ミチル・アレクシウ
ミチル・アレクシウは無職である。
先週までは警備会社に務め、ボディーガードの仕事に携わっていたが、度重なる規則違反を犯していたミチルは、とうとう職を失う事になってしまった。
ミチルは、率直に言えば規則を守れない人間である。とても良く言えば自由人である。幼少期からそういう人格を持ち合わせていた。
この性分は、平穏と安定を是とする国家『ティーガーデン』の思想にどっぷりと浸かっていた彼女の両親とは正反対の代物であった。入ってはいけない所に入る。触れてはいけない物に触れる。日常的に行われる規則違反に愛想を尽かした両親は、ミチルに対する関心を失っていき、子供に対する最低限の義務だけを果たす存在へと変わった。
ミチルへの関心が薄い理由は、規則を守れない性分のせいだけではない。
ミチルはティーガーデンが管理する人工子宮から産まれ落ちて、五年が経過したのちに、彼女の両親に引き合わされた。実娘の姿を初めて目にした両親は、思わず言葉を失った。彼女の髪の色はカフェオレのようにくすんだベージュで、瞳はエメラルドの深緑に染まっていた。彼女の外見は、父母のどちらの特徴も引き継いではいなかったのだ。遺伝子鑑定の証明書がセットで付属していても、その容姿が全く自分達の形質を受け継いでいないとなると、実の子供ではないという先入観が両親に芽生えるのは、無理からぬ事であろう。
ミチルは社会組織に身を置く事に関しては難点が多いが、肉体を駆使する活動においては、常人を優に超える素質を持っていた。ボディーガードになったのも、類稀なる身体能力を持っていたからである。しかし、仕事で才能を活躍させる機会は、彼女の精神的欠点によって、失われるばかりであった。
例えば、失職が確定した仕事の時の話である。
ミチルはとある人物の護衛の任に就いていた。その人物というのは、法律事務所を取り仕切る女性所長であり、名はバルナと言う。バルナの事務所は反社会的勢力のいざこざに巻き込まれた被害者の為に動く事があり、それに伴って、きな臭い連中に命を狙われる事があった。
仕事の内容は、一週間の身辺警護であった。その初日、所長が仕事の打ち合わせに向かっていた時に、ミチルは早速規則を破る事になる――。
◆
自動運転で目的地に向かう車の中。後席の中央に所長が、その両隣にミチルと彼女の同僚が座っていた。移動中にも関わらず、所長は携帯端末を忙しく操作して、何かしらの仕事をしていた。退屈していたミチルは誰にも気付かれぬよう、所長が手に持つ端末の画面を横目で覗いていた。
ミチルの無駄に優れた視力が、端末の画面端に映る旧世代のオープンカーの写真を見つけると、彼女は思わず大声を上げた。
「プログレス社のR5だ!」
車中にいる全員がミチルの声に驚き、唖然としていた。どこか気まずい沈黙も束の間、バルナは皺を刻んだ生真面目な表情を緩めてから、ミチルに声を掛けた。
「アレクシウさんも、旧世代車がお好きなようですね」
「はい、大好きです! 実は私の愛車もプログレス社のP6なんですよ」
「まあ! お若いのに随分と渋い車にお乗りになっているのね」
こうして古き良き旧世代車談義が始まると、ミチルは口を動かすのを止められなくなった。話に夢中になり過ぎていたせいで、同僚が数度に渡って咳払いや舌打ちをしているのにも気付かなかった。
依頼主の情報を口外する事も、依頼主との業務に関わらない過度な会話も、会社の規則に反する行為である。ミチルは早速二つの規則を破ったが、彼女の違反行為は決してこれだけには留まらなかった。
失職の決定打となった違反は、仕事の最終日、契約が終了してから起こる。
ミチルは人懐っこい性格も相まって、バルナ所長とすっかり仲良くなっていた。バルナはその日の仕事を終えると、プライベートでミチルをドライブに誘ってきた。無論、この誘いに乗れば規則違反となるが、ミチルは平然と首を縦に振った。
