よくそれでいけると思ったな?
魔法の力というものは大体十歳前後で発現する。
あまりに幼い頃に発現するとうっかり暴走して自分や周囲の人を巻き込んだりして死ぬかもしれないので、むしろある程度の年齢になってから発現する事は問題ではない。
けれども魔法が発現したからとて、すぐさま使いこなせるわけでもない。
そして魔法は誰でも使えるわけでもない。
故に、魔法の力が発現した者たちは身分を問わず魔法の扱い方を学ぶため王立学院へ通う事が義務付けられていた。力そのものに善悪はないが、使いこなせず周囲に被害をもたらす力は害悪であるが故に。
学院では魔法だけを学ぶわけではない。
将来の道を決めた者たちはそれに応じたものを学んだりもする。
未だ将来を決めかねている者たちも、自分に何ができて何ができないのかを探りつつも学んでいる。
大半は真面目な生徒ばかりだが、全員がそうというわけでもない。
「……それで、何の話だったっけ」
「聞いていなかったのか?」
「聞いていたとも。ただ、あまりにも荒唐無稽な話だったから」
むっと顔をしかめるロレンツに、キルシュヴァインは面倒そうな表情を隠しもしないで言い放った。
「君の愛するアーニアを害された、だっけ?」
「そうだ! あの性悪女が愛らしいアーニアに嫉妬してな」
「まずそこからしておかしいって事に気付こうぜ?」
放課後の生徒会室。
少しだけ残されていた仕事を片付けて、それじゃさっさと帰ろうかな、と思った矢先にロレンツは見計らったかのように口を開いた。
曰く、婚約者がアーニアに嫉妬して彼女を害そうとしたのだと。
「設定に無理がある」
「何を言っている?」
「恋は盲目とはいうけれど……あのね、少し落ち着きなよ」
「充分落ち着いているとも」
「じゃあ、その話が最初から最後までおかしい事に気付いてくれ」
「何もおかしくはないだろう」
「あれっ、これもしかして堂々巡りする感じのやつ?」
無限ループってこわくね? とキルシュヴァインの頭の中で誰かが囁いた気がしたが、まぁそれは確実に気のせいだ。
面倒くさいから無視して帰ったっていいのだけれど、放置したらしたで後が面倒な事になりそうなのが困りもの。あとから周囲にどうしてあの時止めてあげなかったのか、なんて言われても面倒なのは間違いない。
止めたけど駄目だった、という体裁を整えるため、しぶしぶキルシュヴァインはロレンツとの会話を試みる。
話としては単純だ。
ロレンツには婚約者がいる。
親が決めた政略。まぁ貴族にはよくある話で珍しくもなんともない。
そんな婚約者よりも魅力的に見えてしまった相手にロレンツはあっさりと傾倒し、婚約者を蔑ろにしそちらとの交流に積極的だった。
だからといって、ロレンツの婚約者がロレンツの想い人に嫉妬して……という事はない。
親が決めた政略。
ロレンツにとってはつまり、婚約者の事など好きでもなんでもない状態なわけで。
けれどそれはロレンツの婚約者にも言える事である。
だからロレンツの婚約者――スカーレットが嫉妬をする、というのがまず無い。
愛するロレンツ様が他の女に目移りして許せないわキィィィィ! とハンカチを噛みながら喚くような事にはならないし、ロレンツ様の愛を当たり前のように受けてるあの泥棒猫に思い知らせてやらなくちゃ! とはならないのだ。
むしろ婚約しておきながらそういうの、どうかと思いますと言葉に出さずとも態度が物語っている。
キルシュヴァインの目で見る限りはそうだ。
それをロレンツはどうやら強がっているのだと思っているらしい。
ちょっと認知能力に問題があるのではないだろうか。
「嫉妬はない。そもそもスカーレット嬢は別にお前の事を愛していないから嫉妬のしようがない。どうでもいいと思ってる相手にそんな感情を抱くのは無理だ。目を覚ませ」
というか、多分軽蔑されてると思うと言えばロレンツはまるで銃弾を胸に受けたようなうめき声を出した。
「それから、お前の愛するアーニア嬢が聖女だのなんだのと言ってるけど。それはお前の中でそう思ってるだけで実際の聖女ではないという事実も正しく理解してほしい」
そもそもロレンツが愛してやまないアーニアは平民なので、アーニア嬢と呼ぶのもキルシュヴァインからするとなんだかな、という気持ちなのだがそれはさておき。
聖女という存在は確かに実在する。それも複数。
聖女は言うまでもなく女性を示す。
男性の場合は聖人と呼ばれる。
これは恐らくこの国以外の――この世界共通の認識だと思っている。
では聖女や聖人がどのようにして選ばれるのか。
簡単な話だ。
彼ら、彼女らは神によって選ばれる。
神の代弁者であり愛し子。
故に人の都合でこちらが勝手に聖女だ聖人だと祭り上げたところで意味はない。
形だけのものではなく、それだけの力を得るからだ。
