5話
第五話
水溜りをみつけたので、ふと足を止めて、自分の姿を映してみた。
其処には、背後の三日月とともに、騎士の姿の自分がある。
――これは本当の私なのだろうか。
しゅうはそう思わずにはいられなかった。
王冠の力を使って城門を突破することは容易だった。王冠を頭に呼び出そうと思っただけで、王冠は頭の上に現れたのだ。あとはただ、王冠についた鍵を撫でるだけで、幻術を行使することが出来た。
だが、幻術を行使したとき、しゅうにも自身がトマスに見えていたということの意味を思うとき、一つの恐怖が湧きあがってくる。それは、
――王冠は、私自身にも虚幻を見せている。
という事実からきている。
何故、普段は王冠が見えずに、必要な時だけ王冠を呼び出すことが出来るのか? 何故、王冠を被った直後や、セリア女王と戦ったときだけ、肌が青色になり、髪が銀色に輝いたのか?
――もし、王冠が私自身にも、『騎士の姿だったころのしゅう』の幻影を見せているとするならば――。
望んだ虚幻を見せる事の出来る王冠。それはつまり、今のしゅうの真実の姿を知ることは出来ないということである。しゅうが望んでいるから王冠は、『騎士だったころのしゅう』の姿を見せているだけで、実は既にしゅうは、あの時おり見せる、青の肌で銀の髪を持った異形の怪物になっているかも知れないのだ。
そんな考えに眩暈を覚えながらも歩き出そうとした時、背後に気配を感じてしゅうは振り返った。
月下に騎士が一人佇んでいる。
「レン殿…」
「反逆罪を贖う意志はあるか?」
静かな声が耳に心地よく響くが、言葉の内容は穏やかなものではない。
「あります」
しゅうは真っ直ぐにレンを見つめて答えた。
「ですが、すぐに、というわけにはいきません」
「虚言を弄されるか」
別の方向から声が聞こえてきた為、しゅうは驚いて振り向いた。いつの間にかレンは、しゅうの左側に立っている。
――移動した気配を感じなかった。
冷や汗が頬を伝った。しゅうはレンと手合わせしたことがないが、インリンが、彼はつかみ所のない闘い方をする、と言っていたのを聞いたことがある。
「虚言ではありません」
腹から声を出したつもりだったが、その声音までもが、レンの佇まいに吸い込まれていくような錯覚を覚えてしまう。
「そうか、虚言ではないのか。だが、」
レンが腰から、愛剣ロードオブヴァーミリオンを引き抜いた。形容しがたい、黒い光としかいいようのないものが、刀身から放たれ、その影になったレンの姿が揺らぐ。
「あいにく俺は、貴公を見つけ次第、すぐに捕える様に命令されている」
――やるしかない。
しゅうも、腰からサーベルを抜き放ち、低く構えた。
レンの姿が薄らいだ。
――虚像だ。
実像は既に移動していると読んだしゅうは、気配に集中する。背後から殺気が迫ってきた。確認している暇はない。振り返りざまサーベルを横に払った。黒い刀身と、月光を照り返して輝く銀の刀身とが交差し、金属音がこだまする。が、それも一瞬のことで、レンの像と黒い刀身は既に薄らぎ始めている。
その後も、レンの攻撃は連綿と続き、しゅうに反撃する余地を与えなかった。レンが攻撃に移る時発する、僅かな殺気だけを頼りに、攻撃を防ぎ続けるしゅうは、如何にも分が悪い。動きを読みきれずに、幾度かレンの斬撃を浴びたが、なんとか深手は免れていた。
「レン、止めろ! しゅう殿も!!」
突然の大音声と共に、剣とサーベルの間に、大剣が割って入ってきた。
しゅうは大きく飛びのいて、その二人と距離をとった。
「俺たちの任務はしゅう殿を捕えること。傷つけることじゃないぞ」
大剣を手にしたインリンが、しゅうに向かってロードオブヴァーミリオンを構えたままのレンにいった。
「しゅう殿、本当は見つからずに逃げて欲しかったのだけれども、こうなってしまった以上仕方がない。我等と一緒にガルバディオの城まで御同行願えまいか?」
穏やかな声でインリンが問いかけてきた。
――今、一緒に行ったところで――。
「しゅう殿の命までは取らせない。普段のしゅう殿に親しみを感じている者も多いし、私も罪の軽減を嘆願するよ。そうすればセリア女王や皆だってわかってくれる――」
