優しさに花開く
※出産に関しての話が出ます
伯爵家の三番目として産まれたアリアだが、その時に母親が亡くなった。伯爵である父と兄、姉は母の命を奪ったのはアリアだと彼女を憎みぬいた。放置され死にかける前に母の妹であるモニカがその事態に気付いてアリアを引き取った。
アリアという名前を付けたのはモニカとその夫である侯爵で、嫡子であるフレデリックは従妹であり養子として義妹になったアリアを可愛がってくれた。
モニカはフレデリックを産んだ際、難産で次の子が望めなくなった。娘が欲しかったと零したモニカにまだ妊娠中だったアリアの母は「この子が産まれた時に私が死んでしまったら、この子を引き取って欲しいの」と告げていた。
元々アリアの母でモニカの姉であるミュリエルは体が弱かった。伯爵から強く望まれて嫁ぎ、二人産んだだけでも精一杯だったのに、伯爵が避妊を忘れた結果アリアを宿した。
堕胎は罪である為、ミュリエルは命懸けで産む覚悟をしたのだが、どうにも伯爵は理解していない節があった。ミュリエルは自分の体を理解している。そして夫や子供の性格も分かっていた。
今更どうにか出来るほどの気力も体力も無く、モニカに託したミュリエルは先を見通していたのかもしれない。
アリアは実の家族を知らないけれど、自分が侯爵家の実子では無い事は聞かされていた。それでも良かった。侯爵であるアレクシスとモニカ、フレデリックに愛されて育ったアリアは教育もきちんと受け、侯爵令嬢として相応しい振る舞いが出来るようになっていた。
アリアは母親の命を奪ったと実父などに憎まれたらしいが、そもそも体が弱いのに避妊をしなかった実父が悪いし、出産を無事に済ませる事がどれだけ困難な事かをアリアは学んだ。
モニカとて死の淵に立ちながらフレデリックを産んだという。安心安全な出産が無いことをモニカはよく知っていたので、アリアにそれを語っていた。
アリアの婚約が決まったのは12歳の時。4歳年上の公爵家の嫡男で王太子殿下の側近候補として王立学園に通っているトリスタンである。
年の差は貴族としてはよくあるもので、まだ少女と言えるアリアに対してトリスタンは丁寧に扱ってくれた。家門のバランスとしても丁度良く、政略結婚ではあるけれど、誠実なトリスタンにアリアもほんの少し背伸びをしながら婚約者としての付き合いをしていた。
「わたくしがまだ幼い見目なのが申し訳ないわ」
「まだ貴方は若いのだから、今しか楽しめない事を楽しめば良いのですよ」
「トリスタン様が魅力的すぎるのです」
学園では週に二日の休みがある。その内の一日をアリアとの茶会に付き合わせることに申し訳なさを感じて回数を減らす事を申し出たのだが、トリスタンから止められた。
「ここに来て貴方と話していると落ち着くのです。学園では気の張る事が多いもので」
「王太子殿下のお傍に控えられているとそうなりますわね。学園が安全な場所とは言いきれませんもの」
警備をいくら厳重にしても、人の出入りは多い。トリスタンが側近候補の中でも一番近くにいるのは彼が体を鍛えているからだ。何かあれば王太子の盾となるのがトリスタンの役目である事をアリアは理解している。
「最近マニロフ公爵領で新たな染色技法が生み出されたとお義母様に伺いましたわ」
「母は本当に君の事を気に入っているようだね。良ければドレスを贈らせていただいても?」
「嬉しいですわ。ですが、夜会用ではなくデイドレスが嬉しいです。お茶会に招待された時に着たいわ」
養子とは言えども侯爵家の令嬢で次期公爵の妻となるアリアは最先端の流行を身に纏い人前に出る必要がある。流行が広がれば領地の利益となる為だ。アリアはまだ12歳だが、公爵夫人に気に入られ夫人とモニカに挟まれて既に社交界デビューを果たしている。まだ幼くとも両家によってアリアは次世代を率いる女性の一人として周りに認知され始めていた。
「オリビア様と先日お茶会をしましたの。殿下から頂くお花は嬉しいのですが、お部屋に飾りきれないそうですわ」
「減らすように伝えておこう」
「オリビア様は薔薇の花がお好きですので、特に美しい深紅の薔薇を一本、殿下のお色のリボンで飾って贈ると宜しいかと」
「一本で良いのかな?」
「ええ。メッセージカードに付ける匂いはささやかに、ですが殿下の香りを」
