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『虚幻の王』  作者: しぃ
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7話

第七話


馬車の周囲は魔物で埋めつくされていた。

しかし、彼らは特に攻撃することもせず、馬車から一定の距離を保って様子を窺っている。

「どうやら害意はなさそうだな」

かうぼいは口から煙草の煙とともに言葉を吐いた。

「…かといって、通してくれるわけでもないようだが」

西の空より暗雲が巻き起こり、中天にまで広がってきた。

暗雲は太陽をさえぎって二人の影を虚ろなものに変え、時をかけてさらに東天を侵そうとしている。

「……彼らはいつまでこうしているつもりなんでしょうか?」

しびれを切らしてしゅうがいった。

「さあ、俺に聞かれてもなあ…」

突然魔物の群が二つに割れ、其処を一匹の魔物が歩いてきた。

杖をついた、老紳士のような風貌を持った魔物である。彼は魔物たちの群から抜け出し、つかつかと馬車に歩み寄ると、

「王よ、お待ちしておりました」

と、しゅうのほうへ頭を下げた。

「何のことだ? 私は――」

「文献で読んだはずです。貴方は我々虚幻を統べる、異形の王だ」

老紳士はしゅうの言葉を遮り、

「貴方が自らを王であると認識したことによって、我々はここに現出することが出来たのです。……申し遅れました。私はベルゼブブと申します」

といって、頭を下げた。

「伝承におけるベルゼブブとは、凡そかけ離れた容姿だな」

そのかうぼいの呟きを耳聡く捉えた老紳士――ベルゼブブは、

「我々は、人の想像の延長線上にある、虚幻の如き存在。姿形にたいした意味を持つものではありませんのでな」

といって微笑した。

「ローブの騎士様、我々は貴方に対して害意を抱く者ではない。虚幻の王であるしゅう様に従うことが、唯一の望みです」

ベルゼブブが手を挙げると、中空から火の塊が、馬車めがけて降ってきた。

かうぼいとしゅうは、とっさに左右から飛び出して、間一髪、火達磨になった馬車から抜け出したが、彼らの間の、ちょうど馬車があった辺りに魔物が割って入り、二人を隔離してしまった。


「何が、害意はない、だ」

火の塊を避けれなかったら、ただでは済まなかったではないか。

そう思って舌打ちするかうぼいの前に、一人の女性の姿をした魔物が進み出てきた。魔物はかうぼいの前で立ち止まり、

「フレアドラゴンと申します。ひとときのお相手をいたしましょう」

と、会釈した。

「……ドラゴンってのは、もっと別の姿かたちだと思っていたのだが」

「虚幻とはそういうもの。私たちは人の空想を糧として存在しています。さらにいえば、全く同じことを空想できる者はおらず、すなわち、空想する者の数だけ姿形が存在するということにもなります」

「成る程な、そういえば……」

かうぼいの瞳に、複雑な色が現われた。

「私の姿は、貴方の記憶の中に焼きついている女性像を結んでいるでしょう? 今ローブの騎士様の前にいる、深海の輝石のごとき麗しき女性は、兄想いの妹か、それとも愛しき人か」

「似ているといっても、所詮は虚幻だ」

即座に打ち消したかうぼいに、彼女は、

「だが、貴方は動揺なさっている」

そういってやさしく微笑んだ。

「試してみるか?」

かうぼいは腰に手を回して、ロードオブヴァーミリオンを鞘から払った。

「試しても宜しいですよ。ベルゼブブには手出しを止められているのですが…」

フレアドラゴンが右手を天に掲げると、掌に棒が現われ、彼女がそれを一振りすると、棒が業火に包まれた。

――しゅう殿は大丈夫だろうか。

そう思いつつも、かうぼいは吹き付けてくる熱風に逆らうように、フレアドラゴンにじりじりと近づいていった。


「…何故、私がお前たちの王にならねばならない?」

しゅうは目の前で畏まっている老紳士に怒りをぶつけた。

「私はアンタレスの騎士だ。お前たちに関わるつもりなどない!」

激昂して言い募るしゅうに対し、ベルゼブブは

「では一つ伺いましょう。私たち以外に、貴方を受け入れてくれる者がいるのですか?」

と、静かにいった。

しゅう自身が、いくらアンタレスの騎士だと主張したところで、セリア女王への反逆の罪を犯した者が、国へ復帰できる可能性など、万に一つの望みもない。借りにセリアが許したとしても、彼女の身を案じるリューガやセファイド、そして多くの騎士達がしゅうの復帰を肯下するはずがないのだ。

ならばシルフェイドやエルブレイズなどの他国に身を寄せることが出来るか、といえば、これも否、である。王に刃向かうような手合いは、確かに余所の国から見れば利用価値はあるかもしれないが、君主を裏切るような輩を、果たしてどれ程信じてくれようか。裏切りに正当な理由がなければ尚更である。だから他国が真に身を落ち着かせる場所になることもない。

