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五年後

 ミチル・アレクシウは有職である。


 かつて彼女が助けた女性弁護士バルナの伝手で、怪しげだが、一応は合法な仕事に就いていた。仕事の内容は不定期に不規則に変わる。ミチルはその都度、様々な場所へ派遣された。


 令嬢の用心棒、大型肉食動物の遊び相手、洞窟探検家……。


 危険と隣り合わせの仕事が多いおかげか、会社からの金払いは悪くない。比較的自由が利くおかげでミチルも別段、苦痛を感じた事はなかった。そして、昨日、胡散臭いが気遣いのできる社長から新しい仕事を言い渡された。スタントマンである。今までの経験から、生半可な内容でないのは容易に想像できた。


 早朝。ミチルは、相も変わらぬ愛車であるプログレス社の『P6』を駆り、撮影現場へと向かう。目的地に早く付き過ぎたので、近くにあるカフェを調べて、そこで暇を潰す事にした。カフェに入店すると、カウンターの奥の方の席に見覚えのある金髪頭を発見する。


「や、ブロンディーくん。盗み癖は治ったかな?」


 こちらへと振り返った金髪頭、もといレシェク・パテルは、目を丸くしながらミチルの顔を凝視した。


「え? ミチル? 何で?」

「君を探しに来た」

「……そういう嘘は嫌いだ」


 レシェクは未だあどけなさの残る顔を、しかめ面に変えた。


「この街には仕事をしに来たんだ。で、たまたま入った店に、たまたまレシェクがいた」

「普通だったら、その話の方が嘘みたいだけど、僕は信じるよ」

「ありがとう。それで、レシェクはここで何をしているの?」

「僕は――」


 

 ◆


 

「――見習い脚本家として、映画の撮影現場で教習を受けている最中だよ」

「その映画って、『セーフ・フロム・ハーム』って奴?」

「え、何で知ってるの?」

「私もスタントマンとして出演するから」

「えっ、まさか!」


 レシェクは驚声と共に、思わず立ち上がっていた。彼のあまりの驚きように、ミチルは呆然としていた。エメラルドに似た瞳を瞬かせる彼女を前にして、レシェクは運命の悪戯を切に感じていた。

 

「そこまで驚く事かな?」

「ああ、また後で僕の気持ちが分かると思う」

「やけに気になる事言うじゃん」

「ま、現場に行けば分かるよ」


 ミチルの後に続いて、レシェクはカフェを抜け出した。ミチルは「現場まで送ってくよ」と言いながら、旧世代車特有の古めかしい鍵を見せびらかすように、人差し指で回した。レシェクは一瞬だけ躊躇したが、ミチルとはもっと話したい事があったので、渋々彼女の車に同乗する事になった。


 カフェの駐車場に、あの赤い車が悪目立ちしながら停まっていた。レシェクの精神を掻き乱す赤い車、そして、隣に立つ女。胸の奥が疼く。深部に刻まれた『傷』。何度も消し去ろうとしたが、敢え無く諦めてしまった。レシェクは久しぶりに、耐え難く、暗い感覚に襲われていた。


「さ、乗りなよ。まだドアの開け方は覚えてる?」


 嘲笑の混じった声で、ミチルは車への搭乗を促してくる。レシェクは恐る恐るドアノブに手を掛け、助手席に座った。空かさず、エンジンの唸り声が車内に鳴り響く。レシェクは運転席に座るミチルの横顔をじっと見つめていた。


「それじゃあ、行きますか」


 発車の為、シフトレバーを掴んでいたミチルの手に、レシェクは己の手を重ねた。彼にとって無意識的な、咄嗟の行動だった。彼の奇行に驚いたのか、振り向くミチルと視線が重なった。頭の中で、混沌とした文字列の数々が、絶えず生まれては消えていく。ようやく繋ぎ合わせる事ができた言葉を、レシェクは喉元で抑え込もうとした。しかし、既に言葉は声になっていた。


「君と一緒に死にたい」


 レシェクは、向かい合うミチルに告げた。彼女は、彼の妄言を罵ったり、嫌悪する事はなかった。ただ、微かに笑みを浮かべるだけ――。手のひらに汗が滲む。緊張の糸が切れかけた瞬間、ミチルは徐ろに唇を動かした。


「いいよ。でも、今はその時じゃないから」


 ミチルはレシェクの手を乗せたまま、シフトレバーを操作して、愛車を勢い良く発進させた。レシェクはミチルから目を逸らし、窓越しに流れる景色に視線を移した。そして、先程のミチルの言葉を思い出し、彼女に見えないように少しだけ泣いた。



