第1話 筋トレしてたら侵略者がきた
中間管理職だった俺は、若者らしい後輩からの「あ、それハラスメントですよ」に怯え、未だ古い慣習のある上司の飲みに付き合わされ、社員同士のいざこざに日々胃を痛めていた。
特別勉強ができた訳でも、モテた訳でもない。
1番人生で幸せだった瞬間は、日菜と結婚式を挙げた瞬間だったか。
老後の時の為にコツコツ金を貯めてたけど、俺は交通事故で死んだ。
今でこそ冷静に話してるが、その時、俺の脳内はどうして?で満たされていた。
確かに、俺は人様の役に立つことは何もしてねぇ。でも、こんなのってあんまりだろう。
日菜だって一人で子供2人を育てるのは大変だろう。
生命保険にも入ってなかったしな。
死ぬことなんて怖くなかったのに、いざ死ぬとなると、怖くて、悲しくてしょうがなかった。
ごめん、日菜────。
これが俺の今際の言葉だった。
全く、酷い人生だ…でもまぁ、頑張った方だよな。
だから…かもしれない。俺には第二の生が与えられた。転生先はまるでゲームのようなファンタジー世界だ。
それは現実逃避かもしれない。
転生した俺がし始めたことは。
そう────筋トレだ。
「フゥーーーーッ」
俺のお気に入りの大岩を両腕でそれぞれ3つずつ支えてバランスを取る。
体中から汗がダラダラだ。
腕からミシミシと音がなり始める。
ッ、キツッ…んんッ…………
────気持ちィィィイイイ!
…俺はこの山奥で朝から晩まで、俺の筋肉と向き合い続けている。
前世では、筋トレは学生時代の頃に部活で嫌々やるくらいのものだったが、突き詰めれば突き詰めるほど、バカみたいに楽しい。
日に日に増える筋肉。
明らかに持てる物の質量が増えていく。
俺は知らなかった。
ここまで努力に分かりやすく結果が出るのが嬉しいなんて。
そしてそれを最も感じられるのが筋トレだったなんて。
気づけば、俺の筋肉はとんでもないことになっていた。もともと筋肉質な方だったが、何より体積が大きすぎて、恐らく現代なら扉を通れないだろう。
バランスを崩した大岩が、ズズゥン!と地面を抉るように落ちる。
その振動は山中に響き、遥か遠い木々から小鳥が飛び始めた。
へへへへへ…
8615セットォ…グヘヘ…
ヨダレを拭いながら岩を引き抜いてると、ローブを纏った華奢な女の子がやってくる。
「こ、こらっ!マットさんっ!やりすぎですよっ!!……何ぼーっとしてるんですか!?」
彼女の名前はシルナ、と言うらしい。
山奥で女の子と2人きり……つまり、そういうこと…ではなく。
こいつは聖職者の女で、森での修行を言い渡されたらしい。1人で。
明らかにワケありだ。何せ、ここは元々恐ろしい魔獣だらけの森だったからだ。普通の冒険者でも入ったら1日で食い物にされる程、弱肉強食を体現したような環境だった。
恐らく追放されたのかもしれない。
まぁ、今は俺がこの山じゃ1番強ぇんだけどな。
初めは俺の筋肉を生意気にも食おうと突っ込んできたガリアードウルフも、今じゃ俺の可愛いペットだ。
俺がこの山に来たのは1年前で、
彼女と俺の出会いはまだ2週間前の事だ。
いつも通り筋トレに己を捧げていると、ガリアードウルフらがシルナを俺の元に運んできた。
こいつら、たまに俺にメシを運んでくるのだ。シルナはこの明らか危険な森に愚直に足を踏み入れ、ガリアードウルフ達にむざむざ襲われたらしい。
俺は1年くらい人間と会ってなかったから、驚いた。
仕方ねぇから、今は俺がこいつを匿ってやってる。
…正直、中々可愛い。白い透き通るような肌を毎朝拝む度にそう思う。
でも、俺は一途なんだ。
筋肉と…前世の妻、日菜に。
彼女は俺の周りに埋もれる大岩を見て呟く。
「こ、こんな岩を持ち上げるなんて…何度見ても信じ難い光景ですよ…」
「お前は修行とやらがあんだろ。こっちに来んなよ。」
俺が面倒くさがりながら返すと、彼女は噛み付くように言い返した。
「マットさんの呼吸音がデカすぎてぜんっぜん集中出来ないんですよ!500メートルは離れてますよ!?」
…俺の声ってそんなデケェの?
