6話
第六話
セリア女王が悲しそうな眼差しでしゅうを見ている。
――セリア様、違うんです!
そういったしゅうの喉元には、魔剣スカーレットニードルが突きつけられていた。この剣はアンタレス国の国宝で、薔薇のような、血のような、鮮やかな緋色の刀身をもってる。その赤は、しゅうに自分が犯した罪の深さを認識させる色だった。
≪今ならまだ間に合う、非礼を詫びろ≫
悲しげな瞳のまま、そう諭してくるセリアに向かって、しゅうは、
――違うんです! これは私なのですが私ではないのです!
と胸中で叫びながら、左耳の辺りを探って、いつの間にか其処に現れていた鍵に触れた。
セリアの瞳が、青い肌の怪物を映し、見る間に彼女の顔に驚きが広がっていく。
――違うんです! 貴女に刃向かう気なんてこれっぽっちも…。
しゅうは、声にならない声で必死に弁明しながら、セリアへ、幻術で現出させた蜘蛛の群をけし掛けた。
当惑するセリア女王。
其処へ仲間だった騎士が二人、駆けつけてきた。
≪怪物よ、其処までなんですね≫
――違うんだ! 私は怪物なんかじゃない!
≪む、貴公はまさかしゅう殿か? 一体――≫
――違うんだ! こんな行いをしているのは私じゃない!
頭が割れるように痛み出した。
――信じてくれ、本当に全て違うんだ! 全ては――。
まぼろしなのだ。
この幻から逃げ出したい。すがるような気持ちで、眼前にみえた窓へ突っ込んだ。
しかし、窓を突き破って掴んだものは、虚空でしかなかった。そのまま落ちてゆくだけだ。
落ちた先には――。
衝撃で体が大きく跳ねた。
驚いてしゅうは辺りを見回した。馬の蹄の音が聞こえ、周囲の景色は自然に後ろへ流されていく。
「起きたみたいだな、大分うなされてたぞ」
ローブを被った見知らぬ男が、手綱を取って馬を御していた。
「あなたは誰ですか? 此処は一体?? …それより私はどうなった!?」
「落ち着け、しゅう殿」
「何故私の名を!?」
「アンタレスの騎士の一人として、顔は見た事があった。しゅう殿は身分のない俺など知らないだろうが…」
ローブの男は、矢継ぎ早に質問を浴びせてくるしゅうに、そういってから、
「俺はかうぼいという旅の騎士だ。しゅう殿に害意を抱く者ではない。それからこの馬車は俺が借り切ったものだ。俺の手綱捌きはなかなかのものだから心配いらんぞ。あと、しゅう殿がどうなったか、という質問だが、俺は二人の騎士に追われていたしゅう殿を拾っただけで、他のことは知らん。残りは自分で思い出してくれ」
と、しゅうの問いにひとつひとつ答えた。
――本当に通りすがりの騎士なのか…?
「助けていただいて有難う御座います。…しかしかうぼい殿、何故、顔を知っているというだけの私を助けたのですか?」
しゅうは感謝と共に、この、得体の知れない男の存念を探るつもりで訊いた。
「さあ? 特に理由もないが」
かうぼいは後ろを振り返らずにいった。
「これからどうするお積もりですか?」
と、さらにしゅうは訊いたが、
「特に予定はないな。しゅう殿はどうしてほしいんだ?」
彼は逆に問い返してきた。
――人を食ったような物言いをする男だ。
しゅうは心中では顔をしかめたが、それを表情には出さず、
「ともかく、ガルバディオから――、いや、アンタレスの都市から出来るだけ離れてくれればありがたいですが」
と、かうぼいにいった。
「よし。このままで良いみたいだぞ、タント」
かうぼいはそう馬に語りかけると、手綱を片手で持ちながら、もう片方の手で煙草を飲み始めた。
――不信感は残るが、身を任せるしかないな。
しゅうはそう思って、かうぼいの後姿をみた。
出来ればすぐにでも、この得体の知れぬ騎士から離れたい、という思いはある。
例え今、しゅうの事情を本当に知らないとしても、そのうち各街に、しゅう捜索の掲示が人相書き、賞金とともに手配されることになる。そうなれば、賞金欲しさにかうぼいがしゅうをアンタレスに差し出す、ということは十分ありえそうだ。
かといって、しゅう自身が、今かうぼいの馬車から降りて、自力で馬車を買うような事をすれば、それによって、しゅうの足取りが彼を探す者たちに知られてしまう。アンタレスの騎士であったしゅうは必然、アンタレスの多くの国民に顔が知られているのだ。その点、かうぼいを知っているのはアンタレスの騎士ではインリンとレンだけのはずであり、かうぼいに全てを任せている限り、しゅうの足取りは掴まれにくい。
――しばらくはこの男と行動を共にするしかない。