 ◆



 十数分後、撮影現場となる公園に辿り着いた。数人のスタッフが既にあちこちを歩き回っていて、映画撮影に関わるであろう何らかの準備を始めている。


 降車したレシェクはミチルを連れて、監督の元へ向かった。その道中で通りすがったスタッフ達が主演の女優について話をしていた。


「あんなお淑やかな人なのに、悪女役もやれるなんて――」


 その話を聞いて、レシェクは思わず鼻を鳴らした。彼の嘲笑を聞いていたのか、興味深そうにミチルが尋ねてくる。


「主演は誰なの?」

「君も良く知ってる人。最近活躍中の演技派女優だよ」


 ミチルは僅かに考える素振りを見せた後、「ああ!」と声を上げながら手を叩いた。どうやら、彼女の正体に気付けたらしい。


「レシェクがさっき驚いていた理由が分かったよ。それにしても……」

「悪女役とか似合い過ぎ、とでも思ってるんだろ」

「少なくとも、お淑やかでは無いでしょ!」

「ふふ、同感」


 二人でくすくす笑っていると、背後から「お久しぶりです」と声を掛けられた。振り返ると、当の本人が妖しく微笑んでいた――。



 ◆



「――お二人共、お元気そうで何よりです」


 ナイアは影のある声色で懐かしい知人達に語り掛ける。二人は怪物でも見てしまったようなぎょっとした表情で、薄笑いを浮かべるナイアの姿を眺めていた。


「えーと、お久しぶりです、ナイアさん。……とても、キレイになりましたね。背も高くなった」


 ミチルが明らかに慣れない口調でお世辞を言うので、ナイアは笑い出しそうになった。しかし、なんとか堪えて、次なる演技を見せつける。


「ありがとうございます。()()()()()


 感情を読ませない複雑な笑顔を見せながら、丁寧な口調で挨拶をする。違和感に溢れるこの空間は、ナイアの独擅場となった。


「そうそう、お二人に渡したい物があります」


 そう言うと、ナイアは滑らかな所作で、コートの内ポケットに手を入れた。何かを警戒していたのか、ミチルが反射的に構えを取ったので、ナイアはとうとう吹き出してしまい、演技を続けられなくなった。


「ふっ、ふふっ、もう銃は持ってませんよ」


 ナイアの手のひらには、小さな菓子が入った袋が二つ置かれていた。それを見て、しばらく呆気に取られていた二人だったが、「悪女め」とか「悪女だね」とか散々な言葉を呟いた。今や彼女にとっては、そんな罵声も称賛に等しい。


「どうでしたか? 私の演技は」

「名演だったよ」


 レシェクが気疲れした顔で、弱々しい拍手を送ってくる。ミチルは眉を顰めながら、舌打ちをした。ナイアは彼女の不機嫌に対して、優雅なお辞儀を返す。


「お二人はどうしてここに?」

「私は臨時のスタントマンとして」

「僕はこの映画の脚本家の下で、色々学んでるんだ」

「そうですか。監督にはもう会いましたか?」

「これから会うつもりだったんだ」

「それなら、私が二人の事を紹介しますよ。さあ、行きましょう」


 ナイアが歩き出すと、ミチルとレシェクも彼女の隣に並んで歩き始めた。ナイアはかつての旅仲間との久々の再会に胸を踊らせていたが、こそばゆさから、決してその思いを口にはしなかった。



 ◆



 その日の撮影が終わった。ミチルはホテルに向かう為に、愛車の元へ向かおうとした。しかし、ナイアに呼び止められ、足を止めた。彼女の背後にはレシェクが立っている。


「お二人に合わせたい人がいます」


 ナイアは仔細を語らなかったが、ミチルは彼女の誘いを快く承諾した。撮影現場の公園から十分ほど歩くと、公営の墓室に辿り着いた。


「生家がちょうどこの町にあったので、この墓室に埋葬されました。ここまで現場に近い場所とは思いませんでしたが」


 三人は墓室内をしばらく歩き続ける。ある扉の前で、ナイアの足が止まった。


「ここです」


 ナイアは扉の前にある生体認証システムに触れ、セキュリティロックを開放した。そして、ミチルとレシェクを墓室内に招き入れる。中にはいくつかの墓碑が並んでいた。少しばかり目立つ、白い墓碑が目に入る。ナイアは白い墓碑の前に片膝を着くと、静かに口を開いた。


「お久しぶりです、お祖父様」


 墓碑には『ノア・トーヴァルセン』の名が刻まれていた。


「この二人は、初めてできた私の友人です。ようやく紹介する事ができましたね」


 気恥ずかしそうに赤面しながら話すナイアに釣られて、ミチルも少し照れ臭くなった。隣にいるレシェクも同じ気持ちらしく、そわそわと体を揺らしている。


 ナイアが祖父に挨拶を終えた後、ミチルは墓室内を軽く見回した。白い墓碑の側にある壁に、一枚の絵が飾られていた。


 夏の海。


 生温い潮風が、鼻先を通り掛かった気がした。




(完)

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