ナイア・トーヴァルセン①
ナイア・トーヴァルセンは、除雪車が作った小さな雪山を登っていた。頂きに立つと、広い駐車場が見通せるようになった。波打つ黒髪を揺らしながら、琥珀色の丸顔をあちこちへ巡らせる。彼女には、捜し物があった。
ここはティーガーデンの中央部と北部の境にある町である。北部は公共交通機関が貧弱な為、これから各所を走り回るには、都合の良い移動手段を手に入れる必要があった。詰まる所、彼女の捜し物は雪道に適した車と親切な運転手である。
人影の乏しい通りを歩いていると、こじんまりとした食料品店を見つけた。店の前をナイアが通り掛かった所で、沢山の荷物が入った箱を抱える少年が店先から現れた。相手は目元にまで至る山盛りの荷物のせいで、こちらの存在に気付いていないようだった。直ぐ様最悪の予見を思い浮かべたナイアだったが、案の定、少年の抱える荷物は彼女の体に衝突してしまった。
「うっ!」
微かな悲鳴を上げながら、ナイアは路上に尻餅を突いた。積もった雪の冷たさがじんわりと体に沁みてくる。小柄な少女の存在にようやく気付いた少年は、慌てた様子で抱えていた荷物を傍らに置いた。
「あっ、ごめんよ! 荷物で見えなかったんだ。 立てるかい?」
腰を屈める少年の顔を、ナイアは上目遣いで伺った。軽薄そうなブロンドヘアーに、陰気を帯びたブラウンの瞳。色白で体格は華奢だった。年齢は間もなく成人するくらいだろうか。外見からは、人畜無害という印象を受けた。
「大丈夫です。……お手をお借りしてもいいですか?」
ナイアが言うと、少年は屈託の無い笑みを浮かべながら、「もちろん」と答えた。少年の手を借りて立ち上がったナイアは、態とらしくコートに付いた雪を払い落とした。
「僕はレシェク、旅をしている最中なんだ」
「私はエリーと言います」
ナイアは適当な偽名を口にしたが、怪しまれている気配は無さそうだ。
「……ええと、エリー。さっきはごめんよ、怪我は無い?」
「気にしないで下さい。雪の冷たさを久々に思い出す事ができて、感慨無量です」
「……本当にごめん」
申し訳無さそうに俯くレシェクを見て、ナイアは無表情のまま鼻を鳴らした。
「謝る必要はありません。代わりに、旅の行き先について教えてもらえませんか?」
「それで済むならお安い御用だよ」
ナイアの提案を聞いたレシェクは、俯いていた顔を上げて喜んだ。
「実は氷海を目指しているんだ」
氷海という単語を聞いて、ナイアは思わず息を呑んだ。彼女の最終的な目的地と一致したからである。レシェクは僻地である氷海へ向かう理由を語れなかった。彼には旅の同行者がいるらしく、行き先はその同行者が決めたからだ。
旅先について話していると、不意に短い電子音が鳴った。レシェクは腕に巻かれたテープ式の端末を操作し、AR画面を出力する。
「噂をすればだ」
「同行者の方からですか?」
「そう。車にちょっとしたトラブルがあってね。彼女が車を修理している間に、僕は町で買い物をしてたんだ。……向こうの仕事も丁度終わったみたい」
「それは良かったです。これで突き飛ばした相手から、心置きなく離れられますね」
ナイアは共感を感じさせない冷たい口調で返事をした。しばらくの沈黙の後、レシェクは気不味そうな面持ちで、辿々しく声を発する。
「その、本当にごめん、エリー。もう少し話していたいけれど、そろそろ行かないと……」
「お構いなく。さ、どうぞ」
無表情のナイアを尻目に見ながら、レシェクは道端に置いた箱を抱え上げようとした。しかし、箱から溢れるほどの荷物の山が崩れて、一部が路上に散乱してしまう。慌てて荷物を戻そうとする憐れな少年の姿を、ナイアは青い瞳で見下ろしながら無愛想に呟いた。
「手伝いましょうか?」
「いや、流石に悪いよ。車は少し遠い場所にあるし」
レシェクはなんとか箱を持ち上げたが、山盛りの荷物を崩さないようにしている為、足取りは覚束ない。
「また被害者を出したいみたいですね」
「……エリー、本当に申し訳無いんだけど、荷物を運ぶのを手伝ってもらえないかな?」
「いいですよ」
大荷物の一部をナイアの背負うバックパックに収納すると、二人は郊外に向かって歩き始める。目的地に辿り着く間、レシェクは己の素性をべらべらと語ってくれたが、話に全く関心が無いナイアは、それらしく相槌を打ち続けた。たまにナイアの素性について尋ねてくる事もあったが、適当な嘘を吐いて誤魔化した。
レシェクとの会話の中で、ナイアが「そうなんですね」と十回ほど口にした頃、遠目に赤い車が映った。
「あの車ですか?」
「そうそう、凄い古い車でさ。ドアの開閉も全手動式なんだよ。びっくりするよね」
「プログレスのP6ですね」