「誰が今の私の事を分かるというんだ!」
耐え切れなくなって、突然しゅうは叫んだ。
「みなに何がわかるっていうんだ! 誰か王冠のことを知っているのか? 誰か人が怪物になるのを見た事があるのか? 誰か、怪物を人に戻せる者を知っているのか? 誰か…」
力なくその場に項垂れ、しゃがみ込んだ。
今の自分の苦しみは、他の誰にもわかるはずがない。
魔物に変化する自分を感じる恐怖。
敬愛する人に突然殺気を覚え、襲いかかっているのを自覚した時の悲しみ。
かつての仲間に追われる惨めさ。
「誰に私の気持ちがわかるというんだ、誰に…」
声に出しているのかどうか、自分でも判らなかった。
暫くして、足音が近づいてきた。
――結局私は此処で捕まってしまうのだ。
そう思ったが、立ち上がって逃げる気力はなかった。
捕まって牢屋に入れられても、自分は何も答えられないだろう。自分の体験した出来事は凡そ常識の範疇を越えているし、信じてもらえるわけがない。かといって、黙秘したままでは汚名を雪ぐことは出来ない。
――どうするのが、一番マシに死ねるだろうか。
しゅうはそんな事を考え始めていた。
項垂れているしゅうに近づこうとしたインリンは、レンに止められた。
「どうした、レン?」
インリンに答える代わりに、レンはしゅうの背後へ目をやった。レンの視線につられるようにみると、其処にはローブを纏った男が一人立っていた。
「誰だ?」
インリンが語気鋭く男に問うた。
「かうぼいという旅の騎士だ。この男を私に預ける気はないか?」
そう言いつつかうぼいは、しゅうの脇の下に腕を回して、彼を起き上がらせた。
「おい、勝手な真似をするんじゃない! その騎士は我等が追いかけていた男だ。要らぬ節介をすると、アンタレスを敵に回すことになるぞ」
インリンが大剣を構えて、しゅうを抱えたかうぼいににじり寄る。彼の脳裏には一瞬、
――このまましゅうを連れて逃げて欲しい。
という思いも過ぎったが、かうぼいという男が何者なのか、そしてその意図が何なのかが判らない以上、安易にしゅうを渡すのは危険に思えた。
「御二人はアンタレスの騎士か。最近のアンタレスの騎士は頭が固いな、少し借りるくらい良いじゃないか」
「ふざけるな!」
インリンがローブの男に飛び掛ろうとした時、かうぼいが腰から剣を抜いた。
刀身からは黒い光がほとばしっている。
――ロードオブヴァーミリオンか。
だが、輝きがレンの扱う物より遥かに強い。
その黒い光が更に増し、しゅうとかうぼいをすっぽりと覆い隠してしまった。
「逃がすか!」
インリンが叫びながら、その黒い光に飛び込んだが、目の前が暗闇に覆われてからは、いくら走っても何も見えない。そのうち激しい耳鳴りが聞こえ始め、頭が割れるように痛み出した。それでも彼は所構わず大剣を振り回したが、何の手応えもなく、耳鳴りが更に大きくなって、遂には武器を振る力も失われた。そして、両手で頭を抑えていたインリンの前方に、突如光の塊が現れ、物凄いスピードで彼に向かってきた。
――避けれない!
そう思って目を瞑った瞬間、後ろから首筋を思い切り引かれて、インリンは仰向けに倒れた。「大丈夫か?」
恐る恐る目を開けると、肩で息をするレンが立っていた。
慌てて周囲を見回したが、黒い光は既に消えうせ、かうぼいとしゅうの姿も見当たらない。
「私は一体…」
「初めてみた」
尻餅をついたままのインリンに聞かせるでもなく、レンが呟いた。
「俺の物とは比べ物にならない闇の力。恐らくあれは、ロードオブヴァーミリオンの真打ちだ」「真打ち…」
インリンは、ただ、レンの言葉を繰り返した。
「あそこまで強大な闇の力を操るかうぼいという男、ただの騎士ではなさそうだ」
「でも、アイツは一体――」
――しゅう殿をどうするつもりなのか。
レンの手を借りて起き上がったインリンが、そう言いたげな目を彼に向けると、レンは小さく溜息をついて、
「まずは一端戻って報告だな」
といって、城門の方へ目をやった。
インリンが振り返ると其処には、城門から出てこちらに近づいてくる数本の松明の明かりがみえていた