オリビアは王太子の婚約者で彼の一つ年下の公爵令嬢である。お互いに忙しい事もあるが、人前では私的なことを語り合えないし、ちょっとした不満を告げるのはオリビアとしてはわがままと思われるかもと言えないから、アリアがトリスタンを経由して伝えるのだ。
「君に花を贈っても?」
「お花は好きですが、わたくしはお菓子がもっと好きですのよ?」
「分かったよ。君に気に入ってもらえるお菓子を探してこようではないか」
「楽しみにしていますわ」
花はもちろん嬉しいけれど、こうした茶会で二人同じものを食べて話す時間が好きなのだと告げればトリスタンの目が柔らかく緩む。まだ子どものアリアをトリスタンが恋愛対象にすることは無いしされてもアリアとしても困るけれど、敬愛や親愛は確かにある。
アリアの柔らかな栗色の髪の毛は緩やかなウェーブを描き、若葉を連想させる緑の目は好奇心の強さを表すようにきらきらと輝いている。
青みがかった銀の髪に深い海の色をしたトリスタンは怜悧な印象があるものの、その服の下には鍛えられた体が隠されている事をアリアは知っている。トリスタンの家であるマニロフ公爵家の王都にある屋敷には広大な庭園があり、二人で散策をしたは良いが体力の少ないアリアは疲れ果ててしまった。その時にあまりにも軽々と抱き抱えられて驚いたアリアに、体を鍛えているからね、と服の上からはしたなくも触らせてもらったのだ。まだ子どもだから許されたのだろう。
トリスタンは立場的にも見た目的にも令嬢達の憧れの相手で、彼と婚約したいと望む者は多かった。しかし、王太子の最側近であり国内でも随一の領地を持つ公爵家に嫁ぎ夫人となる為には私欲塗れでは相応しくないのだ。
富や名声だけを望む令嬢達を差し置いてアリアが選ばれたのは貪欲なまでの知識欲だった。実の親や兄姉から憎まれたアリアにモニカは場所を与えてくれた。義父のアレクシスと義兄のフレデリックは可愛がってくれた。だけど、心のどこかで母が死んだのはやはり己の所為なのではと考える瞬間があり、納得する為に医学を学んだ。まだまだ発展途上の学問だし、特に子を産む分野は資料とも少ないけれど、それでも産後において死亡する例は少なくないと言う統計にアリアはようやく自分を納得させた。
その一環で他国の本を読む為に外国語を学び、屋敷の図書室の本に興味を示し、他領の特産品などを知りたいと思うようになった。
幼い子どものそんな貪欲な知識欲を買ったのがマニロフ公爵夫人だった。
トリスタンは見合いの前に相手がまだ12歳の少女と聞いて驚いたが、会ってみれば聡明さはすぐに分かるものだった。トリスタンの外見に対しては「お綺麗な顔ですね」と言ったものの熱が籠ったものでもなく、寧ろ案内した王都屋敷の図書室の広大さと蔵書の多さを目にした時の方が余程熱が籠っていた。
まだ婚約を結んで一年も経っていないが、二人の関係は良好だった。
アリアが13歳になると学園に入学した。学園への在学期間は3年間となっており、女性は13歳、男性は15歳の時になると学園に入学する為、最終学年のトリスタンとは一年在籍期間が被る。男女で入学年齢が異なるのは結婚適齢期に違いがある為だ。
未来の公爵夫人として社交の場に出て、未来の王太子妃である公爵令嬢と仲の良いアリアは年上の友人が多いが、その妹達が同じ歳に入学するのもあり共に行動していた。
学園において派閥というのは必然と出来る。王家派であるマニロフ公爵家や現在の家であるヴェルグ侯爵家と同じ派閥の令嬢達は学年が上であろうと入学したばかりのアリアに挨拶に来た。
必然として派閥の取りまとめ役となったアリアだが、卒業後に本格的な社交を行う準備期間としてそれを受け入れた。
昼食の時間は婚約者であるトリスタンからの希望で共に取る事になっているが、学園内での安全を確保する為に王太子と離れる事が無いため、必然としてアリアも王太子と昼食を共にするようになった。
「オリビアの事ではいつも感謝している」
「国の平穏の為ですもの。仲睦まじい事は宜しいことですわ」
「彼女も君の事を気に入っている。既に卒業をして王宮に入ったので、今後は王宮に足を運んで貰えるとありがたい」
「お声掛けを頂きましたら是非に」
「殿下。アリアは忙しい身ですからあまりに無理はさせないでくださいね」
「分かっているさ。公爵夫人が目を掛けているのだろう?」
