3話
第三話
「何処に行ったのだろうな、しゅう殿は」
インリンは同僚のレンと二人で、ガルバディオの街中を捜索していた。
「もうガルバディオから抜けている可能性もあると思うんだけども…レン、聞いてるのかい?」
「心当たりがない」
レンの返事は素っ気無い。
「相槌くらい打ってくれてもいいじゃないか、全くさあ」
レンが寡黙なのには、長年一緒のインリンは慣れている。同じように、インリンがそれについて文句を言うのも、レンには慣れっこなのだろう、
「スマン」
と、レンは、たいして済まなそうな態度も見せずに、そういった。
『しゅうか、青い魔物を発見したら、見つけ次第捕縛すべし』
という命令は、ガルバディオ在住の全兵士に言いわたされていた。しかし、兵士ではなく、インリンやレンなどの騎士たちには、しゅうと青い魔物は同一人物で、しゅうが青い魔物に変化するのだ、と説明があった。
――人が魔物に変化するなどと。
お伽話ではよくある話かもしれないが、実際自分の知っている人物、しかも、ついさっき医務室で話したばかりの人物が魔物になったと聞かされては、心穏やかでいられるはずもない。何故そんなことになったのか。インリンは当然、その原因を考えた。突然誰でも魔物になるのだったら、それほど恐ろしいことはない。なぜならそれは、自分もいつか、何の前触れもなく魔物になる可能性があることを意味するからだ。
――原因さえわかれば、対処法もある。
原因がはっきりすれば、しゅう殿を救うことだってできるはずだ。
「遺跡で何か変なものでも食ったのかな」
辺りを見回しながら、インリンは誰にいうでもなく――本当はレンに聞かせているのだが――呟いた。
「あの遺跡に興味を示して、態々しぃな殿を呼ぼうとしてたし、そういえば、医務室で起きたときも、王冠がどうのと言っていたっけ」
レンが急に立ち止まった。
「なにか幻覚をみたようだったし、キノコかな…って、レン、どうしたの?」
つられてインリンも歩みを止めた。
「ならば、そのどちらかじゃないか?」
「どちらかって?」
「その遺跡に行ったか、しぃな殿の研究所に行ったか。ガルバディオにまだいるとすれば、そのどちらかに寄った可能性が高い」
――迂闊だった。
「行くぞ!」
インリンは駆けはじめた。
「どっちへ、だ?」
レンが追いかけながら訊く。
「しぃな殿の研究所に決まってるだろ。しゅう殿が遺跡に行っていたならば、人命には関わらないが、研究所へ行っていたとしたら、しぃな殿が危ない」
そういえばしぃなは緊急の召集の時にもいなかった。まだ、しゅうが乱心したことを知らないはずだ。
――もっと早く気付くべきだったか。
まだ間に合うと信じて、インリンはしいなの研究所へ急いだ。
書物が山積みになっている。
何処に何があるのか、しゅうには皆目見当がつかなかったが、手当たり次第に、『双頭の荒鷲』について関係のありそうなタイトルの書物を探し回っていた。
彼の肌は、既に肌色に戻っており、頭上の王冠も消えている。
――何故私は、あんなことをしてしまったのだろう。
手を休めずにずっと考えていたが、全く解らなかった。
普段から敬慕しているセリア女王と話していたら、突然、殺さなければならないという思いが、強迫観念のように心に押し寄せてきた。その殺意に敬慕の情が負けたとき、自分は自分であって、それでも自分では無くなった。経緯はそんなものだろうが、これでは原因は判らない。
おかげでアンタレスに留まることは、もはや出来なくなった。例えあの時、自分は自分でなかったとしても、やったことには責任を取らなければならない。しかしその前に、自分のやったことを申し開きできるだけの知識が欲しい。
死ぬのはいいが、汚名を後世には残したくない。
名前の為に生きて、名前の為に死ぬ。それが騎士だと、しゅうは思っている。
書物を探す手を止めて、溜息をついた。
――やはりしぃな殿に直接聞いたほうが早いな。
しゅうは、そっと二階から忍び込んできていた。王城で事件を引き起こしたばかりなだけに、あまり他人に顔を見せたくはないし、何時また自分が狂乱してしまうのかもわからなかったからだ。
だがこのままでは、らちが明かない。
仕方なくしゅうは、階段を忍び足で降りていった。
一階も、二階に負けないほど膨大な量の書物が積まれていた。しゅうにはそれらが、どういう基準で並べられているのか全く分からないが、しぃなには何処に何があるのか、わかっているのだろうか。
本に囲まれた部屋の中で、しぃなは、机の上に書物を広げて、一心に読みふけっていた。しゅうが二階から降りてきたことには全く気付いていないようだったので、しゅうは後ろに立って、軽く咳払いをした。
「ん、誰ですか? 今大変忙しいのですが」
しぃなは書物から目を離さずに訊いてきた。
「しゅうです。無断で上がりこんでしまってすみません」
しゅうは思い切って、名前を名乗ってみたが、
「あ、しゅう殿でしたか、これは失礼」
といって振り向いたしぃなの顔に、驚きの表情は浮かばなかったのを見てほっとした。どうやらしぃなは、しゅうが大逆を犯したことを知らないらしい。
「遺跡で会った時にはひどく具合が悪そうだったのですが…おっと、しゅう殿はあの時気を失っていたから、会ったという表現は可笑しいですね。まだ何となく顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」
「ええ、お陰さまで何とか」
しゅうは自分の肌の色を確認しながら、会釈した。
「実はその遺跡のことで、どうしても聞きたいことがありまして…」
「おやまあ、大層なご執心で」
しぃなが歯をみせて笑った。
「実は私もしゅう殿に聞きたいことがあったのですよ」
「え、それはどういったことで――」
思わず体を乗り出した。まさか、しゅうの変貌について、何か知っているのか?