そう思って、眼差しを下げたしゅうの目に、かうぼいの腰にある剣の柄が映った。
「貴殿が腰に挿している剣は確か――」
見覚えがある。
あの夜、レンが持っていた剣。
「これか? これは呪いの剣、ロードオブヴァーミリオンさ」
かうぼいは煙草を口から離して、
「コイツは、その強さと引き換えに、もっとも大切なモノを使用者から奪うんだ」
といい、煙草を持つ手で剣の柄をさすった。
「そういえばそんな伝承もありましたね」
「ん? その言い方だと、しゅう殿は伝承を信じてないな?」
「信じるも何も――」
真顔で訊きかえして来たかうぼいを見て、しゅうは多少戸惑った。
ロードオブヴァーミリオンはレンが持っていた。噂で、他にもこの剣を持つ者の名を聞いたことがあるが、彼らが伝説どおりに不幸になったという話は、ついぞ聞いたことがない。
「名剣に逸話は付き物ですからね」
しゅうは、軽く受け流すつもりでそう答えたが、
「逸話にも幾らかの真実はあるものさ」
と、かうぼいは遠くを見るような目つきをした。
「はあ……」
不得要領のまま、しゅうは言葉を濁したが、
――そういえば
と、思い出して、懐から本を取り出した。
しぃなの研究所から持ち出してきた本である。今まで内容に目をとおす暇がなかったが、馬車の中ならば読む時間もあるし、さしあたって他にする事もない。古代の文献など所詮は逸話の集まり、読む価値はないかもしれない、と、盗んできたことを少し後悔していたしゅうだったが、逸話にも真実がある、というかうぼいの言葉を聞いて、なんとなく読む気が湧いてきた。
――この時間を無駄にするよりは良いだろう。
そんな気持ちで、しゅうは本のページをめくり始めた。
まだ太陽王が王位に昇るより以前のこと――。
彼が仕える炎の国は、大国であった水の国の侵攻を受けて苦しんでいた。当時の水の国は、多くの俊英を抱えて、戦力において他国を圧倒し、炎の国の首都にも迫らんとする勢いであった。
そんなある日、水の国の大軍が、太陽王の守備する都市を襲撃してきた。
まだ騎士であった太陽王は都市を守る為に奮戦したが、力及ばず、その都市は陥落し、太陽王自身も全身に深い火傷を負ってしまった。そしてその出来事が原因で、彼は騎士としての自信を失くし、酒浸りの日々をおくる様になったという。
――成る程、太陽王は偉大だ。
しゅうは溜息をついた。
太陽王の悩みは、国を思う心の深さゆえの葛藤である、と感じた。大局を見据えず、国の歯車として日々過ごしているような者なら、都市を守れなかった、というくらいで酒浸りになったりはしないだろう。その一事から、彼の持つ矜持の高さが覗える。
――それに引き換え…。
騎士なら当然敬い、護るべき王に刃向かって逃亡した自分とは、一体何なのか?
その行為の何処にも、国を思う気持ちを見出すことは出来ない。例え自分の意思でやったことではない、と主張したところで、しゅうの心奥は畢竟しゅうにしか分からぬわけで、その言葉は他人に弁明するだけの力を持つことはない。
暗澹たる思いを拭いきれないまま、うわの空で文献を先へと読み進めていたしゅうの目に、突然鮮烈な一文が飛び込んできた。
『…青い肌と、銀色に輝く髪を持ち、頭には『魔法の鍵』と呼ばれる奇妙な王冠を戴いた…』
文献をもつしゅうの手が震えた。
少し遡って、そのくだりを読み直す。
それは、太陽王と力の炎騎士によるゴブリンマスター退治の話だった。酒浸りの太陽王を立ち直らせようと、力の炎騎士が異形の怪物、ゴブリンマスターの退治に彼を誘い、二人で力をあわせてそれを倒した、という英雄譚である。その、まさに英雄二人の敵として描かれているゴブリンマスターの容姿が、変身したしゅうの姿と似ている、というよりも同一なのである。
――あの王冠は、ゴブリンマスターの遺物だったのか。
双頭の荒鷲の悲劇、太陽王を讃える言葉、そしてしゅうの異形。
全ての事柄が、この、『魔法の鍵』と呼ばれる王冠へと繋がっている。
ということは、
――この王冠を持つ私は――。
「…なにやら前方が騒がしいな」
かうぼいの呟きで、はっと我に返ったしゅうは、馬車の進む方角へと目を向けた。黒い壁のようなものが前方にそびえている。
「俺にあのような友達はいないが、しゅう殿、アンタの知り合いか?」
よく見るとそれは、夥しい魔物の群だった。それが道を塞ぐように展開しているのだ。
「魔物に知り合いなど、いるはずが――」
「だが、どうも俺たちが目当てのようだぞ!」
かうぼいの運転する馬車は、魔物の群に囲まれてしまい、已む無く停止した。