辣腕で知られる公爵夫人お気に入りともなれば求められるものはそこらの家の者達よりも遥かに難しいのは王太子ですら分かる事だ。マニロフ公爵家に嫁ぐ夫人達は外見よりも能力を求められる。通常、領地は男性が治め、女性と言うよりも夫人は家政を取り仕切るが、マニロフ公爵家に関しては夫人が領を統治する事もある。当主が国王の最側近というのは代々のことで、現公爵も国王の傍に控えている。
男性と変わらぬ能力を有している事が最低条件で、家政は家令に委ねている。アリアは夫人の傍で学びながら現在の家令の息子を使う練習をしている。
アリアを逃がすつもりのない夫人が逃げられないように囲い込んでいるので、何があってもこの婚約は白紙撤回も解消も破棄もされない。最悪の場合、トリスタンを切り捨てて分家から養子を取りアリアと結婚させるであろう。
そんな思惑をアリアは分かっている上で喜んで受け入れている。必要とされる事が嬉しいのだ。自分にはそれだけの価値があるのだと。
日々は穏やかに過ぎていく。対立派閥の令嬢からの嫌味などは可愛らしいと思えるものだ。実際の社交界では陰湿で悪辣なやり取りなど当たり前のように繰り広げられている。綺麗な言葉で取り繕うやり方を学ばないと生きては行けない世界。
そんなある日、アリアが複数の令嬢に囲まれながら食堂へ向かっていると、目の前にアリアを睨みつける最上級生が現れた。初めて見る顔で、頬に手を添えながら軽く首を傾げると、その女性はアリアに向かって叫んだ。
「人殺しが! 母親殺しのあんたが、なんでトリスタン様の婚約者なのよ!」
「…ああ、貴方がわたくしの姉なのですね、ごきげんよう」
人殺し、母親殺し、と叫ばれたアリアは困ったように笑うしかない。生まれて直ぐに侯爵家に引き取られたアリアにとって、血は繋がっているけれどそれだけの存在でしかない。
「産褥で母が亡くなったのは確かですが、それを母殺しと叫ばれましても…」
「お前のせいでお母様は死んだのよ! あんたさえ産まれなければお母様は生きてたのに!」
「それは貴方のお父様に仰って下さる? 体が弱くて三人目は無理だと言っていたのに、紳士として、夫として最低限のマナーを守らず三人目を産まざるを得なくさせたのはその方よ? 敢えて言うならば、母を殺したのは父でしょう? ただ産まれただけのわたくしにどんな罪が?」
「あんたが殺したのよ!」
喚き叫ぶその女に周囲は困惑と嫌悪を隠さない。母親が健康的で無事だと言う人もいるだろうが、中には母は無事でも子は亡くなっていたとか、どちらも駄目だったとか、それこそアリアのように母だけが亡くなった人だっている。
親ではなくて姉や親戚がそうであった生徒もいる。だけどどうしようもない事だと誰もが悲しみの中で確実ではないそれと向き合って来た。そんな人の心を目の前の女性は逆撫でしていた。
「それは、わたくしも母殺しと言いたいのかしら?」
アリアよりも多くの令嬢に囲まれた女性は、この国で現在最も尊い立場の女性である――。
「王女殿下にご挨拶申し上げます」
「アリア嬢、お顔を上げて。貴方とわたくしの仲ではありませんの」
「礼儀ですわ。わたくしの立場にもなりますと周囲への見本となりますもの」
「よろしくてよ。それで、そこの女性は貴方の何?」
「恐らくはわたくしが生まれた家の姉かと。会ったことがございませんし名乗りも無いので名は知りません」
「そう。それで、お前はわたくしも母殺し、人殺しだといいたいのかしら?」
この国に今、王妃はいない。隣に並ぶセレスティア王女殿下を産んだ際に亡くなったのは誰もが知る話である。国王は最愛の王妃を亡くして深く悲しんだが、それをセレスティア王女にぶつけることは無かった。
出産に絶対は無い。だからこそこの悲しみを減らす為にもと医学へ力を入れた事は有名な話である。
アリアと同じ状況で生まれたセレスティア。アリアを人殺し、母殺しと言うのならばセレスティアも同じだと分からなかったのか。
血の気が引いて青ざめた女から視線を外すとセレスティアはアリアに声を掛ける。
「今日はわたくしもお兄様に呼ばれているので昼食は同席するわ」
「分かりましたわ。ご一緒しても宜しいでしょうか?」
「ええ」
すっとセレスティアの護衛騎士が前に出ると女を端に寄せ腕を掴んで動けないようにする。女性の騎士なので触れても騒ぎにはならないだろう。