ミチルが待ち合わせの場所に赴くと、ユニークな丸目のライトを光らせながら、クーペタイプのオープンカーが待ち構えていた。車体を鮮やかに染める青色が夜闇と溶け合い、妖艶な雰囲気を醸し出す。今では貴重となった合成燃料エンジンが奏でる、包み込む様な重低音は、ミチルの心を鷲掴みにしていた。
「さあ、乗って」
バルナが運転席の窓から顔を出し、愛車への搭乗をミチルに促す。慣れた仕草でハンドルやシフトレバーに触れる所長の姿は、今までに見た中で一番輝いているような気がした。
現在流通している一般的な自動車は、普通なら内燃機関を持たないし、加減速やシフトチェンジの為に、人間がペダルやレバーを操作する事は全く無い。更に、ティーガーデン全体に敷設された充電インフラによって、国内であればどんな場所であろうと、ワイヤレスで動力源へ補給してくれる。また、路面状況に合わせてシームレスに変形するサスペンションが、宙に浮いているような乗り心地を搭乗者にもたらし、居住快適性も非常に高い。
対して、旧世代車は何をするにも人の手が必要で、路面の状況はいち早く搭乗者の皮膚に伝わり、煩わしいエンジン音とロードノイズが鼓膜を延々と鳴らし続ける。燃料をタンク内に直接補給しなければならず、各部品の整備性も劣悪な為、不便極まりない移動手段と言えるだろう。
駄目押しに、内燃機関で稼働する旧世代車は、資源の浪費や安全性の問題から、規制を求める声が高まっている。このままでは、旧世代車は近い将来、ティーガーデンから完全に姿を消すかもしれない。
しかしながら、ミチルは科学の進歩と逆行するこの旧世代車に何故か心惹かれてしまった。今も、バルナの駆るプログレスR5が放つ轟音と振動を、全身で感じながらうっとりしている。
ふとサイドミラーを覗うと、後続車がいる事に気付く。何の変哲もない、そこら中に走っている、面白みの無い車種だった。ミチルは目を凝らして、ミラーに映る後続車の様子を観察した。車内には数人の男。その内の一人が、小銃を抱えているのがちらりと見えた。
「後ろの車、刺客かもしれません」
「えっ?」
ミチルは所長の喫驚の声を聞き流して、懐から拳銃を取り出した。警備会社から支給される質素で堅実なオートマチックピストルである。
「私の指示に従って頂けますか? 所長もR5も無事に家に帰れるようにします」
しばらく呆然としていたバルナだったが、ミチルのどこか楽しげな表情を目にしてか、嬉しそうに答えを口にした。
「分かったわ、何をすればいい?」
言われて、ミチルは周囲を見渡した。今走っている道路は道幅も広く、車の数もまばらである。敵を撃退するにはうってつけの状況だ。この道は自分でも走った事があるので、カーブの位置や緩急も頭に入っている。
「このまま速度を上げて下さい。R5の咆哮を奴らに聞かせてやりましょう」
「オーケー!」
バルナがアクセルペダルを踏み込むと、彼女の愛車はけたたましい雄叫びを撒き散らしながら急加速した。旧世代車なのだから、速度が遅いという訳ではない。むしろ、アクセルペダルの軽快な応答性によって、速度を出し過ぎてしまうくらいだ。高トルクが生み出す飛び立つような加速感を受けて、ミチルは興奮のあまり高笑いした。
この高速走行が最高に楽しいと思える人間が、旧世代車の安全性に問題はありませんと言っても、きっと受け容れてもらえないだろう。
R5の加速に追いつく為か、後続車も速度を上げ始める。これで、所長を狙う刺客である事は確定したも同然だった。容赦無く打ちのめそう。ミチルは長い後ろ髪を束ねながら、意気込んだ。
後続車が近付いてくる。相手の射程に入ったのか、助手席に座っている刺客が窓際で銃を構えようとしているのが見えた。彼らはきっとR5ごと搭乗者を撃ち抜くつもりだ。