「…そ、そうかよ。でもお前は俺の山に勝手に入って来ただろ。俺が何しようが自由だろ。」
…なんか最近、俺シルナに押され気味なんだよなぁ。
ここは強く言ってやんねぇと…
「それに────
「いいや!今日という今日は私も引きません!」
えっ、いやいやいや。いつもお前が俺に説教してるだろ。なんでこれまで我慢してましたみたいな口ぶりなんだよ。
「まずマットさん!臭い!お風呂に入ってください!!」
えっ。
「それに、マットさんの献立、栄養バランスが酷すぎます!お肉とそこら辺で取れるバナナばっかり…人間に必要な栄養素が全然取れてないです!よくそれで生きてこれましたね!」
えっ。
「ガリアードウルフさん達がマットさんの栄養バランスを考えて野菜を定期的にもって来てくれてるから良かったみたいですけど!」
ええっ?
が、ガリアードウルフぅ、お前ってやつは…これから6時間の筋トレノルマに加えて俺の徹底コーチングをしてやってもいいぞ…っ
「とにかく!一旦お風呂に入ってください!今日の献立は私が考えます!さすがに耐えられません!あ、あといつも言ってますけど、その無駄に伸びきった体毛、いい加減剃ってください!!
そもそも、いつも上裸って舐めてるんですか?『山の神』じゃないんですから…」
言いたいこと全部言うじゃん。
臭いとか耐えられないとか言われて…俺尊厳ないの?
可愛い女の子にそこまで言われたら俺も中々傷つく…俺、筋肉はバキバキだけど心はふにゃふにゃなんだよなぁ…
まぁ、たまには風呂もいいか。
「そこまで言うなら…分かったよ。だからそこまで言わないでくれ。泣くぞ。」
俺がぶっきらぼうに彼女に言葉を放ると、やった!と彼女は嬉しそうに跳ねた。
…ん?
今何か、…殺気?
なんか、何かを感じる。多分、魔物だ。
俺は邪な魔物の気配を感じ取れる。山篭りで勘が冴えてるのかもしれない。
でも…今度のはまるで力のレベルが違う。ガリアードウルフの、数百倍はある。
「出てこォい!『山の神』ィィィィイ!!」
地響きのような低い声。
ガリアードウルフが茂みから出てきて俺の方へ走ってくる。
ガリアードウルフが低く唸る。
「侵入者だな。お前ら、やられたのか。」
ガリアードウルフはコクコクと頷く。
「マットさん、鳴き声が分かるんですか?…というか、この魔力、只者じゃないです。ウルフさん達じゃ敵いませんよ。…マットさんでも…」
彼女は俺の方を心配そうに見る。
「お前は引っ込んでろ」
俺は走り出した。相手が強大な存在でも、俺の仲間がやられてるとなれば話は別だ。
俺は森を駆け抜け、辺りが燃えてる地帯へ走った。ガリアードウルフ達が引っかかれたような痕を残して倒れている。
俺はその中心にいる男…紫色の毛をした二足歩行の…多分、ライオン。を見た。黒のローブを屈強な上半身に纏い、上半身に対して細い足にピッチリとしたズボンを履いている。
「貴様が、『山の神』…」
エコーがかかったような低い声。
太鼓を目の前で打たれたかのような振動だ。
俺でもこんなに震えるなら、一般人がこの声を聞いたら腰を抜かすかもしれない。
ライオン男はその真紅の瞳を俺に向け、目を細めた。
…俺の事を山の神とやらと勘違いしてるようだ。
「…人間のような姿をしているんだな。」
「出て行け」
俺が言うと、ライオンの男の眉がピクリと動いた。
「…出て行け?それは私のセリフだ。勝手に世界中の山々を侵略しおって。貴様、この山は私、魔王軍幹部の【獣神】、レオウ・グリニオンの支配区域だ。出て行くのは貴様の方よ。」
レオウは足にかじりついてきたガリアードウルフを鬱陶しそうに蹴り飛ばした。
地面に対して水平に飛んで行ったガリアードウルフは、木に打ち付けられ、ギャウン!と声を漏らす。
「裏切った者たちの処罰は後だ…貴様を殺す。」
ギュウンと急旋回したレオウが右斜め上から俺に殴りかかる。一切のムダのない動き。
────そしてそれを、避ける。
空ぶったレオウの胴はガラ空きだ。
俺は右ストレートを彼の胴に叩き込む。
今度はレオウが木に打ち付けられた。
ガハッと彼は血を吐く。かなり効いたらしい。が。
彼は自分の吐いた血を見て、目を見開き、更に赤くする。
毛は逆立ち、紫色だった毛は赤黒く染まる。
何かがある。
トドメを刺そうと足を進める。しかし。
「大丈夫か!?俺が来たからにはもう大丈夫だ!」
青い少しダボッとした、紋様が施されている服、革のベルトとズボン。
そして、頭には冠。
何より、構えた輝く細く美しい剣。
────こいつ、まさか。
「獣神、レオウ・グリニオン!今俺が、ここで貴様を倒すッ!」
勇者?




