ナイア・トーヴァルセン②
父と母は、様々な学問に精通し、社会貢献を心掛ける、絵に描いたようなインテリだった。それと同時に、上昇志向の強いビジネスマンでもあった。しかし、彼らの遺伝子から生まれた娘は、親の形質を潔く受け継ぐ事は無かった。
その娘は、親という神に仕える従順さだけが取り柄の無能の天使だった。父母が与える様々な試練は、彼女が無用の存在である事を証明する事に役立った。彼女の名は、ナイア・トーヴァルセン。
与えられた数々の役割のうち、ナイアが自身の価値を見出だせたのは役者であった。初出演作はスカーベルセの広告としての機能がふんだんに感じられる下卑た映画だ。内容はともかく、彼女の役者としての才覚はこの映画によって花開いた。ナイアは二人の圧制者によって押し込まれてきた感情を、演技という形で、繊細に豊かに表現できた。製作関係者はナイアの演技力に一目を置き、彼女自身も潜在していた天稟をはっきりと感じ取った。
しかし、この映画は役者として輝く最初で最後の機会となった。その原因は、ナイアが初めて両親の意向に反対した事にある。
商業的で大衆に迎合するような過剰な演技を求めていた両親は、製作関係者だけを集めた初号試写の後、特定のシーンを再録させた。一応は両親に従ったナイアだったが、再録での演技は歯噛みするほど気に食わなかった。人より遅れて反抗期に入った少女は、沸々と湧き起こる怒りにその身を任せ始めた。
再録された映画の編集が終わり、遂に作品が完成した。完成品の試写会は、スカーベルセに関係する有名企業の重鎮や名だたる映画評論家を招く大規模な物となった。上映中、夢中で映画を見る観客達の中で、怒りに震える二人の男女がいた。ナイアの両親である。
ナイアは映写されるデータファイルを、密かに初号版へ差し替えていた。杜撰な計画だったので、データ変更ログを参照するだけで、直ぐに実行犯は見つかった。
すり替えられた映画は存外に好評であり、二号版の存在は揉み消された。評論家達はナイアの演技を賞賛し、『微笑みの天使』という呼び名を与えた。これは決して忖度による評価ではなく、ナイア自身の才覚が作り上げた成果である。
しかし、両親はナイアの才能を認めようとはしなかった。それまで従順であった娘の裏切りは、親という矜持に余程の傷を付けたのだろう。両親は、ナイアが役者の道を歩む事を絶対に許さなかった。
最初の反抗以来、ナイアは安易に両親に従う人形ではなくなっていた。どれほどの罰則を与えても、ナイアは歯向かう事を止めなかった。娘の気概に観念した両親は、『スカーベルセの力を一切借りないならば、役者を目指してもいい』という条件を出した。詰まる所、親の富も権威も利用せずに、役者になってみせろという事だ。
この条件を達成する上で、最も大きな問題は資金だ。ナイアがスカーベルセに関与しない資金源で思い当たる物は、祖父が遺した一風変わった遺産であった。
祖父であるノア・トーヴァルセンはスカーベルセを創業し、現在の巨大企業にまで発展させた敏腕経営者だったが、相当に奇抜な人物だった。祖父の奇行は数多く、そのせいで未だ尾を引いている問題があった。相続問題である。彼の莫大な遺産の半分は親族に引き渡されたが、残りはティーガーデン北部の何処かに隠してしまった。そして、隠された遺産は、最初の発見者が自由にしても良いと、祖父は言い遺した。
祖父は遺産を発見する為の糸口として、ある遺言を残した。遺産を見つけるには、祖父の意志を継ぐ者が必要である。このヒントは遺産の捜索を難しくさせた。仕事から離れた後の祖父は、何かの目的の為に、独りでティーガーデン各地を巡っていたらしいのだが、その動向を知っている家族は一人もいなかった。それに、下手な行動を起こせば、遺産の情報が漏れて、親族に危害が及ぶ可能性も考えられた。そういった余計な懸念を避ける為、遺族一同は祖父の遺言を黙殺する事に決めた。
◆
――役者になりたいという真意を隠しながら、ナイアは祖父の遺産について、ミチルとレシェクに説明した。
「その話、僕達にしても良かったの?」
説明を終えたナイアに、レシェクが質問を投げ掛けてくる。
「計画は頓挫したので、自暴自棄です」
力無く笑うナイアの傍らで、レシェクとミチルが相談を始めた。ナイアは窓越しの景色を無心で眺めた。車の外ではいつの間にか雪が降り始めている。草の葉の一枚が、降り積もる雪に埋もれていく。その光景は、自身の末路を連想させる。相談が終わったらしく、ミチルが声を掛けてきた。
「遺産探し、手伝ってあげてもいいよ」
「理由を教えて下さい」
遺産そのものの価値にしか興味が無い者の助力は、断るつもりでいた。
「トレジャーハンターみたいでカッコイイから」
「……は?」
稚拙な理由を堂々と口にしたミチルの満面の笑みを、ナイアは呆然と見つめていた。間の抜けた車内の空気に耐え兼ねて、身震いしていたレシェクがとうとう吹き出した。
「それで、どうする?」
ミチルが自信ありげに問う。滑稽なやり取りのせいか、諦念に溺れるナイアの心は、最後の希望をこの二人に託す気になっていた。
「……よろしく、お願いします」