「そうなると、貴方を受け入れてくれる場所は、人間の世界にはない」

「受け入れてもらうつもりはない。私は女王に申し開きをして、そして……自裁する」

しゅうは決意を込めてそういったが、

「再び女王にまみえて、果たして正気を保ったままでいることが可能だとお思いか?」

といわれて目を見開いた。

「なに――」

「王冠を被る者とはすなわち王。王はこの世で唯一人でなければならず、王冠に魅入られた貴方は、他の全ての王を滅ぼさねばならない。…魔法の鍵は、まさに、心の内に秘められた、君臨する唯一人としての野心を解き放つ為の、『鍵』。新しき王を誕生させる力こそが、本来王冠が持つ能力であって、虚幻などはしゅう殿に現われた副次的なものなのです」

言い終わると、ベルゼブブはにっこりと微笑んだ。

――やはり王冠の所為だったか

セリア女王への反逆が自分の意思でやったことではなかった、とわかって、しゅうはなんとなくほっとした。だが、セリア女王に会えば、また王の野心とやらが胸中を覆い、殺害を企ててしまうというのならば、彼女に会えるはずがない。自分には弁解の余地すら与えられないというのか、と思えば安堵もつかの間、急速に感情が昂ぶった。

――あまりにも理不尽だ

しゅうは、怒りに任せて腰のサーベルを抜き放った。この、あくまで冷静さを崩さぬ魔物を倒すつもりである。

「王は、先ほどの言葉の意味がまだ解かっておられぬようですな」

その言葉を聞き終わらぬうちに、しゅうのサーベルはベルゼブブの喉へ繰り出された。

が、目前の光景に彼の額から冷や汗が噴き出た。

「……だから言ったでしょう」

サーベルはベルゼブブの喉の数寸手前で止まってしまったのである。いくら力を入れても、なにか別の力が働いているかのごとく、それ以上剣先が進まない。

「王とは、自分の股肱を斬るような愚は犯さぬものですよ」

激しい殺意が、急速に薄れていく。

「…まあ、もしも此処で私を刺し殺せるようならば、セリア女王の前で申し開きをすることも出来るでしょうな」

ベルゼブブの言葉に挑発の意を嗅ぎ取ったしゅうは、必死に目の前の魔物を憎もうとした。

王冠の所為で、しゅうは敬愛する女王を殺しそうになった。王冠の所為で、しゅうはアンタレス中の騎士から追われる身になった。王冠の所為で、しゅうは青肌銀髪の怪物になってしまった。

全ては王冠の所為である。この王冠こそが悪夢の元凶なのである。

――この魔物さえ斬れば――。

忌まわしき王冠の呪縛を破ったことになるではないか。そうすれば、晴れてアンタレスへ戻り、セリア女王へ申し開きが出来るはずだ。

――この魔物さえ……。

しゅうは剣を取り落とした。

――駄目だ。

どうしても憎むことが出来ない。

「やはり貴方は我々、虚幻の王だ」

満足そうにベルゼブブは頷いた。

「違う、私は」

「悲しむことなど何もありませんよ。虚幻とは便利なものでしてな、心の全てを満たすことが出来るのです。虚幻を操れば得られぬものなどない」

「…所詮まぼろしではないか」

反駁する声が小さくなっていた。

「幻と現の区別とは、そもそもどういうことなのでしょう? 貴方は何時でも好きなだけ、幻の中に浸っていることが出来るのです。現よりも幻の中を過ごす時間のほうが長くなったとき、それでも王は、短い現こそが人生の全てだと思えますかな?」

しゅうは項垂れた。

現実の世界で、しゅうは騎士として、名誉の為に生きることを考えていた。

だが、セリア女王へおこなった反逆罪の汚名によって、もはやその夢は絶望的である。せめて、自分の偽らざる赤心の声を、セリア女王に放ってから自裁したいと思っていたのだが、それすらも出来そうにない。

――だが、もし…、もしもこれからずっと虚幻を生きることが出来るのならば、

しゅうの心は動いた。

今まで暮らしてきた現とは、一体何なのか?

現で行ったことに、如何ほどの重みがあるだろうか?

「……貴方は今まで、長い『夢』を見ていたと思えばいいのですよ。しかし、その夢はもはや終わった」

ベルゼブブが囁いた。

「これから始まるものこそが、貴方にとっての『現実』。何も気にせず、堂々と歩けば良いのです」

遠雷の音。前にもどこかで聞いたような気がした。

「なぜなら、貴方は今から始まる『現実』の中では、悪いことなど何もしていないのだから。『夢』の中での出来事に責任を取る必要などありますかな…?」

その囁きを聞きながら、しゅうはその場で昏倒した。


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