「本物の価値も分からない愚かな奴ら!」
軽率な発砲準備を目にして、ミチルは怒りの声を上げた。空かさず、体を後続車の方に向けて、引き金を引く。彼女が放った弾丸は助手席の窓から掲げられていた銃にぶつかり、はるか後方へと弾き飛ばした。直後に、バルナが賞賛の口笛を吹いてくれる。
ミチルの射撃精度を目にした刺客は、迂闊な行動を取れなくなったのか、先程よりも車間を広く取り始める。ミチルはこの状況を好機と見た。
「所長、次のカーブでドリフトしてください」
「いいけど、何をするの?」
「あの車の装甲は私の銃じゃ撃ち抜けないので、策を使います」
「面白そうね」
「必ず御期待に応えてみせます」
間もなく左の急カーブに差し掛かる。刺客の車との距離は十分に遠い。サイドブレーキの操作音。踏み込まれるアクセルペダルと共に唸りを上げるエンジン。そして、スキール音。はち切れんばかりにタイヤが嘶く。
R5の車体が傾いた瞬間、ミチルは後続車の左手に向かって、数発の弾丸を放った。鉛玉が数回の金属音を発した後、後続車の左奥にある壁から大量の白い泡が吹雪のように噴き出す。泡に包まれた味気の無い大衆車は途端に減速して、一切の身動きが取れなくなった。
「あの泡は?」
バックミラーを伺いながら、バルナは聞いた。
「事故防止用の緩衝材ですよ。衝撃を感知すると、ああやって車を止めるんです。この道路は私達の同族が多いですからね」
バルナはミチルの答えに軽く頷くと、もう一度問い掛けた。
「私にドリフトさせた意味はあるの? あなたの射撃の腕なら、簡単に狙えそうな的だったけれど」
「とても重要な意味がありますよ」
ミチルは一拍置いてから、次なる言葉を発した。
「――カッコイイからです」
「はあ、映画の見過ぎよ」
馬鹿馬鹿しい回答を耳にしたバルナは、段々と堪えきれなくなり、いつしか笑い声を上げていた。それに釣られて、ミチルも盛大に笑った。
しかし、翌日になると、ミチルが置かれている状況は全く笑えない物に変わっていた。
契約終了後の依頼主との接触。勤務時間外での銃の持ち出し。無許可の発砲。公共設備への破壊行為。社内だけに留まらない多数の罰則が、ミチルに責任を取らせようと、彼女の周囲に纏わりついた。
危機に陥ったミチルを救ったのは、バルナだった。法律事務所を取り仕切る所長の肩書は伊達ではなく、ミチルには理解できない取り引きの末に、彼女は法的な罰則を受ける事は無くなった。しかし、懲戒解雇を免れる事はできなかった。公的機関が許しても、会社は彼女を許さなかったのだ。
そして、ミチル・アレクシウは無職になった。
路頭に迷うかに思われたが、バルナがまたしてもミチルを救う手立てを授けてくれた。ミチルの特異な身体能力に適った仕事を探してくれる事になったのだ。
「手続きに時間が掛かるから、その間に愛車で旅行にでも行ってきなさい」
柔らかな口調でバルナに言われると、ミチルは喜びを隠さない満面の笑みで答えた。
「お土産を楽しみにしていて下さい!」
旅先は何処でも良かったので、家に帰ってテレビを付け、最初に目に入った場所へ行く事にした。
「複合企業スカーベルセ・インダストリアルが主導していた開拓計画は一時的に中断されている状態でしたが、議会より完全な凍結処分を――」
早速、北部の開拓計画に関するニュースが流れた為、ミチルはティーガーデン最北端の何も無い海と言われる『氷海』を目指す事に決めた。
艶めかしい真紅色の愛車を磨きながら、北の海に思いを馳せる。氷海は、本当に何もない場所なのだろうか。その近くには、どんな人が住んているのだろうか。今度の旅は、何か特別な事が起きそうな気がして、ミチルの心は期待と興奮で溢れていた。