だからこそ勝手に自分は聖女だの聖人だの言ったところで、力がなければそれは偽った事になる。
神の愛し子を偽証するなど罰当たりもいいところだ。
そのような愚かな真似をする者はそういないが、ゼロではない。神に選ばれたといっても常にわかりやすい奇跡が発動し続けているわけではないので、そういったものを目の当たりにしない者は軽んじたりもするのである。嘆かわしい事に。
彼女はとても美しくまるで女神のようだ、という比喩表現として聖女という言葉を使うのであればまだいい。まだ、ギリギリ許される。
しかしロレンツの言い分を聞いていると、アーニアが本当に聖女だと思っているようなのだ。
彼女が聖女として選ばれたという話は存在していない。公式な記録にないし、この先そうなると決まってもいない。
どこまでいってもロレンツが言っているだけだ。アーニア本人がどう思っているのかはわからないが、ロレンツにそうやって褒めそやされて有頂天になっている部分はあるので、もしかしたら本当に自分が聖女になったつもりでいるのかもしれない。
「そんな事はない、本当にアーニアは聖女だ!」
だがしかし、キルシュヴァインの淡々とした返しが気に入らなかったのかロレンツは口の端に泡を飛ばしながら反論した。
「だったら」
だがやや興奮状態にあるロレンツを前にしても、キルシュヴァインの態度は変わらない。
もし仮にこの後ロレンツが激昂しキルシュヴァインに掴みかかってくるような事になっても、どうにでもできる自信があるからだ。それは己の実力を過信しているというわけではなく、もっと別のところから来る自信と言えなくもない。
「アーニア嬢がスカーレット嬢の嫉妬によって虐げられた、と先程言ったな。
なんだったか、茶会に招かれなかった? 何を言っているかわからないが、アーニア嬢とスカーレット嬢は別に友人でもなんでもない。他人を親しい友人たちの集まりに誘うわけがないだろう。今まで親しい間柄だったのに手のひらを返されたというのなら同情もできるが、他人の分際でそんな事を言われてもな……それがまかり通るなら貴族は友人以外の――敵対派閥に属する相手も平民も全て、全て等しく招待しないといけなくなるし何かの催しを行うたびに国は民を全て集めなければならなくなるぞ。あり得ないだろうそんな事」
勿論国を挙げての催しはあるけれど、それだって何か事件が起きたりしないように警備の者は存在する。全員が全員お祭り騒ぎでいられる事なんてありはしない。
「それだけじゃない、危害を加えられたんだ!」
「階段から突き落とされた、だったか?」
「そうだ! 幸い大怪我こそしなかったが、可哀そうに足を挫いて……」
くっ、と悔恨の表情を浮かべているが、それが余計にキルシュヴァインは滑稽に思えた。
「本当の本当に聖女なら、それこそがあり得ないんだが」
「どこがだ!?」
「どうして忘れてるのか不思議でならないんだが。
そもそも神の愛し子とされる聖女や聖人には護りの力が与えられる」
「だから本来なら大怪我をするところが足を挫いただけで済んだんだろう」
「いいや。もし本当にアーニア嬢が聖女だというのなら、そもそも足を挫く事すらないよ」
言うなりキルシュヴァインは席を立った。
ここで話を続けるよりももっとハッキリとしたものを見せた方が手っ取り早いと判断したからだ。
既に二人以外は誰もいない生徒会室を出れば、ロレンツは話はまだ終わっていないとばかりについてくる。
そうして階段まで移動して。
キルシュヴァインは最上段からふっと力を抜いて身を投げた。
「お、おいっ!?」
まさか突然身を投げるような真似をするとは思わなかったロレンツが焦ったように手を伸ばす。
どうにか引き留めようとしたが、しかしその手はキルシュヴァインにギリギリ届かなかった。
そのままキルシュヴァインの身体は落ちていって、このままでは大怪我は免れない――はずだったが。
ふわり、とキルシュヴァインの全身を淡い光が覆う。
そうして光は彼を決して傷つける事のないままに、安全かつ無事に彼を着地させた。
「ほら。本当に聖女ならこうなってるはずだから、足を挫くも何もないんだよ」
「……おい、それは」
「あれ? もしかして忘れてたのかな? てっきり同じ存在を味方につけたくて言ってるものだとばかり」
「あっ」
どうやらロレンツは忘れていたらしい。キルシュヴァインもまた聖人であるという事を。
同じ聖女か聖人が味方につけば、アーニアが聖女だとより信憑性を得られるだろうと、そういう風に考えていたわけではなかったのだな……とキルシュヴァインも流石に今のロレンツの反応で気付く。
「そもそも聖女や聖人には護衛精霊が神から与えられるから、身体的な危険が訪れるという事はない」
とん、と階段をゆっくり上がりながらロレンツのところまで移動しながら伝える。
