むしろ、理想の出会い方を、現実にしてくれてありがとう。
画面では、少しの沈黙。
「だけど、私」君が前を向いた。
「やっぱりあなたを好きになれてよかった」
その手には、僕が渡した手紙があった。
「嬉しかったなぁ、これ。本当、嬉しかった」
抱き締めるように手紙を抱えて、穏やかな顔で君が微笑んだ。
「こんな私に、こんなに素敵なお手紙をありがとう」
「あなたが大好き」
静かに宙へ浮かべたその一言が、
一瞬で僕の涙腺を決壊させた。
画面が滲む。でも、見なくちゃ。ちゃんと見なくちゃ。
「一緒に居られた時間は私の宝物です」
僕だってそうだよ。
「勝手なお願いだけど、私の分まで元気に生きてよね」
君が無理矢理明るく振る舞って言った。うん。わかった。
「ずっと一緒だよって約束、守れなくてごめんね」
ううん。違う。僕は君を忘れないから、僕らはずっと一緒なんだ。
君が見えなくても、声が聞こえなくても、
ずっと、ずっと、ずっと一緒。
ずっと一緒だね。
「最後に聞いてもいいかな」
きっとその答えを私は聞く事が出来ないから、
絶対に答えが予想できる聞き方にするね。
届かないけど、伝わらないけど、
今の私なら、あなたを信じる事は出来る。
そう言って君は涙を拭った。いつもの君だ。
「いつかさ、また二人が生まれ変わったら」
君が満面の笑みで言った。
「また出会ってくれるかな?」
まるでいいとものタモリさんのように、
君が軽やかな声で僕に聞いた。
反射的に、いいとも、と答えそうになったけど、こらえた。
それは簡単な事じゃない。
わかっているから、簡単に答えるのは辞めた。
精一杯の祈りを込めて。
ありったけの願いを込めて。
僕の最大限の想いを込めて。
君が全部を変えてまで僕を愛してくれたように、
僕だってちゃんと全部を込めて。
答えるよ。
「いいとも」