「あなたの言う通り、生まれただけの赤子に罪は無いわ」
「ええ。そもそも子供は一人で産まれません。父親がそうしなければ子は出来ませんもの」
「そうよね」
セレスティアと会ったのはアリアが図書室に篭もり始めた頃でモニカに連れられて王女の友達作りの茶会に参加した時だった。セレスティアもアリアと同じく母が亡くなったのは自分の所為だと思い詰めていたので、出産の危険性や、そもそも子供が出来るには、などを教えた。
それがあってセレスティアはアリアを気に入り友人となった。
「アレは駄目ね。わたくしや貴方と同じ立場の人間はそれなりにいるわ。それを理解せずに大声で叫ぶなんて、非常識よ」
「わたくしもそう思いますわ」
「わたくしの名で彼女の家に手紙を送りましょう。貴方では角が立つでしょう?」
「侯爵家よりも王家からのお尋ねの方が事が大きくなりますでしょうに」
「そのつもりよ」
セレスティアが国王の前で悲しそうに今日の出来事を言えばきっと大事になるのは間違いない。今でも国王の悲しみは続いている。貴族にも平民にも徹底的に出産リスクを周知させ、医者の数を増やしてきた国王にとっては未だにそれを分からず責められる誰かがいる事は許し難い事だろう。
名も知らぬ恐らくは姉だったひとがひっそりと学園を辞めたと教えてくれたのはそばに居る友人の一人で、だがアリアには興味が無かったのでそれで終わった。
確かに血は繋がっているけれど、産まれても貴族院に書類を出されなかったアリアはその家の子としての記録が無い。実母が念の為にと書類を残していたからモニカが母の妹と言うのもあり養子として認められた。
アリアにとって大事なのは自分を大切にしてくれる人達がいる事だ。彼らの優しさと愛情がアリアを卑屈にさせる事なく花開かせてくれた。
「アリア、迎えに来たよ」
「トリスタン様。ありがとうございます」
3年の学園生活を終える今日、既に卒業して王宮にて働いているトリスタンが卒業式に合わせて休みを取り、エスコートをしてくれる。半年後には結婚式を控えて中々に忙しい日々を過ごしていた。
「そのドレス、よく似合っているよ」
「ありがとうございます。貴方の色ですわね」
「独占欲が強くてすまない…」
「いいえ。嬉しいわ。貴方に包まれている気がするもの」
身長は伸び、体付きも女性らしくなったアリアは深みのある青の生地に銀糸で刺繍が施されたドレスを着ている。装飾品も全てトリスタンが用意したものだ。
両親と兄は先に王宮に向かっている。王家が運営している学園の卒業なのでそれを祝うパーティは王宮にある離宮の一つで行われる。
「わたくしの色をクラバットにして下さったのね」
「君の瞳に近いブローチが見つからなくてね。やはり君の瞳の鮮やかさを出すのは難しいな」
「ふふ。これからは何時でもこの目をご覧くださいませね」
式は先だけど、公爵家へは三日後に移動する。早めに暮らす事になったのは夫人からの要請だった。侯爵家の王都屋敷とはあまり離れていないので顔を出す事は咎めないとも言われている。
「わたくし、貴方が好きよ」
「私もだよ。君が徐々に大人になるにつれて焦ったよ」
「まあ。ふふ、わたくしには貴方しかいませんのに」
二人きりの馬車の中。そっと寄り添えば肩を寄せられる。くれぐれも髪には触れないように、とモニカ付きのヘアメイク担当の侍女から言い含められていたトリスタンの手つきは慎重だ。
「わたくし、健康には気を付けてきましたし体力もつけるようにしましたの。貴方を置いていかないようにしますわね」
「そうしてくれ。君を失ったら私はどうすれば良いのか分からなくなってしまう」
「そうならないように最善を尽くしますわ」
そっと触れ合う唇。化粧が崩れてもトリスタンが怒られるのでここで止めておかなければならない。パーティが終わるまでが長いな、と漏らしたトリスタンにくすくすと笑いながらアリアはこの幸福がいつまでも続く事をそっと願った。
記載忘れていました。
諸々の裏話を活動報告に書いています。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1347077/blogkey/3543933/
アリアの生まれた家の姉のことについても書いているので宜しければこちらもご参照ください。




