悟りの中で僕は
1000文字エッセイシリーズ
悟りの中で僕は
全てを悟ってみてもまだ苦しい。
全てを諦めてみてもまだ苦しい。
煩悩が苦しみを生んでいるとブッタは云ったけど、悟っても諦めても苦しいものだ。
人生は苦しみに溢れている。
病に苦しみ、愛に苦しみ、老いに苦しみ。
成長している時、万能感を抱くけど、成長が止まればまた苦しくなる。
いったい人はどうすれば救われるのか?
救いなどあるのだろうか。
何をすれば、どうすれば、何を得たら救われるのか?
そんなこと僕は分からない。
お金を得たら救われるのか?
そんな、お金で買えるものなどたかがしれている。
結婚すれば、救われるのか?
結婚は別に幸せになるものではない。
富むときも病むときも、苦しみと幸せを折半するのが結婚である。
僕は何をすればいいのか分からなくなり、脳内が混乱しているのである。
本を何百冊、千冊読んでも、変わらなかった。
いや、変わったのだけど、埋没してしまった。
神は自ら滅ぶものを賢くするものだ。
そうなのかもしれない。
歴史に名を残せば救われるのか。
そんな歴史に名を残しても、不幸な人生を歩んだ人は大勢いる。
きっと、まわりの小さな幸せに気が付くことが、もっとも救われる方法なのかもしれない。
僕はそう考えてもみる。
まわりの小さな幸せに気が付く。
その中で、人生を悟って手放していく。
僕はそう思うのだ。
どこに行けばいいのか。
どうすればいいのか。
分からないけど。
分かる必要もないのかもしれない。
小さなこと。
小さな幸せ。
小さな感謝。
それに気が付くことが最も大切なことなのかもしれない。
多くを求める者は、多くの災いも引き寄せる。
それは一種の真理でもある。
小さなことに満足して、それを積み上げていく。
そのことが救われる方法の一つなのではないかと思う。
人は泣きながら生まれて、孤独に死んでいく。
何か意味があれば幸福というものではないのかもしれない。
意味がなくても、ただ生きているだけで、それだけで素晴らしいことなのだと。
そんな気がする。