古臭いが、雪道を走るのに十分な性能を持つ車だ。最も良い所は、最新の通信機能が不在の為、足が付きにくい事だ。
「よく分かったね。もしかして詳しいの?」
レシェクの質問を無視して、ナイアは車の周囲を伺った。建物からは離れていて、雪を被った草むらがあるばかりだ。道路上には、他の車も人影も見当たらない。行動を起こすには持ってこいの状況だ。
古めかしい赤い車に近付くと、傍らに背の高い女が立っているのが見えた。淡いベージュ色の髪をなびかせながら、雪玉を投げて遊んでいる。凍った草を踏む軽快な音に気付いたのか、女はこちらへ振り返り、怪訝そうに顔をしかめた。
「やけに遅いと思ったら……まさかナンパでもしてきたの?」
「違う違う。えっと、紹介するよ。彼女は――」
ナイアは、レシェクの言葉を遮るように自己紹介を始めた。
「初めまして、私はエリーと言います。彼にぶつかられた挙句、荷物運びを手伝ってあげていました」
外野で少年の弁解が聞こえてきたが、彼の声を無視して会話は続く。
「それはそれは、うちの子が御迷惑をお掛けしました。……私はミチル、よろしくね」
車の中に荷物を詰めいているさなか、ミチルが「町まで送ってあげようか」と聞いてきた。ナイアにとって好都合な提案だったので、彼女は快くそれを承諾した。
左の運転席にミチルが、助手席にはナイアが乗った。余ったレシェクは後部座席を広く陣取る。車のエンジンが掛かった直後、ナイアは陽気な運転手に言った。
「お願いがあるのですが」
「どんな?」
ミチルがこちらの顔色を伺いながら尋ねる。
「氷海へ向かう旅に、私も同行させてもらえませんか? 捜し物があるんです」
「いいよ。面白そうだし」
ミチルが即答する。後席からレシェクの溜め息が聞こえてきた。
「ついでに氷海へのルートも指定させて下さい。ルートデータを送りますね」
心地良い返答に気を良くして、更なる願いを告げたナイアは、自身の端末からミチルの端末へルートデータを送った。ミチルは渡したデータを見て、動揺の表情を見せた。
「このルートで行くと、ティーガーデン北部にある全ての道を走る事になるんだけど」
「はい」
「やっぱり、さっきの話は無しで」
「何故ですか?」
「時間が掛かり過ぎるから」
「三日あれば走り切れます」
「私が食わず寝ずのロボットだったらね」
話は平行線に陥る。中々要望を受け入れてくれない事に苛立ちを覚えたナイアは、最終手段を持ち出す事に決めた。コートのポケットから拳銃を取り出し、二人に見せびらかす。
「これで私のお願いを叶える気になってくれましたか?」
「どうせ偽物だろ?」
レシェクが揶揄うように言うと、ミチルが大きな溜め息を吐いた。
「残念ながら本物だよ、レシェク。全く、我が国の少年少女は一体どうなってるのかな?」
ティーンエイジャーの現状を憂うミチルに対し、ナイアは意気揚々と銃口を向けた。
「ミチルさん、答えを聞かせて下さい」
「断る」
ミチルの拒絶の返答と同時に、ナイアの手から銃が消えた。いつの間にか、銃はミチルの手のひらの中に収まっている。瞬きの間に掠め取られたのだ。目にも留まらぬ早業に、ナイアはしばらく唖然としていた。
「スカーベルセのリレビッテか。小柄な子供でも扱える軽量な銃だ。まあ、設計者は子供が扱う想定はしてないだろうけど」
ナイアから奪い取った銃を舐めるように見ながら、ミチルはぼやいた。そして、銃に精通する者の手つきで、各々の部品に解体していく。バラバラになった銃が、袋詰めされていく様子を眺めていたレシェクが、不意に口を開いた。
「エリー。君の本名はナイア・トーヴァルセンだろ。かの有名な複合企業『スカーベルセ・インダストリアル』の御令嬢の」
レシェクの推測は当たっていた。ナイアは事実を否定する気になれず、諦念の溜め息を吐いた。
「なぜ分かったのですか?」
「数年前、君が出演している映画を見た事がある。スポンサーはスカーベルセだった。君の銃もスカーベルセ製と聞いて、勘付いたんだ」
「よく覚えていましたね、あんな不出来な映画」
「僕は記憶力にだけは自信があるんだ。脚本は難ありの映画だったけど、君の演技には光る物があったと思う。確か君はこう呼ばれていた筈だ。微笑みの――」
「『微笑みの天使』」
忌々しい記憶の片鱗が思い起こされ、ナイアは暗い笑みを浮かべた。表情の変化に気付いたのか、レシェクは気不味そうに目を逸らす。
「よく知らないけど、その何とかの天使様が、どうして今はこんな事をしてるのかな?」
会話に追い付けないミチルが袋詰になった銃をナイアの足元に放り投げる。分解された凶器を無気力に見下ろしながら、ナイアは呟いた。
「祖父の遺産を探しています」