「毒もね、事前に精霊が対処するから毒殺もなければ直接毒液をかけられるような事にもならない。絶対的に無事ならば、って戦場で肉盾にしようと目論んだかつての施政者は精霊と神の怒りを買って無惨な死を遂げた。
まぁ、肉体的な危害は加えられないから、世を儚んでの自害もできないんだけど。
聖女や聖人はね、病気にも罹らなくなるから寿命を迎えるまで生き続けるしかないのさ。健康体でい続けられるっていうのは、まぁ、考えようによっては良い事だよ」
それで、とキルシュヴァインはあえてゆっくりと言葉を区切った。
「聖女のはずのアーニア嬢が、護衛精霊に守られているはずの聖女が、一体どうして階段から落ちて足を挫けるのだろうね?」
そう言ってやれば、ロレンツは言葉にならないまま口を開けて――けれど言葉を吐き出す事はできないまま、やがてそっと閉じた。
これ以上アーニアは聖女なのだとロレンツが言ったところで意味がない。
それどころか本当に聖女だっていうのならその証明をしてみようと言われるのは明らかだ。
もしそうなれば、改めてアーニアは階段の上から飛び降りる事になってしまう。いや、それよりももっと危険な事をする羽目になるかもしれない。
彼女が本当に聖女ならキルシュヴァインのように躊躇う事なく階段の一番上から飛び降りる事もできるだろう。けれどそうでないのなら、確実に大怪我をするとわかっている事を躊躇いもなくできるはずもない。一歩間違えば死んでしまうかもしれないのだから。
「君が彼女を持ち上げて思い上がらせたのが先か、それとも先に彼女が君を騙そうとしたのかはどうでもいい。
ただもう一つ言っておくことがあるとするのなら――」
未だマトモな言葉が出てこないロレンツの額に指を一本、つんと突く。
「君の婚約者でもあるスカーレット嬢もまた聖女であるという事は、再度よぅく理解しておいた方がいいと思うよ?」
言って指を離したもののロレンツはまるで蛇に睨まれた蛙のように動かない。
「それじゃ、これ以上は実りのある会話もなさそうだから一足お先に失礼するよ」
これ以上は何を言ったところで……と思ったからこそ、キルシュヴァインはその場を後にした。
もう一度階段を下りていく。今度は飛び降りたりせずに、己の足で。
背後からロレンツの呼び止める声はなかったし、ついてくるような足音も聞こえなかった。
――神に選ばれた、と言われればさぞ希少価値が高いと思われがちだが、別にそんな事はない。
魔法の力が発現した者の全てとまではいかなくとも、かなりの割合で聖女や聖人はいる。
なのでもしロレンツが大勢の前でスカーレットを糾弾してアーニアとの恋愛劇を展開しようとしていたならば、正直面倒な事になっていたのは間違いないのだ。
スカーレットが聖女であるという事を忘れていたようなので、お前は偽聖女でアーニアこそが真の聖女だ、なんて言い出す事はなかった、と考えればまぁ、多少面倒事の度合いは下がるけれども。
けれどもアーニアを聖女だと思い込んでいたならば、聖女を害してどうのこうのと言いがかりをつけたであろう事はやらかしたはずだ。
聖女を害しても何も、護衛精霊がいるなら害すも何もないし、ましてやここには他にも聖女がいる。他の聖女まで護衛精霊が役立たずみたいに思われたりするのは後々問題が発生しそうだし、そうでなくとも精霊の力を軽んじた、とロレンツ本人だけではなく彼の家までもがそうだと周囲が判断したならば、神や精霊のみならず、貴族間のあれやこれやといったしがらみまでもがくっついて、本当に面倒な事になっていた事だろう。
(どうしても断罪劇をして婚約破棄をしたいって言うのを止めるつもりはないけれど。
でもせめてもうちょっと色々練り込んでからやってほしいよなぁ……)
やるなと言ったところでやる奴はやる。
なのでそこを止めるつもりはキルシュヴァインにはない。
ただ、あまりにお粗末すぎる事をやらかされるのだけは勘弁してほしいな、と。
周囲が知れば聖人が思うような事とはかけ離れすぎやしないか? と思うような事を考えてはいるけれど、聖女も聖人もあくまで神のお気に入りというだけであって、中身は案外俗物であるのでこんな風に考えたからとて、神の怒りは降り注がない。
その後ロレンツとアーニアの間に何があったかをキルシュヴァインは知らないけれど。
大勢の前で騒ぎを起こすような事にはならなかったので、キルシュヴァインはそっと胸をなでおろしたのである。
次回短編予告
とある貴族の少年が家を追い出された。
婚約者以外の女性に現を抜かしたと言ってしまえばそれまでだが、想いを抱いた相手が相手だったが故にそうなったと言っても過言ではない。
次回 尻尾を振る相手は決まっております
当事者同士の問題だと思っても、案外他者が関わっているものなので。