「いや、たいしたことではありません。何故遺跡の中でしゅう殿が倒れていたのか、それを訊きたかったのです。何か仕掛けがあったのならば、後学の為に知っておきたいと思いましてね」
――なんだ、そんなことか。
王冠に関することかと期待しただけに、しゅうは、しぃなの問いにいささか落胆した。
「それは…ちょっと変なガスを吸ったようで」
本当の事を言うべきかとも思ったが、結局適当に誤魔化して答えた。
「そうですか。ガスの残留はなかった気がしたのですが。一時間で全て洞窟内から消えてしまうガスか、一体どうやって…」
「それよりも、」
しゅうは強引にしぃなの言葉を遮った。
「しぃな殿は石版を読んだのですよね?」
「む、まあ読みましたが」
自分の言葉を遮られたしぃなは、ちょっとむくれながら、しゅうの問いに答えた。
「それで、書いてあった言葉なのですが、あの意味は、そもそも一体どういう意味なのですか?」
「あれは太陽王を讃える言葉ですよ」
――讃える…言葉?
「太陽王とはその昔、炎の国を立て直して、初代国王になった御方。そして、最後の王でもあり――」
「双頭の荒鷲の悲劇云々と書いてはなかったですか?」
しゅうは勢い込んでしぃなに訊いた。
「讃える言葉に、誰が好き好んで、悲劇なんて言葉を使うのですか? 普通に考えれば分かるでしょうに」
「書いてなかったと?」
「当然です」
しゅうは、全身の血の気が引くのが分かった。
あれは、しゅうが勝手にそう思って唱えただけだというのか? ならどうして扉の仕掛けが開くのか?
「まあ、双頭の荒鷲と太陽王は、必ずしも無関係とは言えませんがね」
しゅうの動揺を余所に、しぃなは話を続けた。
「どういうことですか?」
思わずしぃなの腕を思い切り掴んだ。
「イタタタ、何するんですか、全くもう」
しぃなは大声を出してそれを振り払った。
「落ち着いて聴きなさいってば。…太陽王には力の炎騎士という盟友がいた。彼と共に歩んだことで、太陽王は炎の国の隆盛を築いたのです。その二人の別名が双頭の荒鷲。そしてそれは、炎の国のシンボル、紋章にもなっていたそうです」
しぃなの話は続く。
「しかしある日、盟友であった力の炎騎士は、突然炎の国から姿を消しました。そして次に二人が再会したのは戦場。力の炎騎士は、闇の国へ亡命し、暗冥王という名前を持って、太陽王の前に現れたということです」
しぃなは其処まで話すと、一端言葉を切って、冷めたコーヒーを口に含んだ。
「双頭の荒鷲の悲劇と呼べるものは、恐らくそれくらいじゃないでしょうか」
双頭の荒鷲とは、太陽王と力の炎騎士。そして力の炎騎士は暗冥王となって、かつての友、太陽王と刃を交えた――。
結局しいなの口からは、王冠について語られることはなかった。
「それに関する書物があればお借りしたいのですが」
「すいぶんと熱心ですなあ。まあ、歴史を知るということは悪いことではありませんけどね」
さっきまで読んでいた本を、しぃなが手に取ろうとした時、表でベルが鳴る音がした。
「来客のようですな。チャイムも鳴らさずに入ってくるのはしゅう殿くらいなものですよ」
しぃなはしゅうをおいて、玄関へ歩いていった。
しゅうの目の前には、先ほどしぃなが読んでいた本と、その横に積まれている本の山が残ったままだ。
外にいたのは、インリンとレンだった。
「どうしたのですか? 今日はいやに来客が多い」
しぃなが笑っていった。
「来客だと? しぃな殿、それはひょっとして――」
「いや、昼間には貴殿が、先ほどはしゅう殿が見えられて、しゅう殿は今も中に居ますよ」
インリンとレンは、頷きあい、
「こらこら、研究所で騒ぐと書物が崩れちゃいます」
と言う、悲鳴に近いしぃなの声を無視して、研究所の中へと駆け込んだ。
だが、目に入ったのは書物と机だけ。人影は無い。
「ああ!」
その現場を見たしぃなが大声で叫んだ。
「私の本がない。一、二、…五冊もないぞ! しゅう殿め、今度会ったら…」
しぃなが騒ぐのを尻目に、二人はまた、外へ飛び